第30話 アズベルトの槌
炉の熱気が、肌にまとわりつく。
鉄の焼ける匂い。油の焦げる匂い。金属を叩く乾いた音が、工房街の奥まで響いていた。通りを歩くだけで、汗が滲む。だが、不快ではない。何かが動いている場所の匂いだ。
「・・・すげぇな」
「ええ。これだけの規模の工房が集まっているのは、さすが交易都市ね」
ギルドで紹介された店は、その中でも一際大きかった。隣の工房とは明らかに壁の厚さが違う。煙突が二本。扉の前には、削りかすと金属片が掃き寄せられている。現役の証だ。
看板には、無骨な文字でこう刻まれている。
──『アズベルトの槌』
扉を押し開けると、熱気が一段と強くなった。炉が三基。それぞれに火が入っている。奥では数人の職人が黙々と作業していて、こちらに顔を向ける者は誰もいない。仕事中だ。
その中の一人だけが、手を止めてこちらを見た。
低い背丈。分厚い腕。赤銅色の髭を蓄えた、典型的なドワーフだ。エプロンに染みが多い。よく使っている証拠だ。
「・・・客か」
短く言って、ハンマーを置く。
「ギルドの紹介で来た。武具作成の依頼だ」
「ふむ」
ドワーフの目が、俺とエマを順に見る。品定めするような視線だったが、不快ではない。腕に自信がある者の目だ。
「素材はあるのか?」
「ある」
まず、ミスリルを取り出した。淡く輝く銀色の塊。
「・・・ほう」
ドワーフの目が、わずかに細くなる。次に取り出したのは、白く鈍い光を放つ船体素材。そして最後に、シュトロニウムの金属片。
空気が変わった。ドワーフの動きが、止まる。
「・・・なんじゃ、これは」
低い声だった。シュトロニウム片を手に取り、目を近づける。爪で弾く。耳を近づける。また弾く。鼻息が、少し荒くなっていた。
「硬い・・・いや、硬いなどという言葉で済むか、これは」
次に船体素材へ手を伸ばす。表面を指でなぞり、角度を変えて眺め、また指でなぞる。
「こっちも妙じゃ。金属でありながら、ただの金属ではない」
顔を上げる。
「どこで手に入れた」
「色々あってな」
「・・・まあいい」
ドワーフは素材を作業台に並べ、腕を組んだ。
「で、何を作りたい」
「一つ、頼みたい武器がある。少し特殊な形状だ」
「特殊、とな」
眉が上がる。懐疑的な顔だ。だが、追い払う気配はない。
「構造は三層にしたい」
「三層?」
「芯、外皮、刃の三つだ。それぞれに役割がある」
「・・・聞こうか」
腕を組んだまま、続きを促す。
「芯には粘りを持たせる。折れないようにするためだ。ミスリルが向いていると思う」
「ミスリルを芯に・・・」
ドワーフが眉をひそめた。
「ミスリルは硬い。粘りで使うには、扱いが難しいぞ」
「だからわずかに魔鉄を混ぜる。それで粘性は十分なはずだ。それを芯だけに使う。全体を硬くすれば折れる。芯が粘ることで、衝撃を逃がす」
「・・・」
ドワーフは少し黙った。反論を探しているのか、検討しているのか、判別しにくい顔だ。
「続けろ」
「外皮にはこっちの白い金属を使いたい。魔法に干渉する性質があるらしい」
「らしい、じゃと?」
「実戦で試したわけじゃない。だが、性質は確認している」
「・・・魔法干渉か、ふむ。確かにワシの鑑定結果もそのような性質を示しておる」
ドワーフが船体素材を手に取り、もう一度眺める。しばらく黙って、それから顎を引いた。
「面白い発想じゃな。外皮で魔法を弾くか逃がすかすれば、剣士が苦手とする魔法に対する備えとなろう」
「そういうことだ」
「じゃが、外皮の厚みと接合が問題になる。薄すぎれば剥がれる。厚すぎれば重さが変わる」
「それはお前に任せたい。俺より詳しいだろ」
ドワーフが鼻を鳴らした。
「当たり前じゃ」
「刃にはこいつを使う」
シュトロニウムを指で示す。
「一番硬さが必要な部分だけに、一番硬い素材を使う」
「待て」
ドワーフが手を上げた。
「芯が粘り、外皮が魔法を弾き、刃だけを極端に硬くする・・・じゃが、それで三層が馴染むのか。素材の性質がバラバラじゃぞ」
「馴染まなければ、打ち方を変えるしかないだろう」
「簡単に言うてくれるな」
低い声だった。だが、怒っていない。
「温度管理だけでも地獄じゃ。ミスリルとこの白い金属、融点が違うはずじゃ。ましてやこの見たこともない金属を刃に据えるとなれば・・・」
「できるか?」
ドワーフが、じっとこちらを見た。
長い沈黙だった。
