第29話 Aランク
朝は静かだった。
窓の向こうには、冬の冷えた光が落ちている。外気はきっと、肌を刺すように冷たいはずだ。だが、この家の中は違う。昨晩から残る暖気が薄く漂い、床に足を下ろしても、身体が縮こまるほどではない。
快適だ。
最近、それをよく実感する。
寒さに体力を奪われない。寝具がまともで、朝に疲れが残らない。風呂で身体を温め、食事で調子を整え、無駄な消耗を削っていく。
生活の質は、思った以上に戦闘力へ直結する。
そんなことを考えながら、朝食の準備に取りかかろうとした、そのときだった。
コンコン、と扉が鳴った。
「・・・こんな時間に?」
エマが顔を上げる。
「誰だろうな」
扉へ向かい、開ける。
そこに立っていたのは、受付嬢のミーアだった。
「朝早くに失礼します。ミーアです。ロドリゲスさんが、アキラさんたちを呼んでくるように、と」
「ロドリゲス? だれそれ。エマ、知ってる?」
「さあ・・・私の知り合いにはいないわね」
ミーアが一瞬、言葉を止めた。
「あなたたち・・・ギルドマスターですよぉ」
「あ・・・」
「・・・ああ」
俺とエマの声が重なった。
そうだ。
ギルマスだ。
完全に“ギルマス”で認識していたせいで、名前を言われても出てこなかった。
「すまん。名前で言われると、普通に分からなかった」
「そうですか。なんというか・・・」
ミーアは苦笑して軽く頷いた。
「急ぎの用件です。在宅でよかった。準備ができ次第、ギルドへ来てください」
「ああ、すぐ行く」
「では、失礼します」
ミーアは一礼し、踵を返した。
扉を閉める。
「一気に現実へ戻されたわね」
「だな」
『高確率でエメルネスト廃坑関連の呼び出しです』
(だろうな)
浅層に残っていた異常な戦闘痕。
中層での魔物の密度。
そして、下層で遭遇したミスリルゴーレム。
あれをギルドが放置するはずがない。
外套を羽織り、装備を確認する。
「はぁ・・・」
快適な朝は、どうやらここまでらしい。
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ギルドの空気は、いつもと違っていた。
朝だから人が少ない、というだけではない。人はいる。声もある。だが、普段のような雑な笑い声が少ない。
酒場側にいる冒険者たちも、受付周りの職員も、どこか落ち着かない様子だった。
エメルネスト廃坑の件、そしてAランクパーティの召喚の件はもう広がっているのだろう。
俺たちが入ると、いくつかの視線がこちらへ向いた。
「・・・見られてるな」
「仕方ないわ。あの件の当事者だもの」
「まあな」
受付へ向かう前に、奥から声が飛んだ。
「来たか」
ギルマスのロドリゲスだ。
うん、ロドリゲスだ。
大事なことだから二回言いました。
「お前ら、奥の会議室に来てくれ」
初めて踏み入れるギルドの奥は、20人くらいは入る会議室だった。
ロの字型に組まれた長机に、黒板とチョークらしきもの。何となく懐かしさを感じる。
その横に、五人の冒険者がいた。
見た瞬間、分かる。
場の空気が違う。
威圧されているわけではない。殺気を向けられているわけでもない。
ただ、そこにいるだけで、周囲が自然と距離を取っている。
立ち方。
視線。
力の抜き方。
何もしていないのに、余裕がある。
いや、余裕があるように見えて、その実、隙が無い。
「導きの輪環だ」
ロドリゲスが短く言った。
五人のうち、長身の男が一歩前に出る。
鋭いというより、よく動く目だった。重苦しい空気を嫌っているようにも見えるが、軽いだけの男には見えない。
「リブ=マクスウェルだ。導きの輪環を預かってる」
