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《黒翼の騎士の物語》 2

 こうして、長大な絵巻物のように《黒翼の騎士の物語》は展開していった。


 魔剣を狙う邪教集団や、執念深い本国からの追手との絶え間ない戦い。

 新しい仲間たちとの出会い。


 数々の危難を共にくぐり抜ける中で、ルティアの心のうちには、自分でも気付かぬうちにベルセルクへの愛情が育まれてゆく。

 だが、想いを自覚してもなお、感情を持たぬ彼に、それを伝えることはできない……


 暗転した舞台上で、ただ一人照明に照らされながら独白するルティア。


「ベルちゃんはあたしのことを、どう思っているの? 

 一緒に戦う旅の仲間、ただ、それだけ……

 あの人は誰も憎まないし、誰も愛さない。

 ……自分を、絶対好きになってくれない人に、好きだなんて言えないよ……」


 その言葉に秘められた哀しみ。

 観客たちは、否応無しに、揺れる少女の心に寄り添って物語に引き込まれてゆく。


「あたし、どうして、あの人を好きになっちゃったんだろう……」


「理由なんか、どうでもええがな。

 一度、生まれた気持ちは、捨て切れるもんやあらへん。

 どこまでも、貫いたったらええんや!」


 迷い、傷付くルティアを、種族は違っても同じ女性として力強く支えるのは、勇ましい旅の仲間、小妖精のキーリィだ。


「いやあ~、あなたがたと一緒にいると、私、仕事に困りませんねえ」


「嬉しいのかよっ!?」


「全然嬉しくないです。ケガしないでください」


 エルフの癒し手であるティスは、魔剣の呪縛に苦しむベルセルクを、そして激しい戦いに傷付く仲間たちを救うべく力を尽くす。


「――おいコラ、待て!? 見ろ、この手配書っ!

 『ベルセルク・グランシスとその一党』……

 って、いつの間に俺らがいっしょくたにされてんだよっ!?」


「兄さん」


「何だ!?」


「……運命って無情だね」


「黙れ!」


 いつでもやかましいバトラー兄弟だが、どんな過酷な状況にもめげない彼らの筋金入りの陽気さは、死中に活を求める最中でも、仲間たちの顔に幾度となく笑みを浮かばせてきた。


 そして……

 かつて自分を陥れた張本人が、レティカ王国の宰相ラーガス・ベインであり、王女を傀儡にした彼が現在の国政を意のままに牛耳っていることを知ったベルセルクは、ラーガスを倒すため、危険を覚悟で故国へと帰還する。


 腐敗し切った政治に抵抗する人々の支持を得たベルセルクは、ついに自らが先頭に立ち、反乱軍の旗を揚げた。


《紫眼の黒竜》――

 後に帝国の紋章となる旗印を押し立てた反乱軍は、バトラー兄弟が立てた戦略によって、各地で王国軍を打ち破る。


 そして、新暦864年、春待月の第11日。

 ベルセルク率いる3千の反乱軍は、王都ヴェスタンティを目前にしたケクセント平原にて、《千年樹》の旗を戴く二個師団、1万2千と向かい合った。

 歴史が書き換えられる瞬間まで、あと4日に迫った、風の強い日だった――



         *        *        *



「頼む、頼む、頼む頼む頼む~……」


 ルークは、祈っていた。


(舞台の神様、脚本の神様、えーとそれから……

 大道具の神様、照明の神様、音響の神様……

 あー、もー! どの神様でもいいから、てゆーか、できれば全員で、この芝居に加護をお願いしますっ!

 特に、この二人に!)


「! ! ! ! !」


「――――」


 祈るルークの傍らには、ベルチェと、エルナがいる。

 ベルチェは骨ばった両手を胸の前で固く組んでおり、その指の隙間から真紅の輝きがのぞいていた。

 彼の足元には、蓄えられた魔力を使い果たし、光を失った石がいくつか転がっている。

 エルナは、杖を傍らに置いて、天から何かを受け取ろうとするかのように両手を広げていた。


 今、この二人が力を合わせ、舞台上に、この芝居中、最大級の幻術を展開しているのだった。

 それはおそらく観客たちの誰も見たことのない規模のもので、それを証明するかのように、客席からはしわぶきひとつ聞こえない。

 誰もが、舞台の上で繰り広げられる光景に魅入られているのだ。


 しかし。


 狙い通りの効果にも関わらず、ルークは、おろおろと両手を揉み合わせながら二人を見比べていた。

 エルナには、まだ余裕があるように見える。

 だが、ベルチェは――


 今、彼の手に握られているもので、イサベラから借り受けたパワーストーンはおしまいだ。

 もしも、これの魔力が底を尽いたら、彼は、確実に倒れる。

 既に芝居は終盤に差し掛かっているものの、果たして、間に合うだろうか……?


