第26話 売らないで
久しぶりの討伐任務は、拍子抜けするほど順調だった。
森の浅い層に出る小型魔獣、フォレストウルフの群れ。脅威度は低く、連携の確認にはちょうどいい相手だ。
エマの動きは相変わらず無駄がない。敵との距離をきっちり保ち、風魔法で足を止め、必要なところだけを正確に削る。派手さはないが、安定感がある。
最後の一体が地面に転がったところで、エマが小さく息を吐いた。
「終わりね」
「おう」
周囲を見回す。動く気配は、ない。
少なくとも、ぱっと見では。
エマの外套の袖のところが切れている。
俺は肩を回しながら口を開いた。
「油断したな」
「してないわよ」
「いや、ちょっとだけ気が抜けてたろ」
「抜けてないわ。あのクッションのせいよ。感覚が鈍っているわ」
「それは関係ないのでは・・・」
軽口を返した、その瞬間だった。
『まだ生体反応、消えていません』
背筋が冷える。
「エマ!!」
倒れたままだと思っていた最後の一体が、ぴくりと動いた。
次の瞬間、地を這うような低い軌道から、一直線にエマへ飛びかかる。狙いは頭だ。
「きゃっ!?」
近い。
本来の間合いじゃない。
エマが咄嗟に片手を振る。
圧縮された風が、至近距離で炸裂した。
――ウィンドカッター。
不可視の刃に叩き切られた魔獣の身体が、その場で大きく裂ける。
真っ二つだ。
仕留め切った。だが、距離が詰まりすぎていた。
ぶしゃっ、と嫌な音がした。
弾けた血と内臓が、そのままエマに降りかかる。
顔。髪。首筋。胸元。
赤黒い液体が、べっとりと張り付いた。
「・・・・・・」
一瞬、森の音が遠のいた気がした。
エマはその場で固まったまま、自分の手を見下ろす。
指先にも、手首にも、血がついている。
「・・・・・・うそでしょ」
低い声だった。
頬についた血を拭おうとして、逆に広げる。
「っ、やだ・・・!」
「大丈夫か?」
「大丈夫に見える?」
見えない。
というか、かなり最悪だ。
ダメージそのものはない。だが精神的には完全にアウトだろう。
エマはぎゅっと目を閉じ、深く息を吐いた。
「最悪だわ」
「水魔法は・・・?」
「私に凍えて死ねと?」
「そ、それもそうだな・・・」
その後は寄り道もせず、まっすぐ街へ戻った。
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街へ着くと、門番のトトマがこちらに気づいて目を丸くした。
「エマちゃん!? おい、大丈夫か?」
そりゃそうだ。
顔から上がほぼ血まみれなんだから、心配もする。
だがエマは、すでに表情を切り替えていた。
「トトマさん、大丈夫。返り血よ」
「・・・返り血か。エマちゃんにしては珍しいな」
「そうね。今日はちょっと油断したわ」
声はいつも通り落ち着いているが、機嫌が悪いのは隠せていない。
門を抜けて家へ向かう。
歩く速度が、普段より少し速い。
「・・・とにかく、早く洗いたい」
「だろうな」
これはもう、風呂一直線だ。
少し歩いたところで、俺はふと思い出す。
「・・・そうだ。ギルドの報告、どうする?」
エマは一瞬だけ考えて、即答した。
「明日でいいわ」
「だよな」
「この状態で行きたくないもの」
そりゃそうだ。
「依頼自体は簡単な討伐だし、緊急性もない。問題ないでしょう」
「じゃあ明日だな」
方針は決まった。
そのまま二人で、家へ向かう。
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家に戻るなり、エマは装備を外して脱衣所に向かう。
「服、どうすればいい?」
「脱衣所にまとめとけ。こっちでやっとく」
「分かったわ」
迷いがない。とにかく風呂だ。
俺は試作しておいたボトルを三つ、エマに手渡した。
「そうだ。これも使ってみろ」
「・・・何これ?」
「これは髪を洗う用。フチが黒いのが洗った髪を整える用。軽くなじませてシャワーで流せ。で、最後が体を洗う用だ」
「分けるの?」
「分けた方がいい」
エマはボトルをじっと見つめる。
明らかに怪しんでいる顔だ。
だが、頬に残る血の感触を意識したのか、小さくため息をついた。
「・・・今はそんな事気にしてる場合じゃないわね」
「正しい判断だ」
「あとで変なことになったら怒るわよ」
「ならないならない」
半信半疑のまま、エマは脱衣所へ入っていった。
衣擦れの音がする。
浴室の扉が閉まる音を確認してから、俺は脱衣所に行き、床に置かれた衣類へ目を向ける。
血の臭いが強い。
すべて抱えて洗濯用の桶に突っ込む。
