あいつはフラットなんかじゃない
かくして、バノット・ダグラス両組による《黒翼の騎士の物語》上演プロジェクトは、その幕を開けたのだが――
「ぬうぉぉぉぉぉ~っ! ダメだダメだダメだぁぁぁぁぁっ!
顔を洗って、出直して来おおおぉいッ!!」
「ひ~!!」
「大変だ、監督が暴れ出したぞぉぉぉっ!」
雨あられと飛んでくるペンやらメガホンやらコーヒーカップやらに、練習場は、早くも阿鼻叫喚の渦と化していた。
誰もが驚愕したことに、役柄が決定したその翌日、ベルチェは、指二本分ほどの厚みがある脚本を書き上げてきた。
上演時間にして、およそ二時間近くにも及ぶ大作である。
随所には、照明係や道具方への細かい指示が挿まれ、魔術による視覚効果についても、詳細な書き込みがなされていた。
音響には、わざわざ帝都の実家から自動人形の演奏団を取り寄せるという入れ込みようで、既に依頼の手紙も送ったらしい。
無論、徹夜の産物である。
その朝のベルチェを称して、ルークが「目の光る死体……」などとコメントしたりもしたが、監督の鬼気――もとい本気に、全員が打たれたエピソードではあった。
後に《ダブルフィンガー・スクリプト》の名で伝説となるこの脚本は、一同によって(やはり徹夜で)書き写され、それをもとに、さっそく役の練習が始まったのだが――
「でぇええええーいっ!」
すこんっ!
「ふ……っ! なかなか痛いですなっ!」
頭に羽根ペンの一撃(刺さった)を喰らいながらも、むやみにキザな仕草で、フィルが前髪をかきあげる。
それで一応ペンは抜けたようだったが、顔面にだらだらと血が垂れていた。
「っていうか、ペンを刺されてなお笑う、フィルの神経が理解し難いんだけど……」
「美学というやつなんでしょうか?」
「なんか違うと思う……」
少し離れたところで呟きあう、アニータとアラン。
その視線の先で、
「ええぇーいっ! ダメだ、ダメだぁっ! まったくもって、なってないっ!
もっとこう……ラフに! タフに! ワイルドにっ!!」
「ふっ……そんな事を言われましても」
「はっはっ。困りましたなぁ」
監督に怒鳴り倒され、まったくもって困り果てたように頭をかいているのは、フィルと、そしてライリーである。
この二人がホークとイーグルを演じることになったのは、ある意味、完全無欠のミスキャストと言えた。
何しろ、ホークとイーグルの「バトラー兄弟」といえば、双子そろって各地の戦場を荒らし回り、幾多の修羅場をくぐり抜けたといわれる凄腕の傭兵どもである。
となれば当然、ベルチェの言葉の通り『ラフに、タフに、ワイルドに』演じることが求められるわけだが……
フィルは、大貴族の御曹司。
ライリーに至っては、王子さまなのだ。
「ふっ。これは、なかなか……思った以上に難しいですなぁ」
「はっはっ。まったくその通り」
「どわああああっ! その口調からダメだぁぁぁぁっ!」
「…………」
「………………」
二人は心底困惑した様子で、荒れ狂う監督を見つめ――
「……け……けっ。こりゃあ、なかなか、むずかしいじゃ、ねいか」
「そうだねにいさん」
大根である。
怒り狂ったベルチェが、この二人に猛特訓を課したことは言うまでもない。
「次! ……アランっ!」
「あっ。はいはい」
「……順番なんだ……」
やがて来る自分の番を想像して恐れおののくアニータの傍らから、アランは至ってのんびりと、監督のほうへ歩み寄っていった。
そして――
「へえ? ……ほおーっ?」
厳しい顔つきでたたずむ監督の前で、アランが伝説的なエルフの族長を演じる様を眺めながら、アニータは、意外な思いに声を漏らしていた。
上手いのだ。
巧みな演技、というわけではないのだが、セリフ回しや振りがとても自然で、アニータの目から見ても、そらぞらしさが一切感じられない。
「む……むうん。これは、なかなか……」
その証拠に、鬼の監督・ベルチェが、感心したように何度も頷いている。
「うむ。なかなか、いい感じだ。
ティス・ダンシングリーブズの雰囲気が、よく出ている……
それにしても、正直、びっくりしたなぁ。
アランって、こういうの、苦手だと思ってたけど……」
「あ! 『監督』が素に戻ってる!?」
思わずアニータは叫んだが、ベルチェは聞いていないようだった。
またも、うむうむと頷き、
「このまま行けば、なかなかいい仕上がりが期待できそうだ。
相当、練習したと見たが?」
――元に戻ってしまった。
「はあ」
アランは、照れたように笑った。
「まあ確かに、私は、演技っていうのは苦手ですけど……
真似するくらいなら、何とか。ええ」
「…………ん?」
意味が分からず、周囲が沈黙していると――
解説というわけでもないのだろうが、アランは、やはりにこやかに続けてきた。
「ティス族長には、フォレスの森にいた頃、大変お世話になりまして。
いやあ、懐かしいですねえ~」
俗に、エルフの一生は、人間の5倍の長さと言われる。
帝国の建国が、およそ200年前。
とすれば、エルフたちにとっては、人間の感覚に換算して、およそ40年ほど前の出来事ということになる。
建国帝を支えた優しき癒し手、ティス・ダンシングリーブズ――
人間から見れば、既に伝説の領域の存在である男に『大変お世話になった』という事実は、アランにとっては、至って普通のことなのだった。
「…………」
恐るべし、エルフの長寿。
それはさておき、さらに練習は続く。
「次っ! ミーシャっ!」
「きゃああああぁぁぁぁ~っ! 誰か、助けてぇ~!
