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019 影人形と村娘

 影狼の群れと荷馬車の間に影人形は空から降り立った。

 群れと言っても脅威度は低い。影飢にしてみれば木偶も同然だ。一台の荷馬車を守るのは至極容易な話。伸ばした闇色の爪剣で影狼たちを切り裂けば、真昼の森にあっさりと静寂が戻っていた。


「あ、あんた何者だ……」


 荷馬車の御者台で人間の男が呆然としてる。

 影飢は意識下で偽装アプリが正常に作動していること確認した。目くらましは機能しているはずで、ならばとそれらしい言い訳を用意してやることにする。


「そこで寝てた刻影紋使いだよ。騒がしかったんで始末した」

「そ、それは……」


 男は髭の生えた顎を揉み、皺の刻まれ始めた顔を歪ませて唸った。

 影飢は機械翼を意識下の保持領域(ストレージ)へとしまい込み、手指から伸びた爪剣も同様に消し去る。残ったのは黒衣の黒仮面姿。人間社会ではどうあがいても不審者認定間違いなしだが、そこは偽装アプリが効いているはずで、髭の男は別のことを考えている様子だった。


「この先に進むなら気をつけたほうがいい。まだ化け物がいそうだ」


 影飢は森の奥へと進む街道を眺めて言った。

 視界には自分にだけ見える各種情報を映写展開中。距離はあるが、まだ怪異が残存していることは索敵アプリからも明白だった。

 それに、と。

 影飢は視界端にポップしているミッションアイコンにため息をつく。荷馬車護衛の状況は継続されていて、影狼を倒してもコンプリートされていなかった。


「なあ、あんた。いやはや驚いた。助かったよ。ああ、本当に助かったんだ」


 大仰な声音に影飢は視線を向ける。


「あんたはどっちへ向かってるんだ? 良ければ一緒に街までどうだい」

「方向は同じだけど、――いいのか?」

「もちろんだとも。さあ乗ってくれ」


 髭の男は複雑な笑みを浮かべて言っていた。

 影狼の群れに襲われた恐怖。

 それをあっさりと片付けた者への恐怖。

 まだ怪物が潜んでいるらしい森への恐怖。


(用心棒を確保しようと必死な顔――、だな)


 街で売るのであろう荷台に積まれた商品らしき箱や包みを改めて眺める。

 損得勘定の結果、恐怖よりも欲望が勝ったのだろう。

 髭の男は逃げ帰るつもりがないらしい。


「俺は荷台でいい」

「そうかい? ああ、もうひとりいるが、気にせんでくれ」

(……もうひとり?)

「ひっ――」


 そこには怯えた瞳の少女がいた。

 狭い荷台のなかで少しでも影飢から離れようと、座りながらも後ずさりしている。


「おい、少しおとなしくしてろ。その人の邪魔をするんじゃないぞ」

「……――っ」


 男の声は叱責と呼べるものだった。少女は茶の髪で顔を隠して膝を抱えて丸くなる。


「返事くらいしたらどうだ」

「はい。おとなしくしています。すみません」


 顔を上げることなく少女は言って、不満足ながらも男はそれで切り上げた。対照的に陽気な声音で影飢へと謝辞を並べる始める。


「あんたみたいに強い奴が一緒なら安心だ」

「まあ、狼くらいなら別にどうとでもなるよ」

「そうか心強いなあ。この奇跡は機巧樹様に感謝しないといけないな」


 揺れ始めた荷馬車の上で、影飢は口元が歪む気がした。

 あまり、面白い話ではない。

 男の言葉を生返事で聞き流しながら、動かない少女をうかがった。

 木箱と布包みの間で小さくなっている。


(まるで売り物のひとつだな……)


 流れる木漏れ日のなか、薄暗い街道を荷馬車の音だけが響き続けた。

 森をどれだけ進んだだろうか。

 平穏が終わりを告げた。


「化け物どもが来た。速度を上げてくれ」

「ひ――、ど、どこにいるんだ」

「走らせてくれていればそれでいい。すべて片づける」


 影飢は意識下の保持領域(ストレージ)から右手に長銃を取り出した。

 揺れる荷台の上で、視界へ映写展開させた照準にあわせて射撃を敢行。

 連続射出された黒光の矢が荷馬車の後方に奔る。

 遠く、響いたのは狼たちの断末魔。


「なあ! あんた大丈夫か? 平気なんだな!?」


 男が振り返りはしないものの、必死で後ろを気にしながら叫んだ。

 銃声が男にはどう聞こえているのか。もし振り返ったとしても、偽装アプリを使っているいま、影飢の姿は刻影紋の力でも使って敵を射抜いているように見えているはずだ。あるいは強力な魔弓の使い手かもしれないが。


