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《黒翼の騎士の物語》

  *     *     *



 前後左右から跳びかかってきた、幾つもの影を――

 男は、その紫の目で無感動に一瞥した。


 ザシャアアアアアァッ!


 転瞬、一閃した黒い刃が、斧や棍棒をかざして躍りかかったゴブリンたちのことごとくを薙ぎ払う。


《……セ》


 仲間を倒され、残ったゴブリンたちの統率が目に見えて乱れる。

 だが、なおも圧倒的に上回る数をたのんでか、逃走しようとはしない。


《……殺セ》


 その真っ直中に、男は、一陣の黒い風のように斬り込んだ。

 飛び散る血飛沫と、重なる断末魔の絶叫。

だが、そんなものには何の関わりもないかのように、彼の端整な顔は、こそとも動かない――


《殺セ 殺セ……》


 不吉な囁きに身を任せるかのように、彼は剣を振るい続ける。

 恐怖にかられて逃げようとしたゴブリンは、男が投げ放った短剣に背中から心臓を貫かれ、地面に転がった。


「……つ……」


 大きな岩の陰に隠れ、男の鬼神のごとき戦いぶりを見守っていた赤い髪の少女が、呆けたように呟く。


「強い……」


 彼女は、このダルバロス山麓荒野を旅している途中でゴブリンの集団に襲われ、あわやというところで、突然現れたあの男に助けられたのだ。

 というより、ゴブリンたちが新たな獲物に注意を引かれた隙をついて、彼女自身がここに隠れたのだが。


 今や、男の周囲に、生きて動く敵はいなくなっていた。

 紋章のない黒い鎧は返り血にまみれ、滴り落ちた赤い滴が、彼の足元に湯気の立つ血溜まりを作っている。


 男は剣を収めようともせず、岩陰から半身を出した少女に視線を向けた。

 そして彼は、少女に、切っ先を向けた。



《殺セ 殺セ 殺セ……》



「え? あの……ちょっ……」


 怯え、戸惑いながら、少女はその切っ先を拒むように両手を突き出す。

 なぜ、自分が刃を向けられるのだろう。

 彼は、自分を助けてくれたのではないのか? なぜ……



《――殺セ!》



 男の手が、びくりと震えたように見えた。

 彼は、何か抵抗でもあるかのようなゆっくりとした動作で、剣を鞘に収めた。

 そのまま、無言で背を向け、去ろうとする。


「ちょっと待ってよっ!」


 その背中に向かって、少女は、張りのある声で呼びかけた。

 男が立ち止まり、振り向いてくる。


「えーっと。あのね。助けてくれて、どうもありがと」


「お前を助けたわけではない」


「……あ……そう? でも、まあ、結果が同じだから何でもいいわ。

 それよりあなた、強いのねえ!

 あっ、あたし、ルティア。こう見えても、傭兵をやってるのね。

 まあ、斥候とかの仕事しかしないんだけどね。

 でさ、あたし、ちょうど強い相棒を探してたのー!

 ね、ね、ね。あたしと一緒に、お仕事しない!?」


「…………」


 大した反応も見せずに再び背を向けた男に、ルティアは、地団駄を踏んで叫んだ。


「ちょっと、何よー! 無視はないでしょ!?

 てゆーか、こっちが名乗ったんだから、せめて、名前くらいは教えなさいって!」


騒ぐ少女の気迫に負けた、というわけでもないのだろうが――

 足は止めないまま、男は肩越しに振り向いて、ぼそりと言った。


「……ベルセルク」



         *        *        *



 ぽかん、と口を開けているアマンダに、


「ねっ、ねっ、ねっねっね~っ!?

 スゴいでしょ!? びっくりするでしょ!? 感動でしょ~っ!?」


 隣から小声で、しかし抑えようもない興奮をにじませた声音で、アリス・マクマーンが囁きかけた。

 薄明かりの中でも、その表情が輝いているのがはっきりと分かる。


 ここは、初等部本館の大講堂――

 長椅子を並べた客席にいる人間の大半は、黒いローブ姿の初等部の生徒たちだ。

 しかし、中には、教官たちも混じっているらしい。

 さらに、てんでばらばらな服装をしているのは、高等部から来た生徒たちだろう。


 そして、今。

 彼ら全員が見つめる舞台の上に、ダルバロス山脈の麓に広がる、雄大な荒野の風景があった。


「う、嘘でしょ……」


 ほとんど拉致されるような形でここまで連れてこられたアマンダだが、もはや、文句を言うことも忘れ去っている。

 圧倒的な奥行きをもってそびえる山脈を指差し、彼女は呻いた。


「あれ、書き割りじゃないわ……!

 幻術よ! あのゴブリンだって、全部……!」


「この劇ね、高等部の、バノット組とダグラス組が合同でやってるんだって!

