【追憶‐少女の望み】
笑えばね、何も怖くないの。そう続けると、彼女は泣きじゃくりながら疑問符を浮かべた。
「あのね、たとえば、すごく痛いけがをしたとするでしょ? それで泣いちゃったら、みんな心配しちゃう。だけど笑うとね、安心してもらえるの。それからわたしももっと楽しくなって、けがなんてぜんぜん気にならないの」
表情は自分にも周囲にも影響を与える。顔に、声に出せば、それは自分の心に染みわたる。良い感情ならもっと良く、悪い感情ならもっと悪く。逆に良きを減衰させることも、悪しきを軽減することだってできるのだ。そしてそれを利用すれば、周囲の反応も、同じようになってくれる。
ひとが悲しむのは嫌だ。しかし自分が笑うことで、それを和らげることができるなら、迷うことなど何もない。
笑顔は自らも他者も幸せにする、きっとやさしい呪術なのだ。
「だから、笑ってみて。泣きたい気持ちなんて消えちゃうよ」
実際のところ、少女は彼女の苦悩について、先にも述べたように分かっていない。だから彼女の涙は、おそらくは考えすぎによる杞憂だと思っていた。
だって、供犠の儀式は「いいこと」だ。ひとが喜んで死ぬことで太陽が生き永らえ、皆が憂いなく過ごせるようになる。その何に怯えているか、少女にはまったくもって見当がつかない。
しかし、神官の職については多少なりと推測できた。言うまでもなく、人身供犠を行うことはこの上ない名誉である。なのにそれが嫌などと、自分の技能に自信がないから、としか思えない。いつも控えめな彼女のことだ、自らを過小評価してそういう不安に陥ったと、そんな経緯が妥当だろう。
ならば、まずは笑ってみればいい。それで気持ちを落ち着ければ、自分が彼女を褒めてあげよう。彼女には称えるところがたくさんあるのだから簡単だ。そうして自信をつければ、こんな取り越し苦労、消えてなくなってしまうだろう。
彼女の笑顔が見てみたい。ずっと泣きそうな表情をしている彼女のことが、放っておけなかった。いつかその微笑みをと、ずっと思っていたのだ。
「わたし……笑いかた、なんて……知らない、け、ど」
嗚咽をところどころに混じらせながら、彼女は小さく声を発する。涙はもう止まったのだろうか、少なくとも昂ぶっていた感情は収まったようで、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐたび、いつもの抑揚のない調子に戻ってきていた。
知らないなら教えるよ。そう言いだす前に、ためらいがちな吐息が続く。
「あなたの、それ……なんだか、ん……」
繋いだ冷たい指先が、まごつく。どうしたの? そうにこやかに笑おうと思った矢先に、その形成は止まった。
「ちがう……気がする。笑う、のは……たのしい時、じゃ、ないの……?」
否定。一瞬信じられなくて、そして理解にも行き着かない。
何が違うのだろう。確かに、笑顔はいろんな場面で使うことが多いけれど、楽しい時にも浮かべるものだ。彼女の言う通りで、そして自分の思っている通り。そうではないのか?
「あなたは……へいきなの」
静かに問うて、頬に残った最後の一粒を、少女の指に伝わせる。やっぱり泣きそうな顔をしているだろう彼女に、けれど何も言えなかった。硬直状態の少女と、暗闇に沈む彼女は、ただ指を絡めて向かいあう。
「ずっと笑って……泣きもしないで……そんなの、わたしにはむり」
むり、ともう一度繰り返す。ゆるゆると首を振った拍子に、少女の片手が、その頬から外れた。力ない腕は石畳に落下して、ひやりとした硬さを教えてくる。けれどその冷たさは、彼女の指とはどこか違った。
「ひとのためにむりに笑う、なんて、ほんとうに……」
笑うことは、とても有益で。楽しくなることで。
「……たえられないよ」
そんな、つらいことではないのに。
彼女の言葉は、いまいちぴんとこない。何が駄目なのか、何を拒否されているのか、それさえも。けれど不快感も焦燥も、ましてや怒りなんて湧きはしない。ただ、彼女の根本を垣間見た気がして、同時に自分の奥底も探り当てられそうな予感がして、ひどく惹かれたのだ。どちらにも触れたい、そんな願いが、胸に灯を宿しはじめる。
彼女は不思議だ。こんなにもか弱く大人しいのに、自分の知らないことを知っている。はじめて出会った観点を持っている。そんなの、これまでになかった。
「……あなたのいうことは、よくわからない」
ああ、それは自分もそう。あなたの主張も否定も、わたしの理解の外。だけれど、いいや、だからこそ。
分かりあいたいと、そう強く果てなく望むのだ。




