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第42話 ドグラン


 翌朝。


 俺は、いつもより少し早く目が覚めた。

 理由は分かっている。


 白零びゃくれいだ。


 腰に差して寝るわけにもいかないので、部屋の壁際に立てかけてある。だが、視界に入るたびに気になる。


 昨日、ミスリルインゴットを斬った。

 あの感触が、まだ手に残っている。


 刀身が入る。

 抵抗が遅れて来る。

 そして、すっと抜ける。


 理屈ではなく、体がもう一度確かめたいと言っている。



(ちょっとだけなら、いいんじゃないか?)



 いや、駄目だろ。


 昨日セレナが来たばかりだ。今日から営業準備だ。たぶん。


 だが、ちょっとだけなら。


 そう思いながら一階へ下りると、居間にはすでにエマがいた。


 ロッドを持って。



「早いな」


「あなたもね」


「・・・気になるか?」


「気になるに決まっているでしょう」


「だよな」



 俺とエマは、互いの装備を見た。


 そして、互いに視線をそらす。


 駄目だ。


 これは完全に同じことを考えている。



「朝食前に、少しだけ外に出るという選択肢がある」


「ええ。人目の少ない場所で、軽く試すだけなら」


「魔物を相手にするわけじゃない」


「少し撃つだけよ」


「少し斬るだけだ」



 そうだ。

 少しだけ。


 俺たちは誰に言い訳しているのだろうか。


 たぶん、セレナだ。


 まだ来ていない相手に、すでに言い訳をしている。

 その時点で負けている気もする。


 そして、負けはすぐに確定した。


 店舗側の扉が開く。


 セレナが入ってきた。


 昨日と同じ服装だが、今日は細縁の銀色眼鏡を掛けている。


 手には帳簿。


 脇には、何枚もの紙。


 目が、昨日より鋭い。



「おはようございます」


「お、おはよう」


「おはよう、セレナ」


「本日は営業準備を行います」



 即答だった。


 いや、まだ俺たちは何も言っていない。

 何も言っていないのに、封殺された気がする。



「えと・・・セレナさん。ちょっとだけ武器を試してきたいのですが」



 なぜか丁寧語になった。


 自分でも驚いた。


 俺は店主のはずだ。

 雇った側のはずだ。


 なのに、目の前の実務管理者候補に対して、完全に許可を求める口調になっている。



「営業準備を行います」


「わ、私はそこらへんで魔法をちょっと撃つだけだから」



 エマまで言い訳を始めた。

 しかも少し早口だ。



「営業準備を行います」


「・・・はい」

「・・・分かったわ」



 俺とエマは揃って頷いた。


 セレナは表情を変えない。


 怒っているわけではない。


 ただ、決定事項を告げているだけだ。


 それが妙に強い。



(おかしい)


(店主のはずなのに、上司ができた気がする)


『組織運営上、有能な実務管理者に一定の裁量を与えることは合理的です』


(それは分かるが、もう少し俺の味方をしてくれてもいいんじゃないか)


『営業準備を推奨します』


(お前もか)



