表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/61

第24話 危険な家


 朝、目が覚めた時、最初に思ったのは「静かだな」、だった。


 宿と違って物音が少ない。

 窓から差し込む光も柔らかく、寝具の感触も相変わらずちょうどいい。体のどこかが痛いとか、変なところで目が覚めるとか、そういうのが一切なかった。


 新居、いいな。


 そう思いながら起き上がり、軽く肩を回す。

 昨日は引っ越しだ風呂だで慌ただしかったが、ようやく「住む」が始まった感じがする。



(・・・で、エマは?)



 いつもなら、俺より先に起きていてもおかしくない。

 だが、居間に行っても気配がない。洗面にもいない。物音も聞こえない。



「珍しいな」


『快適な寝具と静穏な環境の影響かと』


「だろうなぁ」



 そのまま少し待っていると、ようやく部屋の方から足音がした。


 出てきたエマは、珍しく髪が少し乱れていて、しかも表情が微妙に硬い。

 寝起きのまま取り繕おうとして失敗している顔だ。



「おはよう」


「・・・おはよう」


「寝坊か?」


「寝坊じゃないわ。少し、起きるのが遅れただけよ」


「それを寝坊って言うんだよ」


「う、うるさいわね・・・」



 声にいつもの切れがない。

 どうやら本当に、気持ちよく寝過ぎたらしい。


 エマは気まずそうに視線を逸らし、ふと台所の方を見た。

 俺は笑いをこらえつつ、棚からカップを二つ出す。



「とりあえず水飲むか」



 蛇口をひねる。

 透き通った水が流れ落ちる。

 昨夜のうちにタンクへためておいた、濾過・煮沸・冷却済みの水だ。


 エマにカップを渡すと、彼女は無言で受け取り、一口飲んだ。


 その瞬間、ぴたりと動きが止まる。



「・・・あ」


「ん?」



 エマはもう一口飲んだ。

 今度はさっきよりゆっくりと。



「どうした?」


「・・・おいしい」


「だろ?」


「朝に起きて、すぐにこんな水が飲めるの・・・?」


「そこ感動するんだな」


「するわよ。するに決まってるでしょう」



 エマはカップを両手で持ったまま、少しだけ目を伏せた。



「井戸から汲んで、運んで、沸かして・・・そういう手間が何もないのに、こんなにおいしいなんて」


「生活革命ってやつだ」


「本当に、革命ね・・・」



 風呂だの寝具だのの衝撃が強すぎて、逆に水みたいな基本の部分が後から効いてきたのかもしれない。


 そのまま簡単に身支度を整え、居間に集まる。

 朝食は昨日の残りだ。

 パン、チーズ、干し肉、少し残ったスープ。豪勢ではないが、風呂上がりの夜と違って、今日は今日で「家で食べてる」感じがある。


 スープを温め直しながら、俺は口を開いた。



「で、生活のことなんだけどさ」


「ええ」


「掃除は気付いた方がやる。洗濯はまとめて。買い出しは一緒でも別でもいいけど、声はかける。問題は食事だな」



 エマも頷く。



「一日おきで交代、でどうかしら」


「妥当だな。片づけは作らなかった方」


「それなら公平ね」


「よし、決まり」



 決めることを決める。

 こういうのは最初が肝心だ。曖昧にすると後で面倒になる。


 食べ終わったところで、俺は立ち上がった。



「んじゃ、市場行くか」


「食材だけ?」


「食材と調味料と、あと色々」


「色々?」


「ちょっと試したいことがある」


 そう言うと、エマは少しだけ嫌な予感がしたらしく、目を細めた。


「その“ちょっと”は、信用ならないのよね・・・」


「まあ見てろって」





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 午前の市場は賑やかだった。


 肉屋、八百屋、香草を束で並べた露店、乾物屋、油屋、布屋、雑貨屋。人の声と食材の匂いが混ざり合い、歩くだけで情報量が多い。


 エマにとっては見慣れた光景なんだろうが、俺にとってはまだまだ新鮮だ。

 しかも今は、ただの異世界観光じゃない。自分の生活を作るための買い出しである。

 楽しくないわけがない。



「まずは食材だな」


「その顔、ちょっと怖いわよ」


「いい意味の怖さだろ」


「そうかしら・・・」


『現在、周辺三十六店舗を走査中。肉類、香草、油脂、発酵調味料に有意差あり』


(よしよし)



 まずは野菜を見る。

 形は似ていても味や香りが違うものが多い。芋に似た根菜、玉ねぎっぽいが少し甘みの強い球菜、セロリに似た香りの茎野菜。油も種類があるし、塩も粒が違う。



「うむ。なかなか良い市場じゃ」


「誰目線なのよ、それ」


「料理人兼、生活改善担当の目線」


「本当に訳が分からないわね・・・」



 肉屋では燻製肉や塩漬けが多い。

 保存は強いが、下処理と味付けがかなり単調だ。

 香草はあるのに使い方がもったいない。油も悪くないのに、活かし切れていない感じがする。



(惜しいなぁ・・・)


『現地料理文化は保存性重視、香味設計は限定的です』


(伸びしろの塊だな)