(これは普通に洗うのは無理だな)
『繊維内部に血液成分が浸透しています。通常洗浄では残留の可能性が高いです』
(だよな。じゃあ、水とナノマシンで一気にいくか)
『了解。繊維損傷を最小限に抑えつつ、分解・除去を実行します』
衣類が静かに処理されていく。
血の成分が分解され、臭いも、色も、跡形もなく消えていく。
ついでに皮脂や汚れも落ちるので、結果的に新品に近い状態になる。
「完璧だな」
俺は汚れが落ちたのを確認すると、室内の物干しに全て干した。
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しばらくして、浴室の扉が開いた。
エマが出てくる。
「・・・何これ」
第一声がそれだった。
顔にはもう血の痕跡はない。髪も整っている。だが、明らかに様子が違う。
「どうした」
「何なのよこれは」
自分の髪を指で軽く梳く。
「指通りが・・・変」
「いい意味でか?」
「ええ。・・・こんなの初めて」
ボディソープの効果か、肌もさっぱりしているのだろう。
さっきまでの不機嫌さは、ほぼ消えていた。
そこへ、干された衣類が目に入る。
「・・・え?」
エマが近づいて、服を手に取る。
「嘘でしょ・・・血の跡が全然残ってない・・・」
「繊維の奥まで落としてるからな」
「臭いも・・・ない・・・」
感心したように呟いたその直後。
ぴたり、と動きが止まった。
「・・・ちょっと待って」
「ん?」
エマが手に持っているのは――
「これ・・・下着も、洗ったの?」
「ああ。ついでに洗っといたぞ」
「~~~~~~~~~!!」
エマの顔が、一瞬で赤くなる。
「つ、ついでにって・・・!」
「いや、分けるのも手間だったし・・・」
「そういう問題じゃないでしょう!?」
怒っている、というより、完全に恥ずかしがっている。
あー、まあ、そうか。
「・・・悪い。次からは分ける」
「最初からそうしてほしかったわ・・・」
ぶつぶつ言いながらも、服の状態自体には文句はないらしい。
そこへ、エマの視線が俺の手元に向いた。
「・・・今度は何を作ってるの?」
「乾燥対策」
「乾燥?」
「冬は肌が乾くって昨日言ってただろ」
エマは一瞬、言葉に詰まった。
「・・・覚えてたのね」
「一応な」
俺は並べた容器を指差す。
「こっちが化粧水。肌の水分補給。こっちが乳液。水分が逃げないようにするやつ。で、これが保湿クリーム。乾燥が強いところ用」
「・・・これもずいぶん細かく分けるのね」
「分けた方が効率いいからな」
エマはしばらくそれを見つめていたが――
「・・・試してもいい?」
食いつきが早い。
「もちろん」
手に取り、少量を指に取る。
まずは化粧水。肌に乗せて、軽く馴染ませる。
次に乳液。
そしてクリーム。
「・・・」
無言。
そしてあちこちにくまなく塗っていく。
その表情がすべてを物語っていた。
「どうだ?」
「・・・いい」
「おお」
「すごくいいわ、これ」
はっきり言い切った。
「べたつかないのに・・・ちゃんと残る感じがある・・・」
自分の頬を指で触れて、確かめるように呟く。
「これ、売れると思うか?」
俺が軽く言うと、エマはすぐに反応しなかった。
少しだけ考えてから、聞き返す。
「大量生産できるの?」
「いや、大量には作れねーよ?」
そこで、エマの表情が変わった。
「・・・売らないで」
「ん?」
「だから、売らないでって言ったの」
きっぱりとした声だった。
「絶対人気が出るわ。そしたら私の分が無くなっちゃうじゃない!」
一瞬、ぽかんとする。
そして、少しだけ笑った。
「・・・なるほどな」
「笑うところじゃないわよ」
「いや、分かりやすい理由だなって」
「本気よ」
「分かってる」
そのやり取りの最中、ふわり、と香りが届いた。
エマの髪だ。
試作したシャンプーとリンス。AIが調合したフラワーブーケの香りが、軽く、上品に残っている。
(・・・なんだ)
さっきまでと同じ距離のはずなのに、妙に近く感じる。
落ち着かない。
『アキラ、心拍数が――』
(いいから黙ってろ)
エマは気づいていないのか、普通に話を続けている。
だが、俺の方は妙に意識してしまっていた。
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翌朝。
「・・・違う」
起きてすぐ、エマが呟いた。
髪に触れる。
引っかからない。スッとまとまる。
肌も、つっぱらない。
「本当に・・・違うわ」
