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帝国魔術学院! ―バーサス・エグザミネイション―  作者: キュノスーラ
第三章 あいつはフラットなんかじゃない
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あいつはフラットなんかじゃない 2

 彼は、彼女の命を救った。

 彼は、自らの命を恐るべき危険に晒してまで、彼女の命を救った。


 だが、それは――



「……どうして?」


 赤い髪の少女は呟いた。

 吐息と大差ない、弱々しい声。

 いつもは好奇心に溢れてきらきらと見開かれている緑の目も、今は、力なく伏せられている。


「どうして? ねえ。どうして?

 どうして、私を助けたの?」


 疑問符を繰り返すごとに、声は強くなっていった。

 しかし、力強さとは違う。声量だけは増していたが、その声は震えていた。


 男は、答えた。


「分からない」


「じゃあ、どうして……っ!

 そんな、分かんないようなことのために、もうちょっとで死にそうな大ケガまでして――!?」


 理不尽と知りながらも、歯止めを失ったように、少女の口調は激しさを増してゆく。


「どうして、そこまでして、あたしを助けたのよっ!?

 あたしなんか……あたしなんか!

 見捨てても、良かったのに――」


 激昂し、今はうつむいて肩を震わせる少女を見下ろし、男はしばし、黙然とたたずんでいた。


 彼は、感情を失っていた。

 だから、少女の激昂の理由が彼には分からない。

 そして、自分が、なぜあの時、少女を助けるために命を賭けたのかも――


「見捨てることもできた」


 冷淡な言葉に、少女の身体が、かすかに揺れる。


 彼は今、どんな顔をしているのだろう?

 怒っているだろうか。彼に、もし怒るということがあるのなら。

 怖い。

 けれど……


「だが、そうしようとは思わなかった」


 逡巡の果てに顔を上げた少女を、男は、静かに見下ろしている。

 先程とまったく変わらない表情で。


「……どう、して?」


「分からない」


 男を見上げる少女の顔に、複雑な表情が広がる。

 少女というものでなければ持ち得ない、繊細な表情。

 今にも男にすがり付いていきそうに頼りなげで、今にも男に背を向けそうに頑なな……


 そんな顔で、少女は言った。



「ベルチェの馬鹿。

 ――って、ずぇっ!? だっ!? ……うわぁぁぁぁっ!

