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第14話 月夜の猫亭の朝

 

 硬い。


 目が覚めて最初に思ったのは、それだった。


 背中が妙に痛い。

 寝返りを打つたびに、薄い敷布の向こうから板の存在感が主張してくる。



「・・・・・・うーん」



 薄く目を開ける。


 見知らぬ天井。

 木の梁と白く塗られた壁。窓の隙間から差し込む朝の光。


 ああ、そうか。


 ヴェルクハーフェン。

 月夜の猫亭。

 昨日、この街に着いたばかりだった。



『睡眠状態を解析しました』



 頭の奥で、AIが平然と言う。



『睡眠時間そのものは確保されていますが、身体への負荷はやや高めです。寝具の弾性不足と体圧分散性能の低さが主因と推定されます』


「つまり寝心地が悪い、と」


『はい。率直に言えば』



 率直すぎる。


 まあ、だが同感だ。


 悪い宿ではない。部屋も清潔だし、立地もいい。

 ただ――長く泊まるには、ちょっと辛い気がする。



「・・・改善したいな」


『同意します』


「まずは枕と敷布だな。できればマットも欲しい」


『現地素材でクラフト可能です。素材候補を後ほど提示します』



 よし。

 朝一番でやる話じゃないが、やる気は湧いてきた。


 暮らしが不便なら、改善すればいい。

 それが俺たちのやり方だ。


 顔を洗って身支度を整え、部屋を出る。

 エマとは朝、食堂で合流する約束をしている。急ごう。



 階段を降りると、一階の食堂にはすでに何組か客がいた。


 商人らしい男が二人、パンを齧りながら帳面を広げている。

 旅装の夫婦が、温かい飲み物を啜っていた。

 カウンターの奥では女将さんが鍋を見ていて、その横をユリアが忙しそうに走り回っている。



「あ、起きたー!」



 ユリアがぱっとこっちを見た。



「おはようございます」


「おはよー! 朝ごはん、もう出せるよ!」


「助かる」



 店内を見回すと、エマは窓際の席にいた。

 もう座っているが、まだ食事には手をつけていない。



「「おはよう」」



 同時に出た言葉に、何だかクスッとなる。



「先に食べてなくてよかったのか?」


「待っていたのよ」



 そう言ってから、エマは少しだけ視線を逸らした。



「ありがとう」


「・・・別に、深い意味はないけれど」



 こういう時、余計なことを言わない方がいいと、さすがの俺でも学んでいる。


 席に着くと、ほどなくして朝食が運ばれてきた。


 焼いたパン。

 薄く刻んだ野菜の入ったスープ。

 そして、塩気のある小さな肉片には、半熟気味の卵料理が添えられている。


 豪華ではない。

 だが、ちゃんとしている。


 パンを手に取る前に、軽く手を合わせる。



「いただきます」



 隣で、エマの手が止まった。



「少し気になっていたのだけれど」



 少しだけ首を傾げる。



「いただきますって、何かのお祈りかしら」


「ん? あー・・・祈りっていうか、まあ似たようなもんか」


「違うの?」


「もっと雑なやつだな」


「雑・・・」



 エマがじっとこちらを見る。



「作ってくれた人とか、食材とかに“ありがとう”って言う感じ」


