167 十割間違ってた
一度びしょ濡れになった後で乾かしたから、ごわごわになってる紙袋を丁寧に開けてみる。袋の隙間から本が見える。嫌な予感しかしない。レオさんが持ってきた本だよ。ヤバいでしょ。
「なんで、中を見ずに俺を見るんだよ。しかも、眉を寄せて軽蔑の目とか、興奮するだろ。」
袋の中を覗いていた目をレオさんに向けてしまった。レオさんの持ってくる本なんて、ヤバいのしかないじゃん。俺の気持ちは全部顔に出ていたらしい。レオさんがほぅ、っと息を吐き出して、甘さを感じさせる口調で囁いてくる。
「えっ、キモイ。」
「マジで、真顔は止めて。泣いちゃう。」
「琥珀、レオの気持ちだ。」
その感じが、もうキモイです。感情はそのまま口から出ていた。レオさんの目が丸くなった。頬を染めて顔を逸らしたレオさんはネロを見上げてしまった。レオさんがネロに泣きついている構図だ。ネロが溜息交じりに仲裁をしてくれてるっぽい。
ネロの言葉に頷いて、紙袋を丁寧に開けて本を取り出してみる。ネロの武器の本並みの厚さがある、重厚な革張りの高級そうな本が出てきた。
袋がごわごわで取り出し辛くなってる。丁寧に本を抜き出す、というか、持ち上がらなくて紙袋を下に引き下ろすように引き抜くしかできない。ネロが本を持ち上げてくれたから、紙袋を慎重に引き抜いていく。
ネロが紙袋から出した本を俺の膝の上に置いてくれた。膝の上の本を眺めてみる。白い色の鞣した皮が表紙の高級そうな本だ。存在感が半端ない。表紙の四つ角には綺麗な装飾の飾りが刻印されていて、本の装丁は手が込んでる。
でも、〈乾燥〉されたとはいえ、本自体も一度はびしょ濡れになったっぽい。水を吸って乾いた本はページが波打っていて膨れてる。
タイトルに目を向けると、綺麗な飾り文字が見える。植物を模した形の飾り文字だ。文字自体は読めないけど、理解できたタイトルは『派生の不思議:プラントイド』。ぷらんといど?植物系モンスターの事だよね、プラントイド。
(はい。)
のろのろとレオさんに顔を向けてみる。にこっと嬉しそうな笑顔を浮かべているレオさんが見えた。少し考えてみる。
俺に痕を付けたお詫びに、この高そうな本を買ってきたって言ってた。それ以前に、なんでこの本なんだろう。あ、食事前に言ってたコトを覚えてたのか。成る程。
ってか、こんな高そうな本なんて貰えない。お詫びって、それなりの原因があってのアレだったじゃん。お詫びなんていらないよ。
「結論、これは返却します。以上。」
「ちょっと待て。その結論に至った経緯を述べよ。」
レオさんと見つめあいながら色々と考えて、1つの結論に達した。レオさんは俺の考えなんて全部読み解いてるだろうからね、結論だけでいいでしょう。ニコっとして告げてみると、レオさんが俺の手を握ってきた。更には、言葉で説明を求めてくる。
「だって、お詫びで貰うような事はされてないし。それ以前に、この本はどう見たって高価でしょ。ヤバいじゃん、幾らだったの?怒らないから言ってみなさい?」
「そんな高くない。200万シルくらいだから、そうでもないだろ。」
説明を求めるならしてあげるよ。ついでに、ユリアさんの口調を真似て、本の価格にも言及しておく事にした。ユリアさん真似っこなのに気付いたのか、レオさんの眉がぴくっと反応した。そんな高くないと言いながらも、答えてくれた金額を聞いて唖然となってしまう。
今、200万って言ったよね。200万がそうでもないってどういう事なの。円に換算したら10倍だよ。2000万円の本なんて俺は見た事ないよ。この本はどういう本なんだよ。
「え、待って。アホなの?アレ系な上にレオさんも浪費系な人だったんだ。レオさんは常識人だと信じてたのに。ネロがあんな浪費家なのを窘めて貰おうと思ってたのに。悲しい。レオさんもそんな浪費家だったなんて。」
「アレ系ってなんだよ。そんな高くないから平気、平気。」
もう、ヤダ。俺とレオさんのお金に対する認識は大体似た感じだと思ってた。200万シルをそんなに軽い感じで流す人じゃないって思ってた。
ん、いや。レオさんは確か、カナロアは高価って言ってたよね。俺と同じ認識だった筈。なんで この本に関してはこんなに軽い考えなんだ?
