第64話 遺言
シラスは、十日、生きた。
最後の三日は、カヤが枕元に詰めた。薬湯を替え、汗を拭き、老人が目を覚ますたび、頼まれたものを読み上げた。読み上げるのは医書ではなく、手控えだった。窯裏の患竜の記録。趾割れ。歯。銅五十文。老人はそれを、楽の音でも聴くように目を閉じて聞いた。「いい記録だ」と、二度言った。
御番医たちが交代で見舞い、スバルは廊下で立ったまま動かなかった。
最後の夜、老人は、はっきりした声で言った。
「小娘。三つ、言うておく」
「はい」
「一つ。次の代替わりは、もたん。アサヒの火は、わしの見立てで、三十年もつかどうか。それより早く細り出す。そのときが来たら──門外不出の誓いと、竜の命の、どちらを取るか、誰かが決めねばならん」
「……はい」
「二つ。決めるのは、御城の人間でも、御番医でもない。竜をようく見た者だ。竜は口が利けん。だから、よう見る者だけが、竜の代わりに答えを聞ける」
老人は、そこで少し笑った。
「三つ目は、頼みだ。わしの葬式に、窯裏の連中を入れてやってくれ。御城は嫌がるだろうが──わしはあの路地の、青白い火が灯る夜が、この四十年で一番、竜医をやっとってよかったと思うた夜だった」
夜明け前、シラスは眠るように逝った。
御番医、五名になった。
カヤは、朝の光の中で手帖を開き、白い頁の最初の一枚に、初めての一行を書いた。
〈シラス様、逝去。手帖、確かに継ぎました〉
書いてから、筆が止まった。この手帖に字を足せるのは、もう自分しかいない。老人が四十年書き続けた一冊は、今朝から、カヤの一冊になった。重さは変わらないはずなのに、鞄が重くなった。




