第23話 新居へ
給水の魔道具からは、ちゃんと水が出る。
台所も洗面も、便所も、ひとまず形になった。
屋根の上のタンクにも、井戸から水が送られている。
さて。
問題は一つだけだ。
「冷てぇ」
浴槽に手を突っ込み、俺は真顔で呟いた。
横で見ていたエマが、半眼になる。
「でしょうね」
「でしょうね、じゃないんだよ。ここまで来て水風呂は違うだろ」
「違うのは分かるけれど、そもそもあなた、そこまで作っておいて最後だけ抜けるのね・・・」
「むぅ・・・勢いだけでやり過ぎたな」
『肯定します』
(肯定するな)
しかし、問題は問題だ。
風呂というのは、湯であってこそ価値がある。少なくとも俺の中では絶対にそうだ。
(魔道具本体の改造は、まだ無理なんだよな?)
『現段階では推奨しません。構造解析は可能ですが、改造は不確定要素が多すぎます』
(だよなぁ・・・)
水を出す魔道具そのものに手を入れるのは、まだ早い。
万が一壊れたら目も当てられない。
だが、だからと言って諦める理由にはならない。
『代替案があります』
来た。
「うむ。言ってみろ、相棒」
『浴槽側で解決します。浴槽内に散布したナノマシンへ低周波振動を与え、液体内部に微細な攪拌を発生させます。摩擦熱により、設定温度まで上昇可能です』
「つまり?」
『浴槽そのものを加熱装置化します』
「なるほど」
魔道具は水を送るだけ。温めるのは浴槽側。
単純だ。単純だが、今の俺たちには十分すぎる。
「よし、それで行くか」
「ほんと、独り言が多い人ね。で、もう決めたの?」
「決めた。風呂は今日中に完成させる」
そう言って俺は立ち上がった。
エマは一瞬だけ口を開きかけたが、すぐに閉じた。
そして、ひどく静かな目で俺を見る。
「・・・もう好きにしなさい」
「おう」
『許可を確認』
(それは違うと思うぞ)
だが止める気もないらしい。
なら遠慮は不要だ。
浴槽の内壁に沿って、ナノマシンを薄く散布する。
見た目には何も変わらない。だが、内部では極小の制御層が形成されているらしい。
『温度上昇試験を開始します』
次の瞬間、張ったばかりの水面にごく細かな揺らぎが走った。
泡立つわけではない。煮立つわけでもない。
ただ、静かに、じわりと熱が上がっていく。
俺は手を入れたまま、その変化を確かめる。
「・・・おお」
『現在三十八度。最適な入浴温度まで、あと二度』
「いいな。かなりいい」
『保温層も同時形成中。湯温の維持、可能です』
「やるじゃねぇか」
『当然です』
浴槽からほのかに湯気が立つ。
そのまま手を入れていると、浴槽の縁から細かな振動が伝わってきた。温度が上がっただけじゃない。湯の当たりそのものが妙になめらかだ。
(おい、何か余計なことしてないか?)
『体感の快適性向上のため、水流制御機能を追加しました』
「何でだよ」
『不要でしたか?』
「・・・不要じゃないけどさぁ」
俺は笑い半分、呆れ半分で頭を掻いた。
エマはもう何も言わない。
ただ、少し離れたところで、諦めたように肩を落としている。
「その顔、何だよ」
「驚くのに疲れたのよ」
「それは、まぁ・・・悪かった」
「本当にそう思ってる?」
「少しは」
エマが小さく息を吐く。
その様子に、俺も少しだけ苦笑した。
さて。
風呂が完成したなら、次にやることは一つだ。
「さてと・・・それじゃ、住めるようにするぞ」
「まだ何かあるの?」
「ある。風呂に入りたいから、引っ越しまで終わらせる」
「そのために全部やるのね・・・」
「当然だろ」
そこからは一気だった。
収納の棚を作り、台所の動線を整える。
洗面台の高さを調整して、トイレに仕切りを作った。
ナノマシンのサポートは全開だ。
寝具を一気に仕上げ、各部屋に配置する。
ダイニングにテーブルと椅子を配置。
最低限暮らせるだけの家具を並べ、荷物の置き場を決める。
エマは最初のうちこそ後をついてきていたが、途中から完全に黙った。
たまに目を見開き、たまに眉をひそめるだけで、もう止めも呆れもしない。
そして日が少し傾いた頃。
「よし、宿に戻るぞ」
「本当に今日中に引っ越す気なのね」
「明日でもいいけど、今日風呂に入りたい」
「そこだけは一貫してるわね・・・」
俺たちは大きめの荷車を借り、宿へ戻った。
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荷造りを始めて、すぐに思った。
「・・・意外と増えたな」
「しばらくは宿暮らしのつもりだったのにね」
ベッド周りの小物、買い込んだ生活用品、雑多な道具、予備の布や食器類。
一つ一つは大したことがなくても、集まると結構な量だ。
荷車に積み上げていくと、みるみる山になる。
