第15話 小さな依頼、小さな違い
北門を抜けると、街の空気が少しだけ変わった。
石造りの建物が並ぶ都市の匂いが薄れ、代わりに湿った土と草の匂いが強くなる。だが、完全な田舎という感じでもない。街道はちゃんと整えられているし、脇を流れる水路も石で固められている。都市の外縁まで、きっちり人の手が入っているのが分かる。
なるほど。
これが交易都市の近郊農地か。
ルフォレスフューテの森の中とも、ペドラメの海沿いとも違う。
生活のために管理された土地、って感じが強い。
「どう?」
横を歩くエマが、ちらりとこっちを見る。
「こういうのもいいね。街のすぐ外に畑があって、水路があって、その先に葡萄棚が見えてるの、いかにも異世界の都市近郊って感じで」
「異世界って・・・たしかにルフォレスフューテとはまるで違う景色だけど、大袈裟ね」
「悪いか?」
「別に。あなたが変わってるのは今に始まったことじゃないもの」
言い方は淡々としているが、否定ではない。
俺は依頼票を軽く見直した。
北門外、葡萄畑を荒らす《ホーンラビット》三体の討伐。
報酬、四百二十ガルド。
討伐証明部位は角。
素材は毛皮も納品対象、魔石が出れば別途。
まぁまぁ良いのではないだろうか。
うん。
というか、都市部の近郊依頼にしては結構いい。
地方の小仕事より、明らかに金の匂いがする。
「依頼主、ビークルさんだっけ」
「ええ。農園主の名前はそう書いてあったわね」
「葡萄畑か。ワイン用かな」
「この辺りはそういう農園も多いらしいわ。だから被害が続くと面倒なのよ」
エマは前を見たまま言う。
「木も棚も傷むし、実も食われる。街に近いから依頼の回りも早いんでしょうね」
「なるほど。農作物って意味じゃなく、商品そのものだもんな」
「そういうこと」
しばらく歩くと、木柵に囲まれた農園が見えてきた。
広い。
思っていたよりずっと広い。
整然と並ぶ葡萄畑が、低い石壁で囲われている。
水路から引かれた細い用水が流れ、遠くには作業小屋と、納屋らしき建物が見える。
だが、その一角だけは空気が違った。
柵が抉れ、畑が荒らされている。
棚の一部が傾いている。
そして、納屋の木板には、明らかに何かが突き破った穴が空いていた。
「おお、来てくれたか!」
畑の奥から、大柄な男が手を振ってくる。
日焼けした肌に、太い腕。いかにも農園主って感じの男だ。
「冒険者ギルドから来ました。依頼の確認をお願いします」
エマが一歩前に出て、手慣れた調子で依頼票を見せる。
「おう、助かる。オレがビークルだ。朝方は見えなかったが、どうもまだこの辺りをうろついてやがる。とりあえず見てくれ」
案内されて被害のある場所へ行く。
近くで見ると、思っていた以上だった。
木柵は内側からではなく、外から強引に破られたように裂けている。
葡萄棚の支柱は根元から倒され、巻き付いた蔓が千切れていた。
納屋の扉にも、丸く深い穴が穿たれている。
俺はしゃがみ込み、その穴の縁を指でなぞった。
えぐれてる。
割れたというより、叩き込まれた感じだ。
『木材の破断面を解析。外部より高速度の尖端物体が衝突した痕跡と推定』
(だよな)
「で、ホーンラビットってどれくらいのサイズなんです?」
俺が何気なくそう聞くと、エマとビークルさんは一瞬きょとんとした。
「見たことねぇのか?」
「名前だけなら」
「なら、見りゃ分かる」
その答えに少しだけ嫌な予感がした。
俺は周囲の足跡を見た。
土に深く残る爪痕。
いや、これ、思ってたよりだいぶデカくないか?
