第11話 港町ペドラメ
血の匂いが、少しずつ潮の匂いに変わっていく。
壊れた小型馬車を組み直して作った荷車は、まだぎしぎしと嫌な音を立てていた。
重傷者二人を乗せ、俺はそれを引いて街道を進む。
後ろでは、フードを深くかぶったエルフの少女が、足元をふらつかせながらも必死に歩いていた。
「・・・・・見えました」
前を見たまま、少女が小さく言う。
その先、まだ白みきらない空の下に、ぽつぽつと灯が浮かんでいる。
高く伸びた何本もの影は、最初は塔かと思ったが違う。
帆船のマストだ。
「・・・・・あれがペドラメか」
「はい。港町ペドラメです」
海だ。
潮の匂いだ。
異世界の港町だ。
──とか言ってテンションを上げる気にはならなかった。
今はそんな場合じゃない。
荷車には血まみれの重傷者が二人、すでに息をしていない者も二人いる。
浮かれるのは、全員をちゃんと運び込んでからだ。
『前方二百十メートル。大型建造物複数。人員反応あり。救護施設、あるいは集合施設である可能性が高いです』
「あれがギルドか?」
「ええ。あそこです」
エマは短く答えた。
声は落ち着いている。
だが、顔色は悪い。
軽傷とはいえ、彼女も腹を斬られ、出血していたはずだ。
ナノマシンで応急処置はしたが、痛みまで消えるわけじゃない。
「倒れるなよ」
「倒れません。・・・・・まだ」
その言い方が妙に引っかかった。
強がっているのは分かる。だが、それだけじゃない。意地みたいなものが混ざっていた。
港町の入り口は、レグリスのような巨大な門ではなかった。
石造りの塀と見張り台、そして荷車が通れる幅の開門。
夜明け前だというのに人の出入りがあり、魚を積んだ荷車、樽を転がす男たち、仮眠明けらしい護衛たちが忙しなく動いている。
「どいて! 重傷者よ!」
エマがそう叫ぶと、道が開いた。
そのまま俺たちは、港に面した大きな建物へ駆け込む。
木と石を組み合わせた実用本位の造りだ。
正面には大きな看板。
冒険者ギルドの紋章が刻まれている。
扉を開けた瞬間、湿った外気とは違う、乾いた薬草と木材の匂いが鼻をついた。
「救護班! 担架を!」
受付の向こうにいたハイリザードの男が、顔色を変えて怒鳴る。
奥から数人が飛び出してきた。
人種はばらばらだ。
ヒュームの女、エルフの男、ハイリザードの女。
港町らしいと言えば港町らしい。
「野盗の襲撃です。街道の中程で・・・・・私たちのパーティが襲われました。二人死亡、二人重傷、一人軽傷。討伐は、ほぼ完了しています」
エマはそう言いながら、自分で立っているのが不思議なくらいに真っ直ぐだった。
「処置したのは誰だ?」
治療担当らしい中年のエルフが、重傷者の腹部を確認しながら聞く。
エマが、こちらを見た。
「・・・・・この人です」
「君が?」
「ああ、できる範囲で、だが」
本当のことを言えば、俺じゃなくてAIとナノマシンだ。だがそれを説明したところで理解されるわけがない。
中年エルフは傷口を見て、明らかに目つきを変えた。
「これを、街道で? 止血だけじゃないな。縫合に近い。回復魔法・・・・・いや、何だこれは」
「詳しい話は後で。今は先に仲間を!」
エマがそう言うと、男はすぐに頷いた。
「分かった。君たちも来い。報告はあとだ」
ばたばたと人が動き、荷車から順に運ばれていく。
俺はその場でようやく一息ついた。
が、その直後。
幌布で巻かれた二人の姿が目に入って、息が詰まる。
助けきれなかった。
分かっていたことだ。分かってはいたが、こうして改めて突きつけられると、やはり重い。
「・・・・・」
隣でエマが、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
だが、泣かない。
崩れない。
この子、かなり強いな。
それとも、まだ実感が来ていないだけだろうか。
