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役者たちの戦い 2

 

 ——不幸なことに、アニータの予想は、完璧に的中していた。


「ぬぐぅおおおぉぉぉぉぉ〜っ!

 ダメだダメだダメだダメだダメだあっ!

 まったくもって、ダメダメだぁぁぁ〜っ!!」


 ばっこん! とメガホンを床に叩き付け、ベルチェが、髪をかきむしる。


「どぉぉ〜して、そうなんだっ!?

 なぜだ! 何故!? ぬ・ぅおおおおおっ!」


「お、落ち着いて監督ーっ!」


 狂乱するベルチェ監督を後ろから羽交い締めにしながら、アニータは、その場に棒立ちになっているディアに向かって叫んだ。


「ディア! もう一回! もう一回やってみて!

 もうちょっとこう……何ていうか、自然に!

 分かるでしょ!?」


 痛切な叫びを受けてなお、彼は、やはり棒立ちになったままだった。

 心なしか、途方に暮れているようにも見える。

 しばしの沈黙の後——


「…………ああ」


「だめー! それじゃただの返事でしょ!?」


「……あ、あ?」


「聞き返してどーする!?」


「うう」


「……だ……駄目だぁ……」


 ベルチェを放して、がっくりと床に膝をつき、アニータは呻いた。

 ここまでどうにもならない演技というのも珍しい。


「魔剣がもたらす破壊衝動と、人としての心。

 それらが激突し、せめぎ合う時、契約の証である胸の傷痕が激しく疼く。

 常に物静かで無表情なベルセルクが、唯一、顔を歪め、呻き声をあげて苦悶するシーンーー

 普段は表にあらわれない、彼の内面の懊悩を観客に印象付けるための、とっても大事なシーンなんだよ!?

 それなのに、そんな調子の棒読みじゃ、伝わるものも伝わんないよー!!」


 気を取り直して立ち上がり、拳をぶんぶん振って力説するアニータに、ディアは、白い仮面に覆われた顔を向けてきた。


「分からない……」


「……え?」


「苦痛、という感覚が、理解できない」


 ぼそぼそと、彼は続けた。


「俺はいかなる拷問にも耐え抜くよう、痛覚を遮断する訓練を受けた。

 だから、痛み、というものが、分からない」


 これには、何と答えるべきかすら思いつけず、アニータは絶句してしまった。

 隣で、ベルチェも、同じように固まっている。

 ただ、こちらは『ならば演技をどうするのか』という問題について、目まぐるしく考えを巡らせているようだった。


 ややあって——

 先程とは別人のように落ち着いた口調で、ベルチェは言った。


「苦痛を感じることが、想像できないというのなら……

 ひとまず、他人の真似をするだけでもいい。

 呻き声、苦しみもがく動作。それに表情もだ……

《虹色蜥蜴》は、かけられた当人の表情に連動する術だから。

 ——ディア、君が倒した相手の断末魔の姿を思い出して、再現するんだ。

 それなら、やれるだろう?」


「ちょ……ベルチェっ!?」


 あまりと言えばあまりな指示に、思わず『監督』と呼ぶことも忘れて、アニータが叫ぶ。

 しかし、


「俺は一瞬で殺す」


 ディアを見据えているベルチェも——そして指示を受けた当人のディアも、彼女の激昂をよそに、ごく平然としていた。


「標的に苦しむ間などない」


「拷問の経験は?」


「……受けたことはあるが、した経験はない」


「どんな状況でもいいから、苦しんでいる人間を見かけたことは——」


「興味がなかった」


「……げ……外道の会話……」


 思わず、顔色を悪くして冷や汗を流すアニータである。

 側で聞いている人々も、さすがに、似たような表情になっていた。


 アニータの言葉が耳に入ったのだろうか。

 ディアの肩が、わずかに揺れ——

 その、瞬間だった。


 どかっ!