「・・・・・・思ったよりも大きいな。ウサギじゃなかったのかよ・・・」
ぽつりと漏れた俺の言葉に、エマがじとっとした目を向けてきた。
「どんなサイズを想像してたのよ」
「これくらい」
両手で三十センチくらいの幅を作る。
するとエマは、呆れたように額に手を当てた。
「あなたねぇ、そんな小さな動物、農場の人が駆除できるわよ」
「そ、それもそうか」
自分で言っておいて、たしかにその通りだった。
その時だった。
葡萄棚の向こうで、何かが動いた。
ばさり、と葉が揺れる。
次の瞬間、ぬっと姿を現したそれを見て、俺は思わず声を失った。
デカい。
いや、デカいってレベルじゃない。
角を含めない体長だけで一・五メートルはありそうだ。全体の輪郭は確かに兎っぽい。だが、可愛げなんて欠片もない。筋肉の詰まった胴体。異様に太い後脚。そして額から前方へ突き出た、鈍い色の角。
あれだけで五十センチはある。
なるほど。
名前のせいで脳が騙されるだけで、分類としては完全にモンスターだ。
「うわ、デカっ」
「だから言ったでしょう」
エマはさらりと言いながらも、もう杖を抜いている。
その瞬間、ホーンラビットが地面を蹴った。
速い。
咄嗟に避ける。
白茶の塊みたいな巨体が、一瞬で納屋の横を抜け、斜め前の木板に角を叩き込む。
バギッ!!
鈍い破砕音。
厚みのある板が、冗談みたいに砕け散った。
「おいおいおい、あれ食らったら洒落にならねぇぞ」
『肯定します。突進速度および角の質量から推定。人体への致命傷率は極めて高い』
そりゃそうだ。
俺が想像していた角付きウサギは、ここにはいなかった。
いたのは、角を槍みたいに使う重突撃型の魔獣だ。
だが──
ちょっとテンションは上がる。
異世界のモンスター、いい。
怖いけど、いい。
「アキラ」
エマの声で、思考が引き戻される。
「数、おかしくない?」
「・・・・・・ん?」
俺も周囲を見回した。
足跡をAIが赤く浮き上がらせる。
そして、散布したナノマシンが拾っている周辺反応。
『周辺の痕跡と反応を統合。依頼書記載の三体ではなく、計五体存在する可能性が高いと推定』
(やっぱりか)
「五体だな」
「やっぱり」
エマが短く息を吐く。
「依頼は三体だったけど、実際は五体。残り二体は少し離れてる」
「畑の被害が妙に広いと思ったのよね」
「ビークルさん」
俺は農園主に向き直った。
「三体じゃない。五体います」
「なっ・・・・・・五体!?」
「たぶん見落としです。畑の奥の林の中にもいる。まとめて片付けます」
そう言うと、ビークルさんは青ざめた顔で頷いた。
「頼む! 全部やってくれ!」
「了解」
返事と同時に、俺は腰の剣に手をかけた。
「エマ、手前三体を先に出させる。残り二体は俺が見る」
「畑を荒らしすぎないで」
「善処する」
「今のは信用できないわね」
「ひどいな」
『アキラの過去実績より、エマの懸念は妥当です』
(お前はどっちの味方なんだよ)
『アキラの生存を最優先とします』
はいはい、いつものやつね。
俺は前に出た。
ホーンラビットの一体がこちらに気づき、耳をぴくりと立てる。
次の瞬間、後脚が沈んだ。
来る。
「右!」
エマの風が横から走る。
ホーンラビットの軌道がほんの僅かにぶれた。
その隙で十分だった。
俺は半歩ずらして突進を外し、すれ違いざまに首筋へ剣を滑り込ませる。
浅い。
だが、動きは止まった。
「硬っ」
『筋肉密度高。表皮の下に高密度繊維層を確認。斬撃は関節部および頸部が有効』
了解。
なら次は迷わない。
二体目が突っ込んでくる。
三体目は少し遅れて斜めから回り込む気だ。
頭の中で軌道を組み立てる。
同時に、足元に散らしたナノマシンが地面の振動を拾う。
来た。
俺は一体目の死角へ滑り込み、その身体を盾代わりにして二体目の角をいなす。
ドゴッ!!
