第六話
「ルーシュミネ・リーヴェ? ああ、ずいぶん前に有名になった子だよね? 今は作曲家をしてるとかいう…うん、知ってるよ。つい最近うちに営業に来たこともあるし…」
役所に行ってろくな収穫もなく、俳優連中への聴取についてもなんの進展もなく、製作者側にあたろうってんでチネチッタの撮影所に来て、手あたり次第声をかけて――情報の見返りに惜しげもなく自分の身柄を担保にかけるセデュイールを抑えて、調整して、それでもやつのスケジュールは3年先まで埋まることになった――何十件目かに、ようやっとヒットした。
「本人は同行していましたか? マネージャーだけ? 事務所の名はわかりますか」
息せき切って詰め寄るセデュイールに押され、男は記憶を辿るように視線を彷徨わせて「うーん」と呻る。
「本人の姿は見てないね。マネージャーと名乗っていたかな…たしか名刺があったよ、探してみよう」
「ありがとうございます」
「いえいえ。今度君の主演で企画を立ち上げるから、色よい返事を期待しているよー」
撮影現場に見学に来ていた有名プロデューサーはそうフランス語で笑って嘯き、それから声を潜める。
「あまり深入りしないのをおすすめするけどね。態度のでかい、ガラの悪い男だった。カタギの雰囲気じゃあなかったね。恫喝するような調子で来られるから、こちらも丁重にお引き取り頂いたんだよ…」
男の渡してくれた名刺にはありがたいことに、そのマネージャーとやらの名と、会社名、住所、電話番号などがきっちり記載されていた。
事務所の住所は、アパートの一室を指している。…怪しすぎる。できたばかりとはいえ、個人宅を事務所になんてできるもんなのか? 俺は経営のことはまったくわからんが。少なくとも、役所で確認したリストの中に例の事務所の名はなかった。非合法のニオイがプンプンするぜ。
サングラスをかけて申し訳程度に変装したセデュイールがチャイムを押して数分、不愛想な女の声が応答する。
「ミラノの制作会社から参りました。ジュリアーノ・グージェルミンと申します。フランシスコ・アウストリアの紹介でこちらに伺いました。ルーシュミネ・リーヴェ氏の仕事の件で、エドガー・レイク氏と話がしたいのですが」
俺にはわからねえイタリア語で何やらスラスラとセデュイールは並べている。フランシスコはさっきのプロデューサーの名で、ジュリアーノなんちゃらは、何年か前にこいつが演じた役の名だ。さすがは役者というか、嘘を吐くのに一切の躊躇いがねえ。こいつの演技に関してはよくわからねえが澄まし顔で堂々としてるこいつをちょっと感心しながら見てると、間もなく扉が開いた。
「どうぞこちらへ…」
「ありがとう。初めまして、美しいお嬢さん」
「中でお待ちください、レイク氏を呼んでまいります…」
イタリア男になりきってるらしいセデュイールの甘い声に受付嬢はぽっと頬を染めてへらりと笑って奥へ引っ込む。隣のセデュイールを肘で小突いて「なんて言った今?」と聞くが、やつはツンとしたまま答えない。らしくない口説き文句でも言ってやがったのかな。その気もねえくせに。言われた彼女にしてみたら今夜は眠れねえだろう。しかし偽名が通用するってことは、顔バレはしてないってことか? こんな適当な変装でも?