 そこからは一気だった。


 今までの鬱憤うっぷんを晴らすかのように、必要な食材や調味料を買い込む。

 エマはドン引きだ。

 だが気にしない。


 そして料理用とは別に、シャンプーやリンス、化粧水に使えそうな花や樹液、香りの出る草もいくつか買う。



「それも料理に使うの?」


「いや、こっちは別」


「別って?」


「試したいことがある」


「またそれ・・・」



 さらに布や綿、柔らかい詰め物用の素材まで見始めると、さすがにエマも首を傾げた。



「ねえ、今度は何を作るつもりなの?」


「人をダメにするクッション」


「何それ」


「座ったら動きたくなくなるやつ」


「作る前から危険だって分かるんだけど・・・」



 だが、必要なのだ。

 この家はまだ伸びる。


 次に入ったのは、食器やカトラリーを扱う店だった。

 昨日の夜はとりあえずで済ませたが、これから生活するならちゃんと揃えたい。



「皿は大きめと小さめ、両方いるな。深皿も欲しい」


「フォークとナイフも何本か要るわね。木のスプーンも使いやすそう」


「お、新婚さんかい?」



 不意に店主がそんなことを言った。



「なっ・・・」



 エマが固まる。


 俺は並んだ食器を見たまま、普通に答えた。



「いや、冒険者をやっている。拠点を移したんでな」


「へぇ、そりゃ失礼した」


「気にしなくていい」



 そのまま皿を選び続ける。

 だが、横から妙な圧を感じた。



「何だよ」


「・・・別に」


「何か不機嫌じゃないか?」


「気のせいよ」



 店を出てからも、エマは少しだけ黙っていた。



(・・・あれ、なんで私ムッとしたの?)



 自分でも理由が分からず、余計に引っかかる。

 そんな顔をしていたが、俺はそこまで気付かない。


 その後、肉屋の前で俺の足が止まった。



「お、安いな」



 並んでいたのはハードボアの肉だ。

 筋張っていて固いことで有名らしい。値段も手頃を通り越して安い。


 エマがすぐに反応した。



「待って。その肉、固くて臭みも強いわよ」


「そうなのか」


「そうなのか、じゃないわよ。わざわざそれを買う必要は無いでしょう」



 俺は肉を持ち上げ、繊維の入り方を見る。確かに筋っぽい。



「いや、これならいけるな」


「いけるって・・・」


「安いってことは、不人気ってことだろ。不人気ってことは、つまり・・・」


「つまり?」


「伸びしろしかない。調理法で化ける余地があるってことだ」


「発想が怖いのよ」


「褒め言葉として受け取っとく」



 結局、ハードボア肉を買い込んだ。

 エマは最後まで半信半疑、というかほぼ疑いしかない顔だった。




 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 家に戻ると、まず買ったものを並べる。


 各種食材、香草に油。

 生活用品用の素材。

 クッション用の詰め物。


 台所に立つと、自然と気持ちが切り替わった。

 ここからは俺の時間だ。



「よし、始めるか」


「本当にその肉を使うのね・・・」


「当然」



 ハードボアの肉を切り分ける。

 筋を見て、繊維を見て、部位を分ける。次に大鍋へ入れ、たっぷりの水で火にかけた。



「え、そんなたっぷりの水で煮るの?」


「茹でこぼしだ」


「茹で・・・こぼし?」


「臭みと余計な灰汁を抜く。最初の煮汁は捨てる」



 エマが目を丸くする。

 この世界では、固くて臭い肉は「そういうもの」として食われてるんだろう。だったら、一手間入れる文化は薄いはずだ。


 肉を一度引き上げ、湯を捨てる。

 鍋を洗い、改めて肉を入れる。



『圧力鍋、準備完了』



 棚の奥から出したのは、昨日のうちにナノマシンで作っておいた圧力鍋だ。



「それは?」


「秘密兵器だ」


「もう嫌な予感しかしないわ・・・」


「安心しろ。今日は食い物にしか使わない」


「安心できる要素が一つもないんだけど」



 俺は笑いながら、脇に置いていた小瓶を開けた。

 中には俺とAIが少しずつ試作してきたスパイスとミックスハーブが入っている。


 この地方じゃ、香りの層が薄い。

 なら、こっちで作るしかない。


 油を熱し、香りを立てる。

 乾いた香辛料が弾け、鼻をくすぐる匂いがふわりと広がった。


 エマが動きを止める。



「なに、その香り・・・」


「いいだろ?」


「肉の匂いじゃないわ」


「肉だけじゃ出ないからな」



 次に、香草やスパイスを布でくるんだものを入れる。

 いわゆるブーケガルニだ。

 湯気に混ざる香りが少しずつ深くなっていく。

 下処理したハードボア肉を鍋へ戻し、根菜と一緒に煮込む。


 圧力鍋の蓋を閉める。

 その間にパンを温め、野菜を軽く下茹でし、別の鍋で澄んだスープを整える。

 

