第16話 ヴェルクハーフェンの市
翌朝。
月夜の猫亭の食堂で、パンと薄いスープ、それから焼いたソーセージを腹に収めた俺は、食後の茶を飲みながら窓の外を眺めていた。
朝のヴェルクハーフェンは、夜よりも少しだけ乾いて見える。
運河の水面が光を弾き、石造りの建物の壁面が柔らかく明るい。
行き交う人の数も多い。
商人、荷運び人、職人、冒険者。
昨日ギルドまで歩いた時も思ったが、この街は最初から全部が揃っている感じがする。
田舎町が少しずつ積み上がって大きくなった、っていうより、最初から都市として設計されて発展してきたような密度だ。
「何を見てるの?」
向かいの席からエマが聞いてくる。
「街」
「見れば分かるわよ」
「いや、そうじゃなくてだな」
茶を置く。
「昨日依頼を一件やって、改めて思ったんだ。この街、思ったよりいいよなって」
「曖昧ね」
「なんて言うかさ、依頼の回りも早いし、買い取りもきっちりしてるし、近郊農地まで管理が行き届いてる。住むにしても仕事するにしても、悪くない」
「・・・そうね」
エマも茶を一口飲み、窓の外へ視線を向けた。
「私も、昨日のギルドの処理は嫌いじゃなかったわ。少なくとも、話が早いのは助かる」
やっぱりエマもそう思ってたらしい。
なら今日は──
「街でも見て回るか」
俺がそう言うと、エマは僅かに眉を上げた。
「観光?」
「情報収集」
「便利な言い換えね」
「食材、工房、魔道具、店の相場。知っておいて損はないだろ」
「・・・それなら否定はしないわ」
よし。
許可が出た。
俺たちは軽く身支度を整えると、宿を出た。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
まず向かったのは市場通りだった。
昨日は依頼の行き帰りでざっと横目に見ただけだったが、こうして足を止めて歩いてみると、情報量が全然違う。
肉屋、魚屋、八百屋が元気よく声を上げている。
乾物、香草、茶葉の店もある。
酒は・・・樽からの量り売りか。
他にも油、布、よくわからない雑貨。
通りの左右に店と露店が詰まり、人の声と匂いが絶え間なくぶつかってくる。
いいな。
この雑多さ、嫌いじゃない。
「おお・・・」
「何、その顔」
「いや、ちょっとテンション上がるだろ。こういう市場」
「分かりやすいわね」
エマは少し呆れたように言うが、否定はしない。
というか、こいつも完全に興味がないわけではない。
さっきから布屋や茶葉の店を横目で結構見ている。
俺は一軒の香辛料屋の前で足を止めた。
木皿に山盛りにされた乾燥果実。
砕いた種子。
細かい葉。
樹皮片みたいなもの。
色は綺麗だが、扱いは結構雑だ。
全部まとめて袋に詰めれば香りが移るだろ、これ。
『加工精度も低いと判断します』
(やっぱそう思う?)
『肯定します。これはただ乾燥させるのではなく、発酵後に乾燥した方が香気成分の残存率が高まります』
(いきなり専門家の顔を出すな)
『こちらは一度茹でてから干すべきです。苦味の処理が不十分です』
(うん)
『これは炒らないと香りが出ません』
(お前、異世界市場で食品加工コンサル始める気か?)
『事実の指摘です』
はいはい。
「何をじっと見てるの?」
エマが隣で首を傾げる。
「香辛料の処理が雑──」
“らしい”という言葉はぎりぎりで飲み込んだ。
「・・・そういうものなの?」
「ものによるけどな。乾かし方ひとつで香りも苦味も全然変わる。発酵させた方がいいやつもあるし、茹でてから干す方がいいやつもあるし、炒らないと話にならないやつもある」
俺がそう言うと、エマは少し驚いたように目を瞬かせた。
「そんなに違うの?」
「かなり違う」
「・・・へぇ」
反応はそれだけだったが、ちゃんと聞いてはいるようだ。
まあ、今の段階でここに食いつかれても困る。
それは後でまとめて驚かせればいい。
香辛料屋を離れ、次は乾物と繊維素材を扱う店を見る。
麻布、羽毛、羊毛のような物。
それに、よくわからない乾燥植物。
少し変わった素材もあった。
半透明の綿毛みたいなものが詰まった袋。
薄青い苔を板状に乾燥させたもの。
蜘蛛の糸より太いのに、妙に軽い銀白の繊維束。
『麻布のような物は、繊維を細かくすることで手触りをシルクに近づけることができると推測されます』
「ほうほう。」
さすが。同じように見えても世界が違うと素材の性質も全く変わるらしい。
「これは何だ?」
俺が指差すと、店主の老婆が答えた。
「月綿草の綿毛だよ。詰め物に混ぜると軽くて暖かい」
なるほど。
名前からしてファンタジーだな。
「じゃあこっちは?」
「夜露苔。湿気を吸ってくれる。寝床の下に敷くと蒸れにくい」
おお。
それはいい。
「で、それは?」
「雲糸虫の繭をほどいたもんだよ。高いけど、保温だけなら一級品さね」
なるほどなるほど。
こっちは完全に異世界の素材だ。
俺は少し考え、頭の中で組み合わせを組み立てていく。
表地は麻布。
AIの言う通り、繊維は細かくする。
中綿に羊毛と月綿草。
蒸れ対策に夜露苔。
補助で雲糸。
・・・いけるか?
