第25話 沼
この大陸には四季がある。
そして、俺たちの住む町、ヴェルクハーフェンは間もなく冬だ。
賑やかな市場を歩いていると、ふと、自分たちがこの街の景色に馴染み始めているのを感じる時がある。
最初は、どこを見ても異世界だと思っていた。
石畳も、人の服も、並んでいる食材も、全部が珍しくて仕方なかった。
でも今は違う。
どの店が朝一で品がいいか。
どこが肉の目利きに強いか。
誰が値引きに渋くて、誰が軽口と一緒におまけをつけてくれるか。
そういうのが、少しずつ分かってきた。
「お、アキラとエマちゃん、今日は新鮮なハッサとポーロが入ってるよ!」
威勢のいい声に顔を上げる。
いつもの八百屋、ダジーさんだ。並んだ野菜の中に、白菜に似た大ぶりの葉野菜と、白い部分の太い葱っぽい野菜が見えた。
「お、これは・・・そろそろ鍋もいいな。両方もらうよ!」
「毎度! 銅貨二枚だ。エマちゃんかわいいから、おまけでこれもつけとくぜ」
「ダジーさん、いつもありがとう」
にこり、と上品に笑うエマ。
よし、完璧だ。
会計を済ませて少し離れてから、俺は横目でエマを見る。
「お前、猫被るのうまくなったな」
「うっさいわね」
「いや、最初の頃よりずっと自然だったぞ」
「笑顔が大事ってことくらい知ってるわよ。必要ならそうするってだけ」
「言い方ぁ」
だが、そうして言い返す声もどこか柔らかい。
街の人と話す時のエマは、ちゃんとしていて感じがいい。俺には塩対応気味なのに、ってのはあるが、それもまあ、今ではいつものことだ。
市場を流し見しながら、必要なものを買っていく。
今日の目的は食材だけじゃない。布、詰め物、柔らかい素材、弾力が強いプルプルした何か、保温性の高そうな織物。俺の頭の中には、すでにいくつか作りたい物が浮かんでいた。
「また何か企んでる顔ね」
「人聞き悪いな。生活改善だ」
「それが一番怖いのよ」
エマが呆れたように言う。
だが完全に止める気はないらしい。その辺り、もう半分諦めてるのかもしれない。
必要なものを一通り買い終えた頃には、空がだいぶ傾いていた。
市場の喧騒を抜けて、二人で帰り道を歩く。行き交う人の数も少しずつ減り、空気がひやりと変わっていくのが分かった。
「暗くなるとさすがに寒くなってきたわね」
『現在の外気温、8℃です』
「そうだな。・・・ちょっと快適グッズ、増やすか」
「・・・それはうれしいけど、嫌な予感しかしないわね」
「信用無ぇなぁ」
「今までの実績を考えなさい」
正論である。
だが、寒くなってきたなら話は簡単だ。家の中をもっと快適にすればいい。それだけだ。
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家に戻ると、まずは夕飯だ。
「今日はよせ鍋をやる」
「よせ鍋?」
「寒い日はこれに限る」
俺は買ってきたハッサとポーロを取り出し、ざくざくと切っていく。
他にも根菜、きのこっぽい食材、薄く切った肉。鍋の種類は色々あるが、今日はシンプルに温まるやつでいく。
「それにしても、よせ鍋って料理は聞いたことがないわ」
「だろうな。でも見れば分かる」
問題は火だ。
卓上で温めながら食いたいが、カセットコンロみたいな便利アイテムはない。
なので、AIと相談して用意したのが、卓上に置ける小型の炉──飛騨コンロみたいな、炭を使う簡易コンロだ。
下に断熱層を入れ、炭をおこして、上に鍋を据える。
見た目にも悪くない。
「何それ」
「卓上用の火鉢みたいなもんだ。鍋をそのまま持ってきて、食いながら温める」
「こんな料理、見たことも聞いたこともないわ」
「そういうの、結構好きだろ?」
「否定はしないけれど・・・」
鍋の中には、鶏と香味野菜から取った出汁を張る。
香りを邪魔しない程度に塩を入れ、まずは肉、次にポーロ、最後にハッサをたっぷり沈めた。
鍋が温まり、ふつふつと湯気が立ち始める。
それだけでもう強い。
寒い外から帰ってきた体に、この光景は効く。
「つけ汁もあるぞ」
「つけ汁?」
「そのままでもいいけど、こっちでも食える」
小鉢に入れたのは、柑橘を絞った果汁をベースに、数種類の濃縮出汁と発酵調味料を合わせたものだ。いわばポン酢っぽいものだが、この世界の材料で組み上げているので完全に別物ではある。
