第6話 勧められない推薦状
試験までの月日を、カヤは駆けるように過ごした。
夜明け前に起きて竜を押さえ、昼は往診の荷を担ぎ、夜は器具部屋の灯りで竜体の図と法規を書き写した。ガマは何も教えない代わりに、患竜が来るたび「先に言え」と診立てを競わせた。十回に九回は外れて怒鳴られた。それが十回に七回になり、五回になり──ある朝、初めて、何も言われなかった。
窯裏の人たちも、いつのまにかカヤを覚えた。「嬢ちゃん」が「カヤさん」になり、道端で「うちの竜の脚を見てくれ」と呼び止められるようになった。あの井戸端の女も、井戸竜を連れてきた。趾の瘤は早めに削れば銅三十文で済んだ。女は「あんたの言った通りだったよ」と、飴を一つ置いていった。
試験のひと月前になる頃、カヤは願書の話を切り出した。
「推薦人の欄が、埋まりません」
ガマは薬研を挽く手を止めなかった。
「丘の上を回れ。お前ならもう、拾う先生もおるだろう。このひと月で、窯裏のカヤの名は多少売れとる」
「先生に書いてほしいんです」
「俺は三等だ。規定で書けん」
「調べました」カヤは懐から、書き写した紙を出した。「推薦人は二等以上。ただし細則に、『師会の教導名簿に載る者は、推薦の資格を有す』とあります。教導名簿には、一等に上がった竜医が載ります。師会本館の廊下に、名簿が貼り出されていました。古いほうの隅に、先生の名前が、まだあります。──降格の裁定は等級を落としただけで、名簿から外すとは、どこにも書いてありませんでした」
カヤは、写しを卓の上に置いた。教導名簿の、ガマの名の一行を写し取ったものだった。
「……よく調べとる。が、二十年前の連中の消し忘れだ」
「消し忘れでも、名簿は名簿です。載っている限り、規定の上で、先生は推薦できます。嘘も、破りも、どこにもありません」
薬研の音が、止まった。
カヤは続けた。窯裏の患者たちから、少しずつ聞き集めた話だった。
二十年前、竜の疫病が流行ったとき、若き一等竜医ガマは、師会の処分のやり方に逆らって、竜を庇った。
それが発覚して、一等から三等に落とされ、丘の上から窯裏に移った。
細かいことは、患者の誰に訊いても知らなかった。ただ、庇われた竜の飼い主の何人かが、いまも窯裏に住んでいる。
「……誰から聞いた」
「みんなからです。窯裏の人は、みんな知ってます」カヤは言った。「だから窯裏の人は、先生に竜を診せるんです」
「昔話だ」ガマは薬研を再び挽き始めた。「いいか、俺の名で出せば、試験官の何人かは、お前を落とすためだけに難癖を並べる。俺はそれだけ嫌われとる。丘の上の推薦なら、素通りできる坂道だ。わざわざ石を積んだ坂を選ぶ馬鹿があるか」
「石があっても、先生の坂がいいです」
「なぜ」
「あたしは、竜の治し方を、ぜんぶ先生に習いました」カヤは言った。「先生に習った治し方で取る免状に、先生の名前が書いてないほうが、おかしいです。難癖くらい、あたしが腕で黙らせます」
ガマは、長いこと薬研を挽いていた。
それから、筆を取った。
受験料の銀四十枚は、思わぬところから集まった。
試験の十日前、井戸端の女が診療所に来て、布の包みを卓に置いた。ほどくと、銀貨と銅貨が混ざって入っていた。
「窯裏の寄り合いで集めた。銀二十六枚ぶんある」女は言った。「あんた、うちの井戸竜の脚を、道端でタダで見立てたろう。ああいうのが、この路地には積もっとるんだよ」
「受け取れません」
「あんたにやるんじゃない。あんたの免状に出すんだ」女は包みを押しつけた。「免状を取って、うちらの竜を診な。それで返し終わりだ」
足りない十四枚は、ガマが黙って足した。帳場の銭箱から数えて、何も言わずに願書に挟んだ。カヤも、何も言わないことにした。代わりに、手控えに書いた。
〈借り:窯裏に二十六枚、先生に十四枚。返し方:これから見つけていくこと〉
試験は二日あった。
一日目は筆記。竜体の構造、薬草、法規。カヤは法規で二問落とした以外、全て書けた。
二日目は実技。実際の患竜を診て、所見と方針を述べる。カヤの前に立った試験官は三人。うち一人、痩せた男が、願書を見て眉を上げた。
「推薦人、ガマ……ほう」痩せた男は、値踏みするようにカヤを見た。「窯裏の。銅三十文の診療とやらで、何が学べたのかな」
患竜は、若い荷竜だった。右前脚を庇っている。試験官は「跛行の原因を述べよ」と言った。
カヤは、脚を触らなかった。
最初に竜の目を見て、次に喉を見て、それから脚を見た。
「右前趾の裏に瘤。ただし、これは庇った結果です」カヤは言った。「原因は左の肩です。左肩の付け根に古い脱臼癖があって、左を庇って右に体重が偏り、右の趾に瘤ができました。右だけ治しても、また出ます」
「左肩?」痩せた試験官が言った。「触りもせずに、なぜ分かる」
「歩かせなくても、立ち方に出ています。それと、この竜は首を左に曲げたがりません。肩を庇う竜は、首で分かります」カヤは竜の顎の下に手を入れて、静かに首を支えた。「村で十五年、竜の立ち方だけ見て育ちました。竜は口が利けないので、立ち方が口の代わりです」
三人の試験官のうち、二人が頷いた。
十日後、発表があった。
〈受験者九十一名 合格十四名〉
十四人の中に、カヤの名があった。
免状を受け取る日、痩せた試験官が廊下ですれ違いざまに言った。
「ガマの弟子が三等か。……あの男の真似だけは、するな。竜を救って人の決まりを破る者は、最後に竜も救えなくなる」
カヤは頭を下げて、何も答えなかった。
診療所に戻って免状を見せると、ガマは一瞥して言った。
「明日から診察に出ろ。俺は押さえに回る」
それが、ガマの祝いの言葉だった。