だが――その目が、少しずつ変わっていくのが分かった。懐疑が薄れ、代わりに何かが灯っていく。頭の中で何かが動き始めている顔だ。
「・・・形は?」
声のトーンが、わずかに変わった。
「片刃。少し反りを持たせる。斬るための剣だ」
「なるほど片刃・・・それに反りか」
ドワーフが顎を撫でる。
「反りを入れることで、斬った時の抵抗が変わる。引き斬りができる」
「分かっておる」
少し鋭い返しだった。だが、否定ではない。
「反りの角度はどうする。強く入れれば取り回しが悪くなる。浅ければ効果が薄い」
「それも任せる。斬ることに特化した形を、お前が判断してくれ」
「・・・ふん」
ドワーフは素材を一つずつ見た。ミスリル。船体素材。シュトロニウム。また、ミスリルに戻る。
「こいつを芯に据えて、反りを出すとなれば・・・打ち方が普通じゃいかん。焼き入れの段階で形を作る必要がある。反りは冷却の差で出すが、三層では収縮率がそれぞれ違う可能性がある」
「その辺りは?」
「試さんと分からん。じゃが・・・」
そこで、ドワーフは口元を少しだけ緩めた。
「面白い問題じゃな」
その一言で、空気が変わった。
「未知の金属、未知の構造、未知の技術。しかも片刃の反り刀として仕上げろと」
「ああ」
「下手に打てば全部割れるぞ」
「分かってる」
「そもそも馴染む保証もない」
「それも分かってる」
ドワーフは素材を睨んだ。睨んでいるのに、目が楽しそうだった。
「・・・切断性能を極限まで上げる。それが目的か」
「ああ」
「ただの斬れる刀ではなく、この三素材の性質をすべて引き出した上でか」
「そういうことだ。どうだ、できるか?」
ドワーフが、ドン、と机を叩いた。
「・・・誰に物を言っておるんじゃ、小僧!!」
怒鳴り声が工房に響く。周囲の職人が一斉にこちらを見た。だが本人は怒っていない。完全に燃えていた。
「ワシが打てんものなど、この世にない!!」
鼻息が荒い。声が弾んでいる。目は爛々と輝き、今にも炉に飛び込みそうな勢いだった。
「気に入ったか?」
「気に入らんわけがあるか!!」
エマが、小さくため息をついた。
ドワーフは素材を一列に並べ、腕を組んで見下ろす。職人の顔だ。さっきまでとは別の目をしている。
「ただし、条件がある」
「聞こう」
「この金属、少し寄越せ。特にこの見たこともない奴じゃ。研究に使う」
「それでいいのか?」
「その代わり、工賃は最低限でいい」
(どう思う?)
『妥当です。むしろ好条件と判断します』
「いいだろう。多めに置いていくから好きに使え」
「決まりじゃな!」
ドワーフは満足そうに頷いた。
「刀の他に、防具も二人分頼みたい。俺とエマの分だ。それと、エマのロッドも」
「連れの嬢ちゃんか」
初めて、ドワーフがエマに正面から視線を向けた。エマは静かに受け止めて、小さく頷く。
「防具には白い金属とミスリルを使いたい。できるだけ軽く、動きを阻害しない形で」
「注文が多いのう」
「無理か?」
ドワーフの眉が跳ねた。
「煽るな、小僧。酒場なら殴っとるぞ」
「悪い」
「だが、嫌いではない」
ニヤリと笑う。
「ロッドか・・・ゴーレムコアはまだ持っておるか?」
「ある。まだ売っていない」
「それもよこせ。ワシの真骨頂を見せてやろう」
「楽しみにしてる」
「さて、自己紹介がまだじゃったな。ワシはドグランじゃ。おぬしは?」
「俺はアキラだ」
ガシっと力強い握手を交わす。
「完成まで最短でも二週はかかる。いや、もっとか。その間に腕を磨いておけ。武器に振り回されるようなら、ワシが叩き直してやるぞ」
「俺を?」
「当然じゃ」
二人で顔を合わせてニヤリと笑う。どこからどう見ても悪党の密談だ。
エマが静かに言った。
「・・・変な人と変な職人が出会ってしまったわね」
工房を後にする。背中には、まだ炉の熱が残っていた。いや――あれは炉の熱だけじゃない。
未知のものを前にした職人の熱だ。
(いい職人だった)
『同意します』
さて。次はギルドだ。
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工房街を抜けると、ようやく空気が軽くなった。さっきまでの熱気が嘘みたいだ。
「・・・すごい人だったわね」
「だな」
エマが小さく息を吐く。
「腕は確かそうだった」
「ああ。むしろ当たりだろ」
(ああいうタイプ、どう思う?)