『実現可能性は高いと判断します』
(だよな)
「買うの?」
エマが聞く。
「候補だな」
「何の?」
「後で」
「またそれ」
エマは少しだけ呆れたように言い、それ以上は追及しなかった。
助かる。
俺は必要量をざっと見積もり、店主にいくつか取り置きと値段の確認だけして、その場を離れた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
市場を抜けると、次は工房街だった。
ここはまた空気が違う。
金属を叩く音。
木材を削る音。
油と煤の匂い。
革の匂い。
熱気。
人の怒鳴り声。
完全に職人の街だ。
「うわ、いいなここ・・・」
「本当に分かりやすいわね」
「だって見ろよ。鍛冶、木工、革、ガラス、布。クラフト好きには天国だぜ」
「あなた、こういう場所だと目が生き生きするわね」
「褒め言葉として受け取っておく」
工房の軒先には工具や半製品が並び、荷台には加工途中の木材や鉄材が積まれている。
見るだけで、何が作れるか頭の中で勝手に組み上がっていく。
ここはヤバい。
時間も金も溶ける。
「何をそんなに見てるの?」
「素材の流れ」
「また曖昧なことを」
「いや、ほら。この街、買うだけじゃなくて作る側の店も多いだろ。加工精度も悪くない。素材も集まる。ってことは、思いついた物を形にしやすい」
「・・・その発想になるのね」
「なるだろ」
「普通はならないのよ」
そういうものかね。
だが、俺の中ではかなり大事な情報だ。
市場で素材が手に入る。
工房街で加工部材も揃う。
つまり、やれることの幅が一気に広がる。
宿暮らしの現状でも、細かい改善くらいならいけるかもしれない。
そんな事を考えながら歩いていると、通りの先に見慣れない看板が見えた。
魔石と、複雑な幾何学模様を組み合わせた印。
魔道具店だ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
店に入った瞬間、空気が変わった。
いや、正確には俺の中の空気が変わった。
棚に並ぶのは、見た目だけでは用途の分からない品ばかりだ。
金属枠に魔石がはまった箱や、刻印入りの板。
筒状の器具に、持ち手のついた平板。
どれもこれも、いかにも“機能”を内蔵している顔をしている。
たまらん。
『解析価値が高いと判断します。すべて手に入れるべきです』
(食いつきすぎだろ)
『この街の魔道具技術水準は想定以上です』
(だろうな)
店主らしき中年男がこちらを見る。
「見ていくかい? 冷却、送風、加熱、給水、照明。日用品から護身用まで一通りあるぞ」
日用品、ね。
俺は一番分かりやすそうな品の値札を見た。
携帯型魔導コンロ。
一万ガルド。
日本円換算で約百五十万円なり。
「高っ!?」
思わず声が出た。
エマが小さく肩を竦める。
「だから、一般人が気軽に買うものじゃないのよ」
「いや、これは気軽じゃ済まないだろ・・・」
次。
送風機、二万ガルド。
風が出るだけだぞ!?
