第24話 危険な家
朝、目が覚めた時、最初に思ったのは「静かだな」、だった。
宿と違って物音が少ない。
窓から差し込む光も柔らかく、寝具の感触も相変わらずちょうどいい。体のどこかが痛いとか、変なところで目が覚めるとか、そういうのが一切なかった。
新居、いいな。
そう思いながら起き上がり、軽く肩を回す。
昨日は引っ越しだ風呂だで慌ただしかったが、ようやく「住む」が始まった感じがする。
(・・・で、エマは?)
いつもなら、俺より先に起きていてもおかしくない。
だが、居間に行っても気配がない。洗面にもいない。物音も聞こえない。
「珍しいな」
『快適な寝具と静穏な環境の影響かと』
「だろうなぁ」
そのまま少し待っていると、ようやく部屋の方から足音がした。
出てきたエマは、珍しく髪が少し乱れていて、しかも表情が微妙に硬い。
寝起きのまま取り繕おうとして失敗している顔だ。
「おはよう」
「・・・おはよう」
「寝坊か?」
「寝坊じゃないわ。少し、起きるのが遅れただけよ」
「それを寝坊って言うんだよ」
「う、うるさいわね・・・」
声にいつもの切れがない。
どうやら本当に、気持ちよく寝過ぎたらしい。
エマは気まずそうに視線を逸らし、ふと台所の方を見た。
俺は笑いをこらえつつ、棚からカップを二つ出す。
「とりあえず水飲むか」
蛇口をひねる。
透き通った水が流れ落ちる。
昨夜のうちにタンクへためておいた、濾過・煮沸・冷却済みの水だ。
エマにカップを渡すと、彼女は無言で受け取り、一口飲んだ。
その瞬間、ぴたりと動きが止まる。
「・・・あ」
「ん?」
エマはもう一口飲んだ。
今度はさっきよりゆっくりと。
「どうした?」
「・・・おいしい」
「だろ?」
「朝に起きて、すぐにこんな水が飲めるの・・・?」
「そこ感動するんだな」
「するわよ。するに決まってるでしょう」
エマはカップを両手で持ったまま、少しだけ目を伏せた。
「井戸から汲んで、運んで、沸かして・・・そういう手間が何もないのに、こんなにおいしいなんて」
「生活革命ってやつだ」
「本当に、革命ね・・・」
風呂だの寝具だのの衝撃が強すぎて、逆に水みたいな基本の部分が後から効いてきたのかもしれない。
そのまま簡単に身支度を整え、居間に集まる。
朝食は昨日の残りだ。
パン、チーズ、干し肉、少し残ったスープ。豪勢ではないが、風呂上がりの夜と違って、今日は今日で「家で食べてる」感じがある。
スープを温め直しながら、俺は口を開いた。
「で、生活のことなんだけどさ」
「ええ」
「掃除は気付いた方がやる。洗濯はまとめて。買い出しは一緒でも別でもいいけど、声はかける。問題は食事だな」
エマも頷く。
「一日おきで交代、でどうかしら」
「妥当だな。片づけは作らなかった方」
「それなら公平ね」
「よし、決まり」
決めることを決める。
こういうのは最初が肝心だ。曖昧にすると後で面倒になる。
食べ終わったところで、俺は立ち上がった。
「んじゃ、市場行くか」
「食材だけ?」
「食材と調味料と、あと色々」
「色々?」
「ちょっと試したいことがある」
そう言うと、エマは少しだけ嫌な予感がしたらしく、目を細めた。
「その“ちょっと”は、信用ならないのよね・・・」
「まあ見てろって」
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午前の市場は賑やかだった。
肉屋、八百屋、香草を束で並べた露店、乾物屋、油屋、布屋、雑貨屋。人の声と食材の匂いが混ざり合い、歩くだけで情報量が多い。
エマにとっては見慣れた光景なんだろうが、俺にとってはまだまだ新鮮だ。
しかも今は、ただの異世界観光じゃない。自分の生活を作るための買い出しである。
楽しくないわけがない。
「まずは食材だな」
「その顔、ちょっと怖いわよ」
「いい意味の怖さだろ」
「そうかしら・・・」
『現在、周辺三十六店舗を走査中。肉類、香草、油脂、発酵調味料に有意差あり』
(よしよし)
まずは野菜を見る。
形は似ていても味や香りが違うものが多い。芋に似た根菜、玉ねぎっぽいが少し甘みの強い球菜、セロリに似た香りの茎野菜。油も種類があるし、塩も粒が違う。
「うむ。なかなか良い市場じゃ」
「誰目線なのよ、それ」
「料理人兼、生活改善担当の目線」
「本当に訳が分からないわね・・・」
肉屋では燻製肉や塩漬けが多い。
保存は強いが、下処理と味付けがかなり単調だ。
香草はあるのに使い方がもったいない。油も悪くないのに、活かし切れていない感じがする。
(惜しいなぁ・・・)
『現地料理文化は保存性重視、香味設計は限定的です』
(伸びしろの塊だな)
そこからは一気だった。