「だって、カナロアは高価って言ってたじゃん。その金額の半分だよ、そんな高くないって金額じゃないでしょ。めっちゃ高いじゃん。」
「カナロアは一㌔の価格だろ。しかも食ったら無くなる。本は無くならない。」
カナロアを引用して高価だって構図を引き出してみたけど、ダメだった。レオさんの中で消費物か違うかで価値が違うらしい。俺とは認識のずれがある事だけは理解できた。
「そもそも、レオさんがアレじゃない本を買ったって事実がもう泣ける。」
「お~、それな。初めて買ったわ。真面目な本なんて。」
もう現実逃避しかない。レオさんがエロさが一切ない真面目な本を買った事にすら感動してきてしまった。ウルウルしながら、レオさんの手を握ってみる。レオさんは嬉しそうに目を細めて、俺の手を握り返してくれた。そして、初めて真面目な本を買った事実を打ち明けてくれた。
「ネロ、聞いた?レオさんは成長したね。大人になったね。真面目な本を初めて買ったんだって。凄いね。間近でこんな成長が見れる事があるなんて、凄いね。」
もう、感動ですよ。レオさんの成長物語を見てる気分になってきた。ネロに顔を向けて、涙ぐんでしまう。ネロは嬉しそうに頭を撫でてくれた。
「俺は大人だ。大人だからアレな本を読むんだろ。お前は可愛いな。」
俺の感動を切り裂くように、レオさんが言葉を挟んできた。感動が一切なくなってしまう。レオさんを睨んでしまうと、レオさんはすすっと目を逸らしてしまった。
「どっちにしても貰えない。高価過ぎて、俺は返せない。お金がないの。俺は超貧乏人なの。」
「やるって言ってるだろ。返す必要なんてどこにもない。それに、こんなかぴかぴになったのは、もう返却なんてできないんだよ。黙って受け取れ。」
現実逃避してたけど、冷静になれた。改めて、こんな高価な本は貰えない事を説明してみる。レオさんは俺の話を最後まで聞いた上で、受け取る事を強要してきた。
レオさんの目にも、一度濡れて、かぴかぴになった本は見えてるらしい。折角の高級な本なのに、一回びしょ濡れにしちゃった事で大変な事になってるんですよ。レオさんの言う通り返却不可な状態になってる本なんだよ。
レオさんは色々な意味でワイルドだとは思ってた。でも、なんで雨の中で〈シール〉もせずに本を買ってくる事を選択してしまったのか。ネロもなんで止めなかったんだろう。
「悲しい。俺には拒否権もなく、こんなかぴかぴの本を受け取らなきゃなんだね。ってか、びしょ濡れで本を買ってくるとか何なの。」
「急いでたんだから仕方ないだろ。」
もう、悲しさしかない。しょんぼりと本を撫でてしまう。確かに、返却できなくてレオさんもいらないっていうなら、この子は捨てられちゃうだけだ。金額の問題ではなく、読む為の知識の詰まった本なのに、それは可哀想過ぎる。俺に答えたのか、レオさんが小さく呟いたのが聞こえた。
「なんで急ぐの?ゆっくり行ってこれば良かったじゃん。ネロと仲良くしてこれば良かったんだから、急ぐ必要なんてなかったでしょ。」
「謝りたかったから。」
レオさんの呟きに対して、少しキツク言い返してしまった。レオさんが顔を背けて小さく付け足した声が聞こえた。レオさんの言葉を聞いて驚いてしまう。そっぽを向いて俺の方を向いてくれないレオさんの表情は見えない。でも、この子は超いい子だ。年上だけど、めっちゃいい子。
いや、レオさんは何気にいい人だって知ってたよ。でも、これはヤバい。これは萌える。謝る為に急いでお詫びを買って帰ってきてくれたんだよ。しかもこの態度である。嬉しくて、身を乗り出して、横を向いたままのレオさんの頬に軽くキスをしてみる。レオさんが驚いた顔で俺を見てくれた。
にこっとすると、レオさんは目を逸らしてしまう。これは、ヤバい。この感じにネロが揺さぶられるんだ。照れる様子が普段のレオさんと全然違うじゃん。
成る程ね。これは確実に上級者向けのテクニック、いや、テクニックじゃない。レオさん本来のアレだろうね。これは萌えますわ。
ネロに顔を向けて、にっこり笑って頷いてみる。ネロは少し戸惑った顔をして考え込んだ後で、じっと俺を見つめて頷き返してくれた。ですよね、ネロもこのレオさんにはキュンキュンきてるんだね。
