第40話 できる人たち
精霊工房へ戻る道中、エマはずっとロッドを見ていた。
何度も角度を変え、魔力を少しだけ流し、すぐに止める。
顔は冷静だ。
だが、明らかに落ち着いていない。
「気になるか?」
「気になるに決まっているでしょう」
「だよな」
「これ、本当に三つも術式を待機できるのかしら」
「ドグランが言うなら、できるんだろ」
「その信頼、いつの間にそこまで育ったの?」
「ミスリルインゴットを斬ったあたりで」
「あなたも大概よ」
エマは呆れたように言いながらも、ロッドを抱える手つきは大事そうだった。
「・・・本当に、意味が分からないわ」
「どれの話だ?」
「全部よ」
「それはそう」
「・・・」
「・・・」
「やっぱ行きたいよな、試しに」
「ええ・・・」
「畜生、午後に面接の予定なんて入れるんじゃなかったぜ」
「全くだわ」
俺は腰の白零に触れた。
白零。
白い零。
自分で名付けたはずなのに、ずっと前からそう呼ばれていたような気がする。
午後には面接がある。
実務管理者候補と、工房責任者候補。
正直、午前だけで情報量が多すぎる。
だが、今日の本番はまだ終わっていない。
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午後。
精霊工房の扉を叩く音がした。
俺とエマは顔を見合わせる。
エマはロッドを奥へ置き、俺は白零を腰に差したまま扉へ向かった。
開けると、そこにはベルナルドさんがいた。
その隣に、一人の女性。
灰色がかった淡い青の髪を、低い位置で一つに結んでいる。
服装は華美ではない。
白に近い薄灰のブラウス。
濃紺系のベスト。
動きやすそうで、しかし仕立てはいい。
綺麗だ。
ただし、近づきやすい綺麗さではない。
こちらが名乗る前に、もう値踏みが終わっていそうな目をしていた。
「お待たせしました、アキラさん。こちらが、実務管理者候補のセレナさんです」
「セレナと申します」
女性は丁寧に一礼した。
声は落ち着いている。
無駄がない。
「アキラだ。こちらはエマ」
「よろしくお願いします」
エマも軽く会釈する。
セレナは店内へ視線を向けた。
入口。
棚。
会計台。
奥の高級品置き場。
事務所へ続く扉。
目線が速い。
見る場所が、明らかに客ではない。
「本日は、こちらで働くかどうかを判断するために参りました」
「働くかどうかを判断する?」
「はい。雇用は、雇う側と雇われる側の双方が判断するものです」
「・・・なるほど」
「まず、商品を拝見してもよろしいでしょうか」
「面接では?」
「面接のために商品を見ます」
即答だった。
ベルナルドさんが穏やかに微笑んでいる。
たぶん、こうなることを分かっていたのだろう。
「分かった。こっちだ」
俺は仮置きしてある商品棚へ案内した。
吸水布。
スクリューキャップ瓶。
手鏡。
簡単なアクセサリー。
まだ試作品の小物類。
セレナは一つ一つ手に取った。
吸水布を触る。
瓶の蓋を開け閉めする。
鏡を覗き込む。
アクセサリーの留め具を確認する。
途中で、細縁の銀色眼鏡を取り出して掛けた。
空気が変わる。
仕事モード、というやつだろう。
「率直に申し上げます」
「どうぞ」
「この店は、商品が強すぎます」
「強すぎる?」
「はい。売れる商品が複数あります。ですが、売り方が同じではいけません」
セレナは吸水布を指す。
「これは庶民向けの量産品です。単価を抑え、回転率で利益を出すべき商品です」
次に瓶。
「これは家庭用にも売れますが、本命は飲食店、薬師、香料商、保存食を扱う業者です。個人客だけに売るのはもったいない」
次に鏡。
「これは扱いを間違えると危険です。安く売りすぎれば買い占められ、高く売れば上流向けの商品になります。販路を分けるべきです」
アクセサリー。
「これはさらに別です。数を絞り、希少性を維持する商品です。露店に並べるものではありません」
「・・・・・・」
言葉が出ない。
全部、正しい気がした。
というか、俺が考えていなかったことを、商品を見ただけで言われている。
「商品分類、価格帯、客層、在庫回転、製作時間、仕入れ費用、販売先。これらを分けずに売れば、また大商会に囲い込まれます」
「首輪をつけられかけたばかりだしな」
「はい。ならば、こちらから首を差し出すべきではありません」
きつい。
だが、分かりやすい。
エマが小さく頷いている。
「それと、武器や防具についてですが」
