役者たちの戦い
本格的な練習が始まってから、既に20日近くが経とうとしていた。
その間、バノット組、ダグラス組の面々がどれほど厳しい稽古を重ねてきたかは、全員が握り締めている、立ち位置や演技上の留意点のメモでびっしりと埋まり、まるで古代の書物のごとくぼろぼろになって崩壊寸前の体をさらしている脚本の姿を見れば明らかだ。
教官2人が、評議長命令を最優先させ――つまり、慰問係に抜擢されたことにかこつけて講義をサボっているので、生徒たちはほとんど毎日、一日中、演劇漬けの日々である。
しかし、その効果には、目覚ましいものがあった。
「けっ!」
練習場に、いまいましげな喚き声が響き渡る。
「冗談じゃねえぜ、ベルセルクの野郎!
ちっとばかし腕が立つからって、スカしやがって。気に食わねぇ!」
「まあまあ、兄さん……カッカしたって始まらないよ。
子供じゃないんだから、そんなぎゃあぎゃあ喚かなくても」
「何ぃ!? イーグル、てめえ! 弟のクセに兄貴に文句つけんのかコラ!」
「でも双子だからね。年は一緒なんだよ」
「……ぬぐぅ」
澄まし顔のイーグル、そして、弟にやり込められて悔しげに唸るホーク――
そこへ、既に定番と化しつつある、監督の大声が響き渡った。
「いよおぉぉぉしっ! よしよしよしっ!
いい感じになってきたぞっ!? 成長したなっ! 二人ともっ!」
「おおっ!」
誉められた瞬間、ころっ、といつものにこやかな表情に戻り、口々に言い合うフィルとライリー。
「素晴らしい! 練習の甲斐がありましたな」
「はっはっ。いやまったく」
「……もう1回ッ!!」
「はっ!?
お……おっしゃああ! 練習の甲斐があったってもんよ!」
「ほんとだね、兄さん!」
慌ててホーク&イーグルの演技に戻ったふたりを、ベルチェはしばし、じーっとにらんでいたが、
「まあ、よかろう! 行ってよしッ! ――気を抜くなよ、ふたりとも!」
「は……オッス!」
「了解! 監督」
「……大変だね~……ふたりとも……」
その側に立って、一部始終を眺めていたアニータは、思わず一筋の汗を垂らしながら呟いた。
と、その声を聞きつけたらしく、フィルとライリーが――今度はミーシャの演技指導にかかっている監督のほうに、視線だけはしっかりと向けながら――つつつ、と後ろ歩きで近づいてくる。
ぴた、とアニータの傍らに並んだ時点で、ふたりは同時にふーっと息を吐き出し、揃ってレースのハンカチを取り出して、額ににじんだ汗をぬぐった。
「ふっ。――おお、何やら、こうして笑うことに、えもいわれぬ解放感を感じますな……」
「はっはっ、本当に。
まったくの別人を演じるということが、ここまで骨の折れる仕事だとは、思いもよりませんでしたよ!」
ひそひそ声ながら、ようやくいつも通りに喋ることができて幸せそうなふたりに、思わず半ば苦笑しながら、アニータは言った。
「お疲れっ!
いやー、それにしてもふたりの演技、ここ数日でめきめき良くなってきたよね!
最初のうちは棒読み……っていうか、それ以下のナニかって感じだったのに、今はもう、喋るとこだけ聞いてたら、まさしく歴戦の傭兵兄弟だもん。
なんか、秘訣でもつかんだの?」
「ふっ。お褒めいただき、光栄ですな」
フィルが朗らかに笑い、ライリーが、その脇から得意げに頷いてくる。
「はっはっ。確かに、ここ数日、我々は人知れず相当の修行を積んでまいりました……!
合同練習を終えてから、休息もとらずに街へ出て、夜ごと、血の滲むような特訓を重ね……
夜明け前に学院へと戻り、睡眠もそこそこに早朝練習に参加!」
「って、毎晩徹夜ッ!? でも、その割に元気だよね……
それに、『街に出て』って、何も、わざわざ外出して練習することないんじゃ……?」
素朴な疑問を口にしたアニータに、ライリーは、優雅に人差し指を振ってきた。
「はっはっ。甘いですな、アニータ……」
「その通り!」
と、横から、フィルも謎のポーズをつけて言ってくる。
「バトラー兄弟の演技に不可欠な要素は『ラフさ、タフさ、ワイルドさ』――
しかし……我々は、悟ったのです!