「もう速度を落してくれていい。粗方終わった」


 幾度も射撃を繰り返し、索敵範囲内の敵は消えていた。

 怪異の処理が落ち着いたことで気持ちが弛緩する。そこで影飢は自分に向けられている視線に気づいた。


「ん――?」


 それは少女のものだった。だけれど、そこに怯えの色は薄れている。

 彼女の頬が少し赤くなっていた。

 手をつき、身を乗り出し、口を開く。

 なにを言われるのか。

 突然の変化に影飢は戸惑い、ただ相手の様子を見続ける。


「ねえ」


 少女の唇が言葉を紡いだ。


「もしかしてあなたって、――ラクシャなの?」





「あたし初めて見た。やっぱり最初空から降りてきたよね?」

「気のせいじゃないか?」

「誤魔化せると思ってる? その格好で?」


 どうやら偽装アプリが効いていないようだと把握して、影飢は片手で頭を抱えた。

 意識下で動かしているアプリに注意を向ける。

 偽装アプリは正常に作動中。だとすれば――、と影飢は少女を見た。


(刻影紋を刻んでいるのか。だから俺の正体を認識できている)

「なになに? お伽噺みたいに、あたしをさらおうとか考えてる?」


 少女はどう見ても普通の村娘で、まるで戦えそうには見えない。事実、襲撃に遭いながらも動く様子がなかった。そんな者が刻影紋を刻むようなケースは限られている。

 考えられるのは――。


「おい! さっきからうるさいぞ。妙なこと喚きやがって。黙ってろ!」


 男の余裕のない怒鳴りとともに少女の口が噤まれた。

 少女が目の前でなにか言おうと唇を動かし、声が出ない様子であがく。なんども繰り返すたびに表情が暗く沈んでいく。少女が自身の左手をつかんで爪を立てた。


(最初は怯えただけかと思ったが……)


 思い至ったのは、――制約の刻影紋。

 男が少女に対してそれを刻んでいるのだと理解して、影飢は改めて彼女を見た。


(よくある話だ)


 木箱と布包みの間に座る少女は、「まるで」ではなく「本当に」売り物のひとつ。

 売り買いされる対象を扱いやすくするために、制約の刻影紋を刻むのは珍しくないことだった。


(この程度で俺の偽装が効かないのも珍しいが……。才能でもあるのかね)


 影飢は視界端のアイコンを横目に、映写展開された地図情報を眺める。

 索敵アプリに反応する光点が赤く表示されていた。

 数はひとつ。

 前方。


「おい、止まれ」

「な、えっ、あ――?」

「いいから」


 荷台から御者台へと移った影飢は前方を示してやる。

 木々の陰、巨大な影が在った。


「見ろ、大物のお出ましだ」

「…………ッ」


 髭の男は馬を操りなんとか馬車を停止させていく。


「は、早くなんとかしてくれッ」


 止まったときには、影はもう詳細が視認できた。

 五メートル近い人型に近い巨体。さながら動く家屋くらいの威圧感はある。

 影大鬼に分類される怪異だった。

 一歩。

 影大鬼が動いた。

 荷馬車が揺れて草木が鳴る。

 地面まで届く巨大な腕を揺らしながら、近寄って来ていた。


「あんたなら倒せるんだろう!? なあ!」

「それより気になることがあってさ。俺はあんたに聞きたいことがある」

「なにが、なにを? 化け物が! なあ!」

「あの子はどうしたんだ?」

「は――? あのガキがなんだってんだ。早く化け物を殺してくれよ!」


 まだ少し距離はあったが、間違いなく影大鬼は迫っている。

 それでも、男の様子を気にせず影飢は続けた。


「あの子は商品か?」

「なんなんだよ、あんたは……。ああ、そうだよ売り物だ。村で買いつけた。親が買ってくれって言ってきたからな。よくあることだろ? それがなんだって言うんだ。いまそれどころじゃないだろう!?」

「いや、大切なことさ。これは商談だから」


 髭の男がオウム返しに「商談?」とだけ呟いた。


「ああ。俺はあんたを助けてやる。その代わりに報酬が欲しい」

「報酬……?」


 視線が荷台に向けられた。少女が身をすくませる。

 助ける対価に報酬を現物でもらうというだけの話。


「だ、だめだ! あのガキは渡せない。いくらで売れると思ってるんだ!」

「まあ、刻影紋も安くないだろうしなぁ」

「金なら出す。ガキは渡せないが、相応の金は出す。それでいいだろう!」

「俺はあの子が欲しい」


 金額の問題ではないのだと、影飢は視界端を見ながら思った。

 突然ミッションを変更したであろう「見えない誰か」に毒づく。途中から護衛に加えて少女の解放が追加されていた。髭の男を殺して解放するのは容易だったが、それでは宿伎(やどりぎ)OSが利用し難くなる。少女をさらっても、程度の違いはあれ、厄介なのには変わりない。単純に買い取ろうにも、いろいろと制限が厳しかった。


(条件が面倒なんだよ……)