 ベルチェ・ソルディールっていう、すっごい幻術使いの人がいて、その人が、あれ、やってるらしいわよ……!」


「バノット組っ!?」


 親友の言葉に、アマンダは目を見開いた。


「じゃあ……あの、赤毛の人が、アニータ・ファインベルドなの!?

 ヒノモト帝国から来た剣士で、《炎の武神》って呼ばれてる……」


「多分ね! ――それより、あの男の人、誰なんだろう! あ~、カッコイイ!」


 後に建国帝と呼ばれることになる男の姿をうっとりと眺めるアリスの傍らで、アマンダは、身体の奥底から震えが湧き上がってくるのを感じていた。

 それは、純粋な興奮だった。

 あれほどの幻術を、人の身で行なうことができるとは……!



         *        *        *



「…………!!!!!」


「――だ、大丈夫かな?」


 青白い光を放つパワーストーンを両手で握り締め、目を見開いたままで一心に何やら念じているベルチェを、ルークは、いささか心配げに見つめていた。


 ここは、アマンダたちが見入っている芝居が今まさに展開している舞台の、下手の袖である。

 ……ちなみに、縛り上げられてそこらへんに転がっている数名のローブ姿は、上演を断固阻止しようとした頑固な教官たちの末路だったが、それはともかく。


 幕の間から舞台上の様子をうかがうと、ちょうど、ディア扮するベルセルクが凄まじい勢いで魔剣を振るい、ゴブリンの集団を蹴散らしているところだった。

 ――とは言っても、実際に、生きたゴブリンたちが舞台に上っているわけではない。

 彼らは、全て、ベルチェが魔術で生み出した幻影なのである。


「スゲーよな、実際……ほんとに、感心するぜ……

 けど、これだけスゲーってことは、つまり、それだけ疲れるってことなんだよな……」


 なおも心配げにぶつぶつ言うルークの肩に、手袋に包まれた手がそっと置かれた。

 驚いて振り向くと、いつのまにか音もなく近寄ってきていたエルナが、にやりと唇を曲げている。


「くくく……心配しなくてもいいわ……」


 彼女は、怪しい風貌にまったくそぐわない、むやみに希望的なポーズをとって断言した。


「だって……監督が、この舞台を終えないうちに倒れるなんて、有り得ないもの……!」


「おお、そういやそうか! ――って、オイ!?

 それって、終わったら倒れるってことじゃねーのか!?」


「くくく……声が大きい……」


 エルナの指摘に、ルークは、慌てて口を押さえた。

 しかし幸いにも、オーケストラボックス――はないので、ルークたちと同じく舞台裏――からゴーレム演奏団が奏でる勇壮なBGMのおかげで、彼の叫びは、観客席までは届かなかったようだ。

 エルナは、元々低い声を一層低めて、ぼそぼそと言ってきた。


「とにかく今は、側でごちゃごちゃ言って、監督の集中を乱しちゃだめ……

 それに、あなたも、自分の仕事に集中しなくちゃ」


「わ、分かった。大丈夫だ! フィルたちも手伝ってくれるし……」


 上手の袖の様子をうかがうと、バトラー兄弟に扮したフィルとライリー、きらきらする小妖精フェアリーの羽をつけたミーシャ、濃い緑のローブを着たアランが、それぞれ『スタンバイOK』の合図を送ってくる。