今までの鬱憤を晴らすかのように、必要な食材や調味料を買い込む。
エマはドン引きだ。
だが気にしない。
そして料理用とは別に、シャンプーやリンス、化粧水に使えそうな花や樹液、香りの出る草もいくつか買う。
「それも料理に使うの?」
「いや、こっちは別」
「別って?」
「試したいことがある」
「またそれ・・・」
さらに布や綿、柔らかい詰め物用の素材まで見始めると、さすがにエマも首を傾げた。
「ねえ、今度は何を作るつもりなの?」
「人をダメにするクッション」
「何それ」
「座ったら動きたくなくなるやつ」
「作る前から危険だって分かるんだけど・・・」
だが、必要なのだ。
この家はまだ伸びる。
次に入ったのは、食器やカトラリーを扱う店だった。
昨日の夜はとりあえずで済ませたが、これから生活するならちゃんと揃えたい。
「皿は大きめと小さめ、両方いるな。深皿も欲しい」
「フォークとナイフも何本か要るわね。木のスプーンも使いやすそう」
「お、新婚さんかい?」
不意に店主がそんなことを言った。
「なっ・・・」
エマが固まる。
俺は並んだ食器を見たまま、普通に答えた。
「いや、冒険者をやっている。拠点を移したんでな」
「へぇ、そりゃ失礼した」
「気にしなくていい」
そのまま皿を選び続ける。
だが、横から妙な圧を感じた。
「何だよ」
「・・・別に」
「何か不機嫌じゃないか?」
「気のせいよ」
店を出てからも、エマは少しだけ黙っていた。
(・・・あれ、なんで私ムッとしたの?)
自分でも理由が分からず、余計に引っかかる。
そんな顔をしていたが、俺はそこまで気付かない。
その後、肉屋の前で俺の足が止まった。
「お、安いな」
並んでいたのはハードボアの肉だ。
筋張っていて固いことで有名らしい。値段も手頃を通り越して安い。
エマがすぐに反応した。
「待って。その肉、固くて臭みも強いわよ」
「そうなのか」
「そうなのか、じゃないわよ。わざわざそれを買う必要は無いでしょう」
俺は肉を持ち上げ、繊維の入り方を見る。確かに筋っぽい。
「いや、これならいけるな」
「いけるって・・・」
「安いってことは、不人気ってことだろ。不人気ってことは、つまり・・・」
「つまり?」
「伸びしろしかない。調理法で化ける余地があるってことだ」
「発想が怖いのよ」
「褒め言葉として受け取っとく」
結局、ハードボア肉を買い込んだ。
エマは最後まで半信半疑、というかほぼ疑いしかない顔だった。
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家に戻ると、まず買ったものを並べる。
各種食材、香草に油。
生活用品用の素材。
クッション用の詰め物。
台所に立つと、自然と気持ちが切り替わった。
ここからは俺の時間だ。
「よし、始めるか」
「本当にその肉を使うのね・・・」
「当然」
ハードボアの肉を切り分ける。
筋を見て、繊維を見て、部位を分ける。次に大鍋へ入れ、たっぷりの水で火にかけた。
「え、そんなたっぷりの水で煮るの?」
「茹でこぼしだ」
「茹で・・・こぼし?」
「臭みと余計な灰汁を抜く。最初の煮汁は捨てる」
エマが目を丸くする。
この世界では、固くて臭い肉は「そういうもの」として食われてるんだろう。だったら、一手間入れる文化は薄いはずだ。
肉を一度引き上げ、湯を捨てる。
鍋を洗い、改めて肉を入れる。
『圧力鍋、準備完了』
棚の奥から出したのは、昨日のうちにナノマシンで作っておいた圧力鍋だ。
「それは?」
「秘密兵器だ」
「もう嫌な予感しかしないわ・・・」
「安心しろ。今日は食い物にしか使わない」
「安心できる要素が一つもないんだけど」
俺は笑いながら、脇に置いていた小瓶を開けた。
中には俺とAIが少しずつ試作してきたスパイスとミックスハーブが入っている。
この地方じゃ、香りの層が薄い。
なら、こっちで作るしかない。
油を熱し、香りを立てる。
乾いた香辛料が弾け、鼻をくすぐる匂いがふわりと広がった。
エマが動きを止める。
「なに、その香り・・・」
「いいだろ?」
「肉の匂いじゃないわ」
「肉だけじゃ出ないからな」
次に、香草やスパイスを布でくるんだものを入れる。
いわゆるブーケガルニだ。
湯気に混ざる香りが少しずつ深くなっていく。
下処理したハードボア肉を鍋へ戻し、根菜と一緒に煮込む。
圧力鍋の蓋を閉める。
その間にパンを温め、野菜を軽く下茹でし、別の鍋で澄んだスープを整える。
しばらくすると、鍋蓋からシュコシュコと蒸気で音が鳴り始める。
「手際が良すぎて、ちょっと腹が立つわね」
「何でだよ」
「私が知ってる“料理ができる”の範囲を超えてるのよ」