角が仲間の脇腹に突き刺さり、巨体がもつれる。
「よし」
「何がよしよ」
「自滅してくれた」
エマの魔法陣が薄く光る。
細い風刃ではなく、圧縮した風の塊だ。派手さはないが、前脚のバランスを崩すには十分。
三体目が体勢を崩したところへ、俺は剣を振り下ろした。
骨を断つ感触。
重い手応え。
そのまま一気に押し切る。
倒れた。
だが終わりじゃない。
『残存反応二。左後方、葡萄棚の奥』
「まだいる!」
木の陰から二つの影が飛び出す。
最初の三体より少し小さい。だが、十分危険だ。
「エマ!」
「分かってる!」
今度はエマが前に出た。
「《ウィンドバインド》」
低い詠唱。
葡萄棚の横を抜ける風が、一体の脚に絡みつくように流れを変える。
完全拘束じゃない。
ただ、踏み込みを僅かに狂わせる。
その僅かが、命取りになる。
「もらった」
俺は跳び込み、角の根元を叩いた。
鈍い音。
折れはしない。
だが、頭が揺れた。
十分だ。
返す刀で頸部へ二撃。
最後は後ろから来た一体の突進を横に流し、露出した脇へ突きをねじ込む。
五体目が崩れ落ちた時、ようやく畑に静けさが戻った。
荒い息を吐く。
うん。
危なかったが、何とかなった。
こんなもんだろう。
「終わったか」
「ええ。たぶん全部」
『周辺反応消失。追加個体の可能性低』
俺は剣を軽く払って血を落とした。
「五体か。依頼の三体って、だいぶ誤差あるな」
「現場なんてそんなものよ。依頼票の数字を盲信すると死ぬわ」
「勉強になります、先輩」
「今さら過ぎるのよ」
エマは呆れたように言いながらも、少しだけ口元が緩んでいた。
さて。
戦闘は終わった。
ここからが仕事だ。
「素材、持って帰るか」
「もちろん。肉も毛皮も、これだけ綺麗なら高く売れるわ」
「だよな」
俺は一番近くの個体にしゃがみ込んだ。
討伐証明部位は角。
まずはこれだ。
剣の刃を角の付け根へ当て、力を流す。
最小限の動きで、切る。
スパッ。
乾いた感触と共に、角が綺麗に外れた。
「・・・・・・切れ味どうなっているのよ・・・」
背後でエマが呆れた声を出す。
「企業秘密」
「便利な言葉ね、それ」
「便利だからな」
もう一本。
もう一本。
五体分の角を手早く切り出していく。
もちろん、ただの力任せじゃない。
付け根の構造を見て、負荷が一番少ないラインに刃を通しているだけだ。
まあ、それを説明したところで、普通は納得されないだろうが。
「角は回収完了。次は運搬か」
「五体分となると、そのままじゃ無理ね」
たしかにだ。
このサイズの獣を、角だけじゃなく肉も毛皮もできるだけ綺麗な状態で持ち帰るとなると、さすがに手では厳しい。
俺は周囲を見回した。
壊れた柵。
納屋の横に積まれた古板。
そして、片輪の壊れた小型荷車。
なるほど。
修理すれば使えそうだ。
「ちょっと待ってろ」
「何する気?」
「運搬手段の確保」
俺は納屋の横へ歩き、壊れた荷車の残骸を調べた。
軸は死んでるが、車輪そのものはまだ使える。
木材も足りる。
固定具は、現地の縄と金具で何とかなるな。
『即席運搬具の作成を提案。必要加工時間、約四分三十秒』
(助かる)
ナノマシンを手元に集める。
表向きは手作業だ。
だが、内部では寸法の微調整と応力計算を一気に回している。
板を切る。
穴を通す。
軸を整える。
組む。
俺が黙々と作業を進めていると、背後からエマの視線を感じた。
「あなたのそれ、本当に便利ね」
「ん? 知りたいのか、秘密」
「別に・・・そんなんじゃないわよ。感心していただけ」
はいはい。
その言い方は大体気になってるやつだ。
だが、そこをわざわざ突っ込むほど俺も野暮じゃない。
「完成」
即席荷車は、見た目こそ雑だが、五体分の運搬には十分な強度がある。
エマが少しだけ目を細めた。
「・・・やっぱり、便利すぎるわね」
「褒め言葉として受け取っておく」
五体のホーンラビットを順に積む。
毛皮を傷めないように向きを整え、角は別にまとめる。
血が広がりすぎないよう、簡単に布も敷いた。
よし。
完璧ではないが、十分だ。
ちょうどその頃、ビークルさんが恐る恐るこちらに戻ってきた。
「終わった、のか・・・・・・?」
