第77話 初めての単独
冬の窯裏は、いつも通り忙しかった。
趾割れ、湯気の桶、軟膏、銅五十文。ツグミは十七になり、初めての単独往診に出た。行き先は隣町の粉屋──四年前、ガマが火を貸して免状を失った、あの粉屋である。窯竜の定期の検分だった。
帰ってきたツグミは、鼻の頭を赤くして、報告した。
「経過、良好です。それで、あの、粉屋のおかみさんが」
「うん」
「『ガマ先生に、うちの竜は今年も冬を越せます、って伝えとくれ』って。……先生、あたし、なんで泣きそうになったんだろ」
「診療録に書いときな」カヤは笑った。「そういうのも、記録のうちだから」
ツグミは、その晩、診療録の末尾に本当に書いた。〈粉屋のおかみ、ガマ先生への言付け一件。内容、冬を越せる旨〉。几帳面な字で書かれたその一行を、あとで見つけたガマは、長いこと黙っていた。それから、薬研を挽く音が、いつもより少しだけ柔らかくなった。
ハギは、押さえと器具洗いを半年で覚え、いまは竜体の図を写している。夜の帳場で居眠りをして、ゲンに鼻先で押されて起きるのが、だいたいの日課だった。
「北にいた頃は、寝坊すると殴られました」とハギは言う。「ここは、竜に起こされるだけなんで、天国です」
天国の水準がおかしい、とツグミは顔をしかめた。しかめながら、翌朝から、ハギの分の白湯を先に汲んでおくようになった。
ゲンは、窯裏の名物になりつつあった。往診の荷を牽き、暴れる若竜の隣に伏せて宥め、子どもらを背に乗せる。芋の季節には、路地で焼き芋の番をした。軍火を抜かれた元軍竜が、いちばん火を上手に使っている──と、炭屋が笑った。
夜、カヤは手控えの隅に書いた。
〈ツグミ、単独一件目。ハギ、竜体図の写し三枚目。ゲン、焼き芋番。
覚え:平和な日の記録ほど、あとで効く。……効かないで済むなら、それが一番いいけれど〉




