第39話 白零
精霊工房に看板を掲げてから、数日が経った。
とはいえ、店として営業を始めたわけではない。
ここ数日は冒険者家業をちゃんとやっていた。
しかし、そこでも目線は変わる。
この素材が何かに使えないか。
そればかり考えてしまう。
そんな中、少しずつ作りためていた商品を並べるため、エマと二人で店舗に来ていた。
商品を仮置きし、棚の位置を動かし、作業台の高さを変え、店内を歩いて動線を確認する。
露店と違って自由にできる分、なかなか決まらないという事もあった。
「・・・こっちの棚、もう少し入口から離した方がいいか」
「どうして?」
「入ってすぐに商品棚があると、人がそこで止まる。後ろが詰まる」
「あなた、こういう時だけ妙に店主らしいわね」
「こういう時だけってなんだ」
「そのままの意味よ」
エマはそう言いながらも、俺の指示に合わせて商品棚の位置を確認してくれる。
精霊工房の中は、まだ新しい匂いがした。
いや、外装に使ったのは廃材だ。古い石材と古い木材を再利用しているので、外から見れば昔からそこにあった店を修復したようにしか見えない。
だが、中は違う。
作業台の表面は滑らかで、棚の高さも揃っている。換気も排水も、少なくともこの世界の一般的な店舗とは比べものにならないくらい整えてある。
やりすぎないようにした。
したつもりだ。
エマから見ると、それでも十分やりすぎらしいが。
『店舗内動線の仮評価を更新。現状、通常客数十五名程度までであれば混雑は限定的です』
(十五名か。最初は十分だな)
『ただし高級品確認時、奥側で滞留が発生する可能性があります』
(そこは人が入ってから調整だな)
そんなやり取りをしていると、表の扉を叩く音がした。
まだ開店していない店に客が来るはずはない。
俺とエマは顔を見合わせる。
「商業ギルドかしら」
「たぶん」
扉を開けると、そこには商業ギルドの制服を着た若い職員が立っていた。
職員は丁寧に一礼する。
「朝早くに失礼いたします。ベルナルド様より伝言をお預かりしております」
「ベルナルドさんから?」
「はい。本日午後、実務管理者候補の方と、工房責任者候補の方をお連れしてもよろしいか、とのことです」
「午後か」
「ご都合が悪ければ日を改めるとのことですが」
「いや、大丈夫だ。午後なら問題ない」
「承知いたしました。そのようにお伝えします」
職員はもう一度頭を下げると、足早に戻っていった。
扉を閉める。
いよいよか。
実務管理者。
工房責任者。
言葉にすると、急に店らしくなる。
「午後から面接ね」
「ああ」
「緊張している?」
「少しな。人を雇うって、責任重大だからな」
「そうね」
エマは店内を見回した。
売り場、事務所、工房、居室へ続く階段。
全部、人が入ることを前提に作ったものだ。
「午前中はどうするの?」
「午後まで空くなら、冒険者ギルドに顔を出そう。午前中で終わる簡単な依頼があるかもしれない」
「面接前に依頼?」
「軽いやつだよ。採取とか、近場の配達とか。ずっと店の中にいると体が鈍る」
「あなたらしいわね」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
半分か。
まあ、悪くない。
俺たちは簡単に身支度を整え、精霊工房の扉に鍵をかけた。
まだ客を迎えるには早い。
だが、午後にはこの場所に人が来る。
そう思うと、看板の文字が少し違って見えた。
精霊工房。
エマがつけたその名前が、少しずつ現実になっていく。
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冒険者ギルドは、朝から相変わらず騒がしかった。
依頼掲示板の前には数人の冒険者が集まり、受付には依頼を受ける者、報告する者、ただ喋りに来ただけに見える者までいる。
この雑多な空気には、だいぶ慣れてきた。
むしろ、少し落ち着く。
エマも同じように感じているのか、扉をくぐった瞬間、ほんの少し表情を緩めた。
「午前中で終わるような依頼、あるといいけれど」
「なければ資料だけ見て帰ればいいさ」
受付に向かうと、顔見知りの受付嬢、ミーアがこちらに気づいた。
