第37話 精霊工房(前)
露店販売というものを、俺は少し甘く見ていた。
いや、正確には商売そのものを甘く見ていたのかもしれない。
売れるかどうか。
そこばかりを気にしていた。
だが、実際に売れてみると分かる。
売れるというのは、終わりではない。始まりだ。
売れた分だけ在庫は減る。
客が増えれば、対応する時間も増える。
帳簿をつけ、材料を買い、商品を作り、商業ギルドへ報告し、次の販売を考える。
そして、それを俺とエマの二人だけで回そうとすると、あっという間に破綻する。
昨日の露店で、それを痛いほど思い知った。
朝の食卓の上には、昨日の売上を書き留めた紙と、残った在庫の一覧が置かれている。
吸水布はほぼ売り切れ。
スクリューキャップ瓶も残りわずか。
手鏡とアクセサリーは数を絞ったにもかかわらず、問い合わせばかりが増えた。
つまり、売れる。
売れるのだが、回らない。
「・・・一旦、露店は止めた方がいいな」
俺がそう言うと、向かいに座っていたエマは静かに頷いた。
「そうね。少なくとも、このまま続けるのは無理だと思うわ」
「売れるのに止めるって、なんかもったいない気もするけどな」
「売れるからこそ、止めるのよ」
エマは紙に書かれた在庫数へ視線を落とす。
「昨日みたいな状態で続けたら、あなたは商品を作る暇がなくなる。私は客対応で一日終わる。冒険者の仕事どころじゃなくなるわ」
「だよなぁ・・・」
『現在の人的処理能力では、継続販売は非効率です。販売、製作、在庫管理、帳簿、仕入れ、納税処理の分離を推奨します』
「分かってる。分かってるんだが、改めて言われると頭が痛い」
便利なものを作って、少し売る。
それだけなら簡単だった。
しかし、ちゃんと商売にしようと思った瞬間、急に現実が押し寄せてくる。
エマが少し呆れたように俺を見る。
「ベルナルドさんが言っていたでしょう。管理する人間が必要だって」
「ああ。あと、製作側の補佐もな」
「なら、まずは正式にお願いしましょう。人を探してもらうなら、こちらも受け入れる準備をしないと」
「受け入れる準備、か」
人を雇う。
改めて考えると、思った以上に重い言葉だった。
相手にも生活がある。
働く場所もいる。
給料も払う。
仕事の内容も決める。
そう考えると、露店の延長では済まない。
俺は食卓の紙をまとめ、立ち上がった。
「よし。商業ギルドに行くか」
「ええ」
エマも席を立つ。
昨日までは、売れるかどうかを考えていた。
今日は違う。
売れた後にどうするか。
その相談に行くのだ。
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商業ギルドへ向かう途中、街はいつも通り賑やかだった。
石畳の上を荷車が通り、商人たちが声を張り上げ、行き交う人々が露店を覗いている。
その中を歩きながら、俺はふと昨日の露店区画の騒ぎを思い出した。
人が集まる。
声が飛ぶ。
商品が動く。
金が動く。
それは楽しかった。
楽しかったが、同時に怖くもあった。
あの熱量に呑まれると、自分が何をしているのか分からなくなる。
たとえば、昨日の大商会の男。
倍額で買うと言われて、一瞬揺れた。
ベルナルドさんが止めてくれなければ、安易に頷いていた可能性もある。
そう考えると、背筋が少し冷える。
「アキラ?」
「ん?」
「また難しい顔をしているわ」
「いや、昨日のことを考えてた。あそこで契約してたら危なかったなって」
「分かっているならいいわ」
「耳が痛い」
「痛いくらいでちょうどいいのよ」
容赦ない。
だが、その通りなので反論できない。
商業ギルドの建物に入り、受付でベルナルドさんへの面会を頼むと、ほどなくして奥の応接室へ案内された。
少し待つと、いつもの穏やかな笑みを浮かべたベルナルド=マークスが入ってくる。
「お待たせしました。アキラさん、エマさん」
「いえ、こちらこそ急にすみません」
「構いませんよ。昨日の今日です。そろそろ来られる頃だと思っていました」
「読まれてますね」
「商売は、相手の次の困りごとを読む仕事でもありますので」
さらっと言う。
この人、本当に商人だ。
俺たちは席に着き、昨日の露店後にまとめた状況を話した。
露店は売れたこと。
だが在庫も人手も追いつかないこと。
このまま続けると冒険者活動も製作も圧迫されること。
そして、正式に人材紹介をお願いしたいこと。
ベルナルドさんは最後まで静かに聞いていた。
そして、ゆっくりと頷く。
