デモン・トライアングル! 2
そして、また10秒が経過する頃には、廊下は、元のように無人になり、当初の静けさが戻っている。
――だが今や、床には無数の羽根と数枚の券が散らばり、窓の外からは、軽快な音楽と煙玉の弾ける音、そして、表に雪崩れ出た生徒たちの歓声が響いてきていた。
「……!」
激しい足音を立て、アマンダは、それら全てに背を向けて教室に駆け込んだ。
教室には、誰もいなかった。
遠慮のない音を立てて扉を閉め、『どさっ!』と机に資料を叩きつけ、『がったん!』と椅子を引いて『どすんっ!』と腰を下ろす。
「……バッカじゃないのっ、皆!?」
アマンダは、やり場のない腹立たしさと悔しさを、声に変えて吐き出した。
クラスメイトのほぼ全員が、アマンダの考えに賛成して、慰問取り止めの運動に参加していたのだ。
それなのに。
いざイベントが始まったら、誰も教室に残っていないなんて……!
この、大事な時に。
あんな軽薄なイベントに、嬉しそうに浮かれて。
こんなの……わざわざ運動の先頭に立ったあたしが、バカみたいじゃない!
「そうよ! あたしは、絶対、参加しないんだからっ!
見てなさい! この一日で、あんたたちに差をつけてやるわ――!」
机の上に資料を開き、ノートを開く。
インク壷に『がっ!』とペンを突っ込み、ペン先が折れるほどの勢いで文字をつづり始めた。
1分、2分。
5分、10分――
扉を閉め切っていても、かすかに耳に届く、陽気な音楽と楽しげなざわめき。
バザー? サーカス?
――嫌いではない。
というかむしろ、好きだ。
でも、今は、それどころじゃ……!
「……っあああああああーっ! うるさぁーいっ!
うるさくて、勉強に集中できないじゃないのーっ!」
「アマンダ・フェルモーリン?」
アマンダが喚きながら立ち上がったのと、ぎい、と音を立てて扉が開き、担任のリン教官が顔をのぞかせたのがまったく同時だった。
「……っ」
アマンダは、慌てて口を閉じた。
彼女は普段、ここまで激昂している姿を絶対に他人に見せたりはしない。
特に、教官には。
けれど、リン教官は、彼女の『制御の未熟』を咎めたりはしなかった。
教室に入ってきて、静かに扉を閉め、彼女の机の前までやってくる。
四十代という年齢よりも、失礼だけれど老けて見える……笑いじわの多い顔に、穏やかな微笑みをたたえて、リン教官は、アマンダを見つめた。
「やっぱり、あなたは教室にいたわね。
あなたは真面目だから、きっとそうだと思いました」
「あっ。はい……」
ほらね。先生は、皆がこうやって真面目に、ちゃんと席についていることを期待なさってたんだ。
でも、今、ここにいるのはあたしだけ。
みんなは、後で叱られるといいわ。
「あの、先生? 外の騒ぎ、いったいどういうことなんでしょうか……
慰問は中止って、ちゃんと決まったはずですよね? それなのに……」
「そうねえ」
おっとりと、リン教官は首を傾げた。
「高等部への伝達が、うまくいかなかったのかもしれないわ」
「そんなぁ……先生、これじゃ、うるさくて勉強に集中できません。
何とか、今からやめてもらうってわけにはいかないんでしょうか?」
「そうねえ。あなたの気持ちは分かります。
でも、それは、ちょっと無理でしょう」
リン教官は、あっさりと言った。
「私、今、外を見てきたんだけれど。
皆、ほんとにはしゃいで、楽しそうに遊んでいたわ。
皆のあんな顔を見るのは、本当に久しぶりです。
きっと、今から中止といっても、誰も教室に戻ってこないわね」
アマンダは、あっけにとられて担任の顔を見つめた。
……まさか。
まさか、先生までが――?