『最適解です』
(だよな)
あの反応。あの目。あれは"作れる側の人間"だ。問題ない。むしろ、面白いものが出来上がる予感しかしない。
「で、これからどうするの?」
「ギルドだな」
「・・・装備ができるまで待つわけじゃないのね」
「ああ。止まってなんかいられないからな」
足は止めない。
「装備は強くなるための手段だ。目的じゃない。使いこなせなきゃ意味がないし、今のままでもやれることはある」
エマは一瞬だけ考え込み、
「・・・そうね」
と頷いた。
ギルドの扉を押し開けると、いつもの喧騒が流れ込んでくる。酒の匂い。依頼の紙を剥がす音。笑い声と怒鳴り声。
「・・・落ち着くわね」
「それはどうなんだ」
二人で顔を見合わせて苦笑する。
受付へ向かう。顔見知りの受付嬢、ミーアがこちらに気付いた。
「いらっしゃいませ。今日は依頼の受注ですか?」
「ああ、それもあるが・・・少し聞きたいことがある」
「はい?」
「ランクの件だ」
ミーアの表情が、わずかに変わる。
「・・・昇格、ですか?」
「その条件を知りたい」
少しだけ間があってから、彼女は頷いた。
「現在のランクは、エマさんが個人Bランク、アキラさんが個人Dランク、パーティはDランクですね」
「ああ」
「採取、及び討伐依頼の実績は、十分です」
「だろうな」
「不足しているのは、護衛依頼の実績です」
やっぱりそこか。
「理由は?」
「護衛依頼は、戦う力だけでなく、守る力と信頼が問われます。対象の安全確保、索敵、ルート管理、状況判断、責任能力。討伐だけでは、信用商売としては不十分と判断されます」
「なるほどな」
横でエマが小さく頷いた。
「納得できる話ね」
「シンプルだ。強いだけじゃダメ。任せられるかどうか、だ」
「護衛依頼を一定数こなせば、Cランクへの昇格は可能です」
「どれくらいだ?」
ミーアが冒険者証をかざして照会する。金属の板に何かが走る。謎テクノロジーだ。
『これも興味がありますね』
「お待たせしました。護衛任務の場合、回数ではなく日数に対する評価になります。アキラさんの昇格に必要な日数は、最高評価で七日。余裕を持てば十日以上の護衛任務をおすすめします」
「・・・それなら一発か」
「はい。ただし失敗した場合はかなりのマイナスが付きます」
リスクとリターン。分かりやすい。
「ランクが上がると何が変わる?」
「主に三つです。一つ、高難易度依頼の受注が可能になります。二つ、降格条件の緩和。三つ、明確な規定はありませんが、信用です。依頼主や商会、各施設での対応が変わります」
エマが口を開く。
「たしか降格にも条件があったわよね?」
「Dランク以下は一か月依頼未受注で降格です」
「短いわね」
「Cランクは半年、Bランクは一年。Aランクは降格なしです」
(要するに)
『上に行くほど信用が担保される構造です』
(だな。だから落ちない)
「分かった。じゃあ──」
掲示板へ視線を向ける。討伐、採集、雑務、護衛。並んだ紙の中から、一枚を剥がす。
「これだな」
受付嬢が内容を確認する。
「・・・商隊の護衛依頼ですね。往復で十二日間です」
「丁度いいだろ?」
エマが横から覗き込む。
「報酬も十分ね」
「ちなみに、他の二パーティはもう決まっているのか?」
「はい」
ミーアが手元の書類を確認する。
「男性三人組でCランクの『安息の黄金』。斥候、槍使い、薬師の構成です。もう一組は男性二人、女性二人のDランクで『蒼き雷鳴』。剣士、魔法使い、狩人、ヒーラーです」
エマに視線を向ける。
「どうだ?」
「私は構わないわ」
「受ける」
即答だった。ミーアが一瞬驚いた顔をして、
「・・・ただし、道中には魔獣の出現が確認されています。加えて、人為的な襲撃の可能性も否定できません」
「野盗か」
「はい」
エマが静かに言う。
「むしろ、そっちの方が厄介ね」
「同感だ。魔獣は分かりやすい。人間は面倒だ」
「承知しました。出発は明後日の朝になります」
「了解」
手続きを終える。これで決まりだ。
ギルドを出ると、夕方の光が街を少しだけ赤く染めていた。
「・・・決めるのが早いわね」
「迷う理由がない」
「そうね」
「装備が完成するまで、ちょうどいい期間だ。実戦で感覚を維持できる」
「・・・それもあるけど」
少しだけ間を置いて、エマが言う。
「信用を取りに行くんでしょ?」
少しだけ、笑う。
「まあな」
否定はしない。これはただの依頼じゃない。信用を取りに行く仕事だ。
「十二日間か」
「長いわね」
「ちょうどいいだろ」
軽く肩を回す。
「退屈はしなさそうだ」
エマが小さく笑った。
「ええ。あなたがいる限りはね」
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ」
・・・まあいい。
(ちょうどいい)
『何がですか』
(試すには、な)
今の自分の実力。連携。そして――これから手に入る装備の前提になる経験。
「行くぞ」
「ええ」
明後日から、護衛任務だ。十二日間。短いようで、長い時間。
だが――
その間に、確実に一段上に行く。
そんな予感があった。