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報告と最低限の確認を終え、俺はようやく建物の外に出た。
そこで、改めて港町ペドラメの全景が視界に入る。
「・・・・・おお」
思わず声が漏れた。
レグリスは森の都だった。巨木と霧と街灯に包まれた、薄暗い幻想の町。
だが、ここは違う。
開けている。
空が広い。
いや、正確には空そのものよりも、視界の抜けが違う。
木々に閉ざされていないぶん、海の向こうまで世界が続いている感じがするのだ。
石畳の道が港まで続き、その両脇には倉庫や雑貨屋、旅籠、酒場らしき建物が並んでいる。
荷揚げ用の人力クレーン、縄の束、積み上げられた木箱、魚を干す棚。
行き交うのはエルフばかりではない。
ヒューム、ハイリザード、獣人らしき者まで普通にいる。
潮風の匂い。
魚の匂い。
油の匂い。
そして、朝のざわめき。
「すっげぇ・・・・・」
港町だ。
ガチの港町だ。
異世界の港町って本当にあるんだな、おい。
『大型帆船を複数確認。港湾規模から判断して、中継交易拠点である可能性が高いです。都市の分析をしますか?』
「今はそういう分析じゃなくて、気分を優先したい」
『理解不能です』
「知ってる」
でも、そういう分析すらちょっと楽しい。
視界の隅で、帆船の構造を勝手に見てしまう自分もいる。
マストの本数、荷の積み方、バランス、港の配置。
ジェイクの記憶が、これはこうだ、あれはこうだと理屈を並べる。
だがその理屈の上から、アキラの感情が全部ひっくり返す。
すげぇものは、すげぇ。
それでいい。
「アキラ=ジェイ=ラッシュバック?」
後ろから声をかけられ、振り返る。さっきのギルド職員だった。
「生存者が目を覚ました。来てくれ」
心が、現実に引き戻される。
「ああ、分かった」
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通された部屋は、治療室の隣にある休憩室のような場所だった。
ベッドが二つ。
そこに、重傷だった男たちが横になっている。
一人は上体を起こしていたが、右腕は包帯と木板で厳重に固定され、顔色も最悪だ。
もう一人の女性はまだ青白く、両脚に分厚い固定具が巻かれていた。
ベッドの傍らにはエマが立っている。
俺が入ると、右腕をやられた男がこちらを見た。
「・・・・・あんたが、助けてくれた奴か」
「ああ。通りがかった」
「通りがかったで、あれをどうにかするかよ。・・・・・礼を言う」
そう言って、男は少しだけ頭を下げた。
無理に起き上がろうとして顔をしかめる。
「無理するな」
「無理なんざ、もう利かねぇよ」
乾いた笑いだった。
「二人は死んだ。俺とこいつは、生きた。・・・・・が、見ての通りだ」
肘から先の無い右腕をほんの少しだけ持ち上げる。
「しばらく、じゃ済まねぇ。もう前みたいには戦えんだろうさ」
もう一人も、薄く笑った。
「私の脚も終わりよ。元の動きどころかまともに動けないわ」
部屋が静かになる。
俺は何も言えなかった。
エマも、黙っている。
その沈黙を破ったのは、腕をやられた男だった。
「・・・・・これで終わりだ」
視線がエマへ向く。
「終わり・・・・・?」
彼女の声が、初めて少し揺れた。
「五人でやってきた。二人死んで、二人潰れた。どう考えても続けらんねぇ」
「でも・・・・・」
「でも、じゃねぇ」
そこで一度、男は咳き込む。
血の匂いがまだ薄く残っていた。
「エマ。お前はまだ進め」
エマの肩が、ぴくりと動いた。
「ここで止まる必要はねぇ。お前はまだやれる」
もう一人も、小さく頷く。
「・・・・・お前だけだ。動けるのは」
俺は、そのやり取りを黙って見ていた。
ああ、そうか。
この子だけが、残された側なんだ。
二人死んで、二人はもう戻れない。
だから軽傷のエマだけが、次へ進めてしまう。
進めてしまうからこそ、ここで終わることが許されない。