 しばらくすると、鍋蓋からシュコシュコと蒸気で音が鳴り始める。



「手際が良すぎて、ちょっと腹が立つわね」


「何でだよ」


「私が知ってる“料理ができる”の範囲を超えてるのよ」


「そりゃどうも。料理は得意なんでな」


「・・・さらっと言うのね」


「大したことじゃない」


「大したことしかしてないでしょう、今日のあなたは」



 料理人としての記憶はうっすらとある。

 それが思い出されるようでひたすら楽しかった。


 しばらくして圧力鍋の圧が落ちる。

 蓋を開けた瞬間、熱と香りが一気に立ち上った。


 エマが息を呑む。


 肉はもう、見た目からして違っていた。

 あの筋張った塊が、煮汁をまとって艶を帯び、とろりと崩れそうな顔をしている。



「・・・うそ」


「よし」



 ふたを開けて圧力を落とし、野菜を加えて煮込むこと十分。


 最後に味を整え、皿に盛る。

 煮込み料理を中心に、温野菜、温めたパン、澄んだスープを並べる。


 昨日とは別世界だ。






 食卓につく。


 エマはまず香りにやられていた。

 湯気の中に、肉の旨味と香草と見慣れない香りが混ざっている。



「本当に、あの肉なの?」


「食えば分かる」


「そればっかりね・・・」



 そう言いつつ、エマはスプーンを入れた。

 ほろりと肉が崩れる。



「えっ」



 その時点で、もうおかしいのだ。

 あのハードボアの肉が、そんな顔をするはずがない。


 エマは恐る恐る口へ運んだ。


 そして、止まる。


 噛む。

 いや、噛む前にほどける。

 脂っこすぎず、固くもなく、臭みもない。

 代わりに、深い旨味と香りが静かに広がっていく。



「・・・なにこれ」



 もう一口。

 今度は少し早い。



「これ、本当にハードボア?」


「そうだ」


「同じ肉なの?」


「同じ肉だな」


「どうしてこんなことになるのよ・・・」


「手間をかけたからだろ」



 エマは完全に言葉を失っていた。


 スープも飲む。

 温野菜も口にする。

 パンを煮込みの汁につける。


 どれも、ちゃんとしている。

 しかも全部が、あのメインの煮込みを引き立てるように配置されていた。



「ずるい・・・」


「ん?」


「こんなの、反則よ」


「褒めてる?」


「悔しいけれど」



 その後は、会話が少し減った。

 減ったというより、食べるのに忙しい。

 エマがこんなふうに食事へ集中するのは珍しい気がする。


 やがて皿が空き、食後の余韻が少し落ち着いた頃。


 エマがフォークを置いて、視線を泳がせながら口を開いた。



「あの・・・」


「ん?」


「わ、私が毎日片づけをやるから、その・・・アキラが作ってくれないかしら?」


「毎日?」


「さすがにここまでのものは作れないもの。おいしかったわ。毎日でも食べたいくらい」



 俺は思わず吹き出しそうになり、口元を押さえた。



「くくっ、まるでプロポーズだな」


「なっ!?」



 エマの顔が一気に赤くなり、口をパクパクさせている。



「~~~~~~!」


「冗談だ」


『アキラ。それはデリカシーに欠ける発言です』


(お前まで・・・)


『客観的事実を述べただけです』



 エマは赤いまま、恨めしそうに俺を睨む。

 だが、怒っているというより、ただただ動揺している顔だった。



「・・・でも、本当においしかったわ」



 小さく、真面目な声でそう言う。



「ま、作れる日は作るさ」


「本当?」


「ああ。代わりに片づけは頼む」


「それくらい、いくらでもやるわ」



 そこでようやく、エマは少しだけ笑った。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 その夜。


 エマは自室の椅子に腰を下ろし、静かな部屋の中でひとり、ぼんやりと考えていた。


 朝は寝坊した。

 起きてすぐ飲んだ水はおいしかった。

 市場では欲しいものを次々見つけて、妙な名前のものまで作る気でいた。

 食器屋では、夫婦と間違えられた。

 その時、少しだけ胸がざわついた。

 理由はまだ分からない。


 そして、夜。


 あの肉だ。

 ハードボア。

 固くて臭くて、安いから仕方なく食べる肉が、あんな料理になるなんて思わなかった。



「本当に・・・何なのよ、あの人は」



 風呂がある。トイレがある。

 それだけで家としては異常だ。


 蛇口をひねるだけで水が出る。しかもおいしい。

 食事までおいしい。

 寝具の寝心地も最高だ。


 自分の生まれは裕福な家だ。

 だが、こんな暮らし、知ってしまったら戻れない。


 エマは自分の膝の上で、そっと手を組んだ。

 胸の奥が少しだけ落ち着かない。

 だが、それが不快かと問われれば、たぶん違う。



「・・・危険すぎるわ、この家」



 そう呟いてから、自分で少しだけ笑う。


 まだ始まったばかりなのに、もう色々と狂わされている気がした。

 けれどそれが、不思議と嫌ではない。


 窓の外には静かな夜が広がっている。


 新しい住処と、新しい生活。

 そして、意味の分からないくらい何でもできる男。


 エマは小さく息を吐き、立ち上がった。



「明日は、何をするつもりなのかしら・・・ふふっ」



 小さなつぶやきは、静かな部屋に溶けていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