第100話 実験棟の煙
秋の終わり、実験棟が、事故を起こした。
夜半、棟の煙出しから、灰色の煙が立った。ただの煙ではなかった。風下の竜舎で、朝、三頭の竜が咳をした。
咳のあと、敷き藁に、灰色の粉が散った。
カジの通報は、防疫局の緊急線で王都へ飛んだ。灰咳の疑い。発生源、軍施設。四年前に整えられた検疫立入権は事前通告制──だが、疫の発生時の緊急立入は、その例外とされていた。灰咳の再来だけは、軍務局ですら、盾にできる理屈がなかった。
セイは、その日のうちに立入検査を宣言した。
軍は、抵抗した。国防上の機密、戦時大権、管轄権。あらゆる札が切られた。セイは、一枚だけ札を返した。
「では、書面でどうぞ。〈灰咳の疑いに対する防疫検査を、軍務局は拒否した〉と。日付と官名を入れて」
書ける者は、いなかった。二十年前の三百頭と、五年前の三百八頭の記憶は、軍にもあった。拒否の一文に判を押した者が、次の疫の名を負う。
立入は、翌朝と決まった。
その夜、実験棟の灯りは、朝まで消えなかった。運び出しの荷車の音が、幾度も闇を往復した。カジは宿舎の窓から、その数を数え続けた。荷車、七往復。行き先、南の街道。
数えながら、軍竜医は歯を食いしばっていた。二十年、この砦で数だけを武器にしてきた男の、それが精一杯だった。追う権限も、止める権限もない。あるのは、窓と、月明かりと、七往復という数字だけだ。
数えられなかったものが、一つだけあった。
夜明け前、棟の裏口から、布に包まれた小さな檻が一つ、運び出されずに、置き去りにされた。