それから、隣の面々を順に示す。
「ゾゾル。ララレア。リア。マルス」
名前を呼ばれ、それぞれが軽く反応した。
ゾゾルはドワーフだ。背は高くない。だが、鍛え上げられたその腕は女性の腰回りよりも太い。構えたわけでもないのに、漂ってくる空気が妙に重い。頑丈な壁がそこに立っているような感じがする。
ララレアは子供にしか見えない身長だ。だがなんというか、不相応に胸が大きい。小人族、という奴だろうか。
「ししし」といういたずらっ子のような笑顔でこっちを見ている。
俺は慌てて目をそらす。
隣のリアは静かに会釈した。物腰は柔らかいが、纏う魔力の質が重い。
最後にマルスが軽く頭を下げる。
「マルス=アルトライアです。よろしく」
「ああ。アキラだ」
「エマよ」
名乗り終えると、ララレアが俺の方に一歩踏み出す
「ししし、お兄さ~ん。ウチのことエッチな目で見てたでしょ~? お兄さんてばそっち派な感じなん~?」
「「なっ!」」
エマと同時に声が出る。
そしてエマにキッときつく睨まれる。
「その辺にしておけ」
リブがロドリゲスへ目を向けた。
「で、こいつらが例の二人だな」
「ああ」
「話は聞いてる。悪いが、あんたらの口からもう一度聞かせてくれ」
「分かった」
俺は、エメルネスト廃坑で見たものを順に話した。
浅層からして戦闘痕が多かったこと。
中層に近づくほど、魔物の密度が明らかに上がったこと。
ストーンビースト、アイアンゴーレムの出現位置。
そして、中層の、それも浅層に近い場所で遭遇したミスリルゴーレム。
エマも必要なところで補足する。
「中層の手前で、あの痕跡の量は普通じゃないわ。しかも、戦闘の跡が新しかった」
「なるほどな」
リブは腕を組んだまま聞いていた。
軽口はない。
さっきまでの雰囲気と違い、目だけが静かに動いている。
そこで、マルスが口を開いた。
「一つ確認してもいいかな」
リブが視線だけを向ける。
マルスは俺たちを見る。
「ミスリルゴーレムの残骸は、今も現場に残っている?」
「大半はな。持ち帰れたのは一部だけだ」
「インベントリかマジックバッグは?」
「俺たちはどちらも持っていない。手で持てる範囲を持ち帰っただけだ」
「位置は、中層の上の方って言ってたよね」
「ああ」
「分かった。ありがとう」
それだけで、マルスは口を閉じた。
リブがゾゾルを見る。
「どう思う?」
「報告通りなら、どう考えても異常湧きだ。見に行くしかあるまい」
「だな」
ララレアが小さく頷く。
「放置すりゃ、最悪スタンピードさね」
「なら決まりだ」
リブがロドリゲスへ向き直る。
「行ってくる」
「頼む」
「任せとけ」
リブは短く返し、出口へ向かう。
扉の前で一度だけこちらを振り返った。
「お前ら見込みあるぜ。生きて戻って報告したのは大正解だ」
「・・・ああ」
「じゃあ、後は任せて留守番してな。無茶はするなよ」
「それはこっちの台詞だと思うが」
「言うじゃねぇか」
リブは少しだけ笑った。
「おにーさん、まったね~!」
ララレアがそれだけ言って、導きの輪環はギルドを出ていった。
足音が遠ざかる。
ギルド内に残っていた緊張が、少しだけ揺れる。
「・・・すごいわね」
エマが小さく言った。
「ああ」
『観察されていました』
(だろうな)
あの短いやり取りの間に、俺たちの反応、装備、態度、全部見られていた気がする。
Aランク。
言葉だけなら知っていた。
だが、実物を見ると、納得するしかない。
「で、アキラはああいう子が好きなの?」
「ち、違うって!?」
そしてアキラはもう一つの問題を抱えるのだった。