 ダグラス組はダグラス組で、仲間の道具方に、同じような合図を出しているようだ。

 何しろ、人員の絶対数が少ないので、まだ出番が巡ってこない役者たちが、裏方たちをサポートするというシステムになっているわけである。


「スゲーんだか、貧相なんだか、よく分かんねーな、コレ……」


 ゴーレム演奏団にぶつからないよう遠慮しつつ、気絶して倒れている教官たちを脇へどけて(大道具を出し入れする邪魔にならないようにだ)ルークがぼやいた。

 ……まあ、客席からは分からないので、問題なかろう。


「あら」


 舞台上の様子を見ていたエルナが、鋭く呟いた。


「そろそろ、私の出番が来そうね……」


 去ろうとするベルセルクをルティアが引き留め、強引に二人旅をはじめる場面である。


 エルナは、やはり舞台上の様子をうかがっている一人の若者にちらりと視線を送った。

 それに対して、ちょい待ち、というように手を挙げてきたその若者は、ダグラス組のミーアン・プラスタである。

 彼は、その『いい声』を買われて、ナレーション係を任されているのであった。


 ミーアンが、舞台の様子を見つつ、立てた指を一本ずつ折ってゆく。

 ……4……3……2……1……


「――闇よ」


 エルナの声と同時、観客たちがざわめいた。

 舞台上が、突然暗転したのである。

 それも、ただ単に照明を落としたというのではなく、完全な闇に包まれたのだ。



『かくして、紋章を持たぬ黒の騎士ベルセルクと、傭兵の少女ルティアは、同じ道をたどりはじめた……』



「――よし! 第2場面《森の屋根亭》、急げ!」


「音立てるんじゃねーぞ……!」


 音楽と、ミーアンの語りとが流れる中、薄明かりに照らされた舞台上で慌ただしく大道具を入れ替える道具方たちを見つめながら、


「くくく……おっけー」


 エルナは満足げに頷いていた。

 光を完全に遮断する《闇》の魔術を、観客席と舞台上とを隔てる薄い幕のようにしてかけたのだ。

 こうしておけば、作業がしやすいように舞台上を明るくしたままでも、観客には、その様子はまったく見えない――


「…………」


 幻術を解いたベルチェが、射るような視線で舞台上を一瞥した。

 つい先程まで荒野だったそこは、道具方たちの働きで、すでに宿屋一階の酒場へと変貌している。


「役者全員、舞台上にスタンバイ済み!」


「ゴーレム演奏団、第2場面BGMに切り替えスタンバイOK」


「ミーアンの語り、終わります……《闇》を消す準備を」


 ベルチェが、片手を挙げている。

 スタッフ全員が、その手が振り下ろされる瞬間に備えていた。


 あと3秒……2秒……1秒……

 振り下ろされる!


 ――その瞬間、観客たちの目の前に、百年前の酒場が姿を現した。



         *        *        *



「……見事ぢゃ」


 白髪頭を黒いショールで包み、ほとんど九十度近く腰の曲がったその老婆は、ねじれた太い杖に両手をついて、うむうむと何度も頷いた。


 まるで、おとぎ話に登場する『魔法使いのオババ』といった風情のこの老婆は、姿こそ年老いてはいるが――というか、実際に中身も年老いているのだが、その眼光は炯々として、並の戦士相手ならばにらみ勝ちできるのではないかというほどの迫力を備えている。


 この人物こそ、ローラ・ゴールドベリ教官。

 初等部の運営を切り盛りする、老いてなお明敏な傑物であった。


「話には聞いておったが、よもや、これほどの使い手どもであるとはのぅ。

 ……帝都の《薔薇》どもが、よこせよこせとやかましいのも無理はないわい」


「あんな面白い奴らを、そう簡単に手放せるものか」


 そう囁いたのは、老婆の隣に陣取った長身の女性である。

 こちらも初等部のものに似た黒いローブを着込み、頭から黒いショールをかぶっていた。

 そこからわずかにのぞくのは、ゆるやかに波打ったダークブロンドと、眠たげな金の双眸――

 イサベラ・アストラッド総長閣下である。


 二人は並んで観客席の最前列に陣取り、手には、ポップコーンの器を持っていた。

 すっかり娯楽態勢である。



「――ちょっと、あんたっ! あたしのベルちゃんにケチつけるつもりっ!?」


「待て、ルティア。俺はお前の……」


「うるせえ! 赤毛のチビは引っ込んでろっ!」


「なっ、何ですってぇぇぇっ!?」


「兄さん、これって物凄く店の人に迷惑だと思うんだけど……」



 何やら乱闘が始まっている舞台の上を、イサベラは気楽に指差して、


「見ろ。あれだけの術者が一致団結して、四十日間も訓練を行なったんだ。

 その気になれば、都ひとつ陥とせる。

 ……だが、奴らが目指してきたものは何だ?

 後輩たちの前で、芝居を上演する。ただそれだけだ。

 面白過ぎるだろう?」


「まったくぢゃ」


 深く頷いて、ゴールドベリ。


「《薔薇》の連中は、ゆうもあ・・・・というものを理解しよらんからのう。

 ……こやつらは、あそこよりも、ここに向くのぢゃ」


「そうだな――」


 わあっ! と観客がわいた。

 舞台上のルティアが、手にしたお盆で、ホークをしばき倒したのだ。


「おおっ。良いぞ、娘っ子!」


 生徒たちに混じり、喜んでポップコーンを投げるゴールドベリ。

 イサベラは苦笑しつつ、ふと、視線を横手に巡らせた。

 見れば、やはり最前列の隅っこに、いつのまにか怪しい老魔術師と悪魔、そして天使が陣取っている。

 天使の足元には、なぜか黒いローブ姿の教官がひとり倒れていたが、誰も大して気にしていないようだった。


 老魔術師は仏頂面で、天使と悪魔は笑いこけながら、やはり景気よくポップコーンを投げている――

 その光景を眺めながら、確信に満ちた口調で、イサベラは繰り返した。


「……こいつらは、あそこよりも、ここに向くのだ」


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