「おはようございます、アキラさん、エマさん」
「おはよう。午前中で終わる軽い依頼がないか見に来たんだが」
「あ、ちょうどよかったです」
「ちょうど?」
「アズベルトの槌から連絡が来ています。依頼されていた武具が完成したそうです」
「・・・・・・マジか」
「はい。受け取りに来てほしいとのことです」
「依頼どころじゃなくなったな」
「ええ。そちらを優先された方がいいと思います」
ミーアは少し笑った。
俺はエマを見る。
エマも、平静を装ってはいるが、目元にわずかな期待がある。
当然だ。
俺の刀だけではない。
エマのロッドも、防具も頼んである。
あのドグランが、いったい何を作ったのか。
気にならないわけがない。
「行くか」
「ええ」
午前の予定は決まった。
簡単な依頼どころではない。
俺たちはそのままギルドを出て、工房街へ向かった。
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アズベルトの槌は、数日前と変わらず熱かった。
通りに近づいただけで、空気の質が変わる。
鉄の焼ける匂いと油の焦げる匂いが混じり、乾いた金属音が響く。
そして、炉の熱が石壁を通してにじみ出している。
そんな場所だった。
扉を押し開けると、さらに濃い熱気が肌にぶつかる。
奥では職人たちが黙々と作業している。
前に来た時と同じだ。
誰も余計な挨拶をしない。
誰もこちらをじろじろ見ない。
作業中の職人は、作業を見る。
客を見るのは、仕事の手を止められる者だけだ。
奥から歩いてきたのは、低い背丈に分厚い腕、赤銅色の髪と髭のドワーフだった。
ドグランだ。
「来たか、小僧」
「完成したのか?」
「完成したに決まっとるじゃろうが。ワシを誰だと思っておる」
「腕のいい偏屈な職人」
「ふん。分かっとるならよい」
ドグランは鼻を鳴らすと、奥の作業台へ顎をしゃくった。
「こっちじゃ。まずはおぬしの剣から見せてやる」
作業台の上には、布に包まれた長いものが置かれていた。
俺は無意識に息を止める。
ドグランが、ゆっくりと布を解いた。
現れたのは、一本の刀だった。
この世界の一般的な剣とは違う。
片刃で、浅く反りを持ち、細身でありながら芯のある形。
白銀の刃。
だが、ただの銀色ではない。
刃文のように走る淡い光が、見る角度によって冷たく揺れる。白い外皮の下に、別の層が沈んでいるようにも見えた。
俺は手を伸ばし、柄を握る。
瞬間、妙な感覚が走った。
軽い、ではない。
重さはある。
だが、その重さが邪魔をしない。
手の中にあるのに、腕の延長のように馴染む。
刃の先まで、自分の神経が通ったような錯覚があった。
『重量配分、重心位置、柄の太さ、刃長、反り角、いずれも高水準。アキラの身体特性に対する適合率、極めて高いです』
(マジか)
『現地技術としては、想定を大きく上回ります』
(だよな)
ドグランは腕を組み、髭の奥で笑った。
「正直に言うぞ、小僧」
「なんだ?」
「信じられん出来じゃ」
「自分で作っておいて?」
「自分で作ったからこそじゃ」
ドグランは作業台を軽く叩いた。
「言われた通り、芯はミスリルに魔鉄をわずかに混ぜ、粘りを出した。割合には難儀したわい。外皮はあの白い金属。魔法への食いつきが妙でのう、普通に重ねると反発しおる。刃にはおぬしが持ち込んだ訳の分からん金属を使った」
「シュトロニウムだ」
「名前などどうでもよい。問題は性質じゃ。あれは硬い。硬すぎる。普通なら刃にならん。じゃが、刃先だけに活かせば別じゃ」
ドグランの目が、楽しそうに細められる。
「三層が馴染むまで、何度割れたと思う?」
「聞きたいような、聞きたくないような」
「聞くな。ワシの機嫌が悪くなる」
「じゃあ聞かない」
「じゃが、最後には馴染ませた。ワシが馴染ませた」
自信満々だった。
だが、それが不快ではない。
実際、目の前に答えがある。
「小僧、切ってみろ」
「何を?」
「これじゃ」
ドグランが、作業台の下から銀色の塊を取り出した。
インゴット。
素材は見ただけで分かる。
ミスリルだ。
それだけでも十分おかしいのに、ドグランはその表面へ手をかざし、短く詠唱した。