「判断としては妥当です。むしろ早く気づかれて良かった」
「やっぱり、このまま露店は危ないですか」
「危ない、というより限界が早いでしょう。売れる品を持っている方ほど、最初に売る仕組みを整えなければなりません」
「売る仕組み・・・」
「はい。販売、帳簿、在庫、客対応、仕入れ、製作管理。これらを人に任せられる形にする必要があります」
昨日聞いた話を、今度はより具体的に並べられる。
分かっていたつもりだったが、やはり並べられると重い。
「それで、人材の件なのですが」
ベルナルドさんは机の上で指を組んだ。
「実務管理ができる方に一人、心当たりがあります。帳簿、在庫、販売計画、契約確認まで任せられる人材です」
「かなり本格的ですね」
「ええ。ただし、簡単な方ではありません」
「簡単じゃない?」
「有能な人間ほど、自分の働く場所を選びます。こちらが選ぶだけではなく、相手にも選ばれる必要がある、ということです」
なるほど。
確かにそうだ。
こちらが欲しいからといって、相手が来てくれるとは限らない。
「それと、製作側の補佐ですね。腕のいいドワーフ職人にも心当たりがあります」
「ドワーフの職人・・・」
それは少しテンションが上がる。
異世界の職人。しかもドワーフ。
鍛冶、金属加工、工房。
男子なら多少は心が動く単語だ。
いや、俺はもう男子という年齢ではないんだが、それでも動くものは動く。
「ただし、こちらはもっと癖があります」
「もっとですか」
「腕は保証します。癖があることも含めて」
「そこは保証しないでほしかった」
ベルナルドさんは穏やかに笑った。
その笑顔が少し怖い。
エマが横から口を挟む。
「人材の方はお願いするとして、すぐに来ていただけるものなのですか?」
「話を通すことはできます。ただし、その前に一つ問題があります」
「問題?」
「場所です」
ベルナルドさんは、当然のことのように言った。
「人を雇うなら、働く場所が必要です。販売するなら店舗。帳簿をつけるなら事務所。商品を置くなら倉庫。職人を置くなら工房。住み込みも考えるなら居室も必要になります」
「・・・ですよね」
「露店では、管理者も職人も本領を発揮できません。むしろ人を雇ったことで混乱が増える可能性があります」
「店がいる、ということですね」
「はい。店が要ります」
きっぱり。
言い方は柔らかいのに、逃げ道がない。
「物件を探すべきですか?」
「通常であれば、そうなります。ただ、アキラさんたちの現在の住まいは、かなり敷地が広いと伺っています。倉庫もあったはず。そこを改修できればあるいは・・・」
「ええ。母屋と旧倉庫があります」
「ならば、そこを使うのが最も早いでしょう。生活空間と商業空間を分けられますし」
「なるほど」
旧倉庫。
いや、あれはもう工房に改修済みなんだよな。
うーん、どうするか。
そうだ。家の前に広がる広い庭。あの空間は使える。
そこに店舗を作れば、客を家の中に入れずに済むし、工房にも繋げやすい。
いや、いっそ工房と一体化させてしまえば・・・
うん、方針は決まった。
「では、まず店舗兼工房を用意します」
「ええ。それがよろしいかと」
ベルナルドさんは頷く。
たぶん、この人の頭の中では、改修業者に頼むとか、そういう段取りが浮かんでいるのだろう。
だが、俺の頭の中には別の段取りが浮かんでいた。
家に戻る。
現場を見る。
資材を確保する。
アルに設計させる。
作る。
うん。
いける。
エマが隣で、少しだけ俺を見る目を細めた。
「・・・アキラ」
「何だ?」
「今、変なことを考えたでしょう」
「変ではない。効率的なことを考えただけだ」
「それを世間では変と言うのよ」
まだ何も言ってないのに。
なぜ分かる。
ベルナルドさんは俺たちのやり取りを見て、柔らかく笑った。
「では、人材の方には私から声をかけておきます。店舗の目処が立ちましたら、改めてご連絡ください」
「分かりました。早めに整えます」
「ええ。急ぐ必要はありますが、無理はなさらず」
「はい」
「・・・」
ベルナルドさんが一瞬だけ、俺の顔を見た。
そして、少しだけ表情を穏やかに深める。
「いえ。念のため申し上げますが、普通は数日で整う話ではありませんからね」
「・・・はい」
俺は目を逸らした。
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家に戻った俺たちは、すぐに敷地を確認した。
母屋。
旧倉庫。