「待て、お前ら。今、全く意思の疎通ができてなかったからな。特にネロ、お前は適当に琥珀に合わせただろ。ん?言ってみろ。」
「レオさんのネロなのに、ごめんね。でもね、ヤキモチも可愛いけど、ネロにあたっちゃ駄目だよ。ね。」
ネロがレオさんを好きな気持ちが理解できた。ネロと気持ちの共有ができて、嬉しく思っていたら、レオさんが低い声でネロに絡み始めた。レオさんが拗ねてる、そうだよね、レオさんのネロだもん。俺がダメだった。にっこり笑顔でレオさんの頭を撫でながら、謝ってみる。
レオさんはむっと黙り込んで目を逸らしてしまった。ヤバい、可愛い。拗ねてるよ。この子猫ちゃんは拗ねちゃってる。ヤバいね、萌えるわ。ね、ネロ。にっこり笑顔でネロに頷いてみる。ネロは少しの間考えて、頷き返してくれた。やっぱ、ネロもそうなんだね、分かるわ。
「くそ、ネロ。そうやって、誤魔化しやがって。お前もこっち側だからな。」
「レオさん、そうやって拗ねてるのも可愛いけど、やっぱり貰えない。気持ちだけ頂きます。この本を読んで色々勉強してね。初めての真面目な本、良かったね。」
俺がネロと見つめあって頷きあってるのが、レオさん的にはヤキモチに火を付けちゃうらしい。ネロに絡むレオさんは可愛いけど、ネロが困っちゃってるよ。本を抱えてレオさんに返してみると、レオさんは受け取ってくれないどころか、ジト目で見てくる。
「この本でナニをイロイロ勉強しろっていうんだよ。変態か。」
「あれ、レオさん。なんか言い方が卑猥だよ。さっきの可愛い子猫状態はどこに行っちゃたのかな。」
なんでそんな顔になっちゃったのかな、って首を傾げてにこっとしてみた。レオさんが口を開いて話し出してくれたけど、なんて事を言ってるんだ。いつものレオさんに戻ってしまっているではないか。さっきまでのレオさんが可愛かったのに。
「だから、眉を寄せて軽蔑した顔するなっての、興奮するから。特に、その胸元というか首元がそそられるんだよ。」
「ネロ、レオさんが可愛くなくなっちゃった。あんな可愛かったのにどっか行っちゃった。」
やっぱり、いつものレオさんに戻っちゃってる。子猫ちゃんな拗ねて照れたレオさんが可愛かった。ネロに縋りついて思いを伝えてみる。
ネロは小さな息を吐いて、俺の肩に腕を回して引き寄せてきた。頭を抱え込んで俺の髪を撫で始めたネロは無言だ。
抱えられちゃったから、ネロの顔が見えない。でも、ネロが疲れてるっぽいのは分かる。あ、そうか。レオさんが可愛すぎてヤバくなったんだね。で、気持ちがパンクしたんだ。そして疲れ切ってしまったと。
成る程ね~。そうだよね、ネロも大変だ。こんな可愛い子猫ちゃんに振り回されたらね、そりゃ疲れちゃいますよね、分かります。
ネロの愛はレオさんに伝わってるかな。レオさんの事をこんなに大好きなんだよ、凄いね。ネロの腕の中で、レオさんと目を合わせて頷いてみる。レオさんには疲れた顔をされてしまった。
「言っとくけどな、今、お前が考えてた事は八割方、間違ってる。」
「間違ってない。レオさんが可愛過ぎて、萌え過ぎてネロが燃え尽きたんだもん。間違ってないでしょ。現実を見よう。ね。ネロに愛されてるんだからいいじゃん。」
レオさんの低くて冷静な声が俺の思考を間違ってるって断定してくる。なんで間違ってるって分かるんだよ。ちゃんと、丁寧に説明してみると、レオさんはふむふむと聞いてくれた。
「訂正するわ。十割間違ってた。」
「レオさん、照れちゃって可愛いね。そして、この本重い。太腿がヤバい。」
そして、レオさんは爽やかな笑顔で全部間違ってるって言いだした。どうやら照れは継続してる模様。態度は可愛い子猫ちゃんじゃなくなったんだけど、まだ可愛さは継続中みたいだね。
ってか、本の重さで太腿が辛くなってきた。ネロが本を自分の太腿の上に移動してくれた。ネロは優しく微笑んでいて、全く疲れてなかった。寧ろ、幸せそうに見える。
