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017 刀

 その建物群はなかば海に沈んでいた。

 それは結晶樹の生み出す異界。

 陽光の下、錆びた鋼材と浸食された人造石が広がっている。

 その蔦草が覆う建物たちの合間を、黒の翼と白の翼が飛んでいた。


「敵が妙に少ないな」

「誰かいるかも? かも?」


 横に並ぶ獅子架の言葉に影飢は頷き返す。


「――と、前方左。ネレウスタイプ」

「あいあい」


 獅子架は減速せずに、構えた白剣から飛翔端末を撃ち出した。

 建物内へと消える端末。それと代わるように黒い触手が無数に飛び出した。

 二人を狙うように突き迫る。


「ひぅ――」


 白の少女が絡め取られそうになる直前、闇色の障壁が触手を弾いた。


「予測くらいしとけよ……」


 黒の青年は強襲銃で触手を撃ち落す。腕部装甲から分離させた飛翔端末を操作し、残った触手から少女を続けて障壁で守った。


「とどめる!」

「おうおう、早くしろ」


 見えない相手を断ち斬るように白剣が振るわれた。

 建物内で発光現象。視界内情報からネレウスを示すマーカーが消失した。


「はぁ、怖かったぁ!」

「速度落とさないから反撃は予測済みだと思ったのにこれだ。いい加減学習しようぜ? ネレウスを倒すのはもう何度目だ? 反省しろ」


 空中で姿勢制御しながら、言っても聞かない少女を叱りつける。


「回数は覚えてません。反省しますん」

「おいこらどっちだ」

「怖いものは怖いからー!」

「だからその怖い思いをしないように最初から予想しておけと――」


 そこまで言って、影飢は言葉を切った。視界に表示させた情報に変化があったからだ。

「……――ふむ」

「どうかしたの? 影飢えいきエイキえーきー……おーい」


 保持領域(ストレージ)内のアプリを切り換え索敵を強化する。


「獅子架、よく聞け。やはり誰かいる」





 刃は通る。

 だけれど、勝機が薄いことを裂咲(さきざき)は肌で感じていた。

 建造物の屋上では、黒髪の少女を取り囲むように複数の怪異が集まっている。倒しても倒しても数が減る様子はない。同じ触手タイプの怪異たちだったが、徐々に新手が増えているのだと理解できた。


「――引き際ですね」


 闇紫の一閃。

 触手の怪異を切り散らして道を作った。

 同時に、振るう刀の刃が砕け散る。

 『紫黒(しこく)』が四散するのは想定内。そのまま柄を連鞘へ。

 刃を『紫銀(しぎん)』へと換装して背後に迫った触手を切り払う。

 少女は黒髪を揺らしながら屋上を駆け、――跳んだ。

 隣接する建造物の屋内へ。

 八メートル強の跳躍。

 下に広がる海面までは二十メートル以上あるが、気にとめることもない。

 四角く並び空く窓に飛び込むと、日差しが遮られた。


「――、ん」


 着地の衝撃を殺して周囲をうかがう。

 風化した人造石の建物内は薄暗いが、ひとまず怪異の気配はない。


「さてと。どうやって離れ――」


 気づいたときには手遅れだった。

 足を止めていた。屋内に入り気が緩んでいたのかもしれなかった。

 慌てて動かした足に触手が絡みつく。

 バランスを崩した。

 眼前に迫る人造石の床に、思わず腕での守りに入る。


「――っ」


 それが失敗だと理解したのは、その身が建造物の外へ投げ出されてからだった。

 空中に放られ、眼下に数体の怪異が見えた。繋ぎ合わせの形で建物間を渡り触手を届かせたのだと知って、裂咲は自身の計算が甘かったことを知る。

 舌打ち。

 着地場所を探すが、それを怪異たちは許さなかった。

 幾本もの触手に絡み取られ、元の屋上へと引きずり戻される。


「んぐっ――」


 喉を絞められるが、首を折られるには至らない。

 痛みのなかで少女は周囲を確かめる。

 触手の本体である人型の怪異たちが笑っている気がした。髪のように伸ばした触手から逃れる術はない。手にした刀は放していないものの、身動きできないように拘束されてしまっては意味がなかった。

