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第36話 波紋

 

 翌朝。


 机の上へ広げた硬貨を見て、俺とエマはしばらく無言になっていた。


 銀貨が八枚。

 大銅貨が一枚。

 銅貨が二枚。


 合計、八百十二ガルド。


 日本円にして十二万円とちょっと。


 初日の露店で叩き出した数字としては、正直出来すぎている。



「・・・初日でこんなに?」



 先に声を漏らしたのはエマだった。


 俺も同じ気持ちだ。



「露店って、こんなに儲かるのか・・・?」


『原価率が低いため、利益効率は高水準です』



 脳内へ淡々とアルの声が響く。


 そりゃそうだ。元になる材料は街で買った安物ばかり。加工精度で価値を跳ね上げている以上、利益幅が大きいのは当然と言えば当然か。


 だが、数字で見せられると破壊力が違う。


 銀貨八枚。


 普通に冒険者として命を懸けて依頼をこなして得る日銭とは、感覚が違う。



「よし」



 俺は思わず身を乗り出した。



「週三日は冒険者。二日は露店。一日は休息。これで――」


「いつ売り物を作るのよ」



 即座にエマが切った。



「え?」


「え、じゃないわよ。売る物を作る時間は?」


「空いた時間・・・?」


「あなたねぇ・・・」



 呆れた声が刺さる。


 さらにアルまで追撃してきた。



『製作時間、在庫管理、帳簿記録、材料仕入れ、品質確認の時間が不足します』


「・・・・・・」



 言われてみれば、その通りだった。


 露店を出している間は作れない。

 作っている間は依頼に出られない。

 しかも売上を出した以上、商業ギルドへの報告や納税も必要だ。

 作って、売って、はい終わり、とはならないのだ。


「むう・・・」



 俺は口を閉じた。


 エマがため息をつく。



「思いつきで全部回るほど世の中甘くないわ」


「分かってるよ・・・」


「分かってないから今の発言が出たのよ」



 ごもっともである。


 浮かれていたのは認める。


 だが、儲かると分かると欲が出るのも人情だろう。



『提案。専門家への相談を推奨します』



 アルが静かに告げた。


 専門家。


 つまり――



「ベルナルドさんか」


「そうね。商売のことは、あの人に聞くのが早いわ」



 エマも異論はないらしい。


 俺たちは朝食を軽く済ませ、そのまま商業ギルドへ向かった。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 商業ギルドの受付で名を告げると、ほどなくしてベルナルド=マークスが顔を出した。