「おい……! そいつら、大丈夫なのかよ!?」


「しーっ! 二人の邪魔すんな……!」


 焦りを浮かべて問いかけてきたレティカの宰相を、げん! と拳の一撃で退けて、ルークは、なおも心配げに二人を見つめ続けた。



         *         *        *



 ――平原が揺らいだ。

 鬨の声と、駆け抜ける幾千もの蹄鉄の響きに打たれて。


 ケクセントの戦いが始まって4日目。

 王国軍の鉄壁の守りの前に為す術を知らぬかに見えた反乱軍が、ついに、全軍挙げての突撃を開始したのだ。

 その数、9千――

 王都の守備軍と共に彼らを挟撃して叩き潰すはずだった王国軍の増援部隊が、前もっての工作通り、反乱軍側に寝返ったのである!


《紫眼の黒竜》の旗をなびかせた軍勢が、王国軍の守りの壁を、見事な鋒矢の陣形で切り裂いてゆく。

 その先頭にあって、眼前に立ちはだかる者をことごとく斬り倒してゆくのは、黒い鎧を身にまとった一人の戦士――



 アマンダは、声もなく、目の前に展開する光景を見つめていた。

 それは、戦闘が起こっているケクセント平原を、遥か鳥の目から見下ろした光景。

 翼あるものでなければ決して見ることのできない、戦場の俯瞰図であった。


 魂を奪われたように見つめる観客たちの前で、ヴェスタンティの門が陥ちる。

 反乱軍はそのまま、王城を目指して進軍した。

 千年王国レティカが、ついに、その滅びの日を迎えたのだ――



「こぉら、ベルセェェェェルク!

 女といちゃつくのは後でやれ! とっとと来ねぇかぁ!」


 打ち合う鋼の響きを圧して、その男の叫びが通った瞬間、視点が一瞬で下がり、観客たちはたちまち、打ち砕かれた王城の門で一進一退する激しい戦闘のただなかに導かれる。

 ハルバードを振り回す城の守備兵と剣を交えながら、ホークが怒鳴った。


「この手応え……気ぃつけろ! こいつら、人間じゃねえぞ!

 ……イーグルッ!」


「了っ解っ!」


 兄が押さえ込んだ敵の首を、背後から駆け寄った弟が跳ね飛ばす。

 面頬の下に隠されていたのは、トカゲの顔を押し潰したような醜い容貌……

《呪われし者》の兵士だ。


「ケッ! 《呪われし者》とつるんでやがるたぁ腐り切った野郎だぜ、そのラーガスとかいうオッサンはよぉ!」


「でも、これってちょっと厄介だね。守りの壁が思ったより分厚い。

 どうしますか? ベルセルクさん――」


 イーグルの言葉に応えるように、黒い騎士が、門をくぐって姿を現した。

 彼は今まで、ルティアをかばいながら敵中を斬り抜けてきたのだ。


 その姿を目にした門を守る兵士たちが、ざわめきながら退いた。


「……ああ?」


 敵の奇妙な反応に、ホークが訝しげに頬を歪める。

 ――ベルセルクの手の中で、黒い魔剣が不吉な唸りを上げていた。

 騎士が、口を開いた。



《下等ナル眷属ドモ 下ガレ!

 我ハ コの男と共に こノ男の 最も憎ム者を殺す!》



 それは、人間の声ではなかった。


「う……嘘? ベルちゃん……?」


 目を見開いて、少女は、一歩、二歩と後退る。


 この男は――

 今、目の前にいるこの男は――

 もはや、人では、ないのか?