その手前にある、広い庭。
今は地面がならされているが、よく見ると古い基礎の痕跡が残っている。
かつてここには、通りに面した店舗があったのだろう。
ただ、今の旧西大通り周辺は、正直に言って寂れている。
人通りは少ない。
その寂れた大通りから一本入っていることもあり、昼間でも静かだ。
近くには使われていない廃屋や、崩れかけた建物がいくつもある。
都市の中心が東へ移ったことで、こちらは完全に取り残されたのだ。
だが、今の俺にはそれが都合よく見えた。
「ここなら、いけるな」
「何がいけるの?」
エマが嫌そうな顔をする。
すでに何となく分かっている顔だ。
「店を作る」
「買う、でも改修工事を頼む、でもなく?」
「作る」
「そう言うと思ったわ」
エマは深くため息をついた。
「普通は大工や職人、専門業者に頼むのよ」
「それだと時間がかかる」
「でしょうね」
「数か月ちまちまやっている余裕はない。ベルナルドさんが人材に声をかけてくれるなら、受け皿は早めに必要だ」
「それはそうだけれど・・・」
「それに、この通りは人通りが少ない。外装さえ一気に作ってしまえば、あとは中を少しずつ整えられる」
「少しずつ?」
「俺基準で」
「それが信用できないのよ」
ごもっともである。
俺は周囲を見回した。
廃屋が多い。
壁が崩れたままの建物。
屋根が抜けている建物。
扉も窓もなく、草が入り込んでいる元店舗。
普通なら寂れた通りの象徴だ。
だが、今の俺には資材置き場に見えた。
『周辺廃屋の構造解析を開始します』
(頼む。使えるものを選別してくれ)
『了解。再利用可能資材を分類します』
アルの解析が脳内に流れ込んでくる。
石材。
梁材。
金属金具。
屋根瓦。
扉枠。
窓枠。
壊れているものも多いが、再利用できるものもかなりある。
それに、ナノマシンで補修や再構成を加えれば、使える範囲はさらに広がる。
「アキラ、まさかと思うけれど」
「うん」
「廃屋から取るつもり?」
「正確には、崩落危険物の撤去と再利用だ」
「言い方を整えたわね」
『所有者の管理実態は確認できません。倒壊リスクの高い構造物からの資材回収は、周辺安全性の向上に寄与します』
「アルまで言い方を整え始めたわ」
「ほら、安全性向上だ」
「便利な言葉ね」
エマは呆れていたが、完全に否定はしなかった。
廃屋がそのまま残っているのは危険でもある。
このあたりに子供が迷い込めば、怪我をする可能性もあるだろう。
もちろん、だからといって勝手に全部持っていくのが正しいかと言われると、微妙なところだ。
だが、放置されて崩れるだけのものを、使える形に戻す。
そう考えれば、多少は良心が軽くなる。
「・・・やるなら、見られないようにしなさい」
「そこはもちろん」
『周辺監視用ナノマシンを散布します』
「本当に慣れてきたな、エマ」
「慣れたくて慣れたわけじゃないわ」
そう言いつつも、エマは周囲を確認し、通り側に人影がないことを見てくれた。
ありがたい。
さて。
やるか。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
作業は夜明け前から始めることにした。
人通りが最も少なく、街全体がまだ眠っている時間帯。
空は薄暗く、石畳には夜気が残っている。
俺は外套を羽織り、元店舗跡の前に立った。
エマは少し離れた場所で、通りの様子を見ている。
『周辺監視網、展開完了。半径二百メートル以内に接近者なし』
(よし。始めるぞ)
『了解。資材回収、分解、再構成工程を開始します』
俺の体内から散布されたナノマシンが、薄い霧のように広がった。
もちろん、肉眼ではほとんど見えない。
だが、俺の視界には周囲の構造情報が重なっている。
崩れかけた石壁。
腐食した梁。
瓦礫の山。
それらの中から、使えるものだけを選び出す。
まずは南側の廃屋。
崩落寸前だった壁の一部を解体し、石材を回収する。
石は古びているが、内部はまだ使える。
表面の欠けや汚れはむしろ都合がいい。
新築感が出ない。
次に、折れかけた梁材。
腐食した部分を取り除き、内部繊維を補強する。
金属金具は回収して溶かし、蝶番や釘、補強具へ再成形。
屋根瓦は割れていないものを選び、不足分は破片を材料に再構成する。
ただの瓦礫だったものが、次々と資材へ変わっていく。
我ながら、何をしているのか分からなくなる。
(これ、建築というよりクラフトゲームだな)
『作業効率は高水準です』
(褒めてるのか?)