 しまったッ! 間違えたぁぁぁぁっ!!」


 いきなり『ぐわっ!』と頭を抱え、『どたんっ!』と床にぶっ倒れて、『ごろごろごろっ!』と悶絶するアニータ。


「ああああっ! 惜し~い!」


「くくく……残念……せっかく上手くいっていたのに……」


「でも、今の言い間違いは分かるぜー!」


 周囲であれこれ言い合う、観客(ヒマな役者とスタッフ)たちである。

 ――と、しばらく転がっていたアニータは、突然、起き上がりコボシのごとくびしっと正座した。

 いささか呆気にとられた様子で横手に突っ立っていたベルチェに向かい、深々と頭を下げる。


「すみません監督! 今のよーな失礼な間違いは、二度といたしません。

 てゆーか、断じて監督をおちょくったわけじゃなくって、純粋に言い間違えただけなんで、そこんとこは分かってください。

 だって『ベルチェ』と『ベルちゃん』ってなんか似てる上に、『ベルチェ』のほうが呼び慣れてるんだもん……」


 ――そう、後に《赤毛の戦妃》と称される少女ルティアは、ベルセルクのことを『ベルちゃん』と呼ぶことになっているのだった。

 最初に脚本を読んだ時には、まさかと思った一同だが、どうやら、史実においても本当にそうだったらしい……

 と、それはともかく。

 アニータの決死の詫びに対して、


「む……いや、まあ、そのへんは別にいいんだが」


 大方の予想に反し、ベルチェは、至って大らかな調子で答えてきた。


「いや、しかし、これはなかなか。うーむ。なかなか、いい感じだ」


「え……ほんとっ!?」


「ああ」


 こっくりと頷く監督。


「アニータの演技力は、正直言って、僕の予想を超えていた。素晴らしい。

 あの場面でのルティアの心情が、等身大で、見事に表現されていたよ……」


「やったぁ!」


 拳を振り上げ、凱歌をあげるアニータ。

 とてもじゃないが最前まで、切ない恋心を抱く乙女を演じていたとは思えない。


「そして……等身大といえば、ディア!」


 監督は、続いて、いまだその場に黙然と立っているディアのほうを向いた。

 今までアニータの相手をつとめていたのは、彼である。


 この劇は、ベルセルクとルティアの会話の場面が極端に多いため、どうせなら稽古も始めから一緒にやったほうがよかろうということになったのだった。

 そのディアの演技、もはや『演技』というよりは、定められた台詞を『言っただけ』といった風情だったのだが、ベルチェは腕を組み、うんうんと頷いて、


「やはり、僕の目に狂いはなかった……!

 ことさらに装った冷ややかさもなく、かといって色恋沙汰に特有の人間臭い温かみもない、まさしく見事なフラットさ!

 やはり、ベルセルクを演じられる者は、君しかいなーいっ!!」


「おお~っ! やったなっ、ディア!」


「素晴らしいですな……っ、もとい! ええと。すげえじゃ、ねいか」


「そうだねにいさん」


 ぐおおおおおと炎を背負って叫ぶ監督、ぱちぱちと周囲から拍手を送る一同。

 やや離れたところでは、マックスが、


「ちっ」


 と悔しげに木材を蹴飛ばしていたりする。

 ――しかし。


「あれ? ちょっと……ねえ? ディア?」


 アニータが呼びかけるも、当のディアは、じっと佇んだまま、何ら反応を見せなかった。


「はっ!? まさか、あたしがNG出したから怒ってる!?

 ごめん! 許して! ほんとに反省してるから……って……ちょっと?」


 やはり、反応はない。

 さすがに心配になり、アニータは相手の顔を間近からのぞき込んだ。


「――ディア?」


 その瞬間。


「!」


 ばっ! と何の前触れもなく、ディアはバネ仕掛けの人形のように数メートルも後ろへ跳び退った。


「わああぁぁぁっ!?」


 その勢いに驚いてアニータが仰け反り、後ろ向きに引っくり返る。

 しかも、たまたまそこに転がっていたコーヒーカップ(ベルチェが投げたやつ)で『ごちっ』と頭を打った。


「あ痛っ!? いたたたた! 痛い!

 ちょっと、ディアーっ! 危ない! びっくりするでしょうがっ!?」


 後頭部を押さえつつ叫んだアニータに、ディアが、静かに声をかける。


「……どうした。アニータ」


「どうした、って……どうしたもこうしたもっ!

 ディアがいきなり跳ぶから、びっくりしてコケたんじゃない!」


 ごそごそと起き上がりながら、疑わしげに、アニータ。


「ひょっとして……意識でも飛んでたわけ? 今。

 呼んでも、全然反応なかったけど……」


「…………意識…………」


「…………」


「…………」


「………………」


 しばし、その場に沈黙が落ちる。

 その間、彼は何やら考え込むような仕草を見せていたが、やがて、厳かに呟いてきた。


「いや。俺は、正常だ」


「そ……そう? それならいいけど。

 あたしはまた、慣れない演技なんてしたもんだから、ディアが、ちょっとイッちゃったんじゃないかと……」


「俺はどこへも行かん」


「いや、本体はともかく、頭の中身のほうが……」


「ただ、君の目が……」


「いや、だから目じゃなくて頭の――

 …………えっ?」


 きょとん、と大きな目をしばたたいて、アニータは聞き返した。


「あたし? あたしの目が、どうかした?」


「……いや」


 仮面越しにもその視線を避けるように、彼は顔を背けた。

 いつもの彼よりも、ほんのわずかに速い動作で。


「何でもない」


「あ……そう……?」


「――ぃよぉおおおおおおっし! 二人ともっ!」


 2人のあいだに流れかけた、妙にぎくしゃくとした雰囲気を、ベルチェ監督の大声がぶっ飛ばした。


「これならいける! 今の調子で、ばりばり修練を積んでくれッ!」


「は、はいっ! 監督!」


「むう! ――特に、ディア! 君には超・巨大な課題が待っているぞっ!