部屋の中は雑然としている。雑誌の散らばったテーブルに、薄汚れたソファ。カーテンは閉まっていて、緑のランプシェードのかかったランプからオレンジの灯りが漏れている。
キズのついた水の入ったコップがテーブルにひとつぽつんと置いてある。まるっきり個人宅だ。事務所のようにはとても見えない。
「待たせたなア、ミラノの制作会社だって? どんな要件で…」
真昼間から酒に酔ったような千鳥足で、真っ赤な顔の男が現れた。開襟シャツの胸元から濛々とした胸毛が見えている。髪はごく短く切り揃えられていて、襟足は刈り上げ、腕まくりした日に焼けた腕には切り傷の痕が無数にある。
なるほどガラの悪い男だ。先刻プロデューサーが言っていたとおりだ。
「CMの楽曲をご依頼したいと考えているのです。ルーシュミネ・リーヴェさんというと、10年以上前に一世を風靡したピアニスト、ご本人様と考えてよろしいですかね? 実際にお会いすることは叶いますか?」
「そいつはちょいと、お断りします。依頼はぜーんぶ、マネージャーの俺様をとおしてもらわねえと困るんで、」
「ご本人様はローマにいらっしゃいるのですか? 以前までパリにいらしたと聞いていますが」
「ええ、近頃ローマに移住しましてね、へへ、心境の変化ってやつで。恋人と別れたせいもあるらしいですが。何しろまあ、その恋人ってヤツが、大した遊び人だったらしくて。愛想が尽きて放り出したって言ってましたねえ、へへ。そいでパリにもいたくねえってんで…」
「…そうでしたか。今はホテルに滞在しておられるので?」
「いずれ家を借りるつもりらしいですが、詳しくは…」
「ルーの居場所を吐くつもりはないようだ」
ぺらぺらイタリア語で男と談笑していたセデュイールは、ふとフランス語で俺にだけ囁きかける。そいつをゴーサインだと受け取った俺はぐいと身を乗り出し、男の胸倉を掴む。そのまま腕を上に持ち上げると男の脚がブラリと宙に浮く。酔いのせいか、咄嗟に反応の遅れた男は俺の手を外そうと藻掻いて、何やらイタリア語の罵倒を並べる。
「リーヴェ氏の居所を教えていただきたい。依頼に関して、ご本人と詰めたいところがございますので」
「離せ、なんだお前ら、俺様を誰だと思ってるんだ!」
「リーヴェ氏のマネージャーでは?」
「俺様は、俺様はブラスファミリーの一員だぞ、俺様に手を上げれば、ボスが黙ってないぞ、お前らなんて潰してやる、骨までしゃぶりつくしてやる…」
「べらべらうるせえなア、どうするセデュイール、殺すか?」
「ダメだ、まだ聞き出せていない。…リーヴェ氏はどこに? 吐きなさい、命が惜しいなら…」
「俺様を脅迫しようってのか、絶対に言うもんか、お前らなんかに…ッ、」
ギャアギャア喚きたてる喉を絞めてやると男は蒼白になって呻く。しばらく藻掻く男を淡々と眺め、ぎりぎりのところで手を離してやる。肩で息をする男を覗き込むと、俺の手を振り解けない男の目の中に恐怖の色が揺らいでいる。戦場でよく目にした色だ。銃口を突っ込まれた敵兵の目の中にあった色。俺はいつしか哂っていた。怯える男がおかしくて。ルーシュミネさんを攫って、隠しておいて、自分の身を守りたがってるこいつらが、憎くて。
「アナンタラ・パラッツォの、スウィートに…いる、やつはひとりで…」
「命乞いか? 遅かったな、地獄で神に懴悔しな」
ぎりぎり力を籠めると男の口から泡が噴き出す。憎しみがあふれ出して止められねえ。ルーシュミネさんを奪ったこいつらが憎い、殺したい、この手で命を捥ぎ取りたい――
「もういい、やめろ、ルーの居所はわかった。…バロット!」
男から引きはがされて俺は愕然とセデュイールを見る。ぐたりとなった男はそのまま倒れ伏し、コーヒーを持ってこちらに来た受付嬢が悲鳴を上げる。
「行こう、もうここに用はない。…お嬢さん、騒がせてすまない。どうかこのことは内密に」
立ち去り際、カップを取り落として立ち尽くす受付嬢にセデュイールは何やらイタリア語で囁きかけ、じっとその目を見て手の甲に口づけを落とす。受付嬢は先刻までの恐怖の表情はどこへやら、こくこくと頷いてうっとりやつを見上げる。
色仕掛けってやつか。これでどこまで口どめできるのかわからねえが、まあやつの無駄に完璧な美貌が役に立ったってわけだ。
バタバタと事務所を出た俺たちは階段を駆け下り、タクシーを拾う。運転手にセデュイールが行先を告げる。目的地はアナンタラ・パラッツォ、そこにルーシュミネさんはいるらしい。じつに2か月ぶりの、再会だった。