「琥珀、マジでその本を受け取ってくれ。金額じゃないんだよ。あの本屋にはプラントイドのヤツはそれしかなかった。安いのがあればそれにしたんだけど、それしかなかったから仕方なかったんだよ。」
レオさんが真面目な口調で話し始めて、顔をレオさんに戻す。レオさんは金額じゃないって言ってるけど、実際に高額な物って分かっちゃってるもん。おいそれと受け取れる金額じゃないもん。
「それにしても高価過ぎる。本ってそんな高いモノなんだね。ネロが買ってくれた本もそれくらいするのかって考えたら怖くなってきた。俺はネロに返済を終わらせるのに何千年かかるんだろ、怖いわ。」
レオさんが買ってきてくれた本に関しては金額じゃないってのは分かった。でも、そこから連想されるほかの本達の値段も高そうな事に気が付いてしまった。ネロの子孫の子孫のその先まで、俺はお金を返し続けるんだろうな。
「この本は特別高いだけ。平気だろ。ってか、あの本棚の本で、これより高いのは武器の奴くらいだろ。他のはそうでもないと思う。」
「武器の本はこれより高いの?まぁ、金属で補強してあったし、いざとなったらあれが武器になるって事なのか、納得。」
未来に思いを馳せていたら、レオさんが思考を遮ってきた。レオさん曰く、武器の本はこれより高いらしい。200万より高い武器の本。
あの本は超高額な武器のカタログみたいな感じだったよね。それが200万越えか。凄いな。まぁ、金属補強で装丁もがっちりな本だから、納得できるような気もするね。
「ならねぇよ。なんで本を振り回して戦うんだよ。普通に貴重な情報が載ってるからだよ。」
「そなんだ、この本も貴重な情報が載ってるの?」
俺の冗談交じりの意見をしっかり拾ったレオさんは、かっちりと突っ込んでくれた。このレオさんの感じがスゴイ好き。レオさん曰くの貴重な情報、レオさんが買ってくれた本にも載ってるのかな。
ネロの膝の上の本を撫でてみる。革張りだからか、程よいクッション性で、触り心地がいい。白地の革に金色と黒の装飾文字も綺麗。
「これは、貴重な情報も載ってるけどな。プラントイド限定ってのが、なんというか珍しいんだよ。端的に言うと、プラントイド命の変態が手掛けた本だから高いらしい。世界に数冊しかない本の一冊だ。ホントはもっと高い値段だったんだぞ。でもな、誰にも買われないから値下げしてた。ほら、お買い得だった。な、だから受け取ってくれ。いいだろ。」
レオさんは実は情報通だよね。聞いた質問にはちゃんと答えられる知識があるのがスゴイ。本に対しての知識なんてなさそうなのに、この本の事をちゃんと説明できてる。本屋さんの人にちゃんと聞いてきたのかな。こういうトコロはマメな感じがする。ってか、元値はもっと高価だった事実が驚きだ。
「えっ、もっと高かったの?マジで。本一冊だよね?」
「そそ、本一冊。貴重な情報ってヤツだよ。問題は、それを欲しがるのが少ないってトコなんだよな。武器の方は高くても結構売れる。プラントイドは高いから売れない。その違いだ。」
驚いた俺を宥める為か、ネロの膝の上の本に伸ばしていた俺の手をレオさんが握ってきた。俺の手のひらをひっくり返して、自分の手のひらを重ねて握ってくるレオさんの行動を眺める。俺の手を握ったレオさんが、ニコっと笑顔で説明を続けてくれた。
「レオさんはそんな貴重な本を水浸しにして、こんなにフニャフニャにしちゃったの?」
「別に読めればいいだろ。」
手を握ってきたレオさんはそのままに、ネロの膝の上の本に目を向けてみる。見た目は凄く豪華で綺麗な本だけど、ページは膨れて可哀想な事になっている。世界に数冊の貴重な本の中の一冊が酷い事になってる。ため息交じりの俺の言葉に、レオさんは静かに反論をしてきた。
「だって、一度濡れたらページとかくっついちゃうじゃん。読めなくなってる所もあるよ。」
「あ、そう言えばそうだな。手書きだもんな、読めなくなってるかも。しくったな、俺の本も何度そうなったか。水に濡れると悲しい結果になるんだよな。」
読めればいいっていうけどね、一度濡れた本は読めなくなる事もあるんだよ。レオさんの手ごと、本を撫でてしまう。レオさんは過去を思い出したらしく、悲しそうな顔になってしまった。
