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【奴隷‐願いと微笑みの談】

「何度も言うが、われわれは皇帝の名のもとに、貴殿らと友好を築きにきたのだ。けして戦をするつもりで海を越えたのではない。ドーニャ、そう言ってくれ」

「はい、わかりました!」

 にっこりと、人好きのするらしい笑みを浮かべ、その旨を豪奢な衣装の男に伝える。彼は囚われの身となっている王だ。最大限の配慮はするものの、窮屈な生活を強いられている。敵ながら寛容な彼を慕う兵たちにすれば、それは真に痛ましいことだった。

 むろん、それは少女――かつての〝奴隷〟にしても同じことだ。彼は、自分たちがこの都で快適に暮らせるよう手を尽くしてくれた。ゆえに彼が少しでも早く軍勢に受け入れられるよう、力になろうと考えていた。たとえば、今だってそうだ。

「王はそれは知っていると仰っています。あなたは慈悲なる神で、この国の本当の主。ゆえに、この国をこれまで守ってきた我らにご無体を働くことなどはないと、確信していたと」

 王の言ったことを、そのまま彼らに知らせる。違うのは、それを構成する言語だ。聞くのは母語、つまりは都の言語で、発するのは町にいたころの言葉。それをひとりの男がまた別のものに翻訳し、将に話しかける。それを聞いた彼が応答をして、逆の道筋をたどって王に……そんな連関で、この会談は成立していた。もっとも、将の話す言葉もおおむね分かるのだが、慣れない言語で誤訳のおそれがある。こういった場では慎重を期していた。

 少女は、あの〝神〟の軍勢――いや、異国の将のもとに付き従っている。

 あの後、自分たち奴隷は戦利品として彼らに捧げられた。自分の目に映してみれば本当に『白いひと』で、その乗り物も装備も、あらゆるものが未知の領域だった。そうして、何がなにやら分からないままに新たな名を与えられて、その物覚えのよさと通訳能力を買われた。ただの情婦となるはずだった自分はこうして、前にもまして分不相応な温情に、身を委ねることとなったのだ。

ドーニャ。ならばこうだ――」

 新しい名前を与えてくれた彼らのことについて、実はあまり詳しくはない。せいぜいが、彼らは海の向こうにある国から、その王の命令によってやってきたひとびとだというくらいだ。王のため、この国を正しく治めに来たのだとか。もっとも、それは民間にまで公にされることではない。あるいは、隠しているのかもしれなかった。

 自分たちの住んでいた町に上陸した後は、さらに北上して国境を通過した。そして国内に入り、様々な部族を従わせていく。それは時に、手段を選ばなかった。

 あの大きな音の道具(タイホウ、というらしい)や移動手段(フネ、とのこと)をはじめとする、強大な力を持つ彼らだ。それを背後に話しあいですませることもできた。だが刃向う民族には容赦をせず、場合によっては虐殺にまで発展した例もある。それは自分にとって、疑いなく心が軋み折れそうなことではあった。

 それでも、自分はただ笑っている。知っているのだ。彼らはこの国を幸せにしに来たのだ。だから何も言わず協力する。

 そう、誰もが傷つかない世界になるためならば。

 ……あの日、悟ったこと。それは自分自身これまで気づかなかった、潜在的な恐怖心だった。

 それは望まぬ死、流される涙、ひとの心に振われる刃だ。つまり、ひとを傷つけること。自分にとってもっとも悲しいことは、その一言に収斂された。

 だから穏やかに、安堵を与えるように微笑むのだ。そして、彼らによってもたらされる、万人を包みこむ世界を待っている。それはきっと、「あの子」も喜ぶものだろう。

 そう、「あの子」だ。あの時、気づいたことがもうひとつあった。それは長年理解しきれなかった、彼女の想いだ。「あの子」が言っていた供犠への怖れについて、今こそ、〝奴隷〟は共感することができていた。

