第2話 石段の上と下
楢峡から王都までは、歩いて十日の道のりだった。
最初の二日は、峠越えだった。楢峡の谷を出るには、北の峠をひとつ越えるしかない。
春先の峠道にはまだ雪が残っていて、カヤは夜明け前に発ち、日が暮れる前に麓の炭焼き小屋に転がり込んだ。小屋の主に銅五文を払い、土間の隅で寝た。
三日目からは、川沿いの下り道だった。
腹に巻いた布の中に、銀二十二枚。村の蓄えから出た金だ。宿に泊まれば一晩で銅六十文が消えると知ってから、カヤは宿をやめた。
納屋を貸してくれる農家を探し、見つからない夜は橋の下で膝を抱えた。飯は朝に固いパンを一つ買い、三度に分けて食べた。夜ごと財布を開いて銅貨を数えるのが日課になった。減った銅貨の分だけ、帰り道が細くなっていく気がした。
五日目、生まれて初めて、ミゾレではない竜を見た。
街道を、荷竜の隊列が追い越していった。六頭。どの竜も若くて、鱗に艶があり、喉から湯気を立てて、重い荷を平然と牽いていた。カヤは道の端に避けて、隊列が見えなくなるまで見送った。ミゾレも若いころは、あんなふうに歩いたのだろうか。
十日目の昼、平野の先に、ようやく都の壁が見えた。
王都リンドは、竜の都だ。
北門をくぐった瞬間から、竜がいた。荷車を牽く荷竜。井戸の上で車輪を回す井戸竜。屋根の上で瓦を焼く小竜。人の三倍の竜から、犬ほどの竜まで、道のあちこちに竜がいて、誰も驚いてなどいない。それが日常だからだ。
カヤは驚いた。楢峡には竜が一頭しかいない。ここには、数えきれないほどいる。
そして、どの竜の火も、ミゾレより若かった。
竜医師会の本館は、都の真ん中の丘にあった。白い石造りで、正面に六十段の石段がある。
カヤは六十段を上って、受付で言った。
「三等の試験を受けたいんです」
受付の男は、カヤの旅装を上から下まで見た。
「受験願書。受験料、銀四十枚。それと推薦状。推薦人は二等以上の竜医に限る」
「推薦人は、どうやって探せばいいですか」
「探す?」男は書類から顔を上げた。「推薦は、探すものじゃない。師事した竜医からもらうものだ。あんた、どこの門下?」
「どこでもありません。村で竜の世話を十五年──」
「世話係と竜医は違う」男は書類を戻した。「二等以上の門を叩いて、住み込みで何年か働いて、認められたら推薦をもらう。それが順路だ。近道はない」
「何年、かかりますか」
「早くて三年だな」
カヤは、石段を六十段下りた。
下り切ったところで、財布を確かめた。銀十七枚と、銅八十文。ここまでの十日で、四枚と少し使っていた。
宿は一晩、銅六十文。飯が銅二十文。何もしなくても、一日八十文が消える。銀一枚が銅百文、金一枚が銀六十枚。手持ちは──二十日と少しで、消える。
三年も掛ける時間も金もなかった。
カヤはその足で、二等以上の竜医の門を回った。
一軒目は、取り次ぎも出なかった。二軒目は、門番に「紹介状は」と訊かれて終わった。三軒目は住み込みの弟子がもう六人いた。四軒目、五軒目、六軒目。
七日で、十一軒回った。
全部、駄目だった。
十一軒目の帰り道、カヤは道端に座り込んだ。座り込んだ先が、たまたま、井戸端だった。井戸竜が車輪の中で歩いていて、車輪が軋んでいた。
カヤは、しばらくその竜を見ていた。
それから、立ち上がって、竜の前に回った。
井戸竜は歩きながら咳をしていた。三歩に一度。空咳ではない。湿った咳だ。よく見ると、左の後ろ脚を庇って、車輪の中で体が斜めになっている。
「ねえ」カヤは井戸の持ち主らしい女に言った。「この竜、脚を診てもらったほうがいい。左の後ろ。趾の裏に瘤ができてると思う。あと、咳。喉じゃなくて胸のほうから鳴ってる」
「診てもらう? 竜医にかい」女は笑った。「井戸竜一頭に、診察銀二枚も払えるもんかね」
「銀二枚?」
「相場だよ。丘の上の先生がたのね」女は水桶を担いだ。「まあ、うちらの竜が診てほしけりゃ、窯裏へ行くしかないさ」
「窯裏?」
「南の下町だよ。パン屋の窯の裏に、変わり者の先生が一人いる」女は言った。「銅三十文で竜を診る。丘の上からは、藪って呼ばれてるけどね」




