第67話 夜の外套
断りの返事を出す前に、向こうから来た。
夜更け、診療所の戸が控えめに叩かれた。外套を目深にかぶった男。三年前のカジと、同じ姿だった。
外套の下は、御番医の白装束だった。
夜道を歩いてきたにしては、外套の肩が濡れていた。雨は降っていない。丘の上から下町まで、辻ごとに人目を避けて、遠回りに遠回りを重ねてきた汗だった。四百年の格式が、銅三十文の土間に立つまでに、どれだけの角を曲がってきたか。それを思うと、カヤは茶化す気になれなかった。
「……スバルさん」
「夜分に、済まない」切れ長の目の御番医は、土間に立ったまま、しばらく黙った。それから、絞り出すように言った。「アサヒ様の熱が、細い」
ガマが、無言で酒を出した。スバルは口をつけず、続けた。
「儀から二月。並の仔竜なら、火はとうに安定する。アサヒ様の熱は、立った日の高さから、一度も上がっていない。餌を増やしても、殖えが追いつかん。……御城は、公表しない。代替わりの失敗が知れれば、王家の権威に関わる」
「御番医は、五人います」カヤは静かに言った。「あたしは陪席が解けた、ただの下町の竜医です」
「分かっている」スバルは、初めてカヤの目を見た。「分かった上で、来た。……儀の日、あの場で湯気の灰を思いついたのは、あんただけだった。私は四百年の火の格式なら誰より知っている。だが、火の治し方は──あんたのほうが、知っている」
男は、頭を下げた。
「診てくれ。忍びで構わん。この通りだ」
カヤは、ガマを見た。ガマは酒を舐めて、何も言わなかった。何も言わないのが、答えだった。
「一つだけ、条件があります」カヤは言った。「診立ては、隠さず全部言います。御城に都合が悪くても」
「……それを聞きに来た」
スバルは、そこで初めて、出された酒に口をつけた。一口だけ。作法通りの飲み方だった。作法の钧の下で、この人は今夜、たぶん生まれて初めて、格式の外に足を踏み出している。カヤは黙って、器具棚から手帖を取った。話は、そこから長くなった。