 俺は内心で肩を落とした。



「まず、昨日確認した商品を分類します」



 セレナは帳簿を開いた。



「分類?」


「はい。商品ごとに、売り方を変えます。すべてを同じ棚に並べるのは危険です」


「危険って、商品棚なのに?」


「商品が強すぎます。強い商品は、扱いを間違えると客だけでなく、トラブルも呼びます」



 言い方が重い。


 でも、たぶん正しい。


 俺たちは店舗へ移動した。


 まだ開店前の店内には、昨日仮置きした商品が並んでいる。


 吸水布。

 スクリューキャップ瓶。

 手鏡。

 簡単なアクセサリー。

 銀のチェーン。

 その他、試作品の小物類。


 セレナはそれらを見て、すぐに指示を出し始めた。



「吸水布は入口近くです。触らせてください」


「触らせていいのか?」


「はい。これは触れば分かります。むしろ触らせなければ売れません。ただし、最初は購入数を制限します」


「なんでだ?」


「買い占め防止です。安く広げる商品を、最初に大口が買い占めれば評判が広がりません」


「なるほど」


「瓶は実演です。開け閉めを見せます。逆さにしても漏れないことを見せれば、飲食店、薬師、香料商が反応します」



 セレナは台の上に並んだスクリューキャップ瓶を見た。


 昨日までは試作品が数本だったが、今朝にはいくつか完成品に近いものが増えている。瓶そのものは俺が作り、蓋の金属部品やねじ山の調整はドグランが手を入れたものだ。


 完成品と言っていいのかは迷うが、少なくとも商品として見せられる品質にはなっている。



「個人客は?」


「売れます。ただし、本命は業者です。個人客用と業者向けでサイズと価格を分けます」



 セレナの指示は速い。


 俺が質問すると、即答が返ってくる。


 エマはその横で、感心したように聞いていた。



「鏡は奥です」


「入口じゃないのか?」


「駄目です。これは勝手に触らせません」


「高いから?」


「それもありますが、価値を理解しない客が不用意に触ると、店側も客側も不幸になります。それに、これを安く見せる必要はありません」



 セレナは手鏡を棚の奥へ移す位置を指した。



「鏡は見せる商品です。触らせる商品ではありません。購入希望者には、私かアキラさんが対応します」


「俺も?」


「はい。この品質を作った本人が説明すれば、説得力が違います」


「俺、説明下手だぞ」


「余計なことを言わなければ大丈夫です」


「それが一番難しいんだが」


「では、練習します」



 厳しい。


 だが、言っていることは正しい。


 次に、セレナはアクセサリーを見た。



「こちらは展示数を絞ります」


「理由は?」


「希少性を維持するためです。それと、現段階では販路がありません」


「店に並べるだけじゃ駄目なのか?」


「駄目です。安い客に高い商品を見せれば高いと言われ、高い客に安い見せ方をすれば安物だと思われます。商品には、ふさわしい場所と見せ方があります」



 また刺さることを言う。


 俺は思わず頷いた。



「商売って難しいな」


「難しいから、私がいます」



 即答だった。


 エマが口元に手を当てて、少し笑った。



「アキラ、よかったわね」


「何がだ」


「あなたを止めてくれる人が増えたわ」


「それは本当に良いことなのか?」


「少なくとも、私は助かるわ」



 否定できなかった。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 店内の配置をある程度決めたところで、俺たちは工房へ向かった。


 ドグランが来ているはずだ。


 いや、来ているはずというより、すでに音がする。


 金属を軽く叩く音。

 工具を動かす音。

 木箱を引きずる音。


 昨日まで俺とアルが使っていた工房から、完全に職人の作業場の気配がしていた。


 扉を開けると、そこにはドグランがいた。


 朝から当然のようにいる。


 しかも、すでに工房の配置が少し変わっていた。



「もう始めてるのか」


「当然じゃ。使いづらい工房では、いいものは作れん」


「それ、昨日まで俺が使ってたんだけど」


「だから直しとる」


「だからって言われてもな」



 ドグランは悪びれない。


 炉の前の作業台の角度、工具棚の位置、素材箱の並び、冷却用の水槽の距離。


 俺が見ても、確かに使いやすくなっている。


 悔しい。

 非常に悔しい。


 だが、職人の動線としては明らかに改善されている。



「小僧、おぬしは作れるが、工房を使い込んだ職人の配置ではない」


「ぐうの音も出ない」


「出んでよい」



 ドグランは鼻を鳴らした。


 そのまま炉の前に立ち、太い指で側面の制御板らしき部分を軽く叩く。



「小僧、この炉の使い方を教えろ」


「もう触ってるのか」


「普通には使えるんじゃが、よく分からん機能がついとる。何か聞いとらんか?」


「設計した奴いわく、温度の維持と局所加熱、あと急冷の補助ができるらしい」


「・・・炉に急冷の補助?」


「そこは俺も聞いた時に同じ顔をした」


「おぬしら、炉を何だと思っとるんじゃ」


「便利な熱源?」


「殴るぞ」



 ドグランは本気で呆れた顔をした。


 だが、その目は笑っている。


 未知の道具を前にした職人の目だ。



「しかし、面白い。温度が安定しすぎる。普通の炉なら、燃え方に癖が出る。空気の入り方、燃料の質、炉壁の熱の返り。それを読んで手を動かすんじゃが・・・こいつは妙に素直じゃ」


「扱いやすいってことか?」


「扱いやすい。じゃが、素直すぎて気持ち悪い」


「便利なのに文句を言うのか」


「道具が素直すぎる時は、裏に何かある。職人はそう考えるもんじゃ」



 なるほど。


 妙に分かる。


 アルの設計は、現地の職人からすれば素直すぎるのだろう。癖を読む余地が少ない。だからこそ高性能だが、だからこそ不気味でもある。



「急冷補助は、金属全体を急に冷やすというより、指定した部分の熱を逃がす補助だと思う。たぶん、歪みを抑えるための機能だ」


「たぶんで炉を作るな」


「俺も詳しくは知らん」


『局所加熱、温度維持、熱勾配制御、急冷補助が可能です。使用者の安全を考慮し、現在は機能を制限しています』


(だそうだ)


『口頭説明用に簡略化しますか』


(頼む)