 彼女は自分と同じだったのだ。ひとを傷つけることが恐ろしくてたまらなくて、だから人身御供を厭った。そんな同類のふたりなら、きっと心から新世界の誕生を分かちあうことができる。ゆえに入都した際、視線は常に彼女の影を追っていた。

 再会がしたい。彼女に伝えたいのだ、私はあなたの気持ちを理解したと。そして彼らのことを説明して、もう怖がらなくてもいいと抱きしめて、そして――

『教えあえば、いいんだよ』

 教えてあげるのだ。笑い方を。ずっと泣きそうな顔をしていた彼女に、幸せになってもらうために。

 彼らの祀るものは、括りつけられた男、女の神、十字の棒だ。それらはひとびとを慈しむ、いってみれば太陽のようなものらしい。そして彼らは人身御供を許さず、ひとを傷つけることを良しとしない。自分たちふたりと、同じように。

 そう、だから、少女は今でも笑って待ちわびている。

 新しい秩序の樹立と、再び「あの子」にまみえるその日を。



 ――それでも、たったひとつ。平定した部族の、ある首長に言われた言葉は、今でも鈍く胸に沈んでいた。

『「■■■■」か。「炭の草」……「贖罪」。なるほど、お前には似合いだろうよ』

 それは自分の本当の名前だった。慣習どおり、生まれた月日になぞらえて付けられた。先ゆく人生を暗示するこの名は、少女が唯一信じられないものである。

 これによれば、自分には『贖罪』が運命づけられているらしい。つまりは、罪人となるということなのだけれど。そんな悪事を起こす気などさらさらなくて、呼ばれるたび、ちくちくと胸が痛んだ。

 〝奴隷〟として移り住んだ町では、もはや言語も違って、名前の意味など誰も知らない。だから余計に言いだすことなどできず、黙っているしかなかった。

 それでも、今は違うのだ。新しい名がある。ゆえにもう気になどしない。する必要がない。

 そんな憂いごとは忘れて、さあ、笑おう。誰も悲しまない世界を夢見て。



 そして、そんな少女だったから――、大祭の神殿で虐殺が起こったと聞いた時、まず浮かんだのは痛ましさに他ならない。

 将がいないことによる、部下の暴走だった。あまりにも民が高揚したため、警戒していた彼らはそのまま居留地の前の神殿に攻撃をしかけたのだ。そしてそこにいた、約六〇〇人を殺傷した。

 当然、都の住民の怒りは爆発する。宮殿に収まった彼らに攻撃を加えようとする奮迅の意気は、中の少女にも筒抜けだった。しかし、それも建物にいた王の呼びかけによって、いったんは落ち着きを取り戻す。とはいっても、あくまで押し入ろうとする手が休まっただけで、周囲は武装したひとびとに囲まれていたのだが。

 将は、それから四十ほどの昼夜を越えてから帰ってきた。彼は失態を犯した部下を叱責し、かつて民を総べていた王を詰った。しかし、その責任問題も解決せぬ間に、再び住民による蜂起が発生したのだ。

 四日間は、軍もあらゆる手を模索して沈静化、あるいは鎮圧しようと試みた。しかし将の軍勢は数百、同盟部族も入れてやっと数千だ。一方、都の群衆は幾十万をゆうに数える。その大半が立ち上がったなら対処の仕様がない。五日目、軍の撤退を条件に、再び民に呼びかけた王は、投げつけられた石によって死んだ。もはや後ろ盾はいない。

 そして六日目の夜、軍は都からの脱出を決行する。

「……」

 夜陰に紛れての行軍は、その規模に反して粛々としていた。前衛と後衛の部隊に挟まれた位置にあるのは、自分たち女と、同盟者の親族……いわば人質だ。雨であることも重なって、足音とウマの蹄の音はうまくごまかせた。「ウマ」は見慣れない生き物で、度々「怪物」と称されてきたのだが、機動力がすこぶる高い。今回も頼りになるだろう。