「武器?」
俺は思わず腰の白零に触れた。
セレナの視線が、一瞬だけそこへ向かう。
「工房を持つ以上、いずれ扱いたくなる可能性があります。ですが、武器・甲冑は許可品目です。商品として販売するなら、免許が必要ですし、商業ギルドのランクも最低でもBが必要になります」
「Bランクか」
「現在の登録状況では、店頭に並べて継続販売することはできません。個人装備の製作、試作品、個別依頼の範囲なら整理できますが、商売として大きく扱うには段階を踏む必要があります」
「なるほど。つまり、まずは日用品で実績を作る」
「はい。売上、帳簿、納税、取引実績。そこを整えて、資金を貯めます。その上でBランクを目指すべきです」
「金もいるよな」
「当然です」
「現実的だなぁ」
「商売ですから」
セレナは淡々と言った。
この人、強い。
夢を否定するのではない。
だが、夢を見る前に必要な階段を示してくる。
「条件があります」
「条件?」
「販売、帳簿、在庫、客対応、契約。この範囲について、私に一定の決定権をください」
「一定の?」
「口を出すなら責任も持ちます。責任を持たせるなら、権限も必要です」
「分かった。任せる」
「軽いですね」
「俺がやると失敗するのは分かったからな」
「自覚があるのは良いことです」
セレナの表情が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
エマも隣で小さく笑っている。
「エマさん」
「はい」
「アキラさんが思いつきで商品を増やそうとした場合、まず私へ通してください」
「分かったわ」
「即答なのか?」
「当然でしょう」
『妥当です』
「アルまで」
セレナは不思議そうに俺を見る。
しまった。
口に出したか。
いや、今のはぎりぎり独り言で通るはずだ。
ベルナルドさんは、やはり何も聞かなかったことにする顔をしている。
大人の対応だ。
セレナは店内をもう一度見回した。
「この店は、育て方を間違えなければ伸びます」
「なら、来てくれるのか?」
「はい。お受けします」
「助かる」
「ただし、最初に帳簿を作ります。在庫も全部数え直します。価格表も仮で組みます」
「今日から?」
「今日からです」
「できる人って怖いな」
「褒め言葉として受け取ります」
この人、本当にできる人だ。
そして、容赦がない。
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セレナの加入が決まったところで、ベルナルドさんが穏やかに口を開いた。
「では、もう一人の方をお呼びしましょう」
「工房責任者候補ですね」
「ええ。少々癖がありますが、腕は確かです」
「それ、午前中にも似たような人と会ったんですが」
「そうでしたか」
ベルナルドさんはなぜか少し楽しそうだった。
扉が開く。
低い背丈。
分厚い腕。
赤銅色の髭。
入ってきたのは、午前中に別れたばかりのドグランだった。
「邪魔するぞ、小僧」
「・・・今日が最後って、そういうことかよ」
「そういうことじゃ」
「午前中に会ったばかりなのだけれど」
エマが呆れたように言う。
ドグランは鼻を鳴らした。
「ワシも驚いとるわ。ベルナルドに面白そうな工房があると聞いて来てみれば、おぬしらじゃからな」
「お知り合いでしたか」
ベルナルドさんが白々しく言う。
絶対に分かっていた顔だ。
「午前中に武具を受け取りまして」
「それは話が早いですね」
「早すぎるくらいです」
俺がそう言うと、ドグランは店内を見回した。
「話は後じゃ。工房を見せろ」
「契約条件が先です」
セレナが即座に言った。
ドグランの眉がぴくりと動く。
「工房を見んことには、契約するかどうかも決められん」
「では、見るだけです」
「面倒な女じゃのう」
「面倒を片づけるために雇われます」
「ふん」
セレナとドグラン。
初対面でこれか。
相性が良いのか悪いのか分からない。
たぶん、悪くはない。
俺たちはドグランを工房へ案内した。
表の工房。
作業台。
素材棚。
工具。
奥の作業場へ続く扉。
ドグランの目が、動く。
ただ見るのではない。
接合部。
高さ。
素材の置き方。
工具の並び。
換気。
床の強度。
見ている場所が職人だった。
「急造にしては、よう考えとる」
「一応、使う人間のことは考えた」
「一応では済まん精度じゃな」
ドグランは作業台を指で叩き、次に壁を見る。