「アキラさん、本当に行っちゃうの?」
少し寂しそうな声で、ユリアちゃんが言った。
「ああ。でも街を出ていくわけじゃないぞ」
「それでも、毎日見れなくなるもん・・・」
「大袈裟だな」
「大袈裟じゃないもん」
頬を膨らませるユリアちゃんに、俺は笑った。
ふと、部屋の端に置かれた寝具に目が行く。俺が作った布団だ。何度か改良の手を入れたせいで、最初よりずっと寝心地が良くなっている。
「布団はそのまま残しておくぜ」
「えっ、本当!?」
「ああ。使えるだろ?」
「やったー!」
ぱぁっと顔が明るくなる。
子供ってのは分かりやすくていい。
横でエマが、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「優しいのね」
「別に大したことじゃない」
「そういうところがいいのよ、あなたは」
「何だそれ」
「別に」
結局、荷物は荷車を使ってもぎりぎりだった。
俺が前を引き、エマが後ろを支えながら、新居へ向かう。
月夜の猫亭。
宿を振り返ると、少しだけ名残惜しい気もした。
短い間だったが、ここはここで悪くなかった。
だが、それでも。
(今日からは、こっちだ)
新しい生活が始まる。
そう思うと、足取りは自然と軽くなった。
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荷物を運び込み終えた頃には、すっかり暗くなっていた。
「とりあえず、こっちがエマの部屋な」
「え、もう決めてあるの?」
「洗面に近い方がいいだろ。あと窓の位置も、こっちの方が朝の光が入りやすい」
「・・・気が利くのね」
「俺の部屋はこっち。作業するからちょっとスペースを貰った」
「部屋でも作業をするのね・・・」
エマは自分の部屋を見回し、軽く頷いた。
まだ荷物は置いただけだが、それでも宿の一室とは違う。ここから自分たちの暮らしが始まるのだと、空気が言っている。
「じゃ、先に俺が試してくる」
「試す?」
「風呂だよ。最終確認」
「・・・本当に好きね」
「大好きだ」
そこは即答だ。
浴室に入る。
服を脱ぎ、軽く体を流してから湯船に足を入れた。
「・・・あ゛あぁぁぁ」
ちょうどいい。
ぬるすぎず、熱すぎず、完璧に近い。
しかも湯温が一定で、当たりがやわらかい。体を沈めた瞬間、肩から力が抜けた。
「ふぅぅぅ・・・」
『快適性はどうですか』
「最高だ。最高なんだが・・・お前また何かやっただろ」
背中側から、ぐっと押すような水流が入る。
続いて、脚のあたりに細かな泡。ふくらはぎもゆっくり揉まれている感覚。
肩にも、腰にも、微妙に違う刺激が来る。
「待て待て待て・・・あふん」
『水流制御と微細気泡機能です』
「やり過ぎだ・・・おおふ」
『不要でしたか?』
「だから不要じゃないんだよ。そこが困るんだよ」
思わず笑いが漏れた。
風呂に入りたかっただけなのに、出来上がったのは、風呂の形をしたよく分からん高級設備だ。
『マッサージの出力を上げますか?』
「できるのか? なら頼む」
『了解。出力を上昇します』
「お、いいぞ・・・あっ」
だんだんと刺激が強くなる。
「ちょっ・・・まッ・・・!」
『最大出力をテストします』
「やめっ・・・! あっ・・・ア゛ッー!!」
湯気が満ちた浴室に、俺の声だけが虚しく響いた。
「・・・これ、他人には見せられねぇな」
『妥当な判断です』
「お貴族様に見られたら絶対に作れって言われる」
『面倒ですね』
「ああ、面倒だ」
しばらく浸かり、十分に満喫してから上がる。
服を着直し、廊下に出ると、エマがトイレから出てきたところだった。
「お、トイレの使い心地はどうよ? 説明を書いておいたから、使い方はわかっただろ?」
「ええ。使い方はわかったけど・・・快適すぎるわ。本当にどうなっているのよ・・・」
「そいつはよかった」
「そっちどうだったの?」
「正直、予想以上」
「そう」
「色々説明することもあるし、一緒に行こうぜ」
エマは少しだけ間を置いてから、頷いた。
「あくまで説明だけよ。一緒には入らないから」
「分かってるって」
二人で浴室に入る。
・・・当然、服は着たままだ。
エマは中を見回し、静かに目を細めた。
「凄いわね。貴族の邸宅以上よ・・・」
磨かれた壁、無駄なく整えられた洗い場、湯気の立つ浴槽。
見慣れないものばかりだろう。
「まず、湯に入る前にこっちで体を流す」
そう言って、俺は壁際の器具を示した。
「体を流す?」
「これがシャワー」
「シャワー・・・?」
「この栓をひねると、上からお湯が落ちてくる」
実際に軽くひねる。
次の瞬間、上から細かな湯が一気に降った。
エマがびくっと肩を震わせる。