ミスリルの表面に薄い光が走る。
『硬化系付与魔法を確認。対象表面の強度が大幅に上昇しています』
(おいおい)
「ちょっと、いくらなんでもこれは・・・」
エマが思わず声を上げた。
無理もない。
ミスリルインゴットに硬化付与。
普通に考えれば、武器を試す相手としては硬すぎる。
下手をすれば、刀の方が欠ける。
「本気か?」
「本気じゃ。怖いならやめてもええぞ」
「煽るなよ」
「煽っとるんじゃ」
ドグランが笑う。
性格が悪い。
だが、俺も人のことは言えない。
刀を腰に構える。
刀の使い方はこの日の為にインストール済みだ。
居合。
この世界ではあまり馴染みのない動きだろう。
だが、この刀を握った瞬間から、俺の体はその動きを選んでいた。
息を吐く。
視界が細くなる。
インゴットの中心線、表面の硬化層、内部の密度、刃を通す角度。
『補助演算開始。切断角補正。筋出力制御。刃筋安定化』
(行くぞ)
次の瞬間、白い閃光が走った。
チン、と。
遅れて鍔鳴りだけが工房に響いた。
誰も声を出さなかった。
ミスリルインゴットは、作業台の上にそのまま置かれている。
何も起きていないように見えた。
だが、数秒遅れて。
上半分が、ゆっくりと横へずれた。
そして、重い音を立てて作業台の上に落ちる。
断面は、異様なほど滑らかだった。
「どうじゃ?」
「最高だ」
「意味が分からないわ」
エマが真顔で言った。
俺も正直、同じ気持ちだ。
だが、手に残る感触は確かだった。
斬れた。
ただ硬いものを無理やり断ったのではない。
刃が、通った。
抵抗を割り、層を抜け、対象を分けた。
今頃になって鳥肌が立ち、手が震える。
「・・・すっげぇ。予想以上だ」
ドグランは満足そうに大きく頷く。
「これで壊れん。刃も欠けん。まあ、使い手が下手なら話は別じゃが」
「怖いことを言うな」
「武器とはそういうものじゃ。強ければ強いほど、使い手を選ぶ」
「肝に銘じる」
俺は刀身を見つめた。
白い刃。
冷たい輝き。
何かを断ち、何かを零へ戻すような刃。
ドグランが顎をしゃくる。
「銘は?」
「銘?」
「いい武器には名が要る。これだけのものなら、なおさらじゃ」
「・・・白零」
刀を見ていたら、その名前以外が思い浮かばなかった。どこから来たのか、自分でも分からない。
ただ、これしかないと、そう思った。
「びゃくれい、か。変わった名前じゃのう。どう書く?」
「こうだ」
俺は近くにあった木片に、指先で文字を刻んだ。
白零。
この世界の文字ではない。
アキラの記憶にある、古い文字だ。
ドグランはそれを覗き込み、眉をひそめた。
「見たことのない文字じゃな」
「俺の故郷の文字だ」
「ふん。なら貸せ。銘を入れる」
ドグランは刀を受け取ると、小さな刻印具を取り出した。
その動きは驚くほど繊細だった。
太い指。
分厚い手。
だが、刃へ触れる所作は細工師のように細い。
熱も音もほとんど立てず、刀の茎に文字が刻まれていく。
白零。
そして、もう一つ。
裏側に小さく、別の文字が刻まれた。
アス。
俺は首を傾げる。
「・・・ん? なんか他にも彫ってあるな。アス?」
「そのうち分かる日が来るじゃろうて」
「今聞いても?」
「言わん」
「だろうな」
ドグランは刀を返してくる。
銘の入った白零を手に取った瞬間、さっきより少しだけ重みが増したように感じた。
名前がついたからだろうか。
ただの武器ではなくなった。
俺の武器になった。
「・・・いいな。マジでいい」
「当然じゃ」
ドグランは満足げに鼻を鳴らした。
そして、すぐにエマへ視線を向ける。
「さて、次はお嬢ちゃんのロッドじゃ」
「私の・・・」
エマが少し緊張したように背筋を伸ばす。
ドグランは別の布包みを取り出した。
それは、細身のロッドだった。
長すぎず、短すぎず、エマの身長と腕の長さに合わせたような扱いやすい長さ。
外見は落ち着いている。
派手な装飾は少ない。
だが、中央に埋め込まれた核が、淡い光を含んでいた。
ゴーレムコアだ。
「ゴーレムコアを使った」
「ええ、それは聞いているわ」
「ただの魔力増幅器ではつまらんからのう」