 徐々に遠のく意識のなか、それでも瞳を閉じずに抗う。

 その歪んだ視界を――、白と黒の閃光が埋めた。




「か、はっ……、はぁ――、はぁ――」


 絞めつけが緩むことで触手が落ちた。

 裂咲は目を擦り、周囲をうかがう。音が連続していた。

 屋上にひしめく怪異が次々に消えていく。

 白い光。宙を舞う小さな金属が、光を放って敵を射抜いていた。

 上からも黒い雷が降り注ぐ。怪異は瞬く間に消滅していった。


「……――っ」


 空を仰ぎ、逆光に目を細める。


「みーつけた!」


 それは場違いなほど軽い声音。

 白い機械の翼を背に持つ女の子が舞い降りて来た。

 軽快な靴音を立てて走り寄り、座り込んだ裂咲を見て小首を傾げる。


「獅子架。不用意に近づくなって言ったばかりだろ」


 続けて降りてきたのは黒い男だった。

 声質は若い。けれど、全身を覆う黒衣と黒仮面からは、年齢がうかがえない。


「元気ない? 痛いの? じゃあ――」


 不安な顔を見せる女の子は、なにか思いついたように笑顔へと転じ、

 ――その身に不釣合いの剣を裂咲に向けて動かした。


「――――!」


 咄嗟に刀を振るう。

 向けられた剣先を払うように一閃。


「え――」


 驚くほど簡単に、女の子の手から剣が飛んでいた。

 剣の擦り転がる音が耳障りに鳴り響く。

 裂咲以上に呆然とした顔が目の前にあった。

 意味が分からず口を開けてかたまっている女の子。


「う、――うああぁぁあん、あァぁあ……」

「え、なに……」


 触手の痛みが残る体に鞭を打って起き上がり、泣き始めた女の子から距離を取る。


「不用意に剣を向けたお前が悪いんだからな」

「うあぁぁん、うあう、んぐ……、うぇあぁぁ……」


 歩み寄った男は女の子をなだめると、裂咲へ視線を動かした。


「すまない。こいつに悪気はないんだ。怪我を治そうと思っただけなんだよ」


 男の視線が転がる剣に向かう。


「その剣は治療もできる力があってね。だから、別に君を傷つけるつもりはない」


 仮面で表情は見えないが、落ち着いた声だった。


「できれば……――その刀、下ろしてもらえるかな? 話がしたい」


 言われ、気づいた。

 泣いている女の子へ切先を向け続けていた。

 持つ手が震えている。

 裂咲は泣き声を前に苦笑した。


「私のほうが余程見苦しいですね。すみません」


 静かに、連鞘へと収まる刀の音が鳴る。





 立ち直った獅子架が白翼で飛翔しながら怪異を処理していた。

 建物の間を飛びながらの移動狩り。影飢は飛翔障壁を操りながら、黒髪の少女との話を続ける。


「本当にいろいろなことができるんですね。この宿伎(やどりぎ)OSというのは」

「便利だろ?」

「はい。紫黒と紫銀を維持しながら飛べるようになるとは思いませんでした」


 簡素な機械翼を使って並び飛ぶ少女は、少し高揚した面持ちで言った。


「俺たちが機巧樹の外で生きるのが随分と楽になる。作ってくれた奴に感謝だな。俺自身が不良品なんで、かなり助けられた。情報の共有もできるし、各種アプリは自分の都合にあわせて最適化しやすい」