わたし、まだ死にたくないですの~っ!」
「しっかりしろよ、ミーシャ!」
鋭く指名され、恐怖のあまり泣き喚くミーシャを、金槌をふるって大道具(岩)をこしらえていたルークが励ます。
よそ見をしたために、ちょっと釘より指のほうを余分に打ったようだったが、大して気にも留めず、
「ミーシャの記憶力なら大丈夫だっ! もう、セリフ完璧だろ!?
それなら、監督も怒らねえって!」
「うううううう。違うのです、駄目なのです~」
だーと涙を流しながら、ミーシャ。
「確かに、セリフは、もう全部覚えましたけど~……!」
「いや……それだけで、充分すげーだろ……」
「でも、駄目なのです~っ!
キーリィさんは、独特の訛りのある話し方をされるみたいなのですけど……
わたし、そのイントネーションが、全然分からないのです~!」
「そ、そうか……」
ベルチェが、しまったというように顎に手を当てた。
キーリィ・レルペレンが話した言葉は、彼女が属する小妖精の一族の伝統的な言語と、大陸共通語とが混ざった、珍妙な代物だったと伝えられる。
ベルチェは、今回の脚本にキーリィのセリフを書き込むにあたり、《月夜の夢》座で《黒翼の騎士の物語》を上演する際に伝統的に採用されてきた《ビスキー・スクリプト》を参考にした。
150年前の脚本家、シルベストラ・ビスキーの手になるこの脚本は、極めて綿密な時代考証に基づいたもので、ベルチェとしては今回も彼女のものをそのまま使いたかったのだが、やはり、上演時間が足掛け3日に及ぶのはまずかろうということで、泣く泣く断念した。
……それはともかく。
《ビスキー・スクリプト》を穴が開くほど読み込んでいたベルチェは、字面についてはキーリィのセリフを完璧に再現できたのだが、実際、どのように発音すればいいのか、と聞かれると――
「むう……っ! うちでは、キーリィ本人と同じ一族の出身者が役者をやってたから、問題なかったんだが……
舞台は、何度も見たけど……
その発音を、今ここで、正確に再現しろと言われると、自信がない……っ!
しまった……っ! 一体、どうすれば……!?」
「わあああっ! ちょっとベルチェっ! 監督ーっ!
こんなとこで、死んじゃダメだよーっ!?」
突っ立ってぶつぶつと呻きながら、かたかたかた……と震え出したベルチェの肩を、アニータは慌てて支えた。
「えーとえーと、ほら! 何か、方法があるはずだしっ! 落ち着いて!」
「そうです~っ!
わたし、これから図書館にこもって、片っ端から文献にあたってみますわ!
どこかに、キーリィさんの発話の音韻的特徴について言及した資料があるかもしれませんし~!」
普通、そんなマニアックな資料はないだろう。
「うう……っ、そうか……?」
「そうそう! ほら、元気出して、監督!
ここで監督が引っくり返ったら、皆をまとめる人がいなくなっちゃうから!
そしたら、舞台公演もおぼつかないよっ!?」
「――むうっ!? それはいかぁーんっ!!」
「わあぁぁっ!? 復活したっ!」
「……アニータ……」
光を取り戻した――というか、いささか光り過ぎの感のある眼差しで、がっしとアニータの肩をつかみ、ベルチェ。
「僕は、実に嬉しいっ!
君が、そこまで、この舞台の成功に情熱を燃やしてくれるとは……っ!」
「う? ええーと…………も、もちろんじゃないっ!
舞台は常に、一世一代の大勝負っ! 失敗は絶対に許されないわっ!
何としてでも、素晴らしいものにしなくっちゃっ!」
目を白黒させながらも、とにかくベルチェの情熱の炎を煽るように(何しろ、この炎が消えたが最後、そのまま逝ってしまいそうだったので)叫ぶアニータ。
「ぬうううううう! その心意気や、良おぉぉぉぉしっ!」
再び最前の力強さを取り戻し、どーん! と仁王立ちになって、ベルチェは叫んだ。
「というわけで次は、アニータ、君だっ! 期待してるぞっ!」
「…………!!」
そう来たか。