きついな、それは。
机の上には、まとめられた遺品が置かれていた。
短剣、財布、予備の魔石、小さな手帳、何かの封がされた細い筒。
俺には意味が分からない品々ばかりだ。
エマも、今はそれらを直視していない。
「共有金は、後でギルド経由で分けてくれる。荷も、売れるもんは売ってくれと伝えてある」
男はそこまで言って、視線をこちらに戻した。
「・・・・・それで、だ。あんた」
「ん?」
「エマを助けてやってくれ、とは言わねぇ。そいつは余計なお世話だ。だが、あんたは強ぇ。もし組むなら・・・・・悪い話じゃねぇ」
エマが、驚いたようにそちらを見る。
「勝手なことを・・・・・」
「うるせぇ。こっちは死にかけたんだ。最後くらい口出しさせろ」
その言い方に、少しだけ空気が緩んだ。
でも、結論は変わらない。
この五人組は、ここで終わりなんだ。
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ギルド併設の食堂は、朝の忙しさを越えたのか、妙に静かだった。
窓際の席に向かい合って座る。
目の前には薄いスープとパン、それに魚のほぐし身を和えた何か。
港町らしい匂いがする。
エマはフードを深くかぶったままだった。
「・・・・・改めて、ありがとう」
彼女はそう言って、まっすぐこちらを見た。
フードの陰で顔の半分も見えないのに、不思議と目線は分かる。
「助けてくれて、本当にありがとう」
「当然のことをしただけだ」
「そういう返しは、あまり好きじゃないわ」
ぴしゃりと返された。
「私は助けられたの。そこは受け取って」
「あ、ああ・・・・・悪い」
「別に怒ってはいないわ。ただ、事実を曖昧にしたくないだけ」
理屈っぽい。
でも、その理屈っぽさが嫌な感じじゃない。
むしろ、妙に真面目で好感が持てる。
「私はエマ。エマ=ロベール」
「俺はアキラだ。・・・・・まあ、もう知ってるか」
「ええ。変わった名前だから、覚えているわ」
「そっちも十分綺麗な名前だと思うけどな」
言った瞬間、エマの手がぴたりと止まった。
「・・・・・名前を褒められたのは初めてかもしれないわ」
「そうなのか?」
「大抵は別のものを見られるもの」
別のもの、ね。
顔か。
雰囲気か。
あるいはもっと別の何かか。
何となく、それ以上踏み込まない方がいい気がした。
「で、これからどうするんだ?」
俺が話題を変えると、エマは少しだけ息を整えた。
「それを、あなたに話そうと思っていたの」
「俺に?」
「ええ」
そこで彼女は、ほんの少しだけ視線を逸らす。
「私は、まだ冒険者をやめるつもりはない」
「・・・・・そうか」
「でも、一人で動くのは効率が悪いわ。戦力的にも、情報収集の面でも」
言葉は淡々としている。
だが、その奥にあるものは分かる。
一人になるのが怖いのだ。
けれど、それをそんなふうには絶対に言いたくない。
だから“効率”という言葉で包んでいる。
「あなたは強い」
エマは続けた。
「それに、落ち着いている。ああいう場面で取り乱さない人は貴重よ」
「自分じゃよく分からないけどな」
「私は分かるわ。・・・・・だから、どう?」
そこでようやく、彼女は真正面から言った。
「しばらく、私と組まない?」
直球だ。
でも変に媚びていない。あくまで必要だから誘う。
そういう言い方だった。
悪くない話だ、とは思う。
実際、現地の地理、相場、ギルドの実務、船便。
俺が知らないことは山ほどある。
強いとはいえ、この世界の常識を全部無視して一人で突っ走るのは危険だ。
だが、迷いもある。
俺は秘密を抱え過ぎている。
この体も、AIも、ナノマシンも、正体も。
人と近づけば、そのぶんリスクは増える。
少し黙っていると、エマが先に口を開いた。
「もちろん、今すぐ返事をしろとは言わないわ」
「いや・・・・・条件がある」
「条件?」
「俺は、デア=グラントへ行くつもりだ」
