第91話 司令の帳面
バン司令は、夜、竜舎を一人で回る癖があった。
従卒も連れない。提灯ひとつで、八十の房を端から歩く。竜たちは司令の足音を覚えていて、頭も上げなかった。
その夜、竜舎の隅で、カヤと行き合った。互いに驚かなかった。夜の竜舎を歩く人間は、目的が同じと決まっている。
「四年前」司令は、歩きながら言った。「火の夜のあとで、わしは軍務局に報告書を上げた。失火ではなく軍火の暴走だと、あんたらの記録を添えてな。……握り潰されたよ。わしの筆では、あれが精一杯だった」
「知っています。カジ先生から聞きました」
「今度の解禁も、わしは反対した。上申は三度。三度とも、戻ってきた」司令は、房の一つの前で足を止めた。処置明けの若い竜が、高熱の名残で浅く眠っていた。「……わしは軍人だ。命令は実行する。橋が架かれば、わしはこの竜らを連れて、渡ってくる敵を止める。それがわしの職分で、言い訳をする気はない」
「はい」
「だがな、竜医どの」岩のような男は、懐から古い帳面を出した。「わしは二十年、預かった竜の名を全部書いてきた。徴用で来た日と、名前と、癖と、返した日か──死んだ日をだ。軍の帳簿には数しか残らん。名前は、わしの帳面にしか残らん」
司令は、それを少しだけ持ち上げて見せた。
「わしに何かあったら、これはカジに渡る。カジの帳面は、いずれあんたに渡るだろう。……数える者の列に、わしも入れておいてくれ。それだけの話だ」
提灯の火が、司令の横顔を照らしていた。岩のような男の目は、房の竜を一頭ずつ確かめながら歩く目だった。名簿の目ではない。飼い主の目だった。カヤは何も言わずに、隣を同じ速さで歩いた。




