第三話 化け物なんかじゃない
「なーに黙ってんだよ陸! 痛いトコ突かれたか?」
翔太は陸の反応を面白がり、さらに調子に乗って煽り立てる。
「ガリバラさんは化け物なんかじゃないよ。ちゃんと家政婦さんとして来てくれたんだ」
「ははっ、家政婦? 家に入れねえじゃん! 役立たずのデカブツ——」
翔太が言いかけた、その時だった。
【ガラガラガラ……!!】
「きゃーっ!? 助けてー!!」
悲鳴が上がったのは、道路を挟んだ真向かいにある古い二階建ての民家だった。
屋根の補修工事をしていた業者の足場がグラりと傾き、その弾みで——巨大な鉄パイプの資材束が道路側へ崩落しかけていたのだ。
そしてその真下には……、煽るのに夢中で背後を警戒していなかった翔太が立っていた。
「え……?」
頭上から迫る重圧。
恐怖で顔を蒼白にした翔太は、足がすくんで一歩も動けない。
「翔太、逃げて——!!」
陸の叫びと同時に、猛烈な風が吹き荒れた。
【バシィィィン……!!】
重い金属音が住宅街に響き渡る。
なんと——ガリバラさんが長い腕を凄まじい速度で伸ばし、落下してきた大量の鉄パイプを巨大な手のひらで丸ごと受け止めていたのだった。
十メートルの巨体が、まるで落ちてきた羽毛を受け止めるかのように、完璧に落下の衝撃を殺している。
「ふぅ……危ないところでしたわ。お怪我はありませんか、少年?」
ガリバラさんは鉄パイプを安全な地上へそっと置くと、怯える翔太に向かって、どこまでも優しい笑みを向けた。
「ひっ……あ……あ……」
翔太は腰を抜かしたまま、ガリバラさんの大きな顔と、自分を救ってくれた巨大な手を交互に見つめる。
もし彼女がいなければ、重傷どころでは済まなかったはずだ。
馬鹿にし、「化け物」「役立たず」と嘲笑った相手に、翔太は間一髪で命を救われたのだ。
「……翔太。ガリバラさんは化け物なんかじゃないんだよ。僕の大切な家政婦さんなんだ」
陸はそっと前に一歩踏み出し、静かな声で言った。
翔太の顔が、自分の浅はかさと情けなさで真っ赤に染まっていく。
「……ごめ……ごめんなさい……!!」
翔太はポロポロと涙をこぼしながら、地面に膝と頭をつけ、ガリバラさんと陸に向かって深々と頭を下げた。
「俺が間違ってた……っ! 酷いこと言ってすみませんでした! 助けてくれて……ありがとうございました……!!」
さっきまでの意地悪な態度は完全に消え去り、必死に謝罪する翔太。
陸はホッと胸を撫でおろし、少し照れくさそうに鼻の下を掻いた。
「わかってくれたなら、いいんだよ。……明日、学校でちゃんと話そうね」
ガリバラさんは嬉しそうに頬を染め、陸の成長を愛おしそうに見つめるのだった。
【へっくしゅん……!】
不意に翔太の近くから、小さなくしゃみが聞こえた。
振り返ると、そこにはランドセルを背負った男の子──クラスメイトの表向素直が立っていた。
厳しい親からの躾のせいで、どんな時でもニコニコとした仏のような笑顔を崩さない少年だ。
「素直くん……!? いつからそこにいたの?」
「最初からだよ。翔太くんが威勢よく叫んでから、腰を抜かして漏らしそうになるところまでずっと見てたよ」
「ひっ……!? な、なんだよ……! 漏らしてねぇよ!」
翔太は必死に言い返すが、素直はにっこりと眩しい笑顔のまま歩み寄り、励ますように翔太の肩をポンと叩いた。
「元気だしなよ翔太くん。誰だってイキって失敗することくらいあるよ。自分よりデカい人に威張って、返り討ちにあいそうになって腰を抜かすなんて、小学生あるあるじゃないか」
「あ、当てつけかよ……! 慰めてねぇだろそれ……!」
翔太が屈辱で顔を真っ赤にして震えるが、素直は「えっ?」と不思議そうに首を傾げ、さらに追撃(本人的には必死のフォロー)を重ねる。
「そんなことないよ! 僕は翔太くんを尊敬してるんだ。だって、あんな恥ずかしい目に遭ったばかりなのに、もう陸くんと普通に会話できるなんて。どういう神経しているのか知らないけどメンタル強くて羨ましいよ。僕だったら恥ずかしくて速攻で転校すると思うし!」