「五体とも討伐完了です」
俺がそう言って角を見せると、ビークルさんは目を見開いた。
「ご、五本・・・・・・本当に五体いたのかよ」
「畑の奥に二体隠れてました。たぶん被害が長引いてた原因はそっちですね」
「そりゃ止まらねぇわけだ・・・」
ビークルさんは心底ほっとしたように肩を落とした。
「助かった。ほんとに助かったよ」
エマが依頼票を差し出す。
「確認をお願いします。討伐数は実際には五体でしたが、依頼内容はこれで完了扱いで問題ありませんか?」
「ああ、もちろんだ。三体って見誤ってたのはこっちだ。全部やってくれて助かった」
依頼票にサインが入る。
それからビークルさんは、俺が組んだ荷車を見て、少しだけ笑った。
「それ、納屋の横の廃材使っただろ」
「勝手に借りました。あとで話を通そうと思ってました」
「いいよいいよ。むしろ持ってってくれ。壊れた板も、あの荷車の残骸も、どうせ捨てる予定だった」
「いいんですか?」
「数を見誤ってた埋め合わせだ。五体も片付けてもらったんだ、そっちの方が助かる」
なるほど。
そういう融通の利かせ方か。
「じゃあ、ありがたく」
「ああ。肉も毛皮も綺麗だ。街で売ればそれなりになるだろ」
「ええ、そのつもりです」
エマが軽く会釈する。
仕事は完了。
依頼票にもサイン済み。
ついでに廃材で作った荷車も入手。
これで、五体分の素材が丸ごと運べる。
うん。
かなりいい感じだ。
俺たちは荷車を引いて街へ戻った。
帰り道、さすがに通りすがりの人間はちらちらこっちを見る。
そりゃそうだ。
巨大な角付き兎を五体も積んだ即席荷車なんて、目立つに決まっている。
「ちょっとした凱旋だな」
「目立ちたがりみたいに言わないでちょうだい」
「事実だろ」
「不本意よ」
そう言いつつも、エマの声は少しだけ軽い。
ギルドへ戻ると、受付嬢が目を丸くした。
「・・・あら」
「依頼完了です」
依頼票と角を差し出す。
さらに荷車の方を軽く示す。
「実際は五体いました。追加二体分は素材買取で計上できると助かります」
受付嬢は依頼票と角を確認し、それから荷車の方へ目をやった。
「依頼は三体でしたが・・・なるほど、現地確認のサインもございますね。承知しました。追加個体分は討伐素材として買取処理いたします」
「助かります」
やっぱり都市部のギルドは話が早い。
こういう処理がちゃんとしてるの、かなりありがたい。
待っている間、俺は掲示板の近くに荷車を寄せた。
廃材の一部も一緒に括ってあるのを見て、エマが小さくため息をつく。
「本当に持って帰るのね」
「使える物は拾う主義でな」
「ええ、知ってるわ」
その返しに少しだけ笑う。
受付で計算が終わり、革袋が差し出された。
「基本報酬四百二十ガルドに、素材買取分を加算して、こちらになります」
革袋の重みを手のひらで測る。
悪くない。
かなり悪くないぞ。
むしろ、すごくいい。
「アキラ・・・」
「なんだ?」
「顔が気持ち悪い」
んなッ!?
「ニヤニヤしすぎよ」
『表情筋の制御を推奨』
(黙れ)
とりあえず、頬を叩いて落ち着かせる。
「ふぅっ・・・まぁ、なんだ。都市部ってすごいな」
「何が?」
「依頼も早いし、素材の回転もいいし、金になる」
「だから皆、街に集まるのよ」
それはそうだ。
ギルドを出る頃には、陽は少し傾き始めていた。
石畳の道には行き交う人々。
運河の水音に交じって、遠くから鍛冶の音が聞こえる。
少し遅い昼と、少し早い夕方が混ざったみたいな時間。
俺は手にした革袋を軽く揺らした。
依頼達成。
素材回収。
追加個体も処理。
エマとの連携も問題なし。
そして何より、この街の仕事の回り方が少し分かった。
「・・・・・・思ったより、この街でやれそうだな」
口に出すと、エマが横で小さく笑った。
「今さら?」
「いや、実感として」
「そう」
一拍置いて、彼女は前を向いたまま言う。
「私も、そう思うわ」
その言葉が、夕方の街の音の中で妙に素直に聞こえた。
ヴェルクハーフェン。
まだ来たばかりの街だ。
知らないことも、分からないことも多い。
でも。
ここなら、たぶん面白くなる。
そんな気がした。