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エメルネスト廃坑の中層は、湿った静けさに包まれていた。
壁面には削れた跡が残り、床には砕けた岩片が散っている。空気の奥に、魔物の気配がいくつも重なっていた。
リブは、まるで雑草を刈るような気軽さでそれらを屠りながら、気配察知を全開にする。
「確かに多いな」
「浅層側からこれやったら、完全に異常さね」
ララレアが答える。
その直後、奥から重い音が響いた。
岩が擦れるような音。
巨体が床を踏みしめる音。
三体のストーンビーストが、通路の奥に現れた。
「わーお。三体か」
リブが剣を抜く。
「こんなのに低ランクパーティが遭遇してしまったら・・・」
マルスの眉間にしわが寄る。
「間違いなく全滅です」
リアが構える。
「ゾゾル」
「応」
リブの一声でゾゾルが前に出る。
一体が突進した。
巨岩そのものが押し寄せてくるような圧力。普通なら避ける。まともに受ければ、盾ごと押し潰されてもおかしくない。
だがゾゾルは退かなかった。
盾を構え、正面から受ける。
激突音が廃坑内に響いた。
床が軋み、砂埃が舞う。
だが、ゾゾルの足は動かない。
「ふむ、その程度か」
低い声。
盾が、突進を完全に止めていた。
ララレアが手をかざす。
水が走った。
鋭い刃というより、圧縮された水流が一点を削る。三体目の脚部に何本も走り、関節の動きを乱していく。
「リア」
「はい」
リアが一歩進む。
「ごめんなさい」
次の瞬間、二体目の魔獣の頭上に土塊が発生。
土塊がストーンビーストの頭を上から押し潰す。ぐしゃっと嫌な音を立てて、ストーンビーストの頭がトマトのように簡単に潰れて弾ける。
同時刻、ゾゾルが止めていた一体へ、マルスが踏み込む。
派手さはない。
剣筋も大きくない。
ただ、必要な場所へ、必要なだけ刃が入った。
ストーンビーストの巨体が崩れる。
残る一体は・・・いつの間にか首が落とされていた。
「終わりだな」
剣についた血を払うリブに、マルスが小さく息を吐く。
「相変わらず速いね。いつ斬ったかもわからなかったよ」
「お前も悪くなかったぜ」
「それはどうも」
ゾゾルが盾を下ろす。
「先へ進むぞ。まだ奥がある」
「だな」
リブは剣を納めず、そのまま歩き出した。
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しばらく進んだ先で、彼らは足を止めた。
通路の奥に、巨大な残骸が横たわっている。
ミスリルゴーレム。
砕けた外殻。切り離された部位。剥ぎ取られた痕跡。
リブがしゃがみ込む。
「お、これか~」
指で残骸を軽く叩く。
「間違いないな」
ゾゾルが低く言う。
「ほえ~、これをBランクとDランクの二人で倒したんか~」
ララレアが残骸を手に取りながら言う。
「戦闘痕は少ないですね」
「短かったんだろうな」
「ただあちらの壁面に新しい血痕があります。ノーダメージではなかったようですね」
リアが冷静に分析した。
リブは散らばったミスリルの残骸を見ながら、マルスへ声をかけた。
「マルス、インベントリに余裕があれば、頑張った勇者君たちにこいつを持ち帰ってやろうぜ」
「うん、いいね。彼らは有望そうだし。余裕はあるよ」
「いい投資じゃ」
ゾゾルが言う。
マルスが残骸へ手をかざす。
大きなミスリル片が、ふっと消えた。
一つ、また一つ。
残骸が次々と消えていく。
その途中で、マルスの手が止まった。
「・・・これは」
残骸の一部。
ミスリルの外殻に、一直線の穴が空いていた。
切断ではない。
破砕でもない。
・・・貫通している?