エマが小鉢の香りを確かめて、指で少し舐める。そして目を見開く。
「酸っぱいだけじゃないのね」
「旨味もたっぷり入れてるからな」
「いつの間にそんなものを・・・」
「色々試してた」
鍋が十分に温まったところで、俺はエマの器によそった。
ハッサ、ポーロ、肉。隣にはつけ汁。
「熱いから気をつけろよ。そのまま食べてもいいし、つけ汁を付けてもいい」
「分かってるわよ」
エマはふーっと息を吹きかける。
そして、一口。
「はふっ・・・はふ、はふっ・・・」
「おいおい、まだ熱かったろ」
はふはふ言いながらも、何とか口の中で整え、ゴクンと飲み込む。
次の瞬間、エマの表情がみるみるほどけた。
「はぁ~~~~~~・・・」
深い息が漏れる。
俺は笑った。
「感想を聞かなくても顔でわかるな、お前」
「う、うるさいわね・・・」
「うまいだろ?」
「・・・おいしい」
その一言が、やけに素直で。
「なにニヤニヤしてるのよ」
「お前もな」
美味い食事は人を笑顔にする、というのは本当だな。
そこから先は早かった。
ハッサの甘み。
ポーロのとろける食感。
肉の旨味。
熱い汁。
これだけでも十分に美味い。
そして、柑橘を効かせたつけ汁を付けると輪郭が締まる。
エマは最初こそ慎重だったが、二口目、三口目と速度が上がっていく。
「こういう食べ方、いいわね」
「だろ?」
「温かいし、好きな具を好きなタイミングで食べられるし・・・何より、寒い日にすごく合うわ」
「鍋は冬の正義だからな」
「そんな大げさな・・・」
と言いつつ、エマはまた一口。
今度はさっきよりも上手く冷まして、ふっと息を吐いた。
「・・・悔しいけど、これは流行ってもおかしくないわ」
「流行らせるか?」
「あなたなら本当にやりそうだから怖いのよ」
俺も鍋をつつく。
うまい。
やっぱり寒くなってくると鍋は強い。しかも卓上で火があるだけで、食卓の温度が全然違う。これは正解だ。
食べ終わる頃には、すっかり体が温まっていた。
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「片づけは私がやるわ」
「助かる」
食後、エマが食器を持って立ち上がる。
昨日決めた役割分担が、こうして普通に回り始めているのが少しうれしい。
その間に、俺は買ってきた素材を広げた。
布、綿、詰め物、柔らかい織物。やることは決まっている。
(相棒、保温性と肌触り優先で)
『了解。構造最適化を開始します』
まずはバスタオル。
次に、風呂上がりに羽織るバスローブ。
その後、部屋着。
さらに、クッションとひざ掛けも作る。
音を立てないように手を動かしていると、片づけを終えたエマが振り返った。
「何を作ってるの?」
「ちょっとした快適グッズ」
「その言い方が信用ならないのよね・・・」
「まあ、見れば分かる」
エマは呆れたように肩をすくめる。
それから少し考えた後、俺に聞いた。
「お風呂、先に入る?」
「俺は後でいい」
「そう。じゃあ先に行くわね」
「あいよ」
エマが風呂へ向かう。
脱衣所から浴室に入るのを確認した後、俺は脱衣所にできたてのバスタオルとバスローブをそっと置いた。
「きっと驚くぞ」
この世界にはそもそもタオルがないのだ。
いつもは、布の端切れを合わせたものを使っていた。
「おーいエマ、新作のタオルと、風呂上りに羽織る服を作ったから後で試してみてくれ」
「今このタイミングで!?」
「ちょうど良かったからな!」
「嫌な予感しかしないわよ!」
「それは偏見だ!」
扉の向こうから返ってくる声に笑いつつ、俺は残りの作業を進める。
さて、どんな反応をするやら。
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しばらくして。
脱衣所の方から、ばたばたと慌ただしい足音がした。
「アキラ、これ何なのよ!? 凄すぎるわ!」
勢いよく出てきたエマを見て、俺は思わず固まった。
風呂上がりで頬がほんのり赤く、髪はまだ少し湿っている。
手にはふわふわのバスタオル。
そして身につけているのは、俺が作ったばかりのもこもこバスローブだけだ。
