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《黒翼の騎士の物語》 3

 裏方たちの戦いが、観客にまったく知られることのない場所で、ひそかに進行してゆく。


 そして、同じ時、役者たちもまた、激しい戦いを繰り広げていた。

 ただし、こちらの戦いの舞台は、観客たちの目の前だ。



「死ねぃ!」


 最終場面。

 広がる青空を背景にした、王城で、最も高い塔の上――


 ローブをひるがえしてラーガスが撃ち放った衝撃波を、ベルセルクが、魔剣を振るって払い除ける。

 だが、その威力を完全に殺すことはできない。

 砕かれた衝撃波が、無数の不可視の刃となって、ベルセルクの身体を切り刻む。

 その余波で、石垣の端が数ヶ所弾け飛んだ。


「ベルちゃん!? ――ちょっと、あんた、やめなさいっ!

 やめて! やめてよ……!」


 ラーガスの腕に捕らえられたルティアが、身をよじって叫ぶ。



「ちょっ……」


 観客席からその様を見つめていたアリス・マクマーンは、アマンダの二の腕を掴み、緊迫した声で呟いた。


「ちょっと待って……! これって……

 ひょっとして、マジなんじゃ……!?」


「……そんな。まさか」


 思わず呟いたアマンダの視線の先で、舞台の床板が一枚、爆ぜた。



         *        *        *



「むう。見事な芝居ぢゃ。……しかし、壊すでないぞよ」


「後で直させる」


 じろりと睨んでくるゴールドベリに、ポップコーンを口に放り込みながら、イサベラは軽く答えた。

 


         *        *        *



 ばしゅっ! ――ぴしぃっ! ぴしっ!


 激しい破裂音に、細い鞭で床を打つような音が連続する。


(ちょ、ちょ、ちょ……!)


 ラーガスの腕に捕らえられたルティア――つまりアニータは、演技を続けながらも、内心、激しく動揺していた。

 自分の首に巻きつけられているマックスの腕に指を食い込ませ、視線だけで抗議する。


(ちょっと、マックス! これって、やり過ぎなんじゃないのっ!?)


「ははははははは!」


 帰ってきたのは、狂喜に満ちた高笑いだった。

 マックスは、アニータを見ていない。

 憎悪に燃える視線で目の前に立つ男を突き刺し、同時に片手を突き出す。


「滅びろ!」


 ばしゅっ! ばしゅっ! ばしゅんっ!


 続けざまに放たれた衝撃波を、ディアは超人的な反応速度で見切っていた。

 あるいは剣の平で叩き潰し、あるいは紙一重でかわしてゆく。

 といっても、それは紙一重で『重傷を』免れているということでしかない。

 ベルセルクの衣装である黒いマントは、既にぼろ切れ同然になっているし、本物の鉄でできている甲冑の表面にさえ、無数の傷がついている。


 滴り落ちる赤い滴は、血糊か、それとも、本物の血だろうか?

 実際に魔術を使うのは予定通りだが、ここまでの威力を出すなどとは聞いていない――

 セリフも脚本の通りではあったが、どことなく、迫真の演技を超えて、本気なのではないかという気さえする。


(ま、まさか? ……いや、でも……)


『敵は、既に本気だ――』


 戦慄したアニータの脳裏に、バノットが口にしていた言葉が再生される。


『半端な根性では、大団円にたどり着く前に叩き潰されるぞ?』



(まさか、ほんとに、本気なのっ!?)


 彼女が目を見開いた瞬間、ひときわ強烈な衝撃波が炸裂した。

 剣の鍔元近くでそれを受け流したディアが、勢いを殺し切れずに片膝をつく。

 もしもあの『魔剣』が、強化の呪文をかけられた鋼でできていなければ、持ち主もろとも粉砕されていたところだ。


「ベルちゃんっ!!」


『ディア!』と叫ばなかったのは、ひとえに、四十日間も続けてきた稽古の賜物であった。

 反射的に駆け寄ろうとしたアニータを、マックスの腕が強引に引き留める。


「――ルティア」


 傷付いた騎士から返ってきたその声は、アニータが――そして観客たちが予想していたよりも、遥かに平静だった。


 受け損ねた攻撃が命中していたのだろうか?

 左足をわずかに引きずって立ち上がりながら、彼は言った。


「俺に構うな……君が、そいつを殺せ……」


「えっ? ……でも……!」


 ルティアと、そして観客たちは、同時に、ベルセルクの言わんとすることに気付く。

 そう、ルティアには、まだ取り上げられていない武器があった。

 いつも太腿に隠し持っているナイフだ。

 これで、旅の途中、幾度か危機を脱したこともある。

 だが――


「くくく……」


 アニータの首に巻きつけた手に力を込めながら、マックス――いや、ラーガスが嘲笑った。

 激しい風が彼のまとう豪奢なローブを大きくはためかせ、その下の白銀の輝きを、観客たちの目の前にあらわにする。

 防御呪文を封じた、銀の甲冑だ。


「何をするつもりか知らんが……お嬢さんの細腕で、この防ぎを貫けるかな?