我々だけで練習をしている限り、これらの要素を習得し得る見込みは、ゼロに等しいということを!」
確かに、フィルとライリーが持ち合わせる性質の、どこをどう掛け合わせたところで、ラフさもタフさもワイルドさも出ては来そうにない。
「まあ確かに、それは同感だけど……
あっ、ひょっとして、外部の人の手を借りたわけ?」
「御明察ですな」
ふっと前髪を払いつつ、フィルは、得意げに言ってきた。
「そう! ここ5日の間、我々は毎夜、外出のたびにログレス市の最外周部に直行し――
貿易商の護衛たちで賑わう、ガラの悪い酒場に通い詰めては、彼らの話しぶりを実地学習することにつとめてきたのですっ!」
「そこまでして……!?
いや、ていうか、ガラの悪い酒場って……ケンカ売られたりしなかった?」
「はっはっ。そういえば」
アニータの問いに、にこやかに掌を合わせて、ライリー。
「そのようなこともありましたな。初日のことですが。
何やら、ガラの悪い中でも特に最下級ガラ悪集団といった風情の方々が、非常に低俗なスラングを用いて、我々に退出をうながしてこられたのです。
しかも、どういった理由でか、金品まで要求され……」
「それって……『ボコボコにされたくなけりゃ有り金置いてとっとと消えろ』とか言われたってことだよね、多分……」
「おおっ! 素晴らしいですな、アニータ!
もしも我々があなたのように、低劣かつ俗悪なジャンルの言語を自在に操る能力を持ち合わせておりましたならば、稽古もどれほど楽だったことか……」
「……まあ100歩譲って褒められたんだと思っとくけど、それで、結局どうなったの?」
「ふっ。どうなったも何も」
答えてきたのは、フィルだった。
「我々が誠意を尽くして彼らへの説得を試みました結果、店舗の4分の1が原形を留めず爆砕した程度の微少な被害を除けば何の問題もなく、速やかに、平和的解決に至りましたよ」
「……言い切るか……」
アニータは頭を抱えてそう呻いたのだが、当のフィルは、当然のように笑顔で頷いてきただけである。
「ふっ。その後は、皆さん、非常に友好的になってくださいまして。
それから毎晩、我々の特訓に付き合ってくださっているのです」
おそらく、逃げたら、本気で命が危ないと思っているのだろう。
毎夜、冷や汗を流して震えつつ、フィルやライリーと向き合って座り『ガラの悪い言葉遣い』の特訓に朝まで付き合わされているごろつきたちの姿を漠然と思い浮かべて、アニータは思わず呟いた。
「なんていうか……それは、気の毒に……」
「いえいえ!」
ふたりは、得意げに答えてきた。
「この程度の努力は、当然のことですとも」
「はっはっ、その通りです。
彼女の頑張りに比べれば、我々の努力など、無にも等しいですな!」
「いや、あたしが言いたかったのは、そういうことじゃ……」
と、半眼でそこまで言ったところで、ふと、フィルとライリーの視線に気付く。
彼らは、アニータを見ていなかった。
肩越しに伸びる彼らの視線を追うようにして振り向けば、そこにいたのは――
「……アンタらぁ! このウチを、見くびってもろたら困るでぇ。
ウチは、ここまで関わったモンを、はいさいなら~、ゆうて放り出せるほど、半端な性格しとらんさかいなぁ!」
ミーシャ、である。
しかし今や、彼女の口調は完全に、ベルセルクと旅路を共にした小妖精の殺し屋、キーリィのものになっていた。
あれだけ心配していたイントネーションも、既に完璧である。
幾分か間延びした印象は拭い切れないが、それが逆に、妙な迫力を醸し出していた。
「ええか? ここまで来たら、もう、一蓮托生や。
そっちがどうでも、ウチは、アンタらにとことん付き合うことに決めたさかい、今さら止めても聞かんでぇ~!」
言って、ミーシャは、目の前に立った監督――今はベルセルクのつもりだ――に、びし、と指を突きつける。
いつもの彼女らしからぬその仕草も、妙に堂に入っていた。
目付きも、いつになく斜め向きで、すっかり役に成り切っている。
「ミーシャってば、ほんとに、すごいよねぇ……」