ララレアが近づく。
「これは水魔法じゃないさね」
「土魔法でもないでしょう」
リアが静かに言う。
マルスは穴の縁を指でなぞった。
「斬撃じゃない。打撃でもない。これは・・・穿っている」
リブが覗き込む。
「ミスリルゴーレムを貫いたってか」
「そう見える」
「面白ぇな」
リブは笑った。
だが、その目は笑っていない。
「そりゃ、勇者君って呼びたくもなる」
「また変な呼び方をして」
リアが小さく言う。
「いいだろ。気に入ったんだよ」
マルスはもう一度、貫通痕を見た。
「僕も少し、興味が湧いてきたよ」
「だろ?」
リブは立ち上がる。
「回収しておけ。こいつは返してやる」
「了解」
マルスが残骸を収納していく。
ミスリル片が、静かに消えていった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
三日後。
導きの輪環が戻ってきた。
ギルド内に、その報せが広がるのは早かった。
五人とも、無傷ではない。外套には土埃がつき、装備には細かな傷がある。だが、誰一人として大きく崩れていない。
ロドリゲスが腕を組んで待っていた。
「どうだった」
リブが答える。
「下層寄りで異常湧き。報告通りだ。通常の数十倍はいたぜ。スタンピード寸前。俺たちじゃなきゃヤバかったな」
「原因は?」
「そこまでは分からん。だが、危ねぇ密度の群れは削った。しばらく中層は回せる」
その言葉に、ギルド内の空気が緩んだ。
「三日でか・・・」
「やっぱAランクは違うな」
「導きの輪環が来てくれて助かった・・・」
冒険者たちの声があちこちで漏れる。
俺も同じ気持ちだった。
三日で、あの異常を抑えて戻ってきた。
それを当然のように報告している。
「助かった」
ロドリゲスが言う。
「仕事だからな」
リブは短く返した。
「ただ、半年は下層の報酬を上げて間引く量を増やしたほうが良い」
「そうしよう」
リブとロドリゲスのやりとりのあと、マルスが俺たちの方へ歩いてきた。
「アキラ君、エマさん」
「ああ」
「これ、返しておくね」
差し出されたのは、ミスリルゴーレムの素材だった。
一つや二つじゃない。
俺たちが置いてきた分だ。
「・・・マジか」
「こんなに・・・」
エマも目を見開いている。
量が違う。
これだけあれば、装備の更新にも使える。研究用にも残せる。売却すれば、かなりの資金になる。
だが、最初に口から出たのは、別の感想だった。
「よくこれ全部持って帰れたな・・・」
マルスが微笑む。
「インベントリがあるからね」
それだ。
分かっていた。
分かっていたが、改めて見せられると来るものがある。
『空間収納能力の有用性を再確認』
(言われなくても分かってんだよ)
エマが素材に触れる。
「これだけあれば、かなり余裕ができるわね」
「ああ。装備更新用、研究用、売却分で分けられる」
リブが横から言う。
「大事に使えよ。お前らの戦果だ」
「助かる」
「礼なら、次もちゃんと生きて帰って報告しろ。それが一番助かる」
「・・・分かった」
そこで、マルスが少しだけ声を落とした。
「ところで・・・あのゴーレム、どう倒したんだい?」
柔らかな口調だった。
だが、聞き流せる質問ではない。
「あー、と。まぁ、工夫した」
俺は短く答える。
エマもすぐに続けた。
「正面から力で押し切ったわけではないわ」
「そう」
マルスはそれ以上、踏み込まなかった。
リブが笑う。
「ま、切り札の一つや二つ、あるよな」
「切り札ってほどじゃない」
「そういうことにしといてやるよ」
ララレアが素材を見て、静かに言った。
「生き残れたなら、それで十分さね」
その声は穏やかだった。
だが、軽くはない。
死地を何度も越えてきた者の言葉だった。
「・・・ああ」
リブは軽く手を上げる。
「じゃあな。無茶すんなよ」
「そっちもな」
「俺らは慣れてる」
「それが一番怖いんだが」
リブは声を出して笑い、そのまま奥へ向かった。
「おにーさん、まったね~! んちゅッ!」
ララレアが投げキッスをした。
余計なことはしないで欲しい。
導きの輪環が離れていく。
俺は、マルスが何気なく素材を出し入れしていた手元を思い出していた。
(・・・やっぱ欲しいな)
『マジックバッグ、または類似空間収納機構が必要です』
(それ)
素材は手に入った。
金も増える。
装備も更新できる。
だが、それとは別に、今はっきりと欲しいものがあった。
運搬手段だ。
そして、ふと横を見ると、睨まれていた。
なぜだ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
その日のうちに、俺たちは魔道具店へ向かった。
前から気になっていた店だ。表通りから少し入ったところにあり、入口には古びた魔道具の看板が吊られている。
店内には、雑多な道具が並んでいた。
照明用の魔道具。
温度を保つ箱。
簡易浄化の器具。
用途の分からない金属筒。
古い魔石を組み込んだ小型装置。
『興味深い品が多いです』
(お前もテンション上がってるだろ)
『否定しません』
素直でよろしい。
ただ、今日は目的がある。
「マジックバッグってあるか?」
店主は棚の奥からこちらを見た。
「あるにはあるが、高いぞ」
「だろうな」
出されたのは、見た目だけなら普通の革鞄だった。
少し上質だが、派手ではない。
「容量は?」
「大体、五立方メートルってところだ」
「値段は?」
「ミスリル貨八枚」
「・・・たっけぇな」
「だから言ったろう」
店主は鼻を鳴らした。
「小型でもこれだ。ただ───すぐ元は取れる」
「だろうな」
「状態のいい中古なんざ、入荷したらすぐ売れる」
「修理品とかは?」
「まともに直せる職人が少ない。壊れたら大抵は終わりだ」
「なるほど」
余計に欲しくなった。
だが、買えない。
「どうするの?」
エマが聞く。
「欲しい。でも高い」
「知ってる」
「現実が痛い」
店を出ると、外の空気が冷たく刺してくる。
財布事情と欲望の落差で、肩が少し重い。
そのまま帰るのも悔しくて、少し裏通りへ回った。
表通りとは違い、こちらは店も雑多だ。
古道具屋。
修理不能品を積んだ露店。
欠けた魔石、曲がった金具、何に使うのか分からない部品。
正直ゴミに見える。
だが、こういう場所ほど面白いものが混ざる。
『停止を推奨』
(ん?)