 結局、「あの子」には会えないままだった。しかし将は、必ずや都に戻ると言っている。それならばその時に探しだせばいい。自分に課せられた仕事も多いし、色々なことが落ち着いたら、ゆっくりと聞いて回ろう。

 隊が立ち止まる。視界が悪く、なによりひとに囲まれているため、何があったのかは分からない。しかし少し経つとまた前進しはじめ、おそらく堤道に携帯用の橋を架けていたのだろうと見当がついた。そしてその足並みが自分たちにまで伝わってきたあたりで、霧雨の空に、ラッパと太鼓の音が木霊した。

「いかん!」

 誰かの唸りが低く上がる。次いで全体がにわかに色めきだし、先の静けさに比べれば、まるで夢から醒めたかのようだった。しかし、それも将の一声で統制を取り戻す。

「騒ぐな! 恐れるな、敵はまだ我らを見つけたばかりだ。冷静に突き進め‼」

 その叫びに、オォという男たちの鬨の声が上がる。そこでこれまでより幾分早足の進軍が再開され、自分たちのすぐ前方までが橋に足をかける。そして目にしたのは、踏みだした彼らが霧立ちこめる下に落ちてゆく、あまりにもあっけない姿だった。

 橋が破断した。いや、おそらくは壊された。この時点でそれを察することができた者など少数で、実際それだけでは意味もない。問題は、この周囲に敵が渦巻いているということだ。加えて言うなら、自分より後ろに至っては、敵地に取り残されてしまったということだった。

 背後で女の絶叫が上がる。振り返るが、霧に遮られて何も見えない。それでも放ってなどおけず、駆け寄ろうとしたところで、傍の兵士に手首をつかまれた。

「やめなさい! ドーニャ、お前は我らに必要だ! お前がやさしいのは知っている、だが今は堪えて、自分のことだけ考えろ!」

「そんな……!」

「いいから、こっちに来なさい!」

 そう言って、強引に隊列から外される。数十人の男たちが、共に人波から流れてきた。見れば隊伍は既に崩れかけていて、霞みかけのうごめきは、別な色した群と混ざりあっている。それに背を向けさせられ、ひたすらに走った。

 堤道沿いに進むが、眼のいい兵隊のひとりが言うところによれば、水路にはカヌーがいくつも置かれているらしい。気づかれたらそこから弓を射かけてくるだろうと語られ、淵からは少し遠いところを歩む。

 だが、それでも打開策があるわけではない。目ざとくこちらを捕捉し襲ってくる幾人かを切り伏せて、ある男は切れ切れに発した。

「……どうする⁉」

「どうするもこうするもあるまい! ドーニャは我らの舌だ、我らが生き残ってもドーニャが死んでは意味がない‼」

「だからどうすると言っているんだ! どうドーニャを逃がす⁉ どうやって、この水路を越えればいい!」

 水路は今や、カヌーだけでなく都の戦士たちの多きにも埋められていた。水に浮いて倒れ伏すのは敵か味方か、判別できないだけでなく数も知れない。このまま徒歩で渡るのは、論外と言えた。

「橋をどうにか……!」

 苦虫を噛み潰すかのような吐露に、応じる言葉があった。

「なら、私たちが橋となりましょう」

 男たちが、少女が振り向く。そこには同盟を組む部族の戦士がいて、視線を受けた十数人が、静かに頷いていた。

「私たちがつながり、対岸までの橋となる。それにドーニャと護衛のひとびとがついて逃げればよろしい。私たちが橋を崩せば、敵も追ってはこれますまい」

「でも、そんなことすればあなたたちが……」

「我らはこの国に復讐を誓った身だ、もはや死んだようなものですよ。ならばあなたには生きてほしい。我らと同じ肌の味方よ」

 母語で綴られた語りに改めて彼らを見回せば、皆、晴れ晴れとした面持ちをしていた。もう一度首肯される。彼らは覚悟を決めたのだ。

 かくして、橋は架けられた。進む列のうち、やはり自分は真ん中で、真後ろの兵からは落ちないよう手を添えられていた。

 警備の薄いところを選んだものの、霧が晴れてきたこともあって、敵は気づく。だが投げかけられる矢は前後の兵の手で弾かれ、剣先は届かない。とは言っても、橋となった戦士たちには突き刺さったらしく、重みによるものだけではない苦悶が下から伝わってきた。