《下がれ! 俺は、ラーガス・ベインを殺す!!!》



 男の咆哮を受け、《呪われし者》の兵士たちが怯えて引き下がる。

 だが、同時に味方も――


「こ、こいつ、人間じゃねぇのかっ!?」


「やばいぞ! 皆、離れろ……!」


『……くふふふふ……』


 反乱軍が浮き足立ったところへ、新たな声が響き渡った。


『ふ、ふはははははは! 魔剣に、完全に支配されたか。

 剣士が、剣に使われるとは、無様なことよなぁ!』


 突如、地面から灰色の煙が噴き出した。

 それは風に散らされる前に一瞬で凝固し、一人の男の姿をとる。


「だっ、誰――!?」


「アホかー! 状況読めぇ! あれが、ラーガスとかいう奴やっ!」


 間髪を入れずにバトラー兄弟が斬りかかるが、その刃は敵の身体を素通りしてしまった。

 ――幻覚だ。


『無駄なことを』


 彼らを嘲笑いつつ、ラーガスの虚像が指輪をはめた右手を掲げ、一声、短い呪文を叫ぶ。

 その瞬間、陽光をさえぎり、黒い影が一同を覆った。


「きゃああああぁっ!?」


 舞い降りた巨大な怪鳥は、ベルセルクから離れていたルティアを鉤爪に捕らえ、たちまち弓矢も届かぬ高みへと舞い上がる。

 向かう先は、王城の塔――


「……ルティア?」


 ベルセルクの瞳に、焦点が戻った。


「ルティア!」


「馬っ鹿やろぉぉぉぉ!」


 その彼を、ホークが殴りつける。


「ぼっとしてる場合かぁ! 急げ!

 あのド腐れオヤジと、赤毛のチビを追っかけるぞっ!!」


 こうしてベルセルクたちは、ごく少数のまま、敵の待ち受ける王城へと斬り込んでいった――!



         *        *        *



 その頃。


「ま・に・あ・えぇ~っ……!」


 舞台袖では、相変わらずルークが祈っている。

 だが、彼の祈りも空しく、状況は時を経るごとに悪化していた。

 ベルチェが手にしたパワーストーンの輝きは、今や蛍の灯火のように弱々しいものになっている。


 大きな幻影が舞台上に現れるたび、ルークははらはらしていた。

 この光は、もう、いつ消えてもおかしくないのだ――


「……3、2、1、よしっ!」


 先程からずっと舞台の様子をうかがっていた、男顔負けに逞しい体格のダグラス教室の道具方、エニグマ・フラウが、短剣を振るい、目の前に張ってあったロープを切断した。

 それと同時、舞台袖の天井から、砂を詰めた袋が勢いよく落下してくる。

 その袋には、やはりロープがくくり付けられており、そのもう一方の先端が一体どこに続いているかというと――


「よぉし! 成功だっ」


 エニグマがガッツポーズをとると同時、舞台上で、アニータの身体が舞い上がった。

 観客席からは、巨大な鳥にルティアがさらわれたように見えるシーンだが、実際は、背中に固定したロープで吊り上げたのである。


 舞台上で、フィルホークが、ディアベルセルクを殴りつける。

 そして、一同が袖へ――つまり王城へと走り込んでゆく……


 それと同時、観客たちの目の前から、大勢の兵士たちが戦いを繰り広げる城門前の光景が溶けるように消え去った。

 その後ろにセットされていた、城の回廊の舞台装置が姿をあらわす。

 この通路で、ダグラス教室勢扮するラーガスの手勢と、ベルセルクたちが戦うのだ。


 これで、しばらくのあいだ、幻術は必要なくなる――

 と、その瞬間、


「――ベルチェっ!?」


 ルークの目の前で、ベルチェの身体がふらりと揺らいだ。


 ルークが慌てて背中を支えた拍子に、固く組み合わさっていたベルチェの手がほどけ、指の間から、パワーストーンが滑り落ちる。

 それが床にぶつかって舞台の上に転がり出る前に、横手から、エルナが全身で飛びついてキャッチした。

 そのまま床に転がった彼女には構わず、ルークは、がっくりと仰け反っている級友を揺さぶって呼びかける。


「ベルチェ、おい!? 大丈夫かっ!?」


「……だ……」


「『だ』!? 大丈夫の『だ』か、駄目だの『だ』か、どっちだああ!?」


「だ・い・じ・よ・う・ぶ・だ……」


「――駄目だわ」


 死体が口をきいたようなベルチェの呻き声と、起き上がってきたエルナの呟きが同時だった。


「だ……駄目って、何がっ!?」


「これよ」


 いつになく深刻な口調でエルナが差し出してきたのは、今しがた彼女がキャッチしたパワーストーンである。

 かつては真紅の輝きを放っていたそれは、いまや、ただの赤瑪瑙のように、いささかの光も帯びてはいない。

 魔力を、使い切ったのだ。


「なんてこった……!」


 唸ったのは、近づいてきたエニグマだった。


「なにか、方法はないのかよっ!?」


 言われて、ルークは、すがるようにエルナを見つめた。


「エルナ……!」


「待って。……待ってね。整理して考えましょう……

 あと、幻術が必要な場面はどこ?