「・・・ただの?」
エマの眉がわずかに動く。
ドグランはロッドを軽く叩いた。
「ゴーレムコアは、命令を保持し、必要な時に動作へ移すための核じゃ。ならば、その構造を術式に使えんかと思ってのう」
「術式に?」
「そうじゃ。術式を発動寸前の形で保持する。あとは魔力を通せば、ほとんど間を置かずに発動する」
「・・・・・・」
エマが固まった。
顔色が変わったわけではない。
だが、目が明らかに変わった。
魔法使いだからこそ、その意味が分かったのだろう。
「術式を、待機させる・・・?」
「そうじゃ」
「いくつ?」
「ミスリルゴーレム程度の核じゃ、三つが限界じゃがな」
「三つも待機できる時点で、十分おかしいわ」
エマの声が、少し震えていた。
俺も内心で整理する。
つまり、魔法のプリセットだ。
いや、マクロか。
あるいは、弾倉に近い。
魔法を三発、発動寸前の状態で装填しておけるロッド。
もちろん、無限に撃てるわけではないだろう。
だが、不意打ちへの即応、防御魔法の即時展開、連続攻撃。
使い方次第で、魔法戦のテンポが変わる。
『術式保持機構として極めて興味深い構造です。ゴーレムコアの命令保持機能を転用したものと推定』
(やっぱり異常か)
『肯定します』
ドグランはエマへロッドを渡した。
「ただし、万能ではないぞ。込める術式を間違えれば詰まる。複雑すぎれば崩れる。使い手の制御が雑なら、コアが焼ける」
「・・・つまり、私次第ということね」
「そういうことじゃ。使えん奴が持てば、ただの重い棒じゃ」
「重くはないわ」
「そこは褒めてもよいぞ」
「ええ。そこは、素直にすごいと思う」
エマはロッドを持ち、軽く構えた。
その姿は自然だった。
まるで最初からそういう武器を使っていたかのように、手に馴染んでいる。
「これ、使い方を間違えたら、大変なことになるわよ」
「だからお嬢ちゃんに渡すんじゃ。無駄に見せびらかすでないぞ」
「分かっているわ」
エマは真剣な顔で頷いた。
ドグランは次に、防具を並べた。
俺用とエマ用。
どちらも、ぱっと見た印象は軽装だ。
だが、素材の層が違う。
ミスリルの軽さと強度。
白い金属の魔法干渉。
必要な部分だけに入った補強。
見た目以上に、複雑な構造をしているのが分かった。
「防具は、斬られぬためだけのものではない。動けることが一番大事じゃ。重くして動きが鈍れば、防具のせいで死ぬ」
「同感だ」
「じゃから、急所と動きを分けた。守るところは守る。邪魔するところは削る。おぬしらは重装で受ける戦い方ではないからのう」
ドグランは続けて、小盾と小型バックラーを出した。
俺用の小盾。
エマ用のバックラー。
どちらも小さい。
だが、表面に見慣れない層が入っている。
「こいつは面白いぞ」
「何がだ?」
「中級程度なら、受け方次第で魔法を返せる」
「返せる?」
「反射じゃ。正面から馬鹿みたいに受ければ壊れるが、角度と魔力の流し方を合わせれば弾く。上手くやれば、撃った相手へ返る」
「盾で魔法を反射するって、簡単に言うことではないのだけれど」
エマが呆然と呟く。
ドグランは当然のように言った。
「簡単とは言っとらん。できるように作っただけじゃ」
「意味が分からないわ」
「今日何回目だ、それ」
「何回でも言うわ。意味が分からないもの」
俺も同感だった。
どれもこれも、普通ではない。
だが、それを作ったドグラン本人は、まるで当然のような顔をしている。
「ドグラン」
「なんじゃ」
「また頼む」
「・・・さて、どうかのう」
ドグランが少しだけ間を置いた。
それまでの得意げな顔とは違う。
どこか、別のことを考えている顔だった。
「何かあるのか?」
「ここにいるのも、今日が最後かもしれん」
「どういう意味だ?」
「そのうち分かる」
「今日それ多いな」
「そういう日もある」
ドグランはそれ以上、何も言わなかった。
俺たちは代金の残りを支払い、装備を受け取る。
白零を腰に差す。
不思議なほど、そこにあるのが自然だった。
工房を出る直前、ドグランが言った。
「小僧」
「なんだ?」
「振り回されるなよ」
「刀に?」
「力にじゃ」
その言葉だけが、妙に重く残った。




