第66話
長く、そして短い時間が終わりを告げた。今までの人生でキスという行為は数えきれるのほど経験してきたヴォルフだが、こんなに甘く切なく刺激的で、そして官能的だったことは一度もない。
首に当てたシミターが妙な興奮を呼ぶ。最後のキスに切なさを感じ、柔らかな少年の唇がとても甘く、初めて舌を絡めてくれた喜びで体中が熱くなった。
ふぅっと長い息をして、恥ずかしそうに見上げた少年の目は、縁がほんのり赤く染まり、見ているだけで興奮した。本気でこのまま押し倒してしまおうかと思うほどに……。
「気が済んだ?」
先ほどの質問と同じ言葉をユーリィが発した。
「ユーリィ、凄く色っぽいぞ」
「ふ、ふざけたことを言うな、変態野郎」
少年の手から剣を奪い取ることは簡単だ。奪い取って、有無を言わさず欲情のままに、全てを奪い去ってみたいという欲望が身体の内部から沸き上がってくる。頭のどこかで、“やれ、ヴォルフ”という声が聞こえているではないか。それは本能という名の牙を剥いたヴォルフ自身だ。
だがそんな事をすれば、少年は本当に自ら命を絶つかもしれない。本人は気づいていないかもしれないが、彼は誰よりもプライドが高く、そして戒律的だ。こんな刹那な欲情を受け入れてはくれない事は分かっている。
それとも彼の後を追って逝ってしまおうか。
「何黙ってるんだよ」
長い沈黙を苦痛に感じたのか、ユーリィは体を離しながら文句を言った。それを捕まえてみたいと、背中に回した右手に力を入れかける。だが残骸のような理性が抵抗し、その間に少年は剣と共にスルリと腕の中から抜けていった。
「やっぱり離れたくない」
「我が儘が過ぎる。今日はお前の要求を最大限に受け入れてきたよね? これ以上は絶対に無理」
「希望が欲しい」
「希望って何を希望するつもりだよ?」
シミターをちらつかせながら、ユーリィは相変わらず生意気な態度で睨んできた。出会った頃に比べて、彼はずっと強くなった。そうさせたのは自分だろうか?
出会った頃に比べて、自分はずっと弱くなっている。そうさせたのは間違いなく彼だった。
「もう一度会えるという希望だ」
「会わない方がいいと思うけど」
「俺に一生、苦しませるつもりか?」
その言葉にユーリィは瞬間、哀しそうな瞳を見開いた。
そうだった。彼は誰かを苦しませる事を恐れていたんだった。やっとその感情を捨て去ろうとしている時に、こんなセリフはきっと反則だったかものかもしれない。けれどこの際、反則も禁句も使ったって構うもんか。弱みにつけ込んで何が悪い。
「……そんなに会いたいの?」
しばらく黙って足元を見つめていたユーリィは、哀しみを残したままポツリと言った。
「ずっといられなくてもいい。けど十六歳の誕生日に会うっていうのはどうだ?」
「誕生日?!」
「結構、ロマンティックだよな?」
「お前、真顔で言ってて恥ずかしくない? 少なくても僕は背中が痒くなってきた」
「決めた! 誕生日前に、ギルドに居場所の連絡を入れてくれ。俺は絶対に君の元へ飛んでいく」
「勝手に決めるな。そんな少女趣味みたいなのは嫌だからな」
「いいや、これは決定事項だ。何か未来が明るくなってきたぞ」
「いや、暗く感じる」
そう言いながらも、ユーリィがそれほど嫌がってるように見えないのは、都合のいい解釈だろうか。ニコニコと微笑むヴォルフを呆れた顔で眺めながら、少年はシミターを収めて、ゆっくりと近付いてきた。
青い瞳に下から見上げられる。出会った頃にあった哀しみの色は、そこには殆ど残ってはいなかった。たった数週間、彼は随分と大人になったようだ。それは自分のお陰だと、傲った事を考えるのはとても楽しい。傲慢な考えだと言われようと、自分が好きな人に影響を与えたんだとしたら、これほど幸せなことはないだろう。
「じゃあ、行くよ」
ユーリィはゆっくり右手を差し出してきた。その途端、ヴォルフの胸に痛みが駆け抜けていく。
「あ、ああ」
引き寄せたいという衝動を抑え、軽くその手を掴んで、少年の顔をじっと眺めた。
「ヴォルフ達には……」
そう言いかけたユーリィだが、何故か口と閉ざすと、掴まれた右手を振り払って扉の方へと駆けていく。入口近くに置いてあった荷物を持ち上げ振り向いたその顔は、はにかむような表情が浮かんでいた。
「ヴォルフにはとても感謝してる。僕は凄く強くなれたと思う。本当は独りになるのはちょっと怖いけど、もうしばらく独りでいることにする。たぶん楽しいことはこの世界には沢山あると思うから。僕、なるべく頑張ることにするよ。暴走とかして誰かに迷惑をかけるかもしれないけど、自分を一番大切にする」
一気にまくし立てた言葉は、彼が生まれて初めて口にした素直な気持ちだろう。恥ずかしげに赤らんだ顔は、少年らしい明るさに輝いていた。
「他人に与える影響は、悪いことばかりじゃないからな」
「うん、わかった」
「怪我するなよ」
「うん、わかった」
「浮気はするな」
「可愛い彼女を作ってやる」
「約束は守れよ」
「約束したつもりはないけど、一応覚えておく」
「絶対守れ」
「ハイハイ」
「ハイは一つ」
「最後まで説教臭いな、お前」
ヴォルフが怒って追いかけるマネをすると、ユーリィは慌てて扉を開き、外へと飛び出していった。
バタンと閉まった扉を眺める。本当に最後まで冷たいヤツだ。もう少し名残惜しそうにしてくれても、罰は当たらないだろうに。
ヴォルフは取り残された寂しさを持て余しながら、扉を見つめ続けた。しかしそれは二度と開かれることはなく、ヴォルフは諦めてソファに腰を下ろした。
「また会えるよな?」
誕生日まであと半年近く、今度会った時はもっと大人としての威厳を見せようと思いながら、ヴォルフは立ち去った少年を探すように、指先で唇をそっとなぞった。
ご閲覧、ありがとうございました。なおこの物語はシリーズ(「金の獅子 銀の狼」http://ncode.syosetu.com/s2542b/)となっています。
現在第五部更新中。
もしお時間がありましたら、続編もよろしくお願いします。




