第十三話 答え合わせの、その先へ
第十三話 答え合わせの、その先へ
首飾りの行方を追いかけてきた。
宝石商が作り上げた豪華な首飾り。王妃の名を利用した詐欺。枢機卿の思い込み。王妃に似た女性を使った偽りの逢瀬。そして、ばらばらに解体され、散逸していった宝石。
事件の輪郭をたどれば、そこには確かに、欲望と虚栄と欺瞞があった。
けれど、最後まで確かめておかなければならないことがある。
**誰が、何をしたのか。**
そして、
**誰が、何をしていないのか。**
この二つは、似ているようで、同じではない。
首飾り事件において、マリー・アントワネットが首飾りを注文したという確かな証拠はない。
彼女は購入を望まなかった。ところが、彼女の名は詐欺の道具として使われ、事件が明るみに出ると、その名は疑惑とともに広く知れ渡った。
裁判では、首飾りを手に入れるために動いたジャンヌ・ド・ラ・モットが有罪となった。首飾りの購入をめぐって欺かれたロアン枢機卿は、無罪となった。
しかし、裁判の結果と、世間が抱いた印象とは、必ずしも一致しなかった。
王妃の名は、事件そのものとは別のところで傷ついていった。
ここに、歴史の皮肉がある。
人は、裁判の記録を読む前に、噂を聞く。
証拠を確かめる前に、誰かの表情を思い浮かべる。
そして、いったん出来上がった人物像に、後から見つけた事実を当てはめてしまう。
マリー・アントワネットは浪費をしたのか。
した。
宮廷の贅沢な暮らしから、彼女だけを切り離すことはできない。彼女自身の好みや支出が、批判の対象となったことにも理由はある。
フランス王政の財政危機も、王妃の浪費だけで説明できるものではない。長年の戦争による債務、税制の不公平、改革の難しさ、宮廷を含む支出の問題。それらが重なっていた。
だからといって、王妃に何の責任もなかったとするのも、事実を単純にしてしまう。
必要なのは、すべてを許すことではない。
責任の範囲を、正確に見定めることだ。
*
王妃の姿を思い浮かべるとき、私たちはしばしば、巨大な髪型と豪華なドレスを思い出す。
高く結い上げられた髪。羽根飾り。リボン。宝石。幾重にも重なる布地。
その姿は、いかにも彼女ひとりが作り出した時代のように見える。
だが、マリー・アントワネットがロココのドレスを発明したわけではない。
彼女がフランス宮廷にやって来る以前から、貴族たちは豪華な衣装をまとい、髪を高く結い上げ、身を飾っていた。
王妃のそばには、仕立屋ローズ・ベルタンがいた。髪を手がけるレオナールらの職人もいた。
流行は、一人の人間の頭の中だけから生まれるものではない。
職人の技術があり、宮廷の競争があり、身分を示そうとする社会の仕組みがあり、そして、それを身にまといたいと願う人々がいた。
マリー・アントワネットは、そうした文化の中で衣装を選び、流行を広め、時代を象徴する存在になった。
髪に粉をつける習慣も、彼女が始めたものではない。
十八世紀のヨーロッパでは、男女ともに髪やかつらに粉を用いることがあった。使われたのは小麦粉だけではなく、でんぷん質の粉などである。
それは当時の身だしなみであり、宮廷文化の一部でもあった。
もちろん、当時の豪華な装いを批判することはできる。社会に深刻な格差があり、食糧事情が厳しい時期に、宮廷の華美な暮らしが人々の反感を招いたことも理解できる。
ただし、その習慣全体を、王妃ひとりが考案したものとして語るのは正しくない。
時代が作り出したものを、時代の象徴となった一人の女性に背負わせる。
そこでは、何が始まりで、誰が広め、誰が支え、誰が利益を得ていたのかという問いが、いつの間にか消えてしまう。
巨大な髪型の下には、巨大な社会があった。
王妃の頭上に載っていたのは、髪飾りだけではなかったのかもしれない。
*
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」