『事実を報告しています』
(知ってた)
元店舗跡に残っていた古い基礎を確認する。
そのままでは弱い。
だが、地盤は悪くない。
既存の石組みを補強し、必要な部分だけ新しく組み直す。
外から見れば、古い店舗跡を修復しているように見えるはずだ。
いや、見えるようにする。
それが今回の方針だった。
新築ではない。
再生だ。
この寂れた通りに、昔からあった店が息を吹き返す。
そういう形にする。
「アキラ、通りの向こうは大丈夫よ」
「了解」
エマの声を聞きながら、俺は壁を組み上げた。
石材が静かに動き、所定の位置へ収まる。
梁が渡る。
補強材が内部に入る。
扉枠が据えられ、窓枠が嵌まる。
屋根の骨組みが形になり、古い瓦が並び直す。
崩れた通りの残骸が、一つの建物へと変わっていく。
外装はあえて古びたままにした。
壁の色も、石の質感も、屋根瓦のくすみも、周囲に合わせる。
真新しい建物は目立つ。
だが、古い建物が修復されただけなら、多少は見逃される。
少なくとも、この人通りなら十分だ。
『外装構造、九十二%完了』
(早いな)
『資材再利用比率が高いため、加工工程を圧縮できています』
(廃墟様々だな)
『周辺安全性も向上しています』
(便利な言い訳を覚えたな)
『有用な表現と判断します』
アルがどこか満足げに聞こえるのは、気のせいだろうか。
いや、たぶん気のせいだ。
外装が形になったころには、空が白み始めていた。
夜明け前の薄闇の中、元店舗跡には一軒の店が建っている。
派手ではない。
新しくも見えない。
だが、しっかりとした骨組みを持ち、通りに向かって入口を開いた建物だ。
エマが戻ってきて、それを見上げた。
「・・・本当に建ったわね」
「建ったな」
「普通は、そう簡単に言うことじゃないと思うわ」
「俺もそう思う」
「思うだけなのね」
「必要に迫られたからな」
エマは呆れたように息を吐いた。
だが、その口元は少しだけ緩んでいる。
「外から見ると、古い店を直したみたいね」
「そう見えるようにした。急に綺麗な建物が建つと目立つからな」
「そういうところは妙に慎重なのに、やっていることは全然慎重じゃないのよね」
「否定できない」
俺は建物の扉を開いた。
ここからが本番だ。
外は一気に作った。
だが、中はこだわる必要がある。
店というものは、外側より中の動線が大事だ。
客がどこから入り、どこで商品に目を止め、どこで立ち止まり、どこで会計をするか。
働く側がどこを通り、どこで商品を補充し、どこで在庫を確認し、どこで帳簿をつけるか。
そこが雑だと、人が増えた瞬間に詰まる。
昨日の露店で、それを思い知ったばかりだ。
「さて、中を作るか」
「まだやるの?」
「外だけあっても店にはならないだろ」
「それはそうだけれど・・・」
エマは少し諦めたように、俺の後に続いた。




