第1話 湯がぬるい
竜は、火を作れない。
これを知らない人間は、案外多い。竜の喉の奥には焔嚢という袋があり、その中に「火株」と呼ばれる小さな生き物の群れが棲んでいる。
火を吐くのは竜だが、火を生んでいるのは株のほうだ。株は親竜から仔竜へ、口移しの「分け火」で継がれる。だから竜の火は、竜より自身よりもずっと古い。
楢峡の村の竜、ミゾレの火は、百五十二年前の火だった。
そしてその火が、細くなっていた。
「今朝は、湯がぬるかった」
村長の家に集まった大人たちは、囲炉裏を囲んで、順に同じことを言った。湯がぬるい。岩盤が冷えてきた。北の田の雪が、去年は三日で消えたのに、今年は十日残った。
楢峡は山あいの村だ。田は狭く、冬は長い。それでも人が住めるのは、ミゾレが村の下の岩盤を温めているからだった。温泉が湧き、雪が早く消え、春が半月早く来る。一頭の竜の火が、村の冬を、まるごと引き受けていた。
カヤは土間の隅で、大人たちの話を聞いていた。十五歳。竜守の家の三代目で、物心ついたときからミゾレの世話をしてきた。
ミゾレの火が細いことは、カヤが一番よく知っていた。
火を吐かせると、以前は青みがかった白だった炎が、今は黄色い。黄色いのは温度が低い色だ。朝の火入れのとき、ミゾレは三度に一度、空咳をする。咳のあとに、口の端から灰色の粉がこぼれる。
「竜医を呼ぶには」村長が言った。「街から一等を呼んで、往診料が金二枚。うちの蓄えでは、一度呼んで終わりだ。治らなかったら、それきりになる」
「呼ばなかったら」誰かが言った。
「火が消えたら、ミゾレは冬を越せん。竜は火株の熱で体温を保っとる。火が消えた竜は、秋の虫と同じだ」
囲炉裏が、ぱちりと鳴った。
「売る、という道もある」別の誰かが言った。「火が残っとるうちなら、まだ値がつく」
カヤは、土間で立ち上がった。
大人たちが振り返った。
「あたしが竜医になります」
沈黙が落ちた。
「王都で三等の免状を取れば、竜の治療ができます。三等の試験は年に二回。次は夏です」カヤは言った。「今から行けば、間に合います」
「カヤ」村長が言った。「免状は、何年もかかるもんだ」
「早い人は一年で取ってます。師会の掲示にそう書いてありました。行商のジジさんに写してもらいました」カヤは懐から紙を出した。皺だらけの写しだった。「受験料は銀四十枚。それと、推薦人が一人要ります」
「推薦人の当てはあるのか」
「ありません」
「金は」
「ありません」
村長は長いこと黙って、それから囲炉裏の灰を掻いた。
「……蓄えから、銀二十二枚出す」彼は言った。「それで足りるところまで行け。足りなくなったら、帰ってこい。誰もお前を責めん」
出立の朝、カヤは竜舎に寄った。
ミゾレは寝藁の上に長い体を畳んで、片目だけ開けていた。歳を取った竜は、あまり動かない。動かないぶん、目がよく喋る。
「ミゾレ、行ってくるね」カヤは言った。「夏に、免状持って帰るから」
ミゾレは、ゆっくりとまばたきをした。
それから、カヤの手のひらに、乾いた鼻先を押しつけた。竜の鼻先は、火株の熱で、いつも人の肌より温かい。
その朝のミゾレの鼻先は、カヤの手と、同じ温度だった。
王都までは、歩いて十日。
カヤは、その道を歩き出した。




