第7話 合わない帳面
王都の外れに、東竜舎がある。
都で働く荷竜の三割が寝起きする、王国最大の竜舎だ。三百の竜房、常時四百頭。竜市の季節には、地方から売られてくる竜で六百頭に膨れる。
セイという検疫官の仕事は、そこで竜を数え、咳を数えることだった。
三十四歳。検疫官として十二年。手柄も失点もない、と自分では思っている。検疫官の手柄とは「何も起きないこと」で、それは誰にも見えないからだ。
その朝、セイは第三十八房の前で足を止めた。
北から売られてきたばかりの若い荷竜が、咳をしていた。
咳自体は珍しくない。長旅の竜は埃を吸う。だが、その咳のあと、房の敷き藁に、灰色の粉が散った。
セイは房に入り、竜の口の端を拭って、粉を紙に取った。指で擦ると、粉は脂っぽく伸びた。埃なら乾いて崩れる。これは崩れない。
彼は詰所に戻り、規定の帳面ではなく、自分の手帳を開いた。
この十日の記録が並んでいる。
〈四日前 第十二房 咳・粉は未確認〉
〈三日前 第十二房隣の十三房 咳〉
〈昨日 第二十九房 咳・敷き藁に灰色〉
〈本日 第三十八房 咳・灰色の粉、脂状〉
四件。全部、北からの買い付け便が着いてからだ。
セイは、二十年前の灰咳を知らない。当時はまだ子どもだった。だが検疫官の講習で、症状の表は暗記させられた。
乾いた咳。灰色の粉。粉は脂状。進むと火が黄色くなり、消える。
三つまで、揃っている。
彼は上申書を書いた。〈灰咳の疑いあり。北方便の停止と、東竜舎の隔離検査を具申する〉
半刻後、竜舎監督官の部屋に呼ばれた。
「竜市まで、あと二十日だ」監督官は上申書を机に伏せて置いた。「知っての通り、竜市は都の一年で一番銭が動く。師会も、商人会も、御城も、竜市を見ている。その二十日前に『灰咳の疑い』の紙が回ったら、どうなると思う」
「検査で白なら、それで済みます」
「検査の噂だけで、北方便の竜は全部値崩れする。北の商人会が黙っとらん」監督官は上申書をセイに返した。「疑い、だろう? 確定してから持ってこい」
「確定というのは、火が消えた竜が出るということです」
「なら、消えてから持ってこい」
セイは、詰所に戻った。
規定の帳面を開く。今日の欄。彼は筆を持ったまま、長いこと止まっていた。
書けば、監督官の判が要る。判は、下りない。
書かなければ、記録の上で、東竜舎は今日も健康だ。
セイは、規定の帳面に〈異常なし〉と書いた。
それから、自分の手帳に、小さく書き足した。
〈本日も異常なしと書いた。五件目〉