今や完全にそちらに向き直り、フィルやライリーと並んでその様を見つめていたアニータは、心の底から感嘆の声をあげた。
「たった1回、本に目を通しただけで、イントネーションを完璧にマスターしちゃうんだもん。
まさに、奇跡の頭脳だよね!」
『本』――それは今、監督を前にしてなおも演技を続けるミーシャの足元に、脚本と重ねてきちんと置かれている1冊の資料のことだ。
青く染められた革に、金の箔押しが施された、やたらに古めかしい代物である。
その背表紙に記された題名は『小妖精による大陸共通語の発話 ~その形態・音韻的特徴~』――
「ふっ。まさか、あんなマニアックな資料が本当に存在したとは……」
20日前。
片っ端から文献にあたってみる、と宣言した30分後から、ミーシャの戦いは始まった。
まずは図書館に直行し、目録を検索。
少しでも見込みのありそうな資料をことごとくピックアップし、次々と現物に当たって内容をチェック――
その努力のことごとくが徒労に終わっても、彼女はあきらめなかった。
書庫のひとつに、いまだ整理されない膨大な文献が眠っていることを知った彼女は、スカーフ(マスクの代用品)と眼鏡とハタキで完全武装し、もうもうと埃の舞い散る中へと、果敢に突撃していったのである。
当初はエルナも、友人と困難を共にすべく書庫に乗り込んだのだが、いかんせん、肉体的には虚弱な彼女だ。
かくして、『白き死神、埃にやられて書庫で行き倒れる』のニュースで学院がちょっとした騒ぎになっている間にも、ミーシャは単身、粘り強い探索を続け――
「あ……あった……!
やりました! ついに、見つけましたぁ~っ!」
とうとう捜し求めていた資料を発見し、感極まって万歳をした瞬間、振り上げた腕が背後の棚にぶつかってしまい――
『試験の神様、崩れ落ちた本に埋まって気絶』の報とともに、彼女が書庫から救出されたのが、今から5日ほど前のことになる。
あちこちの軽い打撲だけですんだのは、不幸中の幸いであった。
「はっはっ。なぜ演劇をやるだけなのに、これほどまでに命懸けなのでしょうか……」
「ふっ。芸術は、常に命懸けなのですよ」
「エルナなんか、いまだに調子悪くて、医務室に入院中だし……
まあ、ベルチェが毎日打ち合わせに行ってるし、本人も、本番までには治るって言ってるから、大丈夫だろうけど」
医務室のマリアン教官によると「間に合うかどうかは微妙だ」ということだったが、たとえまだ完治していなかったとしても、無理やり出てきそうな勢いである。
昨日、アニータが見舞いに行ったときも、エルナは脚本と首っ引きで、看護係に「寝なさい」と怒られていた。
「……ところで、アニータ?」
「え?」
振り向くと、ライリーが、不思議そうにこちらを指差してきている。
「あなたは、こんなところでぼんやりしていていいのですか?
練習は――ディアは、どうしました?」
その言葉に、アニータはたちまち表情を曇らせた。
「……いや、それなんだけどさ。
さっきまでは、ふたりで練習してたんだけど、うまくいかなくって……
『ひとりで修練したい』って言って、ディア、出て行っちゃったの」
「どのシーンですかな?」
『どんな』ではなく『どの』という辺りが、いかに脚本を読み込んできたかの証明である。
「どのって、あれだよ。あの……」
疲れた声でアニータが言おうとした、その時。
「――よし、次ッ! アニータ! ディ……
むうっ!? ディアはどこだっ!?」
疲れた中にも満足げな様子で、にこにことタオルで汗を拭っているミーシャの傍らから、ベルチェが、妙なオーバーアクションで左右を見回しつつ叫んだ。
「あっ、はいっ! ディアは、表で一人で練習してますっ!
すぐに、呼んできますからっ!」
「むう! 個人練習か! よし!
前から、どれほど進歩したか、その成果を見せてもらうぞっ!」
監督の言葉に、アニータは、思わず顔を引きつらせていた。
「やばい……」
絶望的な気分で呻く。
「彼……絶対、全っ然、進歩してないと思う……」