「先生……怒ってらっしゃらないんですか!?」
「何をかしら?」
「だって……皆、こんな大事な時期に、勝手に遊びに行っちゃったのに……!」
「そうねえ。
でも、慰問の人たちが、ああして現に来ちゃってるんだし、こうなったら仕方がないって気もするわね。
頑張って運動までしたあなたには、気の毒な結果だけれど……
状況に合わせて気持ちを切り替えることも訓練のうちと思って、あなたも、今から皆と楽しんできたらどう?」
「……そんな……!」
アマンダは、今度こそ心底情けない表情になって呻いた。
この状況を容認してしまったリン教官を不甲斐なく思う気持ちと、ここまで頑なに慰問を拒否してきた自分の立場はどうなるのかという気持ちとがないまぜになって、それ以上の言葉が続かない。
リン教官は、そんな教え子を、不思議な表情で見つめていた。
そしてアマンダが、何度か深呼吸を繰り返した末に、ようやく再び口を開こうとした――
その瞬間。
ずどん!
「!?」
不意に扉のほうからあがった激しい音に、アマンダは、椅子の上で10センチも跳び上がった。
リン教官が、そちらに鋭い視線と指先とを向け――
「…………」
「…………」
開いた扉(先程の物凄い音は、つまり、乱暴に扉が開けられたためのものだった)の向こうに立っていたモノの姿を見て、アマンダはおろか、リン教官までが、何とも言えない表情で硬直した。
ちゃらら~ん、ちゃっちゃっちゃっちゃ~ん! じゃかじゃんっ!
謎のBGMと共に、扉をくぐってずかずかと教室に入ってきたのは、怪しい扮装をした二人の男だった。
一人は、大きなとんがり帽子にずるずるのローブをまとい、白く長いヒゲをつけ、ねじれた木の杖を持っている。
もう一人は、とんがった耳と尻尾、そして小さな翼のついた黒い全身タイツを着込み、手には槍を持っていた。
――両方とも、目付きだけが妙に鋭い。
「…………」
「………………」
無言で見つめるアマンダたちの前で、二人組はぴたりと動きを止めたと思うと、いきなり、怪しい寸劇をはじめた。
「――モガラモガラモガラ。むにゃ」
「うきゃきゃきゃきゃきゃ!」
杖を構え、丸っきりでたらめな呪文を唱える魔術師(?)の周囲を、悪魔(?)が騒いでぐるぐる回る。
……時には『えいっ』と槍で突いてみたりもする。
しかし、魔術師は一向に頓着せず、ぶつぶつと呪文を唱え続け――
「ふんがもんが、ムグムグ。むむむむむ……っ、むんっ!」
気合いと共に、杖を悪魔に突きつけた。
ぼむっ!
「うっきゃあ~!」
杖の先端から撃ち出された衝撃波が、悪魔を教室の隅っこまで吹き飛ばす。
ぴくぴくする悪魔と、『ふんむ』と杖を天に掲げる魔術師。
「…………」
「………………」
決めポーズのまま、5秒ほどじっとしていた二人組は、不意にその姿勢を崩すと、のしのしとアマンダたちの目の前にやってきた。
「ひ……」
アマンダは椅子の上で表情を引きつらせたが、二人組は、そんなことには一切構わなかったようだった。
杖と槍とを、びしっと交差させ――
「戦いの最中は、騒音だらけだ」
格好とはどこまでも不似合いな重々しい声音で、交互に告げてくる。
「その通り。少々のことで心を乱されていては、魔術師はつとまらんぞ……」
「え……」
『さらばだっ!』
何の前置きもなくそう叫ぶと、二人は同時に腕を振った。
ぼばんっ!
「……っぐ、ぐほっ! ごほっ!」
盛大に噴き上がった白煙をアマンダが涙目で払い除ける頃には、二人組の姿はもう消えていた。
扉が開閉する音すらも聞こえなかったのに、だ……
心底当惑して、リン教官に視線で助けを求めると、
「あれは……」
彼女は既に事態を把握したらしく、いつもの穏やかな表情で、のんきに呟いてきた。
「多分、バノット・ブレイド教官と、ダグラス・ハウザー教官ね」
「えっ」
反射的に、それだけを口にして、
「……え……? えっ、えええええぇ!?」
次の瞬間には、扉を――彼らがそこから出て行ったのかどうかは定かでないが、とにかく扉を指差し、アマンダは、思いっ切り素っ頓狂な声を張り上げていた。
バノット・ブレイドとダグラス・ハウザー。
そして、キャロライン・メリ。
聞いたことがある。
これらの名は、初等部でそれぞれ抜群の成績を残し、高等部に上がってからは、その実力ゆえに《魔の三人衆》と恐れられ、今は教官となっている――あの、伝説的な先輩方のものではなかったか?