「おや。アキラさん、エマさん。もう次の相談ですか」



 穏やかな笑み。


 相変わらず、この人は人当たりが柔らかい。



「昨日の売上を見て、少し考え直しまして」


「ほう?」



 応接卓へ案内され、俺は昨日の売上額と、自分なりの週間予定をそのまま話した。


 ベルナルドは最後まで黙って聞いていた。


 途中で口を挟まない。


 ただ静かに頷き、聞き終えた後で眼鏡の位置を指で直した。



「率直に申し上げても?」


「お願いします」


「それは商人ではなく、露店販売をする冒険者ですな」


「うぐっ」



 ばっさりだった。


 俺の胸に見えない刃が刺さる。


 エマが横で「ほら見なさい」という顔をしているのが腹立つ。



「やっぱり無理がありますか」


「あります」



 即答。


 ベルナルドは指を折りながら淡々と並べていく。



「まず、露店を出せば半日は販売に取られます。客が増えれば一日でしょう。次に製作時間。材料の仕入れ。売上帳簿。商業ギルドへの申告。納税。苦情や要望への対応」



 一つ一つ聞くたびに、頭が痛くなる。



「加えて、昨日のように高級品が混ざる場合は価格調整も必要です。売る相手を見極める必要もある」


「・・・そこまで考えてませんでした」


「でしょうね」



 ベルナルドは苦笑した。


 責めているわけではない。ただ、事実を並べているだけだ。

 それが余計に効く。



「つまり、全部自分でやるなんて無理ってことよ」



 エマが容赦なく追い打ちをかける。



「うっ」


「何でも自分で抱え込む癖、少し直した方がいいわ」



 最近よく言われるなそれ。


 でも反論できない。


 ベルナルドが場を和らげるように咳払いした。



「まあ、最初は皆そうです。自分で作れて、自分で売れてしまうと、つい全部回せる気になる」


「・・・なりました」


「ですが、回りません」



 再び即答。


 この人、穏やかな顔で言うことが的確すぎる。


 俺が項垂れていると、ベルナルドは少し声色を和らげた。



「ただ、悲観する必要はありません。昨日の時点で売れ筋は見えました。これは大きい」


「売れ筋?」


「ええ。実用品は庶民需要が見込める。高級品は富裕層需要が見込める。つまり販路が二つあるということです」



 販路。

 その言葉で一気に気分が商売っぽくなる。


 俺とエマは顔を見合わせた。



「なお、もし上位ランクの商業登録を希望する場合」



 ベルナルドが帳面をめくりながら続ける。



「すでに納めた年会費の差額は控除できます」


「・・・ということは、昨日の小金貨一枚は無駄にならない?」


「ええ。商業ギルドも、継続する意思のある方を不必要に苦しめたいわけではありません」



 少し安心した。


 ベルナルドはそこで指を組む。



「ですが、今すぐランクを上げる話ではありません」


「え?」


「先に整えるべきは、売る仕組みです」



 売る仕組み。


 ベルナルドの目が、少しだけ真剣になる。



「今日は二日目の露店でしたね?」


「はい」


「私も少し様子を見に行きます。そこで、昨日の続きがよく分かるでしょう」



 昨日の続き。


 その言い方に少し引っかかるものを覚えつつ、俺たちは頷いた。


 どうやら、まだ見えていない問題があるらしい。





 商業ギルドを出て、俺たちはそのまま露店区画へ向かった。


 今日は昨日より少し早めに準備を終える。


 ふわふわの吸水布は前日より多めに。

 スクリューキャップ瓶も大小合わせてしっかり補充。

 一方で、手鏡は一枚だけ。高級アクセサリーも数点に絞った。


 ベルナルドの助言通りだ。


 珍品は、珍品であることにも価値がある。



「これで本当にいいのか?」


「高級品を山ほど並べたら逆に危ないって言われたでしょう」


「まあ、そうだけど」


『本日の重点は需要確認と供給限界の把握です』



 アルの言葉に、俺は小さく息を吐く。


 供給限界。


 嫌な予感しかしない単語だ。


 だが、その予感は開店直後に現実になった。



「これよこれ! 昨日言ってた布!」



 昨日買ったらしい主婦が、友人を二人連れて真っ先に飛び込んできた。



「本当に水を吸うの?」

「触らせて!」



 続けざまに別の客。



「瓶の大きい方はあるか?」

「昨日買った小さいの、香草入れに便利でな」



 さらに。



「鏡は!? 鏡まだある!?」



 開店して数分で、人が木台の前へ一気に集まった。


 昨日とは明らかに違う。

 興味本位で覗くのではない。

 最初から買う気で来ている。



「・・・ちょ、待って、順番に!」



 布を渡し、会計し、瓶を見せ、質問に答え、また布を補充。

 息つく暇がない。


 エマも横で必死に対応している。



「布二枚で大銅貨六枚です」

「はい次の方、瓶は大小あります」

「鏡はお一人ずつ見てください!」



 完全に戦場だった。

 いや、下手な戦闘依頼より疲れる。


 客は遠慮なく話しかけてくるし、同時に何人も呼ぶし、値段も確認してくる。

 頭が処理落ちしそうだ。



『アキラ、会計処理が遅延しています』


(見りゃ分かる!)



 脳内で怒鳴り返しながら、銀貨と大銅貨を受け取り、釣りを返し、商品を包む。


 その間にも別の客が布を触って「これちょうだい」と言う。


 瓶はまとめ買いが多い。



「小を三つ、大を二つ」

「私は大だけ四つ」

「うちの店でも使いたいんだが十個あるか?」



 十個!?



