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マリー・アントワネットの首飾り、237年目の答え合わせ  作者: 東曌


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第五話 王妃の名で買われた首飾り

第五話 王妃の名で買われた首飾り


## 一 六百四十七個の輝き


それは、身につけるための宝石というより、富そのものを形にしたような品だった。


ダイヤモンドが連なり、光を受けるたびに、無数の小さな星のように輝く。


首飾りの中央には、大きな石を組み合わせた装飾があり、周囲にはダイヤモンドの房飾りが垂れ下がっていた。


宝石商ベーマーとバッサンジュが手がけた、途方もなく高価な首飾り。


その品は、もともとルイ十五世が愛妾デュ・バリー夫人のために求めたものだった。


しかし、首飾りが完成する前に国王は亡くなった。


新しい王、ルイ十六世のもとで、宝石商たちは買い手を探すことになった。


彼らにとって、これは単なる失敗作ではなかった。


首飾りには、巨額の資金が投じられていた。


買い手が見つからなければ、その金は長いあいだ回収できない。


宝石は美しい。


しかし、宝石商にとって、美しさだけでは商売にならない。


売れなければ、利益は生まれない。


むしろ、売れない高価な商品は、店の経営を圧迫する重荷になる。


ベーマーは、首飾りを眺めた。


これほどの品を、誰が買えるだろう。


そして、誰なら、この品を買うことが名誉になると考えるだろう。


答えは、フランス王妃だった。


マリー・アントワネット。


彼女ならば、身につけることのできる財力がある。


彼女ならば、宮廷の誰もが驚くほどの宝石を持つことができる。


そして、彼女が買えば、この首飾りは失敗した商売の象徴ではなく、王室に認められた逸品になる。


宝石商たちは、すでに一度、王妃に購入を勧めていた。


しかし、断られた。


その返事は変わっていなかった。


王妃は、首飾りを買わなかった。


それでも、宝石商たちは望みを捨てきれなかった。


首飾りが売れないかぎり、彼らの苦境は続く。


そして、そこへジャンヌ・ド・ラ・モットが入り込んでくる。


彼女は、王妃の意向を知っていると主張した。


王妃は本当に首飾りを欲しがっている。


ただし、公然と購入することはできない。


だから、秘密裏に話を進める必要がある。


そうした説明は、宝石商たちにとって、都合のよい希望だった。


王妃が断ったという事実よりも、王妃が欲しがっているという新しい話を信じたい。


売れなかった首飾りが、ついに売れるかもしれないのだから。


だが、ここには大きな問題があった。


ジャンヌは、王妃本人ではない。


王妃から正式な注文を受けた代理人でもない。


彼女が王妃の意向として語ることは、王妃自身の意思を証明するものではなかった。


しかし、人間は、欲しい答えを与えてくれる相手に対して、確認を怠ることがある。


そして、確認を怠ったとき、希望は詐欺の入口になる。


## 二 秘密の購入者


ジャンヌは、ロアン枢機卿に首飾りの話を持ち出した。


「王妃陛下は、あの首飾りをお望みなのです」


ロアンは、驚いた。


「あの首飾りを?」


「ええ。しかし、ご自分で直接交渉することは難しいのです」


ジャンヌの説明によれば、王妃は宮廷の事情を考え、表立って買い物をすることを避けたいのだという。


王妃が自ら宝石商と交渉すれば、宮廷内に噂が広がる。


首飾りの価格が知られれば、浪費を批判する者たちが騒ぎ立てる。


だから、信頼できる人物が間に入る必要がある。


その役割を担うのが、ロアンだった。


ロアンは、しばらく黙っていた。


首飾りの価格は、常識的な買い物の範囲を大きく超えていた。


それを購入するということは、王妃のために、途方もない金額を動かすことを意味する。


だが、ロアンにとって、それは単なる商取引ではなかった。


王妃から信頼されるということ。


王妃の秘密を託されるということ。


そして、王妃のために働く機会を得るということ。


それらは、彼が長年望んできたものだった。


「陛下は、私にその役目をお任せくださったのか」


「王妃陛下は、あなたを信頼しておられます」


ジャンヌは、そう答えた。


ロアンは、その言葉を聞いて、心を動かされた。


彼は、王妃に拒絶されていた過去を知っている。


だからこそ、信頼を取り戻すことの意味を、誰よりも強く感じていた。


自分が選ばれた。


自分が必要とされている。


その実感は、金額の大きさに対する不安を押しのけていった。


しかし、彼は一つの質問をしなかった。


王妃本人から、直接、依頼を受けたのか。


その確認さえあれば、事件の流れは変わっていたかもしれない。


だが、ロアンはジャンヌを信じていた。


いや、ジャンヌが語る王妃の姿を信じていた。


そこに、二つの違いがあることを、彼はまだ理解していなかった。


## 三 契約書の署名


首飾りの取引は、秘密裏に進められた。


ロアンは、宝石商たちと交渉する役割を担った。


首飾りを王妃のために購入する。


代金は分割して支払う。


そうした条件が整えられていく。


宝石商たちにとっても、これは大きな機会だった。


長いあいだ売れなかった首飾りが、ようやく買い手を得る。


しかも、その買い手は王妃だという。


王妃の名前が関わっているのなら、取引は成立するかもしれない。