「そりゃどうも。料理は得意なんでな」
「・・・さらっと言うのね」
「大したことじゃない」
「大したことしかしてないでしょう、今日のあなたは」
料理人としての記憶はうっすらとある。
それが思い出されるようでひたすら楽しかった。
しばらくして圧力鍋の圧が落ちる。
蓋を開けた瞬間、熱と香りが一気に立ち上った。
エマが息を呑む。
肉はもう、見た目からして違っていた。
あの筋張った塊が、煮汁をまとって艶を帯び、とろりと崩れそうな顔をしている。
「・・・うそ」
「よし」
ふたを開けて圧力を落とし、野菜を加えて煮込むこと十分。
最後に味を整え、皿に盛る。
煮込み料理を中心に、温野菜、温めたパン、澄んだスープを並べる。
昨日とは別世界だ。
食卓につく。
エマはまず香りにやられていた。
湯気の中に、肉の旨味と香草と見慣れない香りが混ざっている。
「本当に、あの肉なの?」
「食えば分かる」
「そればっかりね・・・」
そう言いつつ、エマはスプーンを入れた。
ほろりと肉が崩れる。
「えっ」
その時点で、もうおかしいのだ。
あのハードボアの肉が、そんな顔をするはずがない。
エマは恐る恐る口へ運んだ。
そして、止まる。
噛む。
いや、噛む前にほどける。
脂っこすぎず、固くもなく、臭みもない。
代わりに、深い旨味と香りが静かに広がっていく。
「・・・なにこれ」
もう一口。
今度は少し早い。
「これ、本当にハードボア?」
「そうだ」
「同じ肉なの?」
「同じ肉だな」
「どうしてこんなことになるのよ・・・」
「手間をかけたからだろ」
エマは完全に言葉を失っていた。
スープも飲む。
温野菜も口にする。
パンを煮込みの汁につける。
どれも、ちゃんとしている。
しかも全部が、あのメインの煮込みを引き立てるように配置されていた。
「ずるい・・・」
「ん?」
「こんなの、反則よ」
「褒めてる?」
「悔しいけれど」
その後は、会話が少し減った。
減ったというより、食べるのに忙しい。
エマがこんなふうに食事へ集中するのは珍しい気がする。
やがて皿が空き、食後の余韻が少し落ち着いた頃。
エマがフォークを置いて、視線を泳がせながら口を開いた。
「あの・・・」
「ん?」
「わ、私が毎日片づけをやるから、その・・・アキラが作ってくれないかしら?」
「毎日?」
「さすがにここまでのものは作れないもの。おいしかったわ。毎日でも食べたいくらい」
俺は思わず吹き出しそうになり、口元を押さえた。
「くくっ、まるでプロポーズだな」
「なっ!?」
エマの顔が一気に赤くなり、口をパクパクさせている。
「~~~~~~!」
「冗談だ」
『アキラ。それはデリカシーに欠ける発言です』
(お前まで・・・)
『客観的事実を述べただけです』
エマは赤いまま、恨めしそうに俺を睨む。
だが、怒っているというより、ただただ動揺している顔だった。
「・・・でも、本当においしかったわ」
小さく、真面目な声でそう言う。
「ま、作れる日は作るさ」
「本当?」
「ああ。代わりに片づけは頼む」
「それくらい、いくらでもやるわ」
そこでようやく、エマは少しだけ笑った。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
その夜。
エマは自室の椅子に腰を下ろし、静かな部屋の中でひとり、ぼんやりと考えていた。
朝は寝坊した。
起きてすぐ飲んだ水はおいしかった。
市場では欲しいものを次々見つけて、妙な名前のものまで作る気でいた。
食器屋では、夫婦と間違えられた。
その時、少しだけ胸がざわついた。
理由はまだ分からない。
そして、夜。
あの肉だ。
ハードボア。
固くて臭くて、安いから仕方なく食べる肉が、あんな料理になるなんて思わなかった。
「本当に・・・何なのよ、あの人は」
風呂がある。トイレがある。
それだけで家としては異常だ。
蛇口をひねるだけで水が出る。しかもおいしい。
食事までおいしい。
寝具の寝心地も最高だ。
自分の生まれは裕福な家だ。
だが、こんな暮らし、知ってしまったら戻れない。
エマは自分の膝の上で、そっと手を組んだ。
胸の奥が少しだけ落ち着かない。
だが、それが不快かと問われれば、たぶん違う。
「・・・危険すぎるわ、この家」
そう呟いてから、自分で少しだけ笑う。
まだ始まったばかりなのに、もう色々と狂わされている気がした。
けれどそれが、不思議と嫌ではない。
窓の外には静かな夜が広がっている。
新しい住処と、新しい生活。
そして、意味の分からないくらい何でもできる男。
エマは小さく息を吐き、立ち上がった。
「明日は、何をするつもりなのかしら・・・ふふっ」
小さな呟きは、静かな部屋に溶けていった。