 まったく出し抜けに、目にも止まらぬ速さで飛来した何かが、派手な音を立てて彼の背中にぶち当たる!


「!?」


 その場面を目撃していた者全員が、思わず声をあげようとして、残らず失敗した。

 たった一人を除いて。


「今、何か感じなかったか?」


 飛来したモノ——それは、角張った木材の切れ端だった——の軌跡の始点。

 まさしくその位置に立ち、腕を振り切った姿勢のままで、マックス・ブレンデンは、不敵に言った。


「なんっぐ!?」


 何つう危ない真似するのよっ!? と喚こうとしたアニータに、ばっとベルチェが飛びつき、その口をふさぐ。


「…………」


 無音の爆発のように一瞬で、緊迫した空気が練習場に満ちた。

 今や完全に振り向いているディアの手が、ゆっくりと、胸の辺りに触れる。

 そこに彼の武器、ダガーがあるのだ。

 しかし、この状況になってなお、マックスは不敵な半眼を変えなかった。


「何か、感じたんだろうが?

 でなきゃ、腹立てるハズがねぇもんなぁ。

 てめぇが感じたそれが『痛い』っつうこった。

 その後の『殺ス!』と混同すんじゃねぇぞ。

 分かったな? こそこそ仮面野郎」


 この瞬間、誰もが、バノットとダグラスが今ここにいないことを心底悔やんでいた。

 教官たちは、舞台公演の場所を確保するため、山ほどの書類を携えて初等部に出向いているのだ。

 彼らがいない以上、ダグラス組最強の戦闘技能者とバノット組最強の暗殺者の激突を止められる者は、この場には存在しない——


 一同、固唾をのんで両者の動きを見守る。

 ディアの手は、いまだダガーを抜き放ってはいない。

 だが、彼の技術を思えば、そんなことは何の安心材料にもならなかった。

 瞬き一つしない間に、刃がマックスの心臓を串刺しにすることは充分に有り得る。

 そして、マックスが魔力障壁でディアのダガーを防ぎ、同時に相手の心臓を蒸発させるという事態も、同じように起こり得た。


「……演じてみせろや」


 そんな緊張感には丸っきり関係ないとでもいうかのように、落ち着き払った態度で、マックスは続けた。


「てめぇがやれねぇなら、俺が、代わりにやってやるぜ?

 もう、ベルセルクのセリフも覚えてあるんだ。

 どっかの誰かと違って、稽古がスムーズにいってるから、できたことだがな……」


 今や、全員の視線が、ディアの一挙手一投足に釘付けになっている。

 胸に置かれた彼の手は、素手であるにもかかわらず、手袋に包まれたエルナのそれのように、あるいは陽の光を知らぬ生き物のように白い。

 その手は、いまだ動きを見せていなかった。

 いや——


「やめなさいっ!」


 悲鳴のようなアニータの怒鳴り声と、ディアの手にダガーがきらめき、マックスが片手を突き出したのが同時。


 その場に居合わせた者たちが、一瞬で着くであろう勝負の結果を、あるいは見まいと瞼を閉ざし、あるいは見逃すまいと目を見開く——


「…………!」


 異変が起こったのは、その直後だった。

 緑の残像を引きずり、ダガーが突き立つ。

 ——体技館の床に。


「…………え?」


 事態を理解できず、呆けた声をあげる——

 そんな人々の目の前で、ふらり、とディアの身体が不安定に揺らいだ。


 マックスの術を受けたのだろうか?

 ——いや、そうではない。

 マックスは、当惑した顔つきで、右手のひらに集中していた魔力を握り潰して拡散させたところだった。


 大きく狙いを外してダガーを投げ放ったディアの手が、ふらふらと力なく流れる。

 いや、狙いを外した、というよりもーー

 あれは単に、投擲の途中で、急に腕が力を失ったというだけなのではないのか?