昨日一度使っただけで、ここまで変わるとは思っていなかったのだろう。
しばらく鏡を見つめたあと、小さく息を吐く。
「・・・危険ね、これも」
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ギルドの扉を開け、中に入る。
いつもの通り、野郎どもの眼がエマにくぎ付けになる。
そしてカウンターの前に立つ。
まずは昨日の報告だ。
「おはようございます。アキラさんと・・・えっ、エマさん!?」
ミーアの声が裏返る。
次の瞬間、周囲の視線が一斉に集まった。
手の空いていた他のギルド職員(女性)も集まってくる。
「髪どうしたんですか!?」
「輝いてるんですケド!!」
「何をしたらそうなるんですか?」
「え、ちょっと待って、肌・・・肌、ツヤツヤすぎません!?」
「昨日までそんな感じじゃなかったですよね!?」
反応は連鎖的に広がる。
距離が詰まる。
近い。
「ちょ、ちょっと落ち着いて・・・」
エマが一歩引くが、止まらない。
「何をしたんですか!?」
「何かの魔道具!?」
「香りも・・・何これ、すごく上品・・・!」
「待って、貴族様が使ってる高いやつ・・・いやでも見たことない・・・!」
エマの髪に顔を近づける者まで出てきた。
「ちょ、近いわよ!?」
「いいから教えてください!!」
勢いが違う。
質問ではない。詰問に近い。
「昨日と同じエマさんじゃないですよね!?」
「秘密を教えてください!」
「予約制!? 紹介制!? それとも貴族専用!?」
「違うわよ!!」
エマが思わず声を張る。
一瞬だけ静まる。
だが、それは嵐の前の静けさだった。
「じゃあ何ですか!?」
「教えてください!!」
「独り占めはずるいです!!」
再び圧が来る。
完全に囲まれている。
俺は少し離れた位置から、その様子を見ていた。
(・・・超怖ぇ)
『観察結果:女性集団の情報要求圧力が急上昇しています。接近は危険です』
(分析しなくていい)
エマが助けを求めるようにこちらを見る。
だが――
(これは俺が入ると悪化するやつだな)
下手に「俺が作った」なんて言ったらどうなるか。
考えたくもない。
「ねぇ、それ、本当に何をしたんですかっ!?」
「ちょっとだけでもいいので教えてください!」
「値段だけ聞いたらあきらめるから!!」
完全にロックオンされている。
エマの顔が引きつる。
「・・・言えないわ」
「なんでですか!?」
「・・・言えないものは言えないのよ」
それが火に油だった。
「ますます怪しい!!」
「絶対何かある!!」
「教えてくれるまで帰しませんからね!?」
「ちょっと待ちなさい!?」
完全に包囲網である。
その時だった。
「――おいおい、朝から何の騒ぎだ」
低く落ち着いた声が響く。
人の輪が割れる。
現れたのはギルドマスターだった。
「業務に支障出してどうする」
「マスター!でもこれ見てくださいよ!」
「見てるよ」
マスターは一歩近づき、エマを見る。
そして一言。
「・・・確かに、今までと違うな」
妙に納得した顔で頷いた。
「やったのは・・・」
ギルマスが俺を見る。
「・・・・・・」
俺は静かに目をそらす。
「ほう」
「・・・」
あっさりバレた。
「なるほどな・・・」
マスターは顎に手を当て、少し考える。
その後、受付嬢たちに向き直った。
「解散だ。仕事に戻れ」
「ええー!?」
「聞きたいことが――!」
「後だ。今は仕事優先だ」
有無を言わせない口調だった。
しぶしぶと散っていく受付嬢たち。
だが視線はまだこちらに刺さっている。
(あれ、絶対あとで来るな)
『高確率で再接触が予想されます』
(だろうな)
嵐が去ったところで、マスターが俺の方に目を向けた。
「・・・で、いくらだ?」
「何の話だ」
「とぼけるな。今のだ」
さっきの一件を顎で示す。
「量産は?」
「無理。手間がかかりすぎる」
「だろうな」
即納得された。
そして少しだけ声を落とす。
「・・・個別なら?」
「条件次第だな」
マスターがそのゴツい腕をガシっと俺の肩に回す。
それから、ぼそりと。
「もうすぐ結婚記念日なんだよ」
「・・・」
「何か、用意してやりたくてな」
少しだけ、照れたように笑う。
「頼んだぜ」
完全に個人的な依頼である。
俺は肩をすくめた。
「職権濫用だコレ・・・」
「聞こえてるぞ」
マスターは軽く笑って、そのまま踵を返した。
残されたのは、まだほんのりざわついている空気と――
「・・・絶対に、売らないで」
エマの小さな声だった。
さっきよりも、ずっと本気の。