 俺はアルの説明を、できるだけ現地の言葉に置き換えてドグランへ伝えた。


 全部は分かっていない。


 だが、ドグランは途中から顎に手を当て、黙って聞いていた。



「・・・なるほどのう。熱を入れる場所と逃がす場所を、ある程度分けられるわけか」


「そういうことらしい」


「普通は、そんな器用なことはできん。小物ならまだしも、刃物や細工物でそれができるなら、歪みをかなり抑えられる」


「使えそうか?」


「使えるどころではない。使いこなせば、普通なら諦める形も作れる」



 ドグランは作業台の上に置いてあった小さな銀細工を指でつまんだ。



「それは?」


「試しで作った」



 俺はそれを見て、言葉を失った。


 小さな銀の飾りだった。


 銀のチェーンに合わせるためのペンダントトップのようなものだ。


 だが、細工が異常だった。


 薄い金属片が何層にも重なり、花にも、羽にも、魔法陣にも見える模様を作っている。角度を変えると光の反射が変わり、同じ銀なのに濃淡が生まれる。


 手作業で作ったとは思えない。


 いや、ドグランなら手作業で作ったのだろう。


 それが余計におかしい。



「・・・試しでこれ?」


「炉と工具の癖を見るにはちょうどよかろう」


「ちょうどよくないだろ」



 エマも覗き込んで、目を細めた。



「綺麗ね」


「じゃろう」



 ドグランが少し得意げになる。


 その瞬間、セレナが静かに言った。



「売りません」


「まだ何も言っとらんぞ」


「顔に書いてあります」


「売れるじゃろ」


「売れます。だから駄目です」



 また出た。


 売れるから駄目。


 普通は逆ではないのか。


 しかし、セレナの顔は真剣だった。



「この品は、今の精霊工房の店頭に並べるものではありません」


「何故じゃ。品は良いぞ」


「良すぎます」


「良すぎるなら、なおさら売れるじゃろうが」


「ですから、売れてしまうのです。安く出せばトラブルを呼び、高く出せば上流が嗅ぎつけます。今の私たちには、この品にふさわしい販路も、価格基準も、客を選ぶ仕組みもありません」



 セレナは銀細工を見た。


 まるで商品ではなく、火薬でも見ているような目だった。



「こんなものを不用意に出せば、商品ではなく火種になります」


「火種か」


「はい。今はまだ、火をつける場所を選ぶ段階です」



 ドグランは腕を組んだ。


 しばらく黙っていたが、やがて鼻を鳴らす。



「面倒じゃが、分からん話ではない」


「ありがとうございます」


「じゃが、作るのはよいな?」


「作るだけなら構いません。売らないでください」


「小僧、聞いたか。売らんければよいそうじゃ」


「俺を見るな。俺は巻き込まれたくない」


「店主でしょう」



 セレナが俺を見る。


 俺は即座に視線を逸らした。



「・・・管理は任せる」


「賢明です」



 エマがまた笑った。


 最近、エマが笑う理由の半分くらいが俺の情けない姿になっている気がする。


 気のせいだと思いたい。



「それと、瓶はどうだ?」



 俺は話題を変えるように、作業台の端に並んだ瓶を見た。


 透明な瓶。


 その口には、金属を薄く加工した蓋がついている。ねじ込むと閉まり、逆に回すと外れる。前世の記憶では当たり前に見た構造だが、この世界ではかなり異質だ。



「いくつか仕上げておいたぞ」


「早いな」


「瓶の口の形が揃っとるなら、蓋の方で合わせられる。問題は、このねじ山とかいう仕組みじゃな。面白いが、雑に作るとすぐ噛む」


「噛む?」


「締める途中で引っかかる。力を入れすぎれば壊れる。だが、精度を出せば密閉性は高い。香料や薬には向いとるじゃろうな」



 セレナがすぐに反応した。



「数は?」


「今朝の時点で、見本にできるものが八本。実用品として売れそうなものが四本じゃ」


「最初は見本中心でいきます。販売数は絞ります」


「また絞るのか」


「絞ります。最初に必要なのは量ではなく、用途別の反応です」



 セレナは瓶を一本手に取り、蓋を開け閉めした。


 カチリ、と小さな手応えがある。


 その顔が、少しだけ険しくなった。



「これは、飲食店、薬師、香料商、保存食を扱う業者に分けて見せます。同じ瓶でも、相手によって説明を変えます」


「全部同じ瓶なのに?」


「同じ商品でも、買う理由は違います」



 なるほど。


 やっぱり商売は難しい。


 俺がそう思っていると、ドグランが布の束を持ち上げた。



「それと、この柔らかい吸水布じゃがな」


「タオルか?」


「裁縫は専門外じゃ。織りや縫いはワシの仕事ではない」


「つまり?」


「小僧が何とかせい」


「丸投げかよ」


「金属ならワシがやる。布ならおぬしの非常識でどうにかせい」


「言い方」


「褒めとる」


「本当か?」


「半分くらいはな」



 半分か。


 まあ、半分褒められているなら良しとしよう。


 セレナはタオルに視線を向けた。


 昨日、使ったはずだ。


 その目が一瞬だけ変わる。



「タオルは、まだ店頭に出しません」


「やっぱりか」


「はい。あれは危険です」


「危険な布って何だよ」


「人を戻れなくする布です」



 重い。


 布に対する評価ではない。


 だが、昨日使ったセレナがそう言うなら、たぶんそうなのだろう。



「まずは吸水布で市場を作ります。タオルは、その後です」


「了解」



 俺は頷いた。


 こうして、工房側の役割も少しずつ見えてきた。


 ドグランは金属加工、炉の運用、蓋や細工物、素材の下処理。


 俺はナノマシンでの加工、繊維素材、タオルや吸水布といった裁縫。


 セレナは売り方、価格、販路、各種契約、出す順番の管理。


 分かれている。


 そして、分かれているからこそ進む。


 一人で全部やっていたら、たぶんこうはならない。




 精霊工房の小さな体制が、整いつつあった。



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