「・・・」



 一瞬だけ、間があいた。



「・・・それを声に出すの?」


「俺がいた地域では皆言ってたな」


「変わってるわね」



 そう言いながらも、エマは少し考えるように視線を落とした。


 それから、ほんの少しだけ手を揃える。


 ぎこちない動きだった。



「・・・いただきます」



 小さく、呟く。



「お、やるじゃん」


「真似しただけよ」



 すぐにパンを手に取る。


 だが――


 さっきより、ほんの少しだけ動きが柔らかい。

 気のせい、かもしれないが。 


 早速スープを一口飲む。

 温かい。

 空っぽだった胃に、じんわりと染みていく。



「・・・はぁ」



 思わず息が漏れた。



「味はともかく、すきっ腹に染みわたるな・・・」


「・・・ええ」



 エマも小さく頷く。


 同じようにスープを口に運び、



「・・・こういうの、嫌いじゃないわ」



 ぽつりと、そんな風に言った。


 昨日までなら、ここでもう少し空気が固かったと思う。

 でも今は、少なくとも普通に朝食を囲めるくらいには落ち着いている。


 その時、ユリアが水差しを持ってやって来た。



「はい、お水追加!」


「ありがとう」


「どう? ちゃんと眠れた?」



 元気な調子だ。

 昨日の一瞬の違和感なんて、最初から無かったみたいに見える。



「眠れたは眠れたな。ただ、ちょっと背中がな」


「えー、そう?」



 ユリアは困ったように笑った。



「二階の部屋はまだマシなんだけどねぇ。いい布団は高いから・・・」


「正直でよろしい」


「うちは豪華さで勝負してないから!」



 胸を張って言うことか?


 でも、その開き直りはちょっと嫌いじゃない。


 ユリアはくるりと向きを変えると、今度は隣の席の客に声をかけに行った。

 よく働く看板娘だ。

 

 朝食を食べ終える頃には、食堂はさらに賑やかになっていた。

 人の出入りも早い。

 ここは宿であると同時に、街の小さな交差点でもあるらしい。



「それで、今日はどうするの?」



 エマが香草茶を一口飲んでから言う。



「まずはギルドだろ」


「ええ。登録情報の更新と、依頼の確認ね」


「ランクはそのまま、か?」


「当然よ。あれだけやっていて、いきなり最初からになったら誰も納得しないでしょう?」



 確かにその通りだ。

 冒険者ギルドが世界共通の組織なら、地域を跨いだ程度で評価が飛ぶ方がおかしい。



「この街の依頼傾向は見ておきたいな」


「それと物価もね。特に装備の手入れや、消耗品の相場」


「金は大事だからなあ・・・」



 昨日、宿代を払ったばかりだから余計に身にしみる。


 個室一泊、大銅貨二枚。

 朝食が銅貨三枚。


 二人で一週間泊まれば、銀貨三枚と大銅貨二枚。

 安くはない。


 もちろん、危険と隣り合わせの冒険者がそれ以上に稼げなければ話にならないが、逆に言えば、雑に金を使っていい額でもない。



「長く泊まるつもりなら、やっぱり宿は高いな」


「そうね」



 エマは淡々と頷く。



「でも、個室の宿は安心できるわ。大部屋だと寝た気がしないもの」


「それもそうだな」


 


 