「ありがとう……」

 ひとりを踏みしめるたび、感謝の言葉を述べ、笑う。

 本当はこれだってつらい。自分のために苦しむ彼らが悲しくて、泣いてしまいそうなほどだ。けれど彼らは希望を持って自分を進ませてくれる。ならば笑わなければ。たとえ、彼らには見えなくても。

 ふと水路を俯瞰すれば、数多のカヌーと戦士が真下に集い、憎々しげにこちらを見つめていた。そのために、周辺の水路は手薄になっている。リスクはあるが、あそこからなら他の仲間も脱出できるかもしれない。誰か通らないだろうか、そう思いながら見つめていて――。

「……あ」

 ひとがいた。水流のなかに佇む少女だ。黒髪を長く乱し、薄明りに肌が青白く照らされている。そのところどころには赤い痕が見受けられ、強烈な対比をなしていた。霧の名残の泳ぐ天をぼんやりと仰ぐ横顔は、髪に隠れて分からない。

 都の人間なのだろうか。だが明確な敵意は感じられず、そもそもこちらが目に入っている気配すらない。もしかしたらつらい目に遭って、放心状態で逃げてきたのかも。だとしたらやりきれないことだ。

 そこにひとりの男が近づいた。彼は都の住人だろう、武器を握っている。少女の様子を奇妙に思ったのか、気遣わしげにその肩を叩いた。よかった、彼女を助けてあげて。そうした安堵に、目を細める。その中心では、振り向いた少女が右手のナイフで彼の胸を裂く、一連の光景が繰り広げられた。

「……え?」

 目を見開く。上下左右に広がった視野はしかし彼女だけを切り取り、他の一切を暗闇に溶かす。ゆらゆらと動きの余波でよろめく少女は、凪いだ眼で下を見つめていた。そこから視線が外せない。

 当然だ、彼女の行動は不可解に過ぎる。あの男は明らかに、彼女への害意など持っていなかった。だのに彼女は一瞬の間もなく黒いナイフを突き刺し、彼を絶命せしめたのだ。今は水路に倒れ伏し、他の死体と同化しているだろう。

 だがそれは重要ではない。いや、大事なことではあるのだ。しかし最重要は、第一優先は、そこではない。

だって、彼女は、あまりにも彼女に似ている。

 否――紛れもなくあの日の面影を残した、「あの子」でしかありえない。

「あ……あぁあ……‼」

 いつの間にか、歩みを止めていた。だがそれを訝る兵たちの声も届かない。知らない。そうだ知らない、あんな「あの子」は知らない。

 あれから何年が経った? その内で変わってしまった? いや、それでも彼女はあんなことをする女の子ではないのだ。自分と同じく、誰かを傷つけることを忌むはず。なのに、なのに今のあれはなんだ?

 忌むどころか。真逆の喜ぶどころか。ただ無表情で、なんの感慨もなく、その手の刃をあっけなく。どうして彼女はああなった? いつから? どこから?

 なんのせいで――あんな風になった?

 突然引き寄せられて、世界が真暗闇に閉ざされる。いや、視界から「あの子」が消えただけだ。気がつけば浮遊感にも似た感覚が全身にあり、けれど背中と膝の裏には支えがある。横抱きにされているのだ、と気づくのに、少し時間がかかった。

「おい! ドーニャ、しっかりするんだ、ドーニャ・マリーナ!」

 そうだ、しっかりしなければ。あの子に笑顔を教えると誓ったのは自分だ。ならばちゃんと自分の足で立って、それで……

「……あは」

 笑おう。

「あ、あはは……。あははははは……っ」

 笑えば何も怖くないと、そう知っていたから。

 誰も傷つかないと、信じているから――。



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