「ディア……?」


 何が起こったのか理解できないまま、アニータが声をかける。

 それと同時に、暗殺者の身体は、ぐらりと大きく傾き——

 体技館の床に、倒れ込んだ。


「ディアっ!?」


 呪縛が解かれたように、現場は、にわかに大騒ぎの渦となった。


「ちょっと! どうしたのっ? しっかりして!」


 その場に倒れ込み、起き上がることもできないでいるディアの側に、アニータは慌てて駆け寄り、膝をつく。

 完全に脱力したかに見えた彼の身体は、異様に強張っていた。

 背筋が反り返り、四肢がびくびくと不規則に痙攣している——


「どっ、ど、ど……」


 アニータが持ち合わせている程度の救急救命の知識では、こんな状況に対処することはできない。

 バノット組随一の治癒魔術の使い手たるエルナは、今ここにはいなかった。

 別の救いを求めておろおろと巡らされたアニータの視線は、しかし、救助者を見つけるよりも先に、その場に突っ立ったままのマックスの姿をとらえ——


「こぉら、マックスっ!! よくも、ディアをやったわねっ!?」


「俺か!? ……え? やっぱ……俺かな?」


「あんた以外に誰がいるのよっ!?」


 彼らしからぬ弱気な調子で呻いてきたマックスを、アニータは、眉を吊り上げ、真っ向から怒鳴りつけた。

 床に転がった重い木切れをつかみ上げ、それを突きつけて、さらに怒鳴る。


「人にこんなもんブン投げるなんて、非常識にもほどがあるでしょーがっ!

 ディアがこんなんなっちゃったのって、絶対、打ち所が悪かったせいだよっ!」


「うっ。いや……そーか……!? だが、背中に……」


「ひょっとしたら、変なツボとかに入って、発作が誘発されたのかもっ!

 いったいどうやって責任取ってくれるわけっ!?」


「う……」


 今や、マックスは完全にアニータに気圧されていた。

 木切れを持ったまま、ずんずんずんと迫ってくるアニータに、彼が、じりじりと後退する。


「おや?

 ……おお。これはこれは、何とまあ。

 ……えー、アニータ?」


 何やら背後で誰かがぶつぶつ言っているようだったが、アニータは頓着しなかった。


「何とか言ったらどうっ!?

 む! でもよく考えたらウダウダ言い訳聞かされるのも気分悪いし……

 よしっ! あんたも一個の男児なら、この場で潔く腹を切りなさい!」


「お、おい待てコラ!? 腹って……」


「えーと。アニーター」


「あたしが介錯をつとめるっ! いざ、覚悟——!」


「って斬首じゃねぇかよ!

 待てって! 話せば分かる!

 てゆーか、奴だって、まだ死んだわけじゃ……!」


「ア・ニィ・タァ〜」


『…………?』


 その時になって、アニータとマックスは、騒がしい言い合いをぴたりと中断した。

 先程から続いていた怪しい呼び声が、ようやく耳に届いたのだ。

 疑問符を浮かべ、そちらを振り向く。

 すると目に入ったのは、倒れたディアの周囲にいつのまにかできている人垣と、そして、その間からひょっこりと顔を出しているライリーの姿——

 そのライリーが、いつもの笑顔で、こっちこっち、というように手招きをしてきた。


「な……何?」


 ライリーの様子からすると、少なくとも、ディアが事切れたとかいう事態ではなさそうだが……

 困惑気味に近付いた二人の前で、人垣がささっとふたつに分かれる。

 そして、その中央で——

 ディアが、むっくりと起き上がっていた。

 何事もなかったかのように。


「…………」


「…………」


「………………」


 しばし誰も、何も言わず、ただ沈黙だけがその場を支配する。

 ややあって——

 彼は、ぽつりと呟いてきた。


「俺も、なかなかの役者だな」


「………………」


 やはり、誰も、何も言わなかったが——

 その瞬間、確かに、その場の空気が震動した。わななくように。


「——ッ、て……てンめぇぇぇぇっ!

