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020 白獅子の選択

 選択。

 それは常に迫られ続けるもので、常に決断していかなければならない。

 たとえばテーブルに並べられた三つのケーキ。

 どれかひとつだけ食べる権利を手にいれらのならば、どうするだろうか。

 一番好みの物を選ぶ者。一番高価な物を選ぶ者。普段選ばない種類を選ぶ者。さまざまな条件から己が答えを見定める。あるいはただ単純に、直感に従って選ぶ者も多いだろう。だけれど、それらの枠組みから外れた者も、――当然存在する。


 彼女は「底なしライオン」。


 ある日ある午後あるテーブル。そに置かれたホールケーキを、一切の淀みなく、完全に駆逐してみせた。それはまさに底なしと呼ぶに相応しい様相で。そのとき見ていたとある刀使いのラクシャが彼女の異名を直感的に呟いたのも頷ける。

 この「底なしライオン」は、よく焔艶灯火(えんえんとうか)と呼ばれる喫茶店に現れるらしい。





 獅子架(ししか)は真剣な眼差しをテーブルに向けていた。

 その眼光は鋭利。

 普段見せることの少ない視線に、向かいに座った焔艶灯火の主人である陽火(ようか)の喉がごくりと鳴った。

 店内はほかに人影はなく、鳥のさえずりと木々が揺れる音だけが満たしている。午前中のまだ冷えている空気のなか、不意に獅子架の口元が緩み崩れた。


(はっ……! いけないいけない)


 彼女は慌てた様子で口元を隠したが、すでに鋭さの大半は失われている。

 改めて、テーブルを見た。

 三つの皿ににそれぞれ違う種類のカットされたケーキが乗っている。

 コーヒーゼリーケーキ。黒い輝石で固められたような層と雪のように白い生クリームが対照的。カットされた断面からはゼリーとクリームとスポンジの積層食感が明瞭にイメージできた。

 フルーツタルト。彩り鮮やかな果実の山は否が応でも目を奪う。艶やかに光を返すナパージュがさらに宝石感を演出していた。華やかな隙間から微かに見えるのはカスタードクリームか。

 レアチーズケーキ。純白を彩るのはベリーによる濃厚な赤。大胆にも上部にはミックスベリーによるゼリー層がある。なめらかなレアチーズと甘酸っぱいベリーが舌の上で溶けあうのが想像できた。


(え、選べないよ――!?)


 獅子架は心で叫び、陽火に涙目で訴える。

 新作ケーキの試食(ただし一個だけ選んで食べる)という悪魔の所業を頼んできた張本人は、欠伸をかみ殺しているところだった。

 万全で挑んだのが間違いだったかもしれないと獅子架は悔やむ。

 彼女は昨日試食を頼まれたときより、いまこの試食に至るまで、ケーキを断っていたからだ。新作を存分に味わうために、ケーキ飢え度数を自ら上げて待つ。それが裏目に出てしまった。

 全部食べたすぎて選べない。


「ぐぬぬぬぬ」


 だけれどそれはある意味一番幸せな時間なのかもしれない。獅子架は葛藤しながらも悩み迷う時間を堪能していた。吟味するのは全身全霊の取り組みで、まごうことなき真剣勝負。濃密な時間を相手に彼女の顔は千変万化する。

 事ここに至るまでも大変だった――と、獅子架は思う。


(今日のために昨日からケーキを我慢してた。試食のことがばれないようにするの大変だったなあ。『どうしてケーキを食べないんですか』って裂咲(さきざき)はうるさいし、影飢(えいき)も『お前が食べないなんて明日はグングニルが降る』とか言うし……)


 腕組みを始めて思考の海にダイブした彼女の前で、陽火がため息をついた。まるで決まりそうにないのだから当然だ。呼びかけても無反応で、これはだめだとばかりにお手上げの素振り。

 そこへ黒髪の少女が現れた。

 陽火と談笑しながらお菓子の袋を獅子架の前にテーブルに置く。白獅子の無反応さに小首を傾げるが、陽火の放っておけといった所作に渋々頷いた。


(まあ裂咲には買い物に行かせたから邪魔はされないよね。ゆっくり悩める!)


 目を閉じ余裕の表情をする獅子架の前で、陽火が裂咲にケーキを勧めた。ためらう少女に遠慮するなと応じる赤毛の店主。「それじゃあ……」とフルーツタルトを選び取る。


 ひょいぱくもぐもぐごくん。


(それに影飢は朝から用事で出かけたから帰ってくるはずないし! どれ食べよう!)


 にやける獅子架。

 そこへ黒仮面の青年が現れた。

 陽火に勧められてコーヒーゼリーケーキを手に取った。


 ひょいぱくもぐもぐごくん。


 食べる動作とともにケーキが謎空間へと消失。


(どれも美味しそうなんだよねー! ああもうどうしよう!?)


 そこで陽火が眉間に皺を寄せて「む、これが余るか」と呟いた。見栄えに問題はないはずなんだがと続けながらレアチーズケーキにフォークを刺して。


 ひょいぱくもぐもぐごくん。


「あー……、迷っちゃうなァ――!? ああっ!?」


 ようやく目を開けた獅子架の前に、ケーキのお皿が三つ。

 どれもが空だ。煌びやかな存在が消えている。

 なにを考えるまでもなく、――叫んだ。


「なんで!?」


 呆れ顔の陽火に獅子架が問う。


「どうしているの!?」


 困った顔の裂咲に獅子架が問う。


「食べちゃったの!?」


 満足そうな影飢に獅子架が問う。


「美味かった」「す、すみません……」

「影飢君や裂咲君は悪くない。いつまでも悩んでいるキミが悪い」


 きっぱりと告げる陽火を前に、獅子架は泣き崩れた。

 食べられなかったことに絶望する。

 だけれど、選べなかったことに後悔はない。


「だってだって全部食べたくなっちゃったんだもんんん……うううぅうぅ……」


 綺麗なままのフォークを握り締め、獅子架はテーブルに顔を伏せた。


「常連のキミがどれを選ぶか知りたかったんだが、まあ、しかたあるまい。好意的に解釈するならば、どれも選べないくらい良い出来だったということだろう?」


 言って笑う陽火に、ぐしゃぐしゃの顔で頷く獅子架。


「それじゃあ、そんな選ばないことを選んでくれた獅子架君にお礼がしたい」

「ふぇ……?」

「裂咲君、ちょっと手を借りていいかな?」


 席を立ち、カウンターの奥へ。

 再び現れた二人を見て、獅子架の瞳が輝いた。


「常連の獅子架君がここまで悩んでくれたのなら見た目に関しては成功だな。あとは実際に食べてみて感想を聞いてみたいところなんだが、――お願いできるかな?」


 並べられたのは三種のホール。コーヒーゼリーケーキ。フルーツタルト。レアチーズケーキ。どれもが一切れずつ欠けてはいるが、ひとりを相手に出す量ではないのは明らかだった。


「いいの!?」

「うむ、キミはいつもよく食べてくれるからな。サービスだ」


 獅子架が咲くように笑う。

 蕩けた顔でケーキを食べていく彼女を、陽火は片肘をついた。


「しかし本当によく食べるな」

「底なしライオンですねー……」

「変わった表現だな」

「あはは……、なんとなくそう思っただけで……」


 応じた裂咲が苦笑する。

 すべてのケーキを食べ尽くす獅子架を眺め、やり取りを聞いていた影飢が言った。


「気に入ったものには遠慮がない。相変わらずだな」

「うっさいうっさい! もう全部私のなんだから。誰にもあげないんだからね!」


 いつものように騒ぐ白獅子に、いつものように影人形は苦笑する。

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