第七話
タクシーを飛ばして10分弱、ホテルのロビーに駆け込んだ俺たちはそこでスーツの男相手に啖呵を切るルーシュミネさんの姿を見つけた。
「つまらねえ、話にならない。もっといい企画持って来いよ。おたくの社長さんによーく言って聞かせてくれない? 僕はそんな安い仕事は受けないよってね!」
けらけらと哄笑した彼は面前で畏まるスーツの男にグラスの水を頭から浴びせて悪びれる風もない。スラックスに包んだ細く長い脚を物憂げに組み、サングラスをかけてブロンドは頭の上の方で纏め、派手な柄物のシャツを纏った彼はこれまでの清楚なイメージとはまるでかけ離れてる。…こいつは俺が一方的に、ルーシュミネさんに抱いていたイメージであって、本来の本人の好みはコッチなのかもしれねえが。
「ほらほら、ソファを汚すなよお? 今度はマネージャーを通してね、直談判するならもうちょっと魅力的な企画をお願いしたい!」
コツンとグラスを樫材のテーブルに載せてルーシュミネさんは鼻で哂う。スーツの男をその場に残してすらりと立ち上がった彼はロビーを横切ろうとして、ロビーの真ん中で立ち尽くす俺らに気付く。
「あれ、よく見た顔だなア。まさかここまで追っかけてきたの? ご苦労様あ」
笑みを口元に含んだまま彼が近づく。ツンときつい香水の香りに交じって、ゴロワーズのにおいが漂う。ルーシュミネさんはタバコは吸わなかったはずだ。…そいつも、俺の一方的な願望だったのかもしれねえ。
「パリからわざわざ来るなんて、ずいぶんこのカラダに未練があるんだねえ。女でも男でもより取り見取りだろうに。そんなに僕とのセックスが忘れられなかったのかい? でも、未練がましい男は嫌だな、鬱陶しくって、面倒くせえ」
ルーシュミネさんは手を後ろで組んで下からセデュイールを覗き込むようにする。赤い唇がにっと笑って、奴をぶちのめすような言葉を並べる。
「とっとと帰れよ、色男。僕はもう君といるのはうんざりなんだ」
「…お前、酔っているのか」
「酔ってるとも! 鬱陶しくておもーい君から解放されて、自由を謳歌してたんだよ僕は! 現実に引き戻さないでくれよなあー」
「ここに滞在しているのか、誰かと共に?」
「僕が誰といようが僕の勝手だろー。君に口出しする権利はない!」
「それがお前の本心なのか? 誰かに脅されているんじゃないか」
「はは、そう思いたいんだね、僕が君から離れたがってるって気づかなかった? 一度も? たいした鈍感ぶりだなア。そんなんで役者がつとまるの? 君にいいようにされるのはもう終わり。君と共にいたんじゃ僕はいつまで経っても鳴かず飛ばずだ。この意味わかるよね?」
「ルーシュミネさん、あんた一体どうしたんすか? …」
「黙ってろよ、僕はコイツと話してるんだ」
「…サングラスをとってくれ、目を見て話したい」
「図々しいやつだな、もう話は終わりだよ。じゃあね、君は新しい奴隷を見つけるといいさ。君に言いなりの可愛い子をね! Addio!」
くるりと踵を返したルーシュミネさんはひらひらと手を振って去っていく。
まるでなんの感慨もないかのような、サバサバした別れ方だ。こっちは呆気にとられるしかない。
「…一体全体、何が起こったんだ? ルーシュミネさんはどうしちまったんだよ…」
「………」
セデュイールは難しい顔で何やら考え込んでいる。ロビーの途中で開襟シャツの若い男にイタリア語で話しかけられたルーシュミネさんはそいつと笑いあいながら肩を組んでエレベーターホールに消えていった。…胡散臭い、ガラの悪い男だった。俺もヒトのことは言えねえが。あのひとは胡散臭いやつらに攫われて、洗脳されて? 人が変わっちまったってこと、なのか?
「どうするセデュイール、あの調子じゃああのひとの奪還は難しそうだぜ…」
「…まずはここに宿をとろう。ホテルの人間を買収して情報を得て、やつの動静を探る」
ぐるぐるとおそらくは猛烈に脳みそを回転させているであろうセデュイールはそう言って、張り詰めていた緊張をほぐすようなため息を吐く。
「まあ、ルーシュミネさんが無事でよかった。ひとまずは…」
「………」
俺の隣で、ルーシュミネさんの消えて行った方を凝視したままのセデュイールは応えない。眉間に皺を刻んだまま、自分を棄てて行ったあのひとの真意を必死で探っているようだ。…こいつと一緒にいたんじゃあ、いつまで経っても鳴かず飛ばずってあのひとは言ってたな。ありゃ一体どういうことだ? セデュイールがあのひとの成功の妨害をしてるとでも思ってるのか? こいつがそんなことをするはずはねえんで、もしそう思われてるとしたら誰かの策略か何かだろうが…あーまったくわからねえ。イライラする。
「マチウに宿が決まったって連絡して来る。宿の手配はてめえに任すぜ」
「…ああ、わかった」
二手に分かれ、ふかふかした絨毯を踏んで電話コーナーに向かう。ルーシュミネさんのことで一杯になっていて気づかなかったが、バカでかいシャンデリアだとか金縁に飾られた天井画だとか、ぴかぴかに磨かれた大理石の床だとか、セレブ御用達ってな感じのホテルだ。セデュイールにとってはこういう場所は慣れたもんだろうが、育ちの悪い俺は居心地の悪さしか感じねえ。ルーシュミネさんが、誘拐後にも大切に扱われてるんだってこととがわかって、そいつは喜ばしいんだが…。
何度目かのコール音の後で応答したマチウは、ルーシュミネさんの無事を聞いて、電話口で涙ぐんでいた。
あのひとの帰りを待ち侘びているのは俺たちだけじゃねえんだ。なんとしてもルーシュミネさんを連れ帰りたい。セデュイールのやつがごにゃごにゃ言っても、俺はあのひとを連れ帰る。そう決めた。
ガチャンと音を立てて受話器を置く俺の隣で、おそらくは不倫相手に向けて猫撫で声を出していた腹の出た親父がびくつく。俺は足早に電話コーナーを出て、フロントにいるセデュイールの元へ向かった。




