第51話 芋の荷
春の朝は、パンの匂いで始まる。
窯裏の路地では、パン屋の窯に火が入るのが夜明け前で、診療所に患竜が並び始めるのも、ほとんど同じ刻限だ。カヤは趾割れの荷竜に軟膏を塗り終え、湯の桶を替えようと戸口に出て──足を止めた。
見慣れない荷竜が一頭、荷車を牽いて、路地を入ってくるところだった。
荷台には、芋の俵が山と積んであった。
「カヤ先生!」
御者台から飛び降りたのは、背の伸びた少年だった。声が、記憶より低い。左腕に火傷の痕。北の訛り。カヤは一拍おいて、その全部が一人の顔に重なった。
「……ハギさん?」
「約束、守りに来ました」ハギは荷台をばん、と叩いた。「ゲンと、芋を運んで、王都に来るって」
ゲンは、大きくなっていた。火を並に戻された元軍竜は、荷車の梶棒を器用に降ろすと、診療所の戸口に自分から首を突っ込み、並んでいた患竜の頭越しにカヤを見つけて、ふ、と鼻を鳴らした。三年経っても、挨拶の仕方は変わっていなかった。
「これが噜の診療所ですか。……思ってたより、大きいです」ハギが路地を見回した。
「去年、隣の倉庫を借りたの。竜房が三つ増えた」
この三年で、窯裏は変わっていた。逆継ぎ火は師会の術規に正式に載り、よその町の竜医が手順を習いに来る。丘の上の医家が、手に負えない患竜に紹介状を持たせて坂を下らせることも、もう珍しくない。三年前、門前払いした側が、である。路地の外では、「継ぎ火の竜医」の呼び名が、カヤの名前より先に歩くようになっていた。
帳場の奥から、ツグミが顔を出した。十六になった弟子は、初対面の少年と竜を順に眺め、竜のほうに先に頭を下げた。
「あんたがゲンね。手控えで読んでる。火の夜の」
「じ、自分はハギです」
「知ってる。順番の問題」
診立ては、すぐ済んだ。目、立ち方、喉。カヤはゲンの顎の下に手を入れ、喉の付け根に掌を当てた。強すぎず、細すぎない、覚えのある熱。耳を寄せると、株の燃える音が、ぼそぼそと規則正しく続いている。継いだ火は、青白く、静かに燃えていた。
「いい火です。文句なし」
「でしょう」ハギは自分のことのように胸を張った。
芋は、南の村──ゲンの故郷から仕入れてきたのだという。徴用が解かれた竜と兵は、除隊ののち、二人で荷運びを始めていた。ゲンの牽く芋は、生まれた畑の芋だ。「あいつ、南に入ると歩くのが速くなるんです」とハギは笑い、それから少しだけ声を落とした。
「北はどうですか」
「静かです。静かすぎるって、カジ先生は言ってますけど」ハギの指が、無意識に左腕の火傷をなでた。「川向こうの砦、また増えてました。自分が入営したころの、倍です」
数える癖は、北の連中にも染みついている。誰に教わったのかは、訊くまでもなかった。
その夜、窯裏の路地では、芋が焼かれた。ゲンの火で、である。焼き芋の匂いにつられて竜飼いたちが集まり、パン屋が売れ残りを持ち出し、炭屋が樽を転がしてきて、ちょっとした祭りになった。軍火を抜かれた元軍竜が、子どもらに囲まれて、芋のために火加減を測っている。ガマは帳場から動かず、その光景を一瞥して、それだけ言った。
「……いい使い方だ」
帳場の隅で、カヤは手控えに書いた。
〈ゲン、経過良好。継ぎ火から二年半、殖え安定。
覚え:直った竜が芋を焼く。これ以上の予後はない〉