そして、奥にある炉の前で足を止めた。
「・・・これは、炉か?」
「そうだ。金属加工もするだろうと思ってな」
「妙な炉じゃ。火口の作りが普通ではない。空気の流れも・・・いや、これは空気だけではないのう」
ドグランの目つきが変わった。
炉の外見は、この世界の鍛冶炉に寄せてある。
だが、中身はアル設計だ。
温度、酸化、魔力干渉、圧力、素材ごとの制御。
かなり色々と詰め込んである。
もちろん、全部説明する気はない。
「設計した奴に言わせりゃ、理論上はオリハルコンでも溶けるらしいぞ」
「・・・・・・なんじゃと?」
ドグランの声が低くなった。
怖い。
だが、怒っているのではない。
完全に食いついた声だ。
「理論上、な。実際に試したわけじゃない」
「小僧」
「なんだ?」
「その設計した奴と話はできるか」
「たぶん、俺を通せば」
『直接会話は非推奨です』
(分かってる)
「ならよし」
ドグランは炉の前にしゃがみ込み、細部を覗き込んだ。
完全に目が離せなくなっている。
午前中、白零を見せた時の俺と同じだ。
いや、それ以上かもしれない。
「小僧」
「なんだ?」
「ここ、ワシが使ってええんじゃな?」
「そのために来たんじゃないのか?」
「決めた」
「早いな」
「ワシはここに住む」
「住むのかよ」
「居室は二階にあります。ただし、工房の私物化は禁止です」
セレナが即座に言った。
ドグランが面倒そうに顔を上げる。
「固いことを言う女じゃのう」
「工房が燃えたら困ります」
「ワシが燃やすわけなかろう」
「今、炉を見て目の色が変わっていました」
「・・・・・・」
「否定しないのね」
エマが小さく呟く。
ドグランは咳払いした。
「そうじゃ。免許ならワシがもっとるぞ」
「何の話だ?」
「さっき武器を売るには免許が必要と言っとったじゃろう。武具の製作も、売るための職人証もある」
「鍛冶師にしては珍しいですね」
「そこらの鍛冶師と一緒にするでないわ」
セレナが静かに頷く。
「ドグランさん個人の免許があるなら、製作と個別受注の道は開けます。ですが、精霊工房として武器を継続販売するには、やはり店のランクが必要です」
「面倒じゃのう」
「面倒なものを無視すると、もっと面倒になります」
「むう」
「当面は、日用品と便利道具で資金と実績を作ります。武器、防具、魔道具系は試作と個別依頼に留めます」
「ワシはすぐにでも妙な武器を打ちたいんじゃが」
「打つのは構いません。売り方を整える必要があるだけです」
「ますます面倒な女じゃ」
「その面倒を片づけるために来ました」
強い。
セレナが強い。
ドグランを相手に、一歩も引かない。
ドグランも不機嫌そうに見えるが、完全に拒絶しているわけではない。
むしろ、こういう相手の方がやりやすいのかもしれない。
「研究用素材の使用量は記録します。酒は報酬ではなく福利厚生として別枠。工房改造は事前申告。量産工程は担当範囲を明確にします」
「酒が福利厚生になるのか」
「必要なら」
「小僧、この女は分かっとるぞ」
「そこなのか?」
「そこじゃ」
「ただし、作業中の飲酒は禁止です」
「やっぱり分かっとらん!」
「安全管理です」
「ぐぬぬ・・・」
エマが横で肩を震わせていた。
俺も笑いそうになる。
だが、同時に思う。
本当に、できる人たちだ。
セレナは物の流れを見ている。
ドグランは物の芯を見ている。
ベルナルドさんは、人の置き所を見ている。
俺は作れる。
だが、俺一人では回らない。
それを、ここ数日で嫌というほど思い知った。
そして今、その足りないものが目の前にいる。
「アキラさん」
セレナがこちらを見る。
「正式な契約書は、今日中に仮案を作ります。細部は明日確認しましょう」
「今日中?」
「はい。早い方がいいので」
「小僧」
今度はドグランだ。
「素材を見せろ。あの白い金属も、訳の分からん硬い奴も、まだあるんじゃろう」
「今から?」
「今からじゃ」
「今からです」
セレナまで言った。
「・・・できる人たちって、怖いな」
「あなたが任せるって言ったのよ」
エマがそう言って、小さく笑った。
俺は何も言い返せない。
精霊工房には、今日、人が入った。
商売を回す人。
物を仕上げる人。
そして、俺はようやく理解した。
店というものは、建てた瞬間に完成するのではない。
できる人たちが動き始めて、初めて息をし始めるのだ。
精霊工房は、今日ようやく動き始めた。




