幽閉三日目 『離れやで。なんぼ叫んでもええねん』
幽閉三日目の昼。
志摩貴春先輩は、ゲームのコントローラーを持ったまま寝ていた。
午前中ずっと、画面に向かって叫んでいた人だ。
叫びつかれて、電池が切れたらしい。
机の上に、朝ごはんのお盆が残っている。
返しに行こう、と思った。
この家に来て初めての、一人での外出だった。
ドアに、鍵はかかっていなかった。
◇
離れと母屋は、屋根のある廊下でつながっている。
母屋に入ったとたん、足もとが変わった。
つるつるの石だ。
大理石だった。
家の床に使っていい石ではない。
その先は、絨毯の廊下だった。
どこまでも続いている。
「すみません」と言ってみたら、声がひびいて、三回返ってきた。
家の中で、やまびこが起きている。
右に曲がった。
庭に出た。
池があった。
赤と白の鯉が、ゆっくり泳いでいる。
一匹一匹が、僕の腕より太い。
台所は、ここではない。
戻って、左に曲がった。
こんどは露天風呂に出た。
庭に、岩で囲んだ湯船がある。
初日に入った、ひのきの内風呂とは別の風呂だ。
この家には、風呂が二つある。
台所は、ここでもない。
廊下のまん中で、犬に会った。
小さなチワワだった。
ぷるぷる震えている。
どこかで見たことのある震え方だ、と思った。
チワワは僕を見ると、しっぽをちぎれそうに振った。
足にまとわりついて、離れない。
「ペロちゃん。その方は、お嬢のお客さまです」
うしろに、白い手袋の男の人が立っていた。
背すじの伸びた、無口そうなおじさんだ。
「運転手の磯部です。あの日、あなたをここまでお運びしました」
共犯者が、自分から名乗った。
「ペロちゃんがなつくのは、めずらしい。お嬢には、いまだに吠えますので」
「先輩、きらわれてるんですか」
「声が大きいので。それにお嬢は、最初の一週間、家に犬がいることにお気づきになりませんでした」
思い当たることしかない。
この家は、犬が一匹ふえても気づかないくらい広い。
「お嬢が何かをお連れになるのは、あなたで二度目です」
「前があったんですか」
「マーモットです。『もこたんに似とる』と、たいそう喜んでおられました。もこたんさまは、お嬢の東京のご友人です。マーモットのほうは翌朝、窓から逃げられましたが」
日本に、ぐうぜんいる動物ではない。
でもこの家なら、いてもおかしくない気がしてきた。
磯部さんは、台所まで案内してくれた。
「お嬢は毎朝、私の車で学校へ行かれます。電車には、お乗りになれませんので」
お金持ちは、電車に乗らないものらしい。
◇
台所のとなりの食卓に、先輩の家族がそろっていた。
先輩のお母さん。
先輩の姪っ子の、つむぎちゃん。
二人とも、まじめな顔で、銀色の小さな紙をかんでいる。
アルミホイルだった。
「あら、ゆうへい君。ちょうどええとこに来たわ」
「……何をされてるんですか」
「銀歯でアルミホイルかむと、キーンてなるやろ? ほな銀歯のない人はどうなんやろ、いう話になってな」
「うち、ならへん」
つむぎちゃんが、かみながら報告した。
「ゆうへい君は銀歯ある?」
「ないです」
「ほな、かんでみて」
小さく切ったアルミホイルを、渡された。
断る理由を、思いつかなかった。
かんだ。
「……なりません」
「やっぱり銀歯なんやわ!」
お母さんとつむぎちゃんが、手をたたいて喜んだ。
何の役にも立たない実験だった。
でも、この家の人たちは、こういうことを家族でまじめにやっている。
うちの食卓では、だれもしゃべらない。
アルミホイルをかんだのは初めてだけれど、悪くなかった。
◇
帰り道、玄関の前を通った。
戸が、開いていた。
外は明るい。
門の向こうに、道が見える。
でも僕は、そのまま渡り廊下をわたった。
離れに近づくと、中から声が聞こえてきた。
「なんでやねん!!!! いまの当たっとったやろ!!!!」
先輩が起きて、またゲームに叫んでいる。
ドアを開けると、先輩がふり向いた。
「どこ行っとったん! 幽閉条件の第一条! 相談なしに外出するの禁止やで!」
「お盆を返しに。先輩、声が母屋まで聞こえます」
先輩は、にんまり笑った。
「離れやで。なんぼ叫んでもええねん。ええ家やろ?」
ええ家だった。
そこで、気がついた。
玄関は、開いていた。
僕は、逃げるのを忘れていた。