給水器、三万三千ガルド。
これは必要になるかもな。
壁設置型暖房器具、十万ガルド。
桁がおかしい。
「ルフォレスフューテにあった暖房器具、あれ十万ガルドもするのかよ・・・」
「設置型で、大きい物だったもの。もっとすると思うわ」
「世界が違うな・・・」
魔法文明の便利道具、という響きに夢はある。
だが、庶民がポンと買える値段じゃない。
この世界で生活革命が起きていない理由、ちょっと分かったかもしれない。
俺は商品のひとつを手に取り、裏側を見る。
外装の奥、薄い蓋の向こうに、刻まれた魔法陣と魔石が見えた。
『中核はそこです』
(だろうな)
『完成品そのものより、内部構造に価値があります』
(お前が欲しいの、家電じゃなくて基板か)
『近似します。魔力制御のメイン基板は、魔法陣と魔石の接続部にあると推定します』
なるほど。
この世界の魔道具は、電気基板の代わりに術式基板で動いてるようなもんか。
面白い。
すごく面白い。
だが、買うには高すぎる。
「・・・また変な目をしてるわよ」
「しょうがないだろ。構造が気になる」
「買うの?」
「いや、さすがに今は無理だ」
無理だが、作れないとは言っていない。
店を出たところで、俺は思わず口にした。
「本屋でも見てみるか?」
資料が欲しい。
魔道具の術式、こっちの加工法、素材の扱い。
断片でもいいから見たい。
すると、AIが即答した。
『直接行く必要はありません。ナノマシンの派遣許可を』
「・・・サイテーだな」
『立ち読みと変わりません』
「全然変わるわ」
『情報取得効率は向上します』
「情緒が死んでる」
「・・・何をぶつぶつ言ってるの?」
エマが怪訝そうにこちらを見る。
「いや、こっちの話」
「ろくでもない事を考えてる顔にしか見えないわよ」
「否定はしない」
実際、ろくでもない。
だが、AIの提案を完全に否定もできないあたり、自分でもどうかと思う。
結局、本屋にはいかなかった。
だが、そのうちそこにある知識はインストールされるのだろう。
魔道具店を出ると、それなりにいい時間だった。
俺は、さっきの店に戻って寝具用の素材をまとめて買うことにした。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
宿へ戻る頃には、両手が少し塞がる程度には荷物が増えていた。
麻布のような物。
羊毛のような物。
柔らかい羽根。
月綿草の綿毛。
夜露苔。
少量の雲糸。
などなど。
ついでに香辛料も少し。加工前のものも発見し、買うことができた。
二階へ上がり、廊下を歩く。
「じゃ、私は戻るわよ」
「ああ」
エマが自分の部屋の扉に手をかけ、そこでふと振り返った。
「・・・荷物、随分増えたわね」
「まあな」
「何に使うの?」
俺は抱えていた麻布の束を少し持ち上げ、口元を緩めた。
「ふっふっふ、ちょっとした実験だ」
エマが露骨に嫌そうな顔をした。
「その言い方、嫌な予感しかしないのだけれど」
「失礼だな。たぶん大丈夫だ」
「たぶん、って何よ・・・」
呆れたようにため息をつき、エマは扉を開けた。
「宿に迷惑をかけないでよ」
「今のところはその予定だ」
「今のところ、ね」
最後にじとっとした視線だけ残して、エマは部屋へ入っていく。
扉が閉まるのを見届けてから、俺も自分の部屋に入った。
中はやはり広くはない。
「・・・やっぱり、宿暮らしって長くなると微妙だな」
思わず本音が漏れた。
寝るだけなら問題ない。
いや、寝具にも問題はあるか。
だが、何かを作ろうとした瞬間に一気に狭くなる。
俺は買ってきた素材をベッドの上に順に並べた。
麻布のような物を広げ、指で厚みを確かめる。
『分子構造を解析。元の特性は麻に近いですが、まとまった繊維を細かくすることでシルクに近い手触りに。さらに、羊毛のようなものと組み合わせて加工することにより、シルクを越える滑らかさにすることが可能と推測されます』
うん、悪くない。
羊毛のようなものは、どうやらモンスター由来の素材らしい。
ナノマシンによる加工で布地を仕上げ、月綿草の綿毛と柔らかい羽根を詰め込んで掛布団に仕立てる。
夜露苔は乾燥しているのに、確かに少しだけひんやりしている。
面白い素材だ。
敷布団の方に使いたい。
『未知の素材、扱うのが楽しみです』
(お前は毎回気軽に言うよな)
『すべての材料の解析が完了。条件はおおむね満たしています』
ならやるか。
ベッドを見下ろす。
薄い詰め物、反発も弱い。
寝れないわけじゃないが、快適とは言い難い。
改善の余地は大きい。
しかも、素材は手に入った。
やるしかない。
作りながら今日見た街のことを考える。
工房街も近い。
魔道具の構造にもヒントがある。
食材も香辛料も面白い。
本は・・・まぁ、そのうちAIが情報を取得するだろう。
・・・いいな、この街。
やっぱり面白い。
俺は麻布を持ち上げ、羊毛の量をざっと見積もった。
「さて」
素材の山を前に、袖を捲る。
「実験開始といくか」
◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥
お知らせ
◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥
本編をお読みいただきありがとうございます。
本作の詳しい世界観やキャラクター紹介をまとめた設定集を作成しました。
興味のある方は、以下のリンクからご覧ください。
幻想科学のプロローグ【設定資料館】
https://nishiki-jgg.github.io/gensou-kagaku-prologue/
※外部サイト(github)です。
※画像は生成AIを使用しております。不快感を覚える方は閲覧を避けてください。