「じゅ、十個は・・・」



 在庫を数える。


 開店してまだ一時間も経っていないのに、瓶が目に見えて減っていた。


 布も飛ぶように消えていく。


 昼前には俺の額に汗が浮かんでいた。



「・・・これ、冒険者やる体力残らねぇ・・・」


「だから言ったでしょう」



 エマの声は冷たい。


 だが本人も忙しすぎて冷やかしている余裕はない。


 髪が少し乱れている。


 露店一つでここまで回らないのか。


 正直、完全に舐めていた。



『供給は成立していますが、人的処理能力が追いついていません』


「分かってる・・・!」



 つまり、売れる。

 だが、回せない。


 この差がここまできついとは思わなかった。


 そんな中、高級品の前でも別の波が起きていた。


 売り物を覗き込んでいた若い女性が、不満げに顔を上げる。



「今日は鏡はないの?」


「申し訳ございません、もう売れてしまいまして・・・」


「でも一枚はあるじゃない」


「こちらは展示品でして・・・」


 エマが申し訳なさそうに答える。



「えぇ・・・昨日買っておけばよかった」



 別の女性も高級アクセサリーを見つめて唇を尖らせた。



「昨日あった花のデザインのネックレス、もうないの?」


「同じ物はありません」


「そんなぁ・・・」



 欲しい。

 でも手に入らない。

 その熱量が昨日より明らかに高い。


 しかも、欲しがる客が一人二人じゃない。


 手鏡も、高級アクセも、見せるたびに食いつく。


 これは確かに危ない。


 大量に並べていたら、あっという間に捌けていたかもしれない。


 だが、問題はそこだけじゃなかった。



「・・・ほう」



 不意に、場の空気が少し変わる。


 低く通る男の声。


 客たちの後ろから、上質な濃紺の外套をまとった中年男が進み出てきた。


 身なりが違う。

 布地も、靴も、装飾も、露骨に金がかかっている。

 その後ろには従者らしき男が一人。


 商人だ。


 しかもかなり大きなところの人間だろう。


 男は無遠慮に鏡を手に取り、次に銀鎖を指で弾いた。



「面白い。これは全部お前たちが作ったのか」


「・・・ええ、まあ」



 なんとなく嫌な圧がある。


 男は鼻で笑った。



「なるほど。田舎者の露店にしては掘り出し物だ」



 言い方に若干棘があるな。


 そのまま、当然のように告げた。



「この鏡と装飾品、今ある分を全て引き取ろう」


「え?」


「今後作る物もだ。すべて我が商会に優先して卸せ」



 周囲の客がざわつく。

 男は続ける。



「値は全て倍で出してやる。悪い話ではあるまい」



 全て倍。


 銀貨一枚の鏡なら銀貨二枚。

 銀貨二枚のアクセなら銀貨四枚。


 正直、一瞬揺れた。


 倍だぞ?

 しかもまとめて買ってくれるなら手間も減る。


 俺が返事に迷った、その時だった。



「その契約はおすすめしません」



 穏やかな声が割って入った。

 人垣の向こうからベルナルドが歩いてくる。


 商人の男が眉をひそめた。



「なんだ・・・そのピンバッジ・・・商業ギルドが口を出すのか?」


「新規登録者の初期取引確認は、我々の業務の一環です」



 ベルナルドはにこやかだ。


 だが一歩も引かない。


 商人の男は露骨に不快そうな顔をした。



「倍の値だぞ。それでも不満か?」


「不満ではなく、時期尚早だと申し上げております」


「ふん・・・」



 男は俺たちを一瞥し、鼻を鳴らした。



「後で後悔しても知らんぞ」



 そう吐き捨てると、従者を連れて踵を返した。


 周囲の客がざわざわと道を開ける。


 その背を見送りながら、俺は乾いた唾を飲み込んだ。


 今の、危なかったのか?


