24 記憶
藤の花を見て、神社に参拝して。ご飯も一緒に食べて。
特別なことは何もないんだけど、伊織さんとのお出かけはすごく楽しかった。
翌日から私は伊織さんの探偵事務所で働き始めた。
仕事を教えてくれたのは祐飛さんだった。
このなかでパソコンが一番得意らしい。
畳のところに用意されたノートパソコン。
窓際で煙草を吸う伊織さんを横目に、私は祐飛さんからお仕事を教えてもらった。
「パソコン、使える?」
「ネットとかは家で使ってたから一応は」
「これ、このエクセルファイル開いて」
「は、はい」
仕事、といっても大したことはしなくって、お茶とかお菓子の買い物や経費の入力が中心だった。
事務所には週四日通い、伊織さんと過ごしながら私はお仕事をさせてもらった。
基本、他の三人は調査とかで色んなところに行っていていないらしい。
でも、時々みんな集まって私の話し相手になってくれたり、桔梗さんとはカフェに行ったりと充実した時間を過ごせていた。
それから一ヶ月ほどが過ぎた、五月二十一日水曜日。
私の両親の手がかりはまだないし、奈美とも連絡が取れない。
返してもらった携帯は、いつの間にか解約されてしまったみたいで使えなくなっていた。
だから新しい方の携帯で、友だちに連絡を取ってみたけど、奈美だけが電話もメールも通じなくって、誰も新しい連絡先を知らなかった。
古い携帯に残る、たくさんの奈美とのやりとり。それを見ると胸が苦しく感じてしまう。
「なにかあったのかな……」
そう呟いてため息をつく日も多かった。
しかも、時間が経ってからわかってきたけど、私の記憶からいくつかの物事が完全に抜け落ちてしまっていた。
家族のに関することもそうだけど、奈美がどこの大学にいったのか、何の勉強をすると言っていたのか全然思い出せない。
特に今年に入ってからオークションにかけられるまでの記憶、ぼやけていることが多かった。
伊織さんが呼んでくれたあやかしのお医者さんは、
「大きな事件があったことによる一時的な記憶障害だろう」
と言った。
「一時的な……」
私の呟きに、白衣を着た黒髪の綺麗なお姉さんは大きく頷く。
「えぇ。珍しいことではないし、いつか思い出すかもしれない。思い出さないかもしれない。気に病まないことだ」
と言われたけど、私の胸には大きな不安が広がった。
お医者さんを見送ったあと、玄関先に立ったまま伊織さんがそっと私の頭に触れる。
「大丈夫」
って。たった一言だけど。
頭に置かれた手がすごく温かく感じた。
私は伊織さんを見上げて、何とか笑顔を作る。
「そう、ですね。あの、私、お茶用意しますね!」
時間は三時前。
家にいる時、私と伊織さんはいっしょにお茶の時間を過ごすようになっていた。
ちょうどその時間だから、私は台所に向かおうと歩き出す。
その背中に、伊織さんの真面目な声がかかった。
「あぁ、葉月さん」
「はい」
返事をして振り返ると、伊織さんはくちもとに畳まれた白い紙を当てて言った。
「頼まれていたこと、進展あったんだ」
「頼んでいたこと……」
私はぴたり、と止まって着物姿の伊織さんを見つめる。
指先が震えだして、足がすごく重く感じた。
「例の友だちの事」
その言葉を聞いたとき、私の心臓が大きく跳ねたような気がした。
私は伊織さんの前に立って、痛いほど鼓動を繰り返す心臓に、羽織の上から手を当てて尋ねた。
「ほんとう、ですか?」
「あぁ、ちょっと時間かかったけどな」
伊織さんの顔、なんだか怖い気がする。
なんだろう。これ、聞いていいのかな。伊織さんの表情を見ているとなんだか不安になってくる。
どうしよう。
そんな私の想いを察してか、伊織さんが心配げに顔を歪ませて言った。
「どうする。今聞くか、また後日にするか」
「う……」
そう言われると悩んでしまう。だって伊織さんの顔みてると、あまりいい話ではなさそうだから。
大丈夫かな、私。奈美のことを聞いて、堪えられるのかな。
どうしよう、奈美、事件に巻き込まれたりとかしていたら。だって私がこんな目に合っているくらいだし。連絡取れなくなったって事は、そう言う可能性、あるよね。
どうしよう、怖くなってきた。
身体が震えてきて、私は思わず自分の身体を抱き締めた。
やだ、歯もガチガチって鳴っている。
すると、ふわっと伊織さんの匂いが私の身体を包み込んだ。
「あ……」
伊織さんは私の耳元に唇を寄せて、囁くように言った。
「葉月さん、さっきの診察の前に祐飛たちから報せが来て。だから早く知らせた方がいいのかなと思ったんだけど」
そうだったんだ。そういえば、お医者様がいらした時、伊織さん、すぐに玄関に来なかったっけ。
報せを受けていたからだったのね。
あぁ、私どうしよう。
聞くのが怖い。私、あんなに奈美のこと知りたかったのにな。なんで、こんなに怖いんだろう。
私は大きく息を吸う。
すると伊織さんがまとう、お香と煙草の匂いが肺に入ってきた。
お香の匂いはいい匂いなのに、煙草でけっこう台無しになっていると思う。
そう思ったらちょっとおかしく感じた。
私はそっと伊織さんの背中に手を回して、彼に答える。
「大丈夫です、私。だからあの、教えてください。今、わかっていること」
すると伊織さんは私の顔を目を細めて見つめて、
「わかった。じゃあ一緒にお茶、用意しようか」
と言った。