『このバッグが気になります』
足が止まった。
「どうしたの?」
「・・・ちょっと」
視線の先。
露店の隅に、ぼろい鞄が二つ転がっていた。
革は色褪せ、金具は錆び、縫い目もところどころほつれている。普通なら、ただの古い袋だ。
手に取る。
軽い。
だが、妙におかしい。
見た目の厚みと、内部の感触が噛み合わない。
『内部に破損した魔法陣。魔道具だった可能性大』
(マジか)
店主らしき男が、奥から顔を出す。
「それか? 壊れた古い鞄だ。まとめて安くしとくから修理して使わねぇか?」
「二つともくれ」
「お、即決かよ。兄ちゃん革職人か?」
「いや、違う」
「そうか。どうするかは知らねぇが、毎度ありッ!」
エマが横でこちらを見る。
「・・・また、何か変なものに目をつけたのね」
「多分、お宝だ」
「多分なのね」
『高確率で空間拡張術式の残骸です』
(よし)
値段は安かった。銅貨四枚。
安すぎるくらいだ。
俺は二つの鞄を抱え、帰路につく。
正規品は買えなかった。
だが、今はむしろこっちの方が面白い。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
帰宅後、俺はすぐに机の上を片付けた。
二つの鞄を並べる。
見た目はひどい。
擦り切れた革に歪んだ金具、ほつれた縫い目。
「・・・見た目は完全にゴミだな」
「そうね」
「でも、可能性はある」
『肯定。外装は劣化していますが、内部に空間拡張術式と推定される魔法陣を確認。解析を開始します』
エマが身を乗り出す。
「これ、マジックバッグなの?」
「もしかしたら、そうだったってところだ。少なくとも、ただの鞄じゃない」
『完全破損ではありません』
その一言で、口元が勝手に上がる。
「マジか」
『修復の可能性はあります』
「キタ・・・!」
思わず声が出た。
エマが小さく息を吐く。
「目が輝いてるわよ」
「そりゃ輝くだろ。壊れたマジックバッグだぞ? しかも二つ。研究素材として最高すぎる」
「買う時からそんな顔してたわ」
「当然だ」
俺は椅子に座り、鞄の一つに手を置いた。
壊れている。
だが、死んではいない。
術式は残っている。
痕跡がある。
つまり、解析できるのではないかッ!?
修復できるかもしれない。
そして――再現できる可能性すらある。
我が相棒、アルの力をもってすれば!
『・・・魔法陣の構造解析を開始します』
アルの声が淡々と響いた。
なぜか、呆れられている気がするが気のせいだろうか。
Aランクの強さは、確かにすごかった。
マルスのインベントリも、うらやましくなるほど便利だった。
だからこそ、欲しくなった。
手が届かないなら、直す。
直せないなら、構造を理解する。
理解できるなら、いずれ作れるかもしれない。
「よし・・・始めるぞ」
エマが、少しだけ笑った。
「また長い夜になりそうね」
「ああ」
俺も笑い返し、目の前のボロ鞄を見る。
ただの中古品として売られていた、壊れたマジックバッグ。
だが、俺たちにとっては違う。
こいつはきっと――
次の一歩だ。
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