 ベルナルドがこちらを振り返る。



「・・・少し、よろしいですか」



 その顔は穏やかなままだったが、声にはいつもより僅かに重みがあった。





 露店の喧騒から少し離れた場所まで移動すると、ベルナルドは一度だけ深く息を吐いた。



「率直に申し上げます。今のは危なかった」


「・・・やっぱりですか」


「かなり」



 かなりか。


 俺は思わず頭を掻く。



「でも、昨日の倍って言われると、悪い条件には見えなくて」


「そこです」



 ベルナルドの声が少しだけ鋭くなった。



「倍の値を提示された。それで高値だ、うまい話だと感じてしまう。つまり、まだ相場も需要も、そしてあなた自身の未来も見えていないということです」


「・・・・・・」



 言い返せない。


 その通りだからだ。


 ベルナルドは俺を真正面から見る。



「アキラさん。あなたが目指しているのは、首輪をはめられた生産職人なのですか?」



 思わず顔を上げた。


 予想より厳しい言葉だった。



「首輪・・・」


「ええ」



 ベルナルドは淡々と続ける。



「相手は大きな商会です。資金も販路も情報も持っている。こちらが何も知らぬまま専属契約を結べば、価格も数量も納期も、すべて相手に握られる」



 たしかに。


 “まとめて買ってくれる便利な客”では終わらない。


 向こうからすれば、生産元を囲い込む絶好の機会だ。


「最初は良い顔をするでしょう。ですが、他に売り先がなくなった瞬間、こちらは交渉力を失います。生産能力があると知られれば、数量を増やされます」


「・・・なるほど」


「それに、あなたは本来、自由を謳歌する冒険者でしょう? いいんですか? 残りの人生、納品の為に物を作り続けるだけになってしまって」


「あ・・・」


「あなたは物を作れる。だからこそ危うい。作れる人間は、売る場所さえあれば何とかなると思いがちです。ですが商売で一番強いのは、売る場所を握る者です」



 売る場所を握る者。

 それが商会か。


 俺は思わず露店の方を見る。


 今ここで物を買っていく客たちも、結局は俺たちが直接顔を見て売れているから利益がそのまま手元へ来る。

 間に巨大な商会が入れば、当然話は変わる。


 ベルナルドは少し声を和らげた。



「もちろん、商会との取引自体が悪いわけではありません。ですが、少なくとも今は違う」


「今は?」


「あなた方は、まだ自分の商品価値を測っている段階です。ここで首輪をつけられては、伸びる芽ごと持っていかれます」



 伸びる芽。


 その表現が妙にしっくりきた。


 まだ始めたばかりなのだ。

 相場も販路も何も知らない。



「・・・助かりました」


「ええ。だから見に来ていたのです」



 やはり最初から警戒していたのか。


 ベルナルドは露店の方へ視線を戻し、今度は違う角度から言った。



「ですが、問題はそれだけではありません」


「まだあります?」


「あります」



 即答。


 この人の即答はだいたい怖い。



「今日の露店、回っていますか?」


「・・・回ってません」



 認めざるを得ない。


 売れている。

 だが、忙殺されている。

 客を捌くので精一杯で、製作どころではない。

 このまま毎日続ければ、間違いなく潰れる。


 ベルナルドは頷いた。



「でしょう。つまり、売れることは証明された。次に必要なのは、回すことです」



 回すこと。

 商売って、結局そこなんだな。



「今のアキラさんに必要なのは、買い手ではありません」



 一拍置く。



「管理する人間です」



 エマが小さく頷いた。



「・・・やっぱりそうなるわよね」


「販売実務、帳簿、在庫、納税、客対応。これらを任せられる人間が必要です」


「全部俺がやるのは無理、と」


「無理です」



 きっぱり。

 もはや清々しい。


 ベルナルドはさらに続ける。



「それともう一つ。製作側にも補佐が必要になるでしょう。材料の切り出し、下準備、簡単な加工、管理。腕のいい職人がいれば、アキラさんの負担は大きく減る」



 エマが目を瞬かせる。



「そんな都合よくいるものですか?」


「都合がよいのではありません」



 ベルナルドは微笑んだ。



「商業ギルドとは、そういう人材情報が集まる場所です」



 なるほど。


 冒険者ギルドが依頼と戦力の情報を持つように、商業ギルドは商売人材の情報を持つわけか。



「実務管理ができる女性に一人、心当たりがあります。加えて、腕のいいドワーフ職人にも」


「本当ですか」


「ええ。ただし、相手にも都合があります。話を通すのに少し時間はいただきますが」



 十分だ。


 むしろ、そこまで考えてもらえるのがありがたい。


 俺は深く頭を下げた。



「ありがとうございます。考えてみます」


「ええ。必要なときは任せてください」



 そのやり取りを聞いていたエマが、横でふっと笑う。



「仕事はできる人に任せる、ね」


「耳が痛い」


「自覚はあるのね」


「少しはな」


『分業体制への移行を推奨します』


「お前も言うな」



 脳内で返しながら、俺はようやく一つ息を吐いた。


 露店は成功した。


 だが、それだけでは終わらない。

 成功したからこそ、新しい問題が山ほど見えてきた。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 数日後。


 街のあちこちで、奇妙な噂が広がり始めていた。


「聞いた? あの露店の布、すごく水を吸うらしいわよ」

「瓶も便利だったぞ。蓋が閉まるんだと」

「鏡がえらく綺麗に映るって娘が騒いでたな」

「どこの商会の商品だ?」


 主婦が友人へ勧める。


 料理人が瓶を探す。


 若い女性が鏡の話で盛り上がる。


 商人たちが露店の主を探り始める。


 小さな露店の話題は、静かに、しかし確実に街へ染み出していた。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 その噂は、当然ながら届くべき場所にも届く。


 数日後の午後。


 高い天井と磨き上げられた床を持つ、広い執務室。


 報告書を手にした侍女が一礼した。



「リゼット様。最近、街で奇妙な露店が評判になっております」



 机へ向かっていた女性――リゼットは、羽ペンを置きながら微かに口元を緩める。



「水を吸う布に閉まる瓶、それと鮮明な鏡・・・その話かしら」



 侍女が目を瞬かせた。



「すでにご存じでしたか」


「ええ。少し気になって、先に調べさせたの」



 リゼットは机の上の一枚の書類へ視線を落とす。



「露店主は若い男女二人組。商業ギルド登録は最近」



 そこで一度区切り、薄く笑った。



「しかも二人とも、冒険者ギルド所属ですって」


「冒険者・・・?」


「そう。商売人ではなく、冒険者」



 侍女の困惑を楽しむように、リゼットは椅子へゆっくりともたれた。



「剣と魔法に生きる人たちが、こんな面白い品まで持ち込むなんて」



 指先で書類をとんと叩く。



「面白いわね」



 その紅の瞳が、静かに細められる。



「少し、会ってみたくなったわ」




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