「ふわっふわなの!!」
問題はそこじゃない。
「お、おい、エマ、前!」
「え?」
エマが自分の胸元を見る。
どうやら慌てて飛び出してきたせいで、前が少し緩んでいたらしい。
「キャッ、ご、ごめんなさい!」
ばっと押さえて、そのまま脱衣所へ引っ込む。
静寂。
「・・・・・・」
『アキラ、心拍数が上昇しています』
(言うな)
『客観的事実です』
(今は要らん)
数分後。
改めて、エマが部屋着に着替えて戻ってきた。
さっき作ったばかりの室内着だ。温かくて軽い素材を使ったので、家の中で着るにはちょうどいい。見た目もだらしなさが出過ぎない程度に整えてある。
だが、そんなことより。
エマは明らかに気まずそうだった。
「あの、さっきはごめんなさい。見苦しいものを見せてしまって」
「見苦しくはなかったぞ。その・・・きれいだった」
言ってから、しまった、と思う。
だが遅い。
エマの顔がみるみる赤くなった。
「っ・・・!」
俺も気まずい。
何だこの空気。変な沈黙が落ちる。
「べ、別に、変な意味じゃなくてだな」
「分かってるわよ!」
「本当か?」
「本当・・・たぶん・・・」
お互い視線が合わない。
落ち着かない。
だが、不快ではない。そこが余計に面倒だ。
沈黙を切るように、俺は部屋の隅に置いた大きめのクッションを指差した。
「・・・で、これは何なの?」
エマが先に話題を変えた。
助かった。
「人をダメにするクッション、だ」
「ろ、ろくでもない名前ね・・・試してみても?」
「もちろんだ」
エマが恐る恐る腰を下ろす。
「~~~~~~!!」
途端に、声にならない声が漏れた。
「何これ・・・」
「いいだろ?」
「よすぎるのよ!」
グーっと沈んで体を受け止めてくれる感がある。なのに沈みすぎない。
そして柔らかい。まるで優しさで包まれているようだ。
そこにひざ掛けまで渡すと、もう完全に終わりだった。
エマはクッションに沈み込んだまま、しばらく動かなくなる。
「立てるか?」
「無ー理ー・・・」
「即答だな」
「これに座って立てる人間がいたら見てみたいわ・・・」
俺がクスッと笑うと、エマは頬をぷくっと膨らませた。
「アキラー、お水取ってきてー。のど乾いたー」
「はいはい。わがままなお姫様だ」
「はいは一回ー」
「はーい」
「のばさないー」
くだらないやり取りをしながら水を取りに行く。
部屋の外は冷えてきているはずなのに、家の中は暖かい。
鍋で温まって、風呂に入って、肌触りのいい部屋着を着て、ふわふわのクッションに沈む。
そりゃ駄目にもなる。
エマに水を渡す。
「この家、本当に危険だわ・・・」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めてないのよ・・・」
言いながらも、声に本気の否定はない。
しばらく二人で、ぬくぬくした空気の中にいた。
さっきの「きれいだった」が頭から離れないのか、エマは少し落ち着かなさそうにしていたが、クッションの魔力の方が強いらしい。
やがて、ひざ掛けをぎゅっと抱えながら、エマがぽつりと呟いた。
「レグリスと違って湿度が低いから、冬は肌が少し心配なのよね」
「そういうもんなのか?」
「ええ。寒い時期は乾燥しやすいのよ。髪も肌も、放っておくと面倒なの」
『乾燥対策は有効です』
「へぇ・・・」
俺は軽く相槌を打ちながら、頭の中ではもう別のことを考えていた。
(次はそこか)
風呂も、食事も、暖かさも整った。
なら次は、冬の乾燥対策。
やることはまだまだある。
エマはそんな俺の内心など知らず、クッションに沈んだまま、小さく息を吐いた。
「でも、ここまで快適だと・・・冬も少しは悪くないかもしれないわね」
外では冷たい夜気が街を包んでいる。
だが、この家の中は違う。
暖かくて、柔らかくて、少しだけ落ち着かない。
俺はクッションに埋もれかけているエマを見て、ふっと笑った。
「冬はこれからだぞ」
「だから怖いのよ・・・あなたがいると」
その言葉に、俺は苦笑した。
たしかに。
ここまで来たら、もう後戻りはできないのかもしれない。
(さて、次は肌か)
『了解しました』
冬の夜は、まだ始まったばかりだった。