彼らは、ジャンヌやロアンの説明を信じ、契約へと進んでいった。


一七八五年一月、首飾りの取引は契約という形をとる。


ロアンは、王妃のために手続きを進めていると信じていた。


しかし、そこには王妃本人の正式な意思が存在しなかった。


王妃は、首飾りを注文していない。


購入を依頼していない。


そして、取引が進められていることさえ知らなかった。


それなのに、契約の中では、王妃の名が取引の信用を支えるものとして扱われていった。


この事件の奇妙さは、そこにある。


王妃が自ら宝石を買ったのなら、話は単純だっただろう。


浪費したのか。


高価な品を必要としていたのか。


その支出は妥当だったのか。


そうした議論ができる。


しかし、実際には、王妃が注文していないものを、王妃のためだと信じた人々が買おうとしていた。


王妃の名前は、本人の意思から切り離されていた。


彼女は取引の中心にいるように見えて、実際には何も決めていなかったのである。


それでも、王妃の名前があるだけで、人々は取引を信じた。


王妃の名前があるだけで、巨額の金が動いた。


王妃の名前があるだけで、疑うべきことが見えなくなった。


名前には力がある。


とりわけ、王妃という名前には。


しかし、名前の力が強いほど、その名前を利用する者も現れる。


そして、利用された名前の持ち主は、自分が何をしたことになっているのかさえ、知らない場合がある。


## 四 王妃の知らない買い物


そのころ、マリー・アントワネットは何をしていたのだろう。


彼女は、ヴェルサイユの宮廷で日々を過ごしていた。


王妃としての儀礼。


宮廷の人間関係。


子どもたちのこと。


そして、王室の支出や評判に対する批判。


彼女の生活には、彼女自身が望むと望まざるとにかかわらず、多くの視線が向けられていた。


衣服を新調すれば、浪費だと噂される。


舞踏会に出れば、贅沢だと批判される。


誰かと親しくすれば、その人物との関係が話題になる。


王妃であることは、華やかな衣装を身につけることだけではなかった。


自分の行動が、常に政治的な意味を与えられることでもあった。


もちろん、マリー・アントワネットには、軽率な行動もあった。


宮廷の慣習や贅沢な生活から、完全に自由だったわけではない。


自分の浪費が人々の目にどう映るのか、十分に理解できていなかった面もあるだろう。


だが、それと、彼女が首飾りを注文したかどうかは別の問題である。


浪費家だったから、首飾りも買ったに違いない。


王妃は贅沢が好きだから、秘密の購入もあり得る。


そんな推測は、証拠の代わりにはならない。


彼女が浪費したことがあるからといって、彼女がしていない買い物まで、彼女の責任にすることはできないのだ。


欠点を認めることと、すべての罪を負わせることは違う。


この違いは、事件の真相を考えるうえで、決して小さくない。


マリー・アントワネットは、首飾りを買っていなかった。


しかし、首飾りの取引は、彼女の名を借りて進んでいた。


彼女の知らないところで、彼女のためだという理由が作られていた。


そして、その理由は、やがて彼女を追い詰めるための材料へと変わっていく。


## 五 最初の亀裂


取引が成立したからといって、すべてが順調に進むわけではなかった。


首飾りはあまりにも高価だった。


支払いには多額の資金が必要であり、分割払いの条件が守られなければ、宝石商たちは再び苦境に陥ることになる。


一方、ジャンヌたちにとっても、取引を成立させることは終わりではなかった。


首飾りを手に入れなければならない。


手に入れた首飾りを処分しなければならない。


そして、王妃が本当に購入したのだと、周囲に信じさせ続けなければならない。


嘘は、一度つけば終わるものではない。


一つの嘘を守るために、次の嘘が必要になる。


次の嘘を守るために、さらに別の嘘が必要になる。


やがて、嘘をついている本人でさえ、どこまでが事実で、どこからが作り話なのか、区別できなくなることがある。


ジャンヌは、王妃の名前を利用していた。


ロアンは、王妃の信頼を得たと信じていた。


宝石商たちは、王妃が首飾りを買うのだと期待していた。


それぞれの思惑は、同じ方向を向いているように見えた。


しかし、その中心にいるはずの王妃だけが、何も知らなかった。


取引の書類が整えられていく。


宝石商たちは、首飾りが売れる未来を思い描く。


ロアンは、王妃との関係が修復される未来を思い描く。


ジャンヌは、首飾りを手に入れる未来を思い描く。


だが、そのどこにも、王妃本人の意思は存在していなかった。


やがて首飾りは、宝石商たちの手を離れることになる。


そのとき、誰が本当に利益を得るのか。


誰が損失を負うのか。


そして、誰が事件の責任を負わされるのか。


その答えは、まだ誰にもわからなかった。


ただ一つ、確かなことがある。


マリー・アントワネットは、その首飾りを注文していない。


それでも、歴史は彼女の名前を、首飾りから切り離せなくなっていく。


彼女が断ったはずの宝石が、彼女の名を使って買われようとしていた。


そして、買われた首飾りは、やがて王妃の名誉を傷つけることになる。


首飾りは、まだ輝いていた。


その輝きの中に、誰の欲望が映っているのか。


それを見極めるには、もう少し時間が必要だった。

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