第50話 湯の温度
春、カヤは楢峡に帰った。
峠の雪は緩み、道は去年よりぬかるんで、それでも七日で歩いた。
峠を越えて村が見えたとき、最初に確かめたのは、竜舎の煙出し──ではなかった。村の下の、湯屋の屋根だった。
湯気が、上がっていた。太く、白く。
村に入ると、湯屋の前に村長が立っていて、カヤを見ると、皺だらけの顔で笑った。
「入ってみろ。診立ては、それからだ」
湯は、熱かった。
指先からじわりと熱が染みて、思わず声が出るくらい、ちゃんと熱かった。ミゾレの最後の年には温くなっていた湯が、戻っていた。
竜舎に行くと、ユキがいた。
一年で倍の体になった白い竜は、岩盤の上の定位置──ミゾレが百五十三年伏せていた、あの場所に、同じ格好で伏せていた。誰も教えていないのに、火をもらった竜は、火の使い場所を知っていた。
カヤが戸口に立つと、若い竜は頭を上げ、まばたきを一つした。
目、立ち方、喉。診立ては、すぐ済んだ。火は若く、よく燃え、殖えも良い。喉に当てた手のひらに、覚えのある熱が伝わった。強すぎず、細すぎない。楢峡の岩盤を、これから百年温めていく熱だった。
「ユキ」カヤは言った。「いい火だね。誰にもらったの」
若い竜は、答える代わりに、カヤの手のひらに鼻先を押しつけた。
人の肌より、少し温かい鼻先だった。
その晩、カヤは村長の家の囲炉裏で、手控えの新しい頁を開いた。
〈楢峡。湯、熱い。ユキの火、良好。
ミゾレの火は、ユキの喉と、王都の二十五頭と、北の砦の四頭の喉で、燃えている。
数えた者がいるから、残る数字──合わせて、三十の火〉
書き終えて、囲炉裏の火を見た。
火は、竜より古い。
人はそれを消してしまうこともできるし、使い潰すこともできる。けれど、正しく継げば──竜よりも、人よりも、国の決まりよりも、長く続く。
春の夜、果ての村の囲炉裏で、継ぎ火の竜医は、明日の診察の器具を、いつもの順に並べ直した。