レオさんの想像の中の本と、この本じゃ価値も情報も全然違うと思うんだけど。まぁいい、触れないでおこう。問題は、レオさんの言葉の中にあった言葉だよ。手書きって言ってたよね。
この世界の本ってのは、どうやって作るのかは知らない。でも、今まで俺が読んでいた本は手書きな感じは全くしなかった。日本で製本されてる感じの、印刷された文字っぽくも見えた。って事は、手書きの本なんて超貴重だよ。
「マジで、手書きの本なの?レオさんは馬鹿なの?超貴重品じゃん。」
「辛辣だな、でもそうだな。急ぎ過ぎて何も考えてなかった。ごめん。」
思わず、普通に言葉を選ばずレオさんを貶してしまった。レオさんは耳を後ろに倒して、唇を噛み締めてしまう。本当に申し訳なさそうな顔になったレオさんを見て、やっぱり可愛いと思ってしまった。猫って、ヤバいね。
「ごめんなさい、馬鹿は言い過ぎました。ちょっとアホにしとく。」
「そうだな、甘んじて受けいれておく。悪かったです。」
「読む事ができれば琥珀は受け取るのか?」
自分の失言に気が付いて訂正したけど、レオさんはそれを受け入れてしまった。俺達の会話には一切口を挟まなかったネロが静かに会話に加わってきた。静かで低い声だけど、有無を言わせぬ迫力があるネロの声だ。
金色の目が少し輝いていている気がする。その迫力に思わず頷いてしまう。ネロは俺を見つめながら、俺の手を握っているレオさんの手のひらの上に、自分の手を重ねた。
俺とレオさんの手はネロの膝の上の本の上にある。レオさんの手の上というよりは、本に手をかざしたネロが詠唱を始めた。低く紡がれる言葉と共に、ネロの髪がふわふわと揺れ動く。
ネロの膝の上の本に変化が現れた。本が水を含んで濡れていき、その後で、だんだん湿り気がなくなっていく。そして、詠唱の終わりと同時に、皴や染みや歪みが何もない完全に綺麗な本になっていた。
顔をレオさんに向けてみる。レオさんは驚いた顔をしていてやっぱ驚く事なんだ、と思ってしまった。魔法みたいな魔法は、レオさんにとっても魔法みたいな魔法だったらしい。
「これで読める。問題無いな。」
「うん、ありがと。」
俺とレオさんの驚きをよそに、ネロはクールな態度だ。微笑みは浮かべているけど、メッチャ冷静な態度だ。ネロの断定にコクっと頷いてお礼を言っちゃった。
「ネロ、その魔法はあれか、時のか。」
「そうだ。」
レオさんが俺の手をキュッと握ってネロに質問を始めた。ネロの眉がぴくっと反応した感じがある。ネロの視線はレオさんが握っている俺の手に向けられている。静かに答えながら、ネロがレオさんの手首を握った。
レオさんの手の力が一瞬抜けた気がする。ネロは俺の手を慎重に抜き取ってレオさんの手をポイっと捨ててしまった。そして、俺の手のひらに自分の手を合わせてきた。
「マジか、凄いな。初めて見たわ。感動するな。」
レオさんはネロが握った手を痛そうに振りながら感動を伝えている。ネロが俺の手を握ってくる。どうやら、レオさんが握っていた温もりを求めている模様。ってか、実物がそこにあるんだから、それを握ればいいじゃん。
「アルさんがネロの傷を消してくれたのもこの魔法って言ってたよね。やっぱり凄いね。」
「マジか、族長はやっぱ極めてるよな。マジですげぇ。いいモノを見せて貰った。」
この魔法はレオさんも驚く、スゴイ魔法で確定っぽい。レオさんが魔法に対して俺と同じ感覚を持ってくれるのが嬉しい。ネロがキュッと俺の手を握ってきた。ネロに顔を向けてニコっとしてみる。
「ネロは凄いね。ヤバいよね。」
「そうだな、マジでヤバい。テンション上がるな。」
ネロを見つめて、改めて凄いって言葉に出してしまう。レオさんも同意してくれたから、レオさんに視線を戻してみた。レオさんは目をキラキラさせてネロを見上げている。そんなレオさんの顔を見ちゃったら、俺のテンションも上がってしまいますよ。
ネロは俺の頭を撫でてくれる。そして、ついでの様にレオさんを一瞬だけ撫でて背もたれに寄りかかってしまった。おお~、ネロがレオさんをちゃんと撫でてあげた。