この言葉ほど、マリー・アントワネットの人物像を簡潔に表すものはないだろう。
民衆の苦しみを理解できない王妃。
自分たちの贅沢しか考えない支配階級。
その一言を聞けば、誰もが怒りを感じる。
しかし、この言葉を彼女自身が口にしたと確かめられる同時代の証拠は、見つかっていない。
ルソーの『告白』には、身分の高い女性がパンの代わりにブリオッシュを食べればよいと述べた、という趣旨の逸話が登場する。だが、そこではマリー・アントワネットの名は挙げられていない。
この逸話と王妃を結びつけることには、慎重でなければならない。
それでも、その言葉は生き残った。
なぜだろう。
おそらく、その言葉が、王妃に対して人々が抱いた不満や怒りを、あまりにもわかりやすく表現していたからだ。
本当に口にしたかどうかとは別に、彼女なら言いそうだと思われてしまった。
そして、言いそうだという印象が、いつしか、実際に言ったという記憶に変わっていく。
ここでも、私たちは同じ問題に出会う。
事実が先にあって、人物像が作られることもある。
しかし、人物像が先にできあがり、そこへ都合のよい事実が付け加えられることもある。
人は、証拠だけで歴史を記憶しているわけではない。
物語によって記憶する。
*
アレクサンドル・デュマのような作家は、歴史上の人物に息を吹き込んだ。
歴史の記録に残された名前や事件を、読者が心を動かされる物語へと変えていく。
人物は語り、愛し、憎み、裏切り、時には歴史の記録だけでは見えない心の動きを持つ。
それは小説の力である。
『王妃マルゴ』をはじめとするデュマの歴史小説も、過去の出来事を、読者が生き生きと感じられる世界へと変えてきた。
小説が歴史への入口になることは、決して悪いことではない。
一冊の小説を読んだことがきっかけで、読者が歴史に興味を持ち、実際の記録を調べ始めることもある。
問題は、物語が魅力的であればあるほど、どこまでが記録で、どこからが創作なのかを忘れてしまうことだ。
小説家は、人物の心を想像する。
歴史家は、残された史料を調べる。
その仕事は同じではない。
そして、どちらか一方だけが不要ということでもない。
想像力がなければ、過去の人間は、日付と数字の羅列になってしまう。
史料を確かめる姿勢がなければ、想像力は、いつしか事実の代わりになってしまう。
私たちは、物語を楽しみながら、物語と史実の境界を見失わないようにしたい。
マリー・アントワネットについても、それは同じだった。
彼女は歴史上の人物であると同時に、数えきれない物語の登場人物にもなった。
物語の中で、彼女は浪費家になり、愚かな王妃になり、時には悲劇の聖女になった。
けれど、どの姿も、それだけで彼女のすべてを表しているわけではない。
*
プチ・トリアノンについても、同じ慎重さが必要だ。
一九〇一年、イギリス人女性シャーロット・アン・モバリーとエレノア・ジョーダンが、ヴェルサイユの庭園で奇妙な体験をしたと語った。
二人は後年、その経験を『ある冒険』として公表した。
彼女たちの記述には、当時の庭園の様子や、奇妙に感じられた人々の姿などが描かれている。
それを読んだ人々の中には、二人が過去の光景を目撃したのではないかと考える者もいた。
しかし、二人が何を経験したのか、そしてその経験をどう説明すべきなのかについて、決定的な証拠があるわけではない。
時間を越えたのか。
記憶や想像が、後から読んだ資料によって形を変えたのか。
その場の風景や心理状態が、通常とは違う体験を生んだのか。
今ある記録だけで、すべてに答えを出すことはできない。
だからといって、二人が何かを語ったという事実まで消してしまう必要はない。
彼女たちは、自分たちが経験したと考える出来事を記録に残した。
その記録が存在することと、その出来事の超常的な説明が正しいこととは、別の問題である。
わからないことを、わからないままにしておく。
それは、謎から逃げることではない。