エマの肩が、ほんの少しだけ動いた。
「だから、組むとしてもそれが優先だ。依頼を受けていてな。そこは譲れない」
少しの沈黙。
彼女は俺を見たまま、数秒考え込んだ。
そして、ゆっくり頷く。
「・・・・・いいわ」
「いいのか?」
「私も、ここに長く留まる理由はないもの」
その言い方が、少し気になった。
だが、やはりそれ以上は聞かないことにした。
聞かれたくなさそうな空気があるし、俺だって聞かれたくないことだらけだ。
「じゃあ、成立だな」
「ええ。よろしく、アキラ。改めまして、エマ=ロベール。Bランクよ」
「ああ、よろしく、エマ。アキラ=ジェイ=ラッシュバック。Dランクだ」
「Dランク・・・」
ほんの少しだけ、驚きで彼女が目を見張る。
そのあと、彼女の口元が緩んだ気がした。
その時だった。
食堂の隅でパンをかじっていたギルド職員が、こちらに声をかけてくる。
「デア=グラント行きなら、すぐってわけにはいかないぞ」
「え?」
「直近の定期便は四日後だ。しかも高い。今の時期は荷が多いからな」
うわ、来た。
交通費問題。
異世界でもやっぱりあるのか、交通費。
『当然です』
「二人分だと、そこそこ掛かるわね・・・・・」
エマが真顔で呟く。
「護衛込みの乗合便なら少しは安いが、それでも金は要る。今の持ち金で足りるか?」
足りなかった。
いや、正確には俺は相場を知らないので何とも言えないが、エマの表情を見れば十分分かる。足りない顔だ。
ふと、「てへ、船代渡すの忘れてたよ」とおちゃらける皇帝陛下の顔が脳裏に浮かんだ。
「・・・・・しばらくペドラメで稼ぐ必要がありそうだな」
「そうね」
エマはすぐに切り替えた。
「港町なら依頼も多いわ。危険度を抑えつつ、短期で回せるものをいくつか選びましょう」
「もう仕事モードか」
「そうしないと前に進めないもの」
なるほど。
この子、やっぱりかなり強い。
食堂を出ると、外はすっかり朝の光に満ちていた。
いや、太陽そのものが強いわけではないが、港町全体が活気に満ちている。
荷を積む声。
魚を運ぶ声。
船を繋ぐ縄の音。
ざわめきと潮風。
その中を、俺たちは並んで歩いた。
少しだけ距離を空けて。
でも、さっきよりは他人じゃない距離で。
「明日、朝一でギルドに行くわ」
「了解」
「今日は休みなさい。あなたも、疲れているでしょう」
「俺は大丈夫だ。お前こそ今日は休め」
「こういう時は、否定しないでほしいの」
「そうか」
「ええ。そうよ」
少しだけ笑った気配。
フードの奥で見えないけれど、きっと今、彼女は少しだけ柔らかい顔をしているのだろう。
デア=グラント行きの金を稼ぐ。
目的としてはそれだけのはずだった。
なのに俺はもう、この港で拾ったものが、ただの旅の都合だけじゃない気がしていた。
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──幕間
ルザリス帝国首都レグリス。
薄暗い執務室の中で、一人の男が机上の小さな灯を見つめていた。
セルディオ=ラース=ザウ=フェルグレイス。
帝国宰相にして、皇統に連なる公爵家の当主である。
彼の机の端には、定時報告の記録板が置かれていた。
通常であれば、昨夜のうちに一つの報告が届いているはずだった。
だが、まだ来ない。
側近が静かに口を開く。
「閣下、まだ未着です」
「・・・・・そうか」
セルディオは短く答えただけだった。
怒りも、焦りも、表には出さない。
だが、その沈黙は長かった。
本来ならば、街道の移動中も簡易連絡は入る。
それがない。
ただの遅れで済むか。
それとも。
「もう一度確認しろ」
「はっ」
側近が退出する。
扉が閉まった後、セルディオは机上の灯を見つめたまま、誰にも聞こえない声で呟いた。
「・・・・・遅いな」
その声が、誰へ向けられたものだったのか。
執務室の空気だけが知っていた。