 月夜の猫亭を出ると、朝のヴェルクハーフェンが本格的に動き出していた。


 橋の上では荷車が行き交い、運河では細長い荷舟が静かに進んでいる。

 石造りの建物の一階部分では扉が開き、店主や職人が看板を出し、掃除を始めていた。


 昨日は“都会だな”で終わっていた景色が、今日はもっと具体的に見える。


 高い壁、突き出した窓。

 二階と三階を繋ぐ細い外階段。

 壁際に積まれた樽や木箱。

 橋の欄干には、寄りかかって朝のパンを食べている若い職人がいる。


 この街は、ただ賑やかなだけじゃない。


 ちゃんと人が働いて、回している。



「朝の方が面白いな」


「夜は客の街、朝は働く者の街だもの」



 エマの言葉に、妙に納得した。


 ギルドは昨日見た通り、大きかった。

 だが朝はさらに印象が違う。


 扉の前にはもう何人も人がいて、中からも声が聞こえてくる。

 大都市の冒険者ギルドらしい忙しなさだ。



「行くか」


「ええ」



 中に入る。


 広い。


 そして、人が多い。


 依頼票の前にはすでに人だかりができていて、受付もいくつかに分かれている。

 冒険者だけじゃない。依頼主らしい商人、荷主、使者、腕利きっぽい連中、いろいろ混ざっている。


 ルフォレスフューテで見たギルドとは、単純に規模が違った。



「・・・すげぇな」


「田舎者みたいな反応ね」


「否定できない」



 エマがわずかに口元を緩めた。

 それだけで、ちょっと得した気分になる。


 受付へ向かう。



「ようこそ。登録証をお願いします」



 若い受付嬢が、手慣れた調子で言った。


 エマが先に登録証を出し、俺も続く。


 確認は早かった。



「エマ=ロベールさんとアキラ=ジェイ=ラッシュバックさんですね。ルフォレスフューテからの移動。問題ありません。活動地域の更新をしておきます」



 なるほど。

 移籍というより、活動地域の記録変更か。



「現在ランクはアキラ様がD級、エマ様がB級となっております。ヴェルクハーフェンでは初活動となりますので、初回のみ地域案内をお付けできます。必要ですか?」


「「お願いします」」



 エマと声が揃った。


 受付嬢は小さく頷いた。



「では簡単に。ヴェルクハーフェン周辺は、都市内部の雑務、近郊街道の護衛、農地や林地に出る魔獣討伐、河川沿いの巡回確認などが主になります。エマ様がB級なので、高ランクの討伐依頼もありますが、少し距離がありますね。D級の討伐依頼なら近くにございます」


「素材納品依頼もあるんですか?」


「はい。討伐対象に応じます。魔石、牙、皮、爪、薬効部位など、買取一覧はあちらです」



 受付の横の壁を示される。


 そこには確かに、素材ごとの買取価格表が貼られていた。


 よし。

 これ大事。


 討伐依頼は、報酬だけで見るものじゃない。素材込みで収支を見ないと、職業として成り立たない。



「E級以下の依頼は?」


「E級は採取と補助依頼が中心です。討伐は受けられません。F級は見習い扱いですね」


「わかった、ありがとう」



 礼を言ってカウンターを離れる。



「・・・それにしてもエマ、B級だったのか」


「ええ。最初に言っておいたはずだけど。これでも冒険者歴は長いのよ」


「そっか、まぁエルフだしな」


「そういうことよ。歳を聞かなかったのは褒めてあげるわ」


「へいへい」



 掲示板へ向かう。


 依頼票をざっと眺める。


 荷運び補助、採取、街道護衛、近郊討伐、町中の清掃、などなど。


 その中から、一枚を抜いた。



「これだな」



 エマが横から読む。



「北門外、葡萄畑を荒らす《ホーンラビット》三体の討伐・・・報酬、四百二十ガルド」


「悪くない」


「ええ。距離も近いし、初日にちょうどいいわね」



 ホーンラビット。

 角付きの兎、だろうか。


 見た目は可愛くても、農地を荒らすなら立派な害獣だ。



「素材は?」


「角と毛皮が納品対象。魔石が出れば別途」


「よし」



 受付へ戻り、依頼票を出す。



「こちらを受注します」


「承知しました。北門から街道沿いに三十分ほど。農園主の名前はビークルさんです。討伐証明部位は角で結構です」


「了解」



 手続きを終えて、ギルドを出る。


 朝の光は、もうずいぶん高くなっていた。



「・・・いいな」


「何が?」


「こういうのだよ」



 依頼票を軽く振る。



「知らない街に来て、まずは軽い仕事から始める。いかにも冒険者って感じがする」


「あなた、本当にそういうところは素直に楽しむのね」


「悪いか?」


「別に」



 エマは肩をすくめた。



「嫌いじゃない、わ」



 その言い方が、少しだけ柔らかい。


 昨日より、少し。

 ほんの少しだけ。


「人の口癖を真似るな」


「いいじゃない、べつに」



 俺はやれやれ、といったジェスチャーをする。



「じゃ、行くか」


「ええ」



 まずは依頼を一つ。


 この街で食っていくなら、焦る必要はない。

 信用も、金も、実績も、積み上げればいい。



 ヴェルクハーフェンでの、本当の一日が始まる。


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