 影飢は視線を少女の連鞘に置く。


「その刀も圧縮して当面使わないほうがいい、と俺は思う。コストが異常な割りに、君が性能を引き出せていない。その刀が足を引っ張っていることはさっきも説明――」


 少女の顔から高揚の色が消えていた。


「まあ、好きにすればいいさ」


 軽い警戒音にあわせ、飛翔端末を操作。

 触手と鉢合わせしている獅子架を障壁で援護した。


「君くらいの力量なら、死を遠ざけるのは簡単だろうから。ただ、この結晶樹は単独攻略には不向きだから、あとでいい場所を紹介するよ」

「それは――、えっと……。その場所はここより燐子が手に入りますか?」

「さすがに厳しいかな。攻略が簡単な分だけ稼ぎも減るのが普通だ」

「そうですか……」

「稼ぎたいなら仲間を探すという手もある。OSで利用できるサービスには有料の物も多いからな。死を遠ざける以上に稼ぎたい奴も結構いる――らしい」


 急に曖昧になった言葉に少女が不思議そうな顔を見せる。


「ラクシャの知り合いは少ないんだ。俺はひとりが長かったから。だから悪いけど、紹介できるような相手はいない」

「あ、いえ、その、すみません」


 途切れた会話のなか、獅子架が軽快に怪異を処理し続けていた。


「あの子、凄いですよね。正直、強さが理解の範疇を超えています。あなたも凄いですけど、ラクシャは皆こんなに強いんですか?」

「まさか」


 影飢は肩をすくめて見せる。


「単純なスペックで言えば、獅子架は最高ランクだよ。頼りないけどな。でも君くらいのラクシャはいくらでもいる。時々、人間の英雄たちに狩られたなんて話も聞く」

「人が?」

「人間は怖いよ。機巧樹のなかとはいろいろ違うと思ったほうがいい」


 少女は唇を噛み、なにかを思案するように影飢から視線を外した。


「あの。お願いがあります」


 視線が戻ったとき、少女の声音は真っ直ぐ響いた。


「私をあなたたちの仲間に入れて欲しいんです。……その、なんでもしますから!」


 その言葉を聞き、影飢は顎に手を当て思案する。

 怪異を追いかける白の少女を眺め、頷いた。


「俺は構わないよ。あとは獅子架がいいって言うかどうかだ」





「ヤダ! やだやだゼッタイやだ! 私こいつ嫌い!」

「うぅ……」


 焔艶灯火の店内に獅子架の声が反響した。

 二階のテーブル席に着きながら、黒髪の少女は肩を縮めて下を向いている。


「ほら獅子架ケーキだぞー」

「こんなので……むぐ、だまされ、んぐ……、ないんだからっ」


 影飢が差し出したイチゴショートを倒し、獅子架はフォークを持った拳でテーブルを叩いた。びくりと黒髪の少女がすくみあがる。


「だいたいこいつ弱いんだから、役に立たないでしょ!」

「なんでもしてくれるらしいぞ」

「なーんーでーもー?」

「は、はぃ……」

「なにもできないくせに! 言うだけなら簡単なんだからねっ」

「お前偉そうだなー……」

「えーきは黙ってて!」

「お、おぅ」


 獅子架の剣幕に押され、影飢は黙り込む。


「なにが目当てか言ってごらんなさい。このドロボーネコ!」

「なんの影響だよ……、あ、いやなんでもない」

「私も影飢もちょー強いんだから? すり寄ってくるのはわかるけど? 私そーゆーの嫌いなの!」

「ごめんなさい……。でも他に頼れる人がいなくて……」

「頼る必要がないくらいには強いでしょ!」


 それを聞き、影飢は「さっき弱いって言ったじゃないか」と言いかけ睨まれた。


「私は弱い。凄く弱いです。せっかくの力も上手く扱えないくらいに」


 静かに言葉を紡ぎ始めた少女に、獅子架は不満顔で耳を傾ける。


「皆が羨んだこの刀の力も、私は引き出しきれませんでした。実力が伴わない才能って残酷ですね。機巧樹の外でよく理解できました」


 少女は指先で連鞘に触れた。


「私は死を遠ざけるだけの燐子が集められません。この刀を持てるだけの才覚があると、必要になる燐子の量も増えるんですね。正直なところ、諦めていました。もう長く生きる道はないと。それでいいとも思いました」


 落としていた視線を、少女は獅子架へと向ける。


「でもいまは嫌です。生きていたい。獅子架さんみたいになりたいんです」

「私みたいに?」


 まばたきを繰り返し、少女を見つめ返した。


「はい。凄く強いのに泣いたり怒ったりして、ケーキを美味しそうに食べる人」

「なにそれ意味分からないんだけど!」

「すみません。――でもだから、一人で立てるようになるまで力を貸してください。どうかお願いします」


 あわあわしながら獅子架は影飢を見てくるが、返すのは沈黙。


「う、うー……。む、難しくてよく分からなかったけど、その、真剣なのは分かった。嫌いだけどね! 嫌いなんだからね!? だから、えっと……か、勝手にすれば!」

「――ありがとうございます、獅子架さん!」

「うっさいうっさい。てゆーか、私は名前知らないんですけど!」

「あ、すみません。私は――」

「あーあー! 聞いてないし! 興味ないし! 下で遊んでくるっ」


 どたばたと席を立ち、獅子架は階段を駆け下りていく。


「えーっと……、その、裂咲(さきざき)です……。よろしくお願いします……」


 直後、階下から店主の怒鳴り声が聞こえてきた。

 憂鬱なため息をひとつ。


「あー、まあ、こんな感じだけど、よろしく。頼りにしてる」


 少女を促し、影飢は椅子から立ち上がる。

 階下からなにかが倒れた音と、再びの怒声が響き渡った。


「もう一回言う。頼りにしてる」

「は、はい……」


 足の止まった少女の手を引いて、影人形は歩き出す。

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