第62話 分け火の儀(後)
老竜は、仔竜の前に首を伸ばした。
アサヒは、怯えなかった。楢峡の竜舎でユキがそうだったように、小さく、きゅう、と鳴いた。
ミカゲが、口を開けた。
火の玉が、喉の奥に灯る──はずだった。
灯りは、揺れた。
カヤには見えた。老竜の喉の奥で、火が、立ちかけては細り、立ちかけては細りしている。株が、吹き込みに足る火を、束ねられずにいる。
堂が、ざわつき始めた。
ミカゲは、それでも口を閉じなかった。八十年の宿主は、自分の役目を知っていた。細い火を、少しずつ、少しずつ束ねて──長い、長い時間だった。堂の誰も、咳ひとつしなかった。楽も止まっていた。聞こえるのは、老竜の喉の奥で火が立ちかけては崩れる、かすかな音だけだった。カヤは知っている。あれは、竜がいちばん苦しい音だ。
やがて、小さな火の玉が、仔竜の喉に吹き込まれた。
アサヒが咳き込んだ。きゅう、と鳴いた。
堂の全員が、仔竜の喉を見つめた。
熱が──立たない。
半刻が過ぎた。並の分け火なら、とうに喉が熱を持つ。堂の空気が、音もなく強張っていく。筆頭の額に汗が浮き、軍務卿が身じろぎした。
「湯を」
小さく、しかしはっきりと言ったのは、カヤだった。
「熱い湯と、王家の灰を。湯気で株に餌を入れます。立ち会いは、シラス様」
筆頭が、シラスを見た。老人は、頷いた。
灰を溶いた湯気が、仔竜の鼻先に立てられた。一刻──アサヒの喉に、ようやく、ほんのりと熱が立った。
堂に、安堵の吐息が満ちた。典礼は再開され、儀は成立が宣言され、鐘が鳴った。
カヤだけが、知っていた。
いま立ったこの熱が、どれほど細いかを。