証拠が足りないときに、足りないと認めること。
自分が望む答えを、事実の代わりに置かないこと。
歴史を扱ううえで、それは大切な態度なのだと思う。
*
二百年以上という時間は、長い。
その間に、王朝は倒れ、制度は変わり、人々の暮らしも価値観も変わった。
それでも、マリー・アントワネットの名前は残っている。
豪華なドレス。
高くそびえる髪型。
白い髪粉。
首飾り。
そして、彼女が本当に口にしたのかどうかもわからない言葉。
それらは、王妃という一人の人間を思い浮かべるための記号になった。
けれど、記号は便利なぶんだけ、危うい。
一つの記号で人間を説明したつもりになれば、そこからこぼれ落ちた事実が見えなくなる。
彼女は贅沢をした。
だが、宮廷の贅沢をすべて彼女が始めたわけではない。
彼女は政治的な判断をした。
だが、フランス王政の危機をすべて彼女の責任にすることはできない。
彼女は革命の時代に生き、最後には処刑された。
だが、悲劇的な最期を迎えたからといって、彼女を完全無欠の聖女にする必要もない。
一人の人間を理解するということは、その人の欠点を消すことではない。
その人が実際にしたことと、していないことを、できるだけ正確に見分けることだ。
そして、確かめられないことについては、確かめられないと認めることだ。
*
首飾りは、誰の首にも掛けられなかった。
少なくとも、事件の中心となったあの首飾りを、マリー・アントワネットが注文し、手に入れようとしたとする確かな証拠はない。
それでも、首飾り事件は王妃の名に結びつき、彼女の評判を傷つけた。
宝石は解体され、散逸した。
人々の記憶に残ったのは、宝石の行方だけではなかった。
首飾りをめぐる事件は、王妃の浪費を象徴する物語になり、やがてフランス王政の不信を語る物語の一部にもなった。
けれど、象徴は、現実そのものではない。
一つの事件が、その人物の人生のすべてを説明するわけではない。
一つの言葉が、その人物の考えのすべてを表すわけでもない。
一枚の肖像画が、その人の心のすべてを描き出せるわけでもない。
マリー・アントワネットは、間違いを犯さなかった女性ではない。
けれど、犯していない罪まで背負わなければならない女性でもなかった。
プチ・トリアノンで何が起きたのか、私にはわからない。
二人の女性が見たものが何だったのかも、今ある証拠だけでは決められない。
それでも、わからないことを、都合のいい答えで埋める必要はないのだ。
歴史は、過去の人間を裁くためだけにあるのではない。
私たちが誰かを信じるとき、疑うとき、そして、一人の人間にすべての責任を押しつけそうになったとき、立ち止まるためにもある。
欠点を認めることと、すべての罪を負わせることは違う。
その違いを忘れないこと。
それが、二百三十七年を経て、首飾り事件をもう一度たどった私の答えだった。
答え合わせは、終わったのではない。
誰かを決めつける前に、もう一度、証拠を確かめる。
わからないことを、わかったふりで埋めない。
物語を楽しみながら、物語と事実の境界を見失わない。
そのために、私はこの物語を書いたのだった。
首飾りは、今も歴史の中にある。
王妃の名もまた、歴史の中にある。
そして、その二つをどう結びつけるかは、これからも、私たち一人ひとりに委ねられている。
マリー・アントワネットは、間違いを犯さなかった女性ではない。
けれど、犯していない罪まで背負わなければならない女性でもなかった。
首飾り事件の記録をたどっても、プチ・トリアノンの不思議な体験を調べても、すべてに答えが出るわけではない。
それでも、確かなことと、確かめられないことを分けることはできる。
欠点を認めることと、すべての罪を負わせることは違う。
237年目の答え合わせ。その答えは、ひとりの女性を無実の聖女にすることでも、すべての悲劇の責任者にすることでもない。残された記録を確かめ、事実を事実として受け止めることにある。