「でも、でも、でも、あの……」
口をぱくぱくさせている教え子に、リン教官はにっこりと笑いかけた。
「あなた、実際に会うのは初めてだったでしょう。どうだった?」
「どう、って……あの……その……」
素直に『アホかと思った』とも言えず、卵を丸ごと呑み込んだような珍妙な顔つきで、アマンダが硬直していると。
ずどばたばたばたばたどたっ!
……ばたばたばたばたっ!!
何やら、ただ事でない様子の騒音が、廊下を、こちらへと近付いてきた。
その物音は、ちょうどリン教室の扉の真ん前で止まり――
「アマンダーッ! ここにいるでしょ!?」
黒髪をお下げに編んだ一人の少女が、猛然たる勢いで飛び込んでくる。
彼女はただの一瞬で、アマンダと、その側に立つリン教官の姿を判別し、
「あ! ……先生。すみません」
びしと直立不動の姿勢をとった。
「かまわないわ。アリス・マクマーン」
リン教官が、苦笑を浮かべて、その少女に向き直る。
「それよりあなた、額から血が出ているんだけれど……」
「あっ、はい。問題ありません。
これはその、ちょっと廊下で蹴つまずいてコケただけなので。
慌てておりましたもので。
――って、そう! 大変なのよ、アマンダッ!」
もはやリン教官のことは忘れたような剣幕で、アリスは、席についているアマンダの腕を引っ掴んだ。
「何なの……!?」
アマンダは、親友のいつにない勢いに困惑して呻いた。
彼女は普段、こんなに騒がしい子ではない。
慰問取り止めの運動にも、アマンダと一緒に、率先して加わっていたのだ――
そのアリスが、掴んだ腕をぐいぐい引っ張りながら、大声で喚いてくる。
「ちょっと来なさいよ! ほんとに! 急いで!? お願い!」
「だ、だから何なの? どこへ行くって……」
「いいから、ほんと早くっ! すごいのよ!
見逃したら、一生後悔するわ! だから急いで!」
意味不明な意気込みを見せる親友の腕を、アマンダは、思わずもぎ離そうとした。
「離してっ! 私は、ここで勉強――」
「べ・ん・きょ・おおぉ~!? ンなモンは、今は置いとくっ!
さあ! それより早く~っ!!」
「きゃーっ!? は、はなしてぇ~っ!」
がたがたがた! と机をなぎ倒す勢いで引きずられていったアマンダを見送り、
「まあ、まあ……」
リン教官は、くすくすと笑った。
教え子たちの後を追いかけるように、ゆっくりと教室の外に出て、
「ありがとう。うちの子たちに、面白いお芝居を見せてくださって」
穏やかに言い残し、扉を閉める。
しばし、教室はしんと静まり返ったが――
ややあって、ごと、がた、と音を立てながら、教室の一番後ろの掃除用具入れの中から、魔術師と悪魔(バノットとダグラス)が出てきた。
「ふ、芝居の宣伝をする予定が、とっさに、迷える若者に教えを垂れてしまったぜ……」
格好をつけて、前髪――は全身タイツのせいでなくなっているので、悪魔の耳を払いながら、ダグラスが呟く。
「……というか、ダグラス。
貴様、あれでは、悪魔というより猿だろう」
「何!?」
と大仰な姿勢で、ダグラスがバノットに向き直る。
「貴様から……
よりにもよって、陽だまりでうたた寝をするジジイの寝言のごとき『呪文』を唱えていた貴様から、そのように偉そうな批判を受けるとはな……!」
「黙れ」
――とっさにアドリブにしたら、あの有様である。
要するに二人とも、役者としては、極めつけの大根なのだった。
さすがにその出来を自覚しているらしく、互いに少しばかり情けなさそうな顔を見合わせた《魔の三人衆》の二人組は、
「……とにかく、次いくか……」
「うむ……」
次なる宣伝先を求めて、おもむろに教室を立ち去っていったのだった。