 視界端のアイコンを忌々しく睨む。

 その視界が暗くなった。

 見上げればすぐそこに、――影大鬼がいた。


「ひ――、ああァぁああッあんなガキ! く、くれ、くれて――」


 長い長い巨腕が伸びてくる。


「クれてやルから! ははハやクなんとかシろ――!!」


 黒雷が視界を灼いた。

 巨腕が散り消え影大鬼が吠える。


「商談成立ということで」


 撃ち放った長銃を投げ捨てるように保持領域(ストレージ)へ。

 そのまま迅速に武装を展開構築する。


「――あとはお前を倒すだけか」


 それは闇を纏う黒色の刃。

 両の手に権限したのは剣のように長い爪。

 御者台に立った影飢は、影大鬼に向かって跳んだ。





 軽く影大鬼の胸元まで跳んだ影飢は、爪を揃えて突くような一撃を放った。

 だがそれが相手に突き刺さることはない。

 生まれたのは弾けるような衝撃音。

 黒い雷光を撒き散らしながら、影大鬼がよろめきながら後退した。

 荷馬車から離れる五メートルの巨体。

 影飢は着地を待たず、足場を「作る」ことで直線的に追撃をかけた。

 その鋭角に刻まれる闇色の連撃に反応するには、巨体の体躯はあまりに遅い。


「――――」


 発生させた術式陣を蹴り、すれ違いざまに影大鬼の腹を裂く。

 着地と同時に足を狙う。

 浅いが、距離を取るように跳躍。

 そこでようやく、跳ぶ前にいた場所へと巨腕が振り下ろされた。


「は、ははっはは! なんだ圧倒的じゃあないか! 出し惜しみするだけはある!」


 なにやら騒いでいる髭の男に、影飢はため息をつく。

 直後。

 男の叫びが途切れることになった。


「あ――!」


 影飢の身体が吹き飛び、木にぶつかり、地に落ちる。

 影大鬼の巨腕が、殴り飛ばしたまま、勝ち誇るように掲げられていた。

 巨体がゆっくりと荷馬車へと向かい始める。


「ひっ……、う、あ……」


 男は御者台から転がり落ちるように逃げ出し始めた。

 足がもつれ、這い、起き上がろうとして、――男を覆うように影が落ちた。


「調子に乗るなよ――、図体だけの怪異が」


 振り向き仰いだ男の視界に映ったであろう光景は。

 怪異の口元へ、背後から刺し込まれた五本の刃。

 それが薙がれ、なかばから頭部が引き千切れる瞬間。

 そのまま影飢に蹴り倒された影大鬼は、力尽き四散していった。





 森を抜けた荷馬車から降りた影飢は空を仰いだ。

 まだ日暮れには遠いが、当初の予定より随分と遅くなっている。これは獅子架に文句を言われるなと思い、気が重くなった。

 街道を行く荷馬車の音が遠ざかる。

 ミッションを示す視界端のアイコンは消えていた。加算されたポイントは確認済みで、その点では肩の荷が下りている。臨時収入であり、少し手間でも介入した価値はあった。

 車輪の耳障りな響きが消えたあたりで、影飢の黒衣が引っ張られる。


「あたしをどうするつもり?」

「別に、取って食いはしないよ」


 隣に立っていた村娘の少女が真っ直ぐに影飢を見上げていた。

 いま彼女は制約の刻影に縛られていない。

 影大鬼を倒した影飢に対し、髭の男は思いのほかあっさりと少女を手放した。


(わざわざ演出した甲斐があったな)


 男にしっかりと恐怖を植えつけ、一度は苦戦するという手間までかけた。あまりに簡単に倒せば報酬を出し渋りそうだったからだ。金銭ではなく少女が必要だった以上、値切られるのは面倒だった。


「村に帰りたいなら帰してやるよ」

「帰っても、また売られるだけだから」


 少女は影飢の顔から視線を逸らさない。


「ラクシャは人間をさらうんでしょ。あなたがさらってくれればいい」

「それは無理な提案だ。人さらいはいまどき流行らない」

「あたしを助けたくせに」


 少女の荒れた手は黒衣をつかんだまま離さない。


「お前は俺のものだから俺がどうしようと自由、――だよな?」

「うん」

「ちょっと目を閉じてろ」


 映写展開した画面を操作し、転移を申請。座標は比較的情勢の安定している治安の悪くない街の近く。すぐに視界が暗転し、景色が変わった。

 風の質が違う。海が見下ろせた。

 それに気づいた少女が騒ぐが、影飢は取り合わない。

 当座の金を持たせ、護身用の刻影紋を刻んでやり、近くの港街まで送る。


「手切れ金ってわけね」

「餞別と言ってほしいな」


 道すがら少し話をした。

 海のことや街のこと。少女は多弁だった。それによく笑う。だけれど、村のことやラクシャのことには一切触れる様子がない。

 機巧樹の影響ですぐに今日の記憶は改変される。

 流れの刻影紋使いに気まぐれで助けられた――、それくらいの思い出になる。


「また会える?」


 壁門の近くで立ち止まった少女が言った。


「お前が長生きしたらな。ほら、さっさと住み込みで働けるところでも見つけろ」

「はいはいわかりましたー」


 夕暮れの差す街。

 壁門から見える雑踏に消える少女を見送って。

 なけなしの金を使った言い訳を考えながら、影人形は帰路につく。

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