 謀りやがったな、このクソ野郎!?

 ブッ殺す! 切り刻む!

 原型留めねぇまでギッタギタに……

 って、コラ、てめぇらっ!? 馬鹿野郎、離せぇぇぇっ!

 俺に、あの野郎を殺させろぉぉぉぉっ!!」


「落ち着けっ、委員長——!

 これ以上騒ぎがでかくなると、先生にバレる!」


 手足を振り立ててばたばた暴れるマックスと、それを必死に取り押さえるダグラス組の面々。


「良かったぁぁぁっ! ディア! 生きてたのねっ!?」


「無論だ」


「ぬぅううううううん!

 何て……何て素晴らしい演技なんだっ!

 僕は……僕はぁっ! うぉおおおおおお〜ん!」


 手放しで喜ぶアニータ、至極平然としているディア、感動のあまり号泣するベルチェ……


「あ〜、ドキドキしました〜。

 ディアさんが、あんなに上手にお芝居をなさるなんて、びっくりですわ〜!」


「ホントだな! オレも完璧に騙されたぞ」


「驚きましたねえ!」


 はらはらしつつ事態を見守っていた他の面々も、口々にディアの名演技——かなり、人騒がせな代物ではあったが——を誉めそやす。


「もーっ、やればできるんじゃない、ディア! 

 セリフなんかなくたって、大丈夫だね。

 あれだけの迫真の演技なら、観客にばっちり伝わるよ!」


 びし! と親指を突き上げたアニータに、ディアは静かに呟いた。


「ベルセルクの役を……あいつに奪われるわけには、いかんからな」


「ん? ——おおっ! そうそう!」


 ディアがこれほど役に執着しているとは思っていなかったので、一瞬驚いたものの、アニータはすぐに笑顔になって、ディアの肩をぽーんと叩いた。


「せっかくここまで練習してきたんだもんね!

 ここまで来て、マックスに取られちゃったんじゃ、今までの努力は何だったんだ? って感じだし!」


「………………ああ」


 妙に長い『間』の後、こっくりと頷くディア。


「さてっ! それじゃ、ディア改めベルちゃん、さっそく稽古に戻ろうよ。

 ……って、ちょっと。監督ってば! いつまで泣いてるの?」


 と、アニータに肩を揺すられて、


「うううう。……いや……」


 ぐすん、と涙をすすり上げながら、ベルチェは言った。


「今日のところは、大きなハプニングもあったことだし……

 稽古は、ここらで切り上げよう」


「え?」


 あまりにも『らしくない』監督の言葉に、アニータばかりか、全員が目を丸くした。


「でも、まだ午前中なのに……」


「いや。今日は、みんなゆっくり休んで、英気を養ってくれ」


 頬に残る涙の筋をごしごしと擦りつつ、監督は言った。


「何しろ、明日からは、ついに、クライマックス・シーンの稽古に取りかかるんだからな」


 この言葉に、一同が、思わず顔を見合わせてざわめく。

 ベルチェは続けた。


「クライマックス・シーンが大まかにできあがれば、部分練習は終わりだ。

 後は、本番直前まで、ひたすらに通し稽古を繰り返す。

 ……だが、しかし! とにかくクライマックスの部分が形にならないことには、通し稽古なんて話にならないっ!」


 言っているうちに勢いがついてきたらしく、ベルチェの目が、だんだんと光を増してゆき——

 手近の机に『どかん!』と拳を叩き付け、彼は、戦場に臨む部下に対する司令官のごとく覇気に満ちた檄を飛ばした。


「いいか! これからの稽古は、半端な状態じゃつとまらないぞっ!

 特に、役者諸君! 明日からは、より一層の気迫をもって、稽古に臨んでくれたまえっ!

 そのためにも、今日はしっかりと休むんだっ!

 ……以上、解散ッ!」



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