「上から・・・?」
「慣れれば便利だぞ。で、流した後にこっちの湯船に入る。温度は維持される。熱すぎたらこっちで落とせる」
「・・・本当に妙なものばかりね」
「使えば分かる」
俺は一通り示してから、扉の方へ向かった。
「それじゃ、後はごゆっくり」
「え、ええ・・・」
「困ったら呼べ」
そう言って外へ出る。
一人になって、エマはしばらくその場に立ち尽くしていた。
静かな浴室に、薄く立ちこめる湯気。
見たこともない設備の数々。
そして、清潔すぎる空間。
「本当に、何なのよ・・・」
誰に向けるでもなく、そう漏らす。
やがて意を決し、脱衣所で服を脱ぐ。
そして、浴室に入るとシャワーの前に立ち、先ほど見せられた器具へ恐る恐る手を伸ばした。
栓をひねる。
「ひゃっ・・・!」
温かな湯が頭上から降り注ぎ、思わず肩をすくめる。
だが、すぐに驚きは別の感覚へ変わった。
体を流せる。
手間なく、まんべんなく。
しかも湯だ。
エマはそっと目を細めた。
「シャワーって言ったかしら・・・」
湯を浴びながら、小さく呟く。
「・・・いいわね、これ」
十分に体を流してから、今度は湯船へ向かう。
足先で確かめる。
ちょうどいい。
そのまま、ゆっくりと身を沈めていく。
腰まで。
胸まで。
肩まで。
「はぁ~~~~っ・・・」
息が漏れた。
温かくて、柔らかい。
包まれるようで、重くない。
全身の力が、するりと抜けていく。
「なに・・・これ・・・」
その時、背中にふわりと水流が当たった。
肩のあたりをほぐすような圧が来て、次いで脚の方に細かな泡が触れる。
「あっ・・・」
エマは目を見開いた。
「ん・・・ちょ、ちょっと・・・待って・・・」
待つも何もない。
気持ちいい。
「あふんっ・・・」
悔しいが、気持ちいい。
「やっ・・・あっ・・・はぁん・・・」
張っていた神経が、少しずつほどけていく。
知らず、長い息が零れた。
「反則じゃない・・・」
ぽつりと漏れたその声は、湯気の中に溶けて消えた。
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風呂上がりのエマは、どこか呆然としていた。
「どうだった?」
「・・・認めるわ」
「お」
「シャワーって言ったかしら。あれ、かなりいいわ。湯に入る前に体を流せるのは合理的だもの。それに、髪を洗うのにもちょうどいいわ」
「だろ?」
(あ、でも、シャンプーやリンスも必要だな)
「でも、一番おかしいのはあの湯船よ」
真顔でそう言われ、俺は吹き出した。
「おかしいって何だよ」
「意味が分からないのよ。気持ちよすぎて」
「それは褒めてるんだよな?」
「ええ、悔しいけれど」
その言い方が妙にエマらしくて、俺は少し嬉しくなった。
夕食は、買っておいたものを適当に並べただけだった。
パン。
干し肉。
チーズ。
簡単な惣菜。
温め直しただけのスープ。
「今日はこれで勘弁な」
「十分よ。引っ越し初日だもの」
風呂上がりだからだろうか。
簡単な食事なのに、妙にうまい。
エマも文句は言わず、静かに食べている。
むしろどこか機嫌がいい。
「何だよ、その顔」
「別に」
「絶対別にじゃないだろ」
「・・・少しだけ、満足しているのよ」
そう言ってスープを口に運ぶ。
その横顔を見ながら、俺はひとつ頷いた。
(次は飯だな)
『肯定します。調味料と保存手段の整備を推奨します』
(分かってる。次はそこだ)
住む場所は整ったし、風呂も寝床もある。
なら次にやるべきことは、決まっている。
自室に戻ったエマは、部屋の中を見回した。
まだ荷物は完全には片付いていない。
だが、必要なものはもう揃っている。
静かで、清潔で、自分のための空間だと分かる部屋。
そして、その中央に置かれたベッドへ視線が落ちる。
「まさか・・・ね」
半ば諦めたように呟き、腰を下ろした瞬間。
「・・・え?」
沈みすぎない。
柔らかすぎない。
だが、体を受け止める感触が絶妙だった。
おそるおそる横になる。
途端に分かる。
宿の・・・いや、一般的な寝具とは別物だ。
「お風呂だけじゃなかったのね・・・」
天井を見上げ、エマは小さく息を吐いた。
今日だけで、いくつ常識を壊されたか分からない。
新しい住処。
新しい生活。
そして、意味の分からない男。
「本当に、何者なのよ・・・」
そう零した声は、夜の静けさに溶けていった。
その頃、隣の部屋で俺は寝台に倒れ込みながら、ひとつだけ明確に決めていた。
「次は、ちゃんと飯を作るか」
『期待しています』
「お前がかよ」
苦笑しつつ目を閉じる。
風呂があって、寝床がある。
なら、次は食だ。
そう思いながら、俺は新居での最初の眠りに落ちていった。