 この後……塔のてっぺんのシーンで、青空がいるわね。

 そして……最後のクライマックスシーンの『あれ』……」


 フード越しにもはっきりと分かるほどに顔をしかめて、エルナは告げてきた。


「……空くらいなら、何とかできる。

 でも……『あれ』は、私には無理よ。

 練習すれば別だけど……とにかく、今この場ですぐに、というのは、無理だわ……」


『じゃあ、打つ手なしか?』と蒼白な顔を見合わせるルークとエニグマ、そして、いまだ天井に吊り下げられたまま、『大丈夫!?』と視線で問いかけてきているアニータを無視して、エルナは、視線を舞台上に向けた。


「《虹色蜥蜴》が付与エンチャント型の術だったことは、不幸中の幸いよね……」


 ベルチェが倒れた今も、ベルセルクの顔が消えていないのは、ベルチェが、ディアの仮面自体に呪文の効果を封じておいたからである。


「主役の顔が、いきなりにやにや笑いの仮面に変わったら、お客さんもびっくりだものね……」


「んなこと言ってる場合じゃねーよー……どうすんだ!?」


 舞台では、ディア扮するベルセルクたちが、宰相側の手勢の反撃を受けつつ、じりじりと敵を押し返しているところだ。

 この後、仲間たちが罠にかかってしまい、ベルセルクが、単身先行することになるのだが――


「そこで、暗転。アニータが、下りながら、声だけで独白……

 その間に、舞台装置を《塔の屋上》に入れ替え……

 アニータが下りたら、マックスが彼女を捕まえて立ち、そこからシーンが始まる……

 そこへ、ディアが駆けつけて……」


 今後の場面展開を頭の中で再生しつつ、所要時間をはかるエルナ。


「今から『あれ』まで、およそ30分……

 監督、生き返るかしら?」


「おい、《死神》! 治癒呪文を使えよ!」


 言ったエニグマに、エルナは静かに首を振った。


「監督が引っくり返ったのは、魔力を使い果たしたからよ……

 治癒呪文でどうにかなるものじゃないわ……」


「そんな。じゃあ、どうすんだよ、マジで!?」


 いまや、こちら側の袖に控えていたスタッフ全員が、ルークの腕の中でぐったりしている監督を見つめて不安げにたたずんでいた。

 天井のアニータや、向こう側のスタッフたちの間にも動揺が走っている。

 あと一歩で諦めに変わりそうな焦燥感が、一同の上に重くのしかかり――


「……あっ」


「何だっ!?」


 不意に『ぽん』と手を打ったエルナに、藁にもすがるといった面持ちで、ルーク。

 それに応えて……というわけでもなかったのだが、エルナは、ゆっくりと顔を上げた。

 その時には既に、いつもの彼女の、不敵な表情が戻っている。


「思いついたわ」


「うおおおおお! 偉いぞエルナ! で、何を思いついたんだっ!?」


「……しいっ、声が大きい。

 あら。ちょっと待って……もうすぐ暗転よ」


「だから何を!?」


「落ち着いて、ルーク」


 こつん、と彼の頭を杖で叩いて、エルナは言った。


「まずは……皆、スタッフとしての仕事を果たして。全てはそれからよ。

 ……で、自分の仕事が全部終わった人から、ここに集まってちょうだい。

 ちょっと、協力してもらいたいことがあるの……」


「わ、分かった――」


「落ち着いてね……私たちの一人でも、慌ててトチったりしたらおしまいよ。

 この後、役者たちにも、安心するように伝えて」


「了解っ!」


「よし……! とりあえずは、大道具スタンバイだっ!」


「各自、持ち場へ! 音響、準備できてるかっ?」


 いささか不得要領ながらも、とにかく希望を取り戻した様子で、再び動きはじめるスタッフたち。

 ひそやかな活気を取り戻した舞台袖で、ベルチェを膝枕しながら、


「それにしても……

 まさか、芝居に効果を出すために、この奥義を使うことになるとはねぇ……」


 苦笑を浮かべて、エルナは呟いた。


「…………すま、な、い……何を……する、つもり」


「今は喋らないで、監督。……私が何とかする」


 苦笑から、苦みが抜け落ちて、闘志を沈めた美しい笑顔に変わる。


 ――自分たちでなければ、芝居『なんか』のために、と言うところだ。

 だが、自分たちは、決してそんなことは言わない。

 なぜなら。


「この、すごい芝居に……

 私たち皆、ここまで、全力を賭けてきたんですもの……」


 だから、最後まで、全力を尽くす。


 舞台の上で、ディアが向こうの袖へ――城の回廊の奥へと走り込んだ。

 スタッフたちが、一斉に身構える。

 天井で、アニータが『スタンバイOK』の手付きを見せる。


 それら全てに頷いて、すっと片手を突き出し、エルナは囁いた。



「――闇よ」



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