 最終場面にして、この物語の最大の山場っ!

 ベルセルクがついに魔剣を従え、感情を取り戻すクライマックス・シーンだ!

 ここでは、今まで有利に働いた君のフラットさが、逆に足枷となるだろうっ!

 しかし! 僕は、君なら必ずやれると確信しているッ!!

 この信頼に、是非とも応えてくれたまえッ!!!」


「分かった」


 短く返答するディア。

 ベルチェは、それに対して鼻息も荒く頷き、


「よしっ! ……次は、そっちに行くぞっ! 準備はできてるかぁぁっ!?」


 ばっ! とマントを広げる吸血鬼のような仕草でダグラス組の面々のほうに向き直ったと思うと、そのままの姿勢でずんずんと前進してゆく――

 セリフ回しを練習していた者たちが思わず身を固くし、こっそりなまけていた連中が大慌てで跳び起きた。


「なんかちょっとベルチェが先生みたい……」


 いささか呆れて呟くアニータ。

 そんなものは毛ほども耳に入らない様子で、ベルチェが勢いよく叫んでいる。


「いよぅし! まずは一番手っ! ――マックス・ブレンデンっ!」


「けっ! 分かったぜっ。

 聞け、レティカ王国宰相、ラーガス・ベインのセリフを!

 ――ふっ……ふははははっ! 愚か者めが!

 レティカ王国は、もはや我が手中にある!

 哀れな流浪の身に落ちぶれた貴様なぞに、この私を倒すことはできぬわぁっ!」



「……やる気満々だな。あいつら」


 熱のこもった演技を繰り広げる生徒たちの様子を眺めつつ、面白そうに呟いたのは、金槌を手にし、でっかい脚立のてっぺんに座ったダグラスだった。


「講義のときも、これだけ熱心なら助かるんだがな。

 ま、俺に言えた義理じゃないが」


「これは、ベルチェの力だな」


 答えたのは、同じ脚立の、ダグラスよりやや下の段に陣取ったバノットである。

 彼も、やはり金槌を手にし、先程から延々と、とんてんかんてん釘を打ち続けていた。

 ――役がない教官2人組は、言葉通り裏方として、現在は大道具(城壁)を製作中なのである。


「正直、奴にこんな情熱があるとは、まったく知らなかった。

 意外な一面だ。

 少々、意外過ぎるような気もする」


「同感」


 しばし、とんてんかんてんという音だけが響く。


「……しかし、あれだな」


 その沈黙を破ったのは、再びダグラスだった。

 手元の小箱を探り、釘がなくなっていることにチッと舌打ちを漏らして、


「おいバノット、釘取ってくれ。下の箱だ。――おお、すまん。

 ……で、あれだ」


「俺はお前の女房じゃないぞ。あれじゃ分からん」


「お前みたいな女房は願い下げだ。……だから、あれだよ。

 あいつに、本当に、主役がつとまると思うか?」


 それでようやくバノットにも、相手が何を言いたいのかが理解できた。


「ディアか。……あいつはやるだろう」


「しかし、『監督』のセリフじゃないが、問題はクライマックス・シーンだろ。

 あそこでコケたら、芝居がパーになるぞ?

 あいつはあの通り、極めつけのフラットだし……大丈夫なのか?」


 上から降ってくる言葉は、ちょうどそこで途切れた。

 げんっ! という音と、呻き声。

 どうやら、指を打ったらしい。


 バノットは、あまり動かない顔に、わずかに笑みを浮かべた。

 その視線の先には、脚本の写しを片手に、熱心にセリフ回しを考えている赤毛の少女と、その向かいに立ち、無愛想に意見を述べている仮面の若者の姿があった。


「……あいつは、フラットなんかじゃない」



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