良かったね、レオさん。ニコニコでレオさんを眺めていたら、レオさんは少し後で固まってしまった。目が真ん丸になってる。耳がぴんと立っててメッチャ可愛い。ヤバいね、それは驚くよね。
「不意打ちはヤバいよね。分かるよ。見てる側もヤバかった。こんな時は可愛く笑えばいいと思うの。で、もう一度撫でてってオネダリしてみたらいいんじゃないかな。」
止まっちゃったレオさんの頭を俺も撫でてみる。ツンツンの髪の刺激が気持ちいい。ニコニコで語りかけていると、レオさんがのろのろと俺に視線を移してきた。
「お前はヤバいな。ネロがなんで変わったのか分かるわ。マジで、凄い。」
ぼそぼそと独り言のように呟くレオさんに首を傾げてみる。俺の何がヤバいんだろう。凄いってのは、ネロにかかる言葉なのか、俺にかかる言葉なのか。
俺の疑問には答えずに、レオさんはにこっと笑って頷いてくれた。何か納得したらしい。良く分からないままで、俺も頷き返してにこっと笑顔を返しておく事にする。
「いや、マジで、詫びの品って言ってたんだけどね。それだけの価値のある体験をしてるから受け取ってくれ。嫌なら、ネロに贈呈する。それならお前も心置きなく読めるだろ?」
「おお、それはいい案ですね。超高い本ってのがあんまり色気ないけど、恋人へのプレゼントか。ヤバいね、ちょっと色気がないけど、ヤバい。ネロは色気のない本でも、レオさんからのプレゼントだし喜んでくれると思うんだ。」
レオさんは本に話を戻してきた。そして、レオさんの提案はメッチャいいアイデアだった。ネロへのプレゼントだって。恋人へのプレゼントですよ。響きがいい。ネロならどんな高額なのに対してもお返しくらい用意できそうだし、いいと思います。
「それなら、色気のある方も持ってくるか。」
「やめて下さい。変態ですか。」
目をキラキラさせながら、色気がないを連発したのがいけなかったのかもしれない。レオさんが頷いて、そっちも持ってくるとか言い出した。折角の、恋人っぽい楽しい感じだったのに。ジト目でダメ出しをしてしまう。
「その視線とその声色と、その顔。ついでに首元。ゾクゾクするわ。」
でも、なんか、レオさんのツボにはまってしまったっぽい。レオさんの目が熱を持って、口調も熱を持ってる感じだ。俺の顔に伸ばしてくるレオさんの手をネロが掴んで止めてしまった。
レオさんの台詞回しが頂けなかったらしく、ネロが視線を鋭くしてレオさんを見下ろしている。レオさんへの視線を緩める事なく、ネロが膝の上に置いていた服を手渡してきた。
「琥珀、これを着ろ。目の毒だ。」
「そうだ、鏡を見たんだけど、レオさん酷い。超目立つ痕だった。全然濃いじゃん。」
目の毒って酷い、ってかそうだ。俺はレオさんに文句を言いたかったんだ。濃くないって言ってたけど、メッチャ目立った。ネロの差し出す服を受け取ってレオさんに身を乗り出して文句を言ってしまう。
「あ~、見ちゃったのか。どう、エロくなかった?」
「えっとね、エロいかエロくないかで言ったらエロい。」
レオさんが楽しそうに目を細めた。俺の首元に一瞬視線を向けて、ゆっくりと目が俺の元に戻ってくる。そして、楽し気に聞いてくるレオさんに、素直に答えてみた。
「それ以外だと?」
「マジで、エロい。何て事をしてくれたの。」
レオさんの目が楽しそうに細められた。そして、また首に視線を向けてくる。なんか、その見方がエロい感じがするんだよ。レオさんの頬を両手で挟んで顔を寄せてみる。レオさんは視線を俺の目に合わせてくれた。
「琥珀、会話を続けるなら先に着替えろ。」
「分かったよ。もう何も買わないでね。絶対だからね。これで最後だからね。」
レオさんと会話を続けていたら、ネロが話を遮ってくる。しょうがない、着替えながら話をするか、と上着のボタンを外したら、ネロが止めてきた。ネロは無言で寝室を指差してくる。寝室で着替えろって事らしい。しょうがないから移動する事にする。
「別に上だけならここでもいいじゃん。」
言いたい事を言い切って、寝室に移動してベッドに座り込む。久しぶりに感じるベッドの感触が気持ちいい。