 いや、それよりも……」


 ルティアの耳元に唇を寄せ、千年王国の宰相は優しげに囁いた。


「君が、少しでもおかしな動きをすれば、私はあの男に加減なしの攻撃を叩きつけるが……それでもいいかね?」


 その手のひらに、圧倒的な魔力が収束してゆく。


 観客席から、引きつったような動揺のざわめきが起こった。

 魔術を操る者ならば、見間違えようもない。

 それは、確実に、人間一人を跡形もなく消し飛ばす威力を備えた一撃となるだろう。


「や、やめて……!」


「構うな、ルティア……やれ!」


「――嫌!」


 少女は、喉を振り絞るようにして叫んだ。


「できない……! できないよー……」


 ラーガスが満足げな笑みを浮かべ、収束していた魔力を握り潰す。


 ベルセルクの顔には、相変わらず何の表情も浮かんではいない。

 やがて、彼は、静かに疑念を口にしてきた。

 その口調の深刻さは、どうしても解けない問題を前にした学生のそれと同じ程度のものであったが。


「なぜだ……このままでは俺も、君も殺される」


「じゃあ、あなたが、あたしに構わずこいつを斬ってっ!」


 その叫びを受けた瞬間、ベルセルクの表情が、突風に打たれたように揺らいだ。



《――殺セ》



 そうだ。

 あの時から――

 魔剣と契約を交わしたあの時から、自分は、生き延びるために幾多の命を刈り取ってきたではないか。

 それはすべて、この瞬間のため、目の前にいる男に復讐するためだったはず……

 今さら、何を惜しみ、何をためらう必要があるだろう?

 目の前にいる娘の命を犠牲にしても、今ここで、宿願を果たすのだ。


「それが……俺の……」


《我ノ――》


 振り上げられた黒い刃が、


「…………ベルちゃん……?」


 力無く下げられる。


「できぬか。くく。

 魔剣に支配されても、仲間を思う心がいくらかは残っているようだな……」


 その、瞬間だった。


「――この、バカーっ! ここまで来て、なぁぁぁにをしてるのよっ!? 

 早くっ! あたしに構わず、やっちゃいなさいっ!」


 ラーガスの腕の中で、ルティアがばたばたと暴れ出した。


「ぬう?」


 彼女の突然の狂乱ぶりに、さすがのラーガスも、いささか虚をつかれた表情になる。

 観客たちの目も点になった。

 そんなことには一切構わず、ルティアはじたばたと暴れ続ける。


「バカ……! あたしは……

 ベルちゃんが死んじゃうくらいなら、あたしが死んだほうがずっとましなのっ! だから、早く!」


「ルティア? 何を言って――」


「……まだ、分かんないのか、この鈍感男っ!」


 この期に及んでなお朴念仁な発言をするベルセルクを、ルティアは、涙を溜めた目でキッと睨みつけた。

 その喉から、絶叫がほとばしる。


「あたしは――あたしはっ!

 ベルちゃんを、絶対失いたくないんだっ!

 だって……

 あたし、ベルちゃんのこと、大好きだからっ!」


 その叫びに込められた、痛切な想い。

 その言葉が届いた空間すべてが、言葉の響きが消えてもなお、伝え切れぬ想いに満たされて震えていた――

 だが。


「……く、くっくっくっ……くはははははあぁ!」


 少女の想いを引き裂くように、ラーガスの邪悪な哄笑が響き渡る。

 彼は滴るほどの毒を含んだ視線をベルセルクに向け、嘲るように言った。


「愛し合う者同士、互いにかばい合うというのかね?

 美しい。実に、美しいではないか……」


 美しい物語に、私が、ふさわしい幕を引いてあげよう。

 昔から、愛し合う男女の悲劇の結末は、共に死ぬことと決まっているんだよ――


「……だが……」


 ラーガス・ベインは、若い騎士を睨みつけた。


「貴様は、もはや人の心を持たぬはずだ! ベルセルク・グランシス。

 その魔剣と契約を交わした日から――

 貴様に、仲間を見捨てぬ義務感はあっても、他者を愛する心などあるまい!」


(…………えっ?)


 その瞬間。


 ラーガスはマックスに、ルティアはアニータに、そしてベルセルクはディアに戻り、舞台上は、凍りついたような静寂に支配された。



         *        *        *



「きゃあ~っ……緊迫だわ、緊迫だわ!」


 嬉しそうにひそひそと呟きながら、キャロルは、物語の続きを待ちわびる子どものように、椅子の上でしきりに身体を揺すっていた。


「三人とも、迫真のお芝居ねえ! ドキドキしちゃう~。ねえ、二人とも?」


 にこにこと、両脇に座ったバノットとダグラスに視線を向けたキャロルだが、


「……あら……? ねえ。どうしちゃったの~?」


 彼女の笑顔は、たちまち不思議そうな表情に変わった。

 それもそのはず、つい今しがたまで満足げにふんぞり返って舞台を眺めていた二人が、一様に身体を起こし、怪訝そうな顔つきで首を捻っていたのである。


「――おい? これは……」


「ああ……あいつ、何を考えてる……?」


「……ねえ、何なの~? ねえねえねえ」


 舞台上を凝視したまま、意味不明の問答で頷き合う二人に、真ん中で一人取り残され、抗議の声をあげるキャロル。


「いや、何って、セリフが……」


「ああ」


 唸るように呟いたダグラスの言葉を受けて、バノットが、簡潔に説明した。


「――あんなセリフは、脚本にはない」



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