「ぜったい馬鹿にしてんだろお前ーーーっ!!」
「えぇ……? どうして怒るの……?」
本気で励ましているつもりの素直は、本気で困惑したように目を丸くしている。
そんな悪意ゼロ(素直くん調べ)のデリカシーの無さに、陸は思わず「素直くん、もうそれくらいにしてあげて……」と脱力しながら苦笑いした。
すると素直は、今度は十メートルの巨体を誇るガリバラさんを見上げ、目を輝かせながらニコニコと手を挙げた。
「ねえねえ、デカいお姉さん。一つ聞いてもいい?」
「デカいお姉さん!? ……な、なんでしょうか、素直くん!」
「お姉さんって、体重は何トンあるの? 四足歩行で歩いてる時、道路にひびが入ってたけど、やっぱり大型トラックより重いの? ダイエットとかしないの?」
「た、た、体!!?? ダイエット……!!???」
繊細な乙女心にグサグサと、容赦なく突き刺さる無邪気な一言。
ガリバラさんは「ガーン!!」と雷に打たれたような顔で衝撃を受け、巨大な両手で顔を覆って震え出した。
「素直くん、女の人に体重を聞くのは失礼だよ……!」
「えっ、でも10メートルもあるんだから隠す意味なくない?」
「もうやめてー!!」
悪意ゼロの言動で、あのガリバラさんすら指一本触れずに撃沈させる、(相手のプライド絶対へし折るマン)な『メンタルブレイカー素直くん』。
彼の登場により、さっきまでのしんみりした空気は完全に吹き飛んでしまったのだった。
そして、その日の夕方──。
翔太と素直が帰った後、空は朝からずっとどんよりと曇っていた。
遠くでゴロゴロと雷の音が鳴る。
「雨かなあ」
庭に立つガリバラさんを見上げながら、陸はつぶやいた。
その直後だった。
ぽつり。
ぽつり。
やがて空から大粒の雨が落ちはじめる。
そして――
【ザアアアアアァァァッ!!】
一気に土砂降りになった。
「うわあ!」
陸は慌てて縁側へ駆け込む。
勢いよく降り注ぐ雨が、ガリバラさんの大きな体を叩いていた。
「ガリバラさん!」
陸は心配そうに呼びかける。
雨粒は彼女の頭から肩へ、肩から腕へと滝のように流れ落ちていた。
ガリバラさんはあっという間に全身びしょ濡れに。
「大丈夫!?」
するとガリバラさんはゆっくり陸を見た。
『大丈夫ですよ』
いつもの穏やかな声だった。
『私は大きいですから』
「でも、すごく濡れてるよ!」
『雨というものは濡れるためにあります』
「そんなわけないでしょ!」
思わず陸は声を上げた。
ガリバラさんは少しだけ首を傾げる。
『そうでしょうか?』
「そうだよ!」
庭では雨が激しく降り続いている。
陸はますます心配になった。
「風邪ひいたらどうするの?」
『陸くん』
ガリバラさんは静かに言った。
『そんな顔をしないでください』
「え?」
『私は平気です』
(その言葉は優しかった。
きっと僕を安心させるためなのだろう。
だけど――)
平気だと言われても、陸は平気じゃなかった。
雨の中に立ち続けるガリバラさんが、なんだか少しだけかわいそうに見えたのだ。
その夜。
陸は机に向かい、いつもの連絡日記を開いた。
お父さんへ送る大切な日記だ。
今日あった出来事を書いていく。
学校のこと。
宿題のこと。
晩ご飯のこと。
そして最後に、こう書いた。
『今日は大雨が降りました』
『ガリバラさんがずぶ濡れになりました』
『ガリバラさんは平気だと言っていました』
『でも、ぼくは少しかわいそうだと思いました』
『ガリバラさんが雨に濡れない方法があったらいいなと思います』
書き終えると、陸は日記帳を閉じた。
窓の外では雨音がまだ続いている。
庭を見れば、街灯の明かりの下にガリバラさんの大きな影が見えた。
「おやすみなさい、ガリバラさん」
『おやすみなさい、陸くん』
優しい声が返ってくる。
陸は少し安心して布団へ入った。
それから二日後。
学校から帰り、宿題をしていた陸の近くで父から持たされたスマートフォンが震えた。
【ブルルルルッ】
画面を見た陸は勢いよく立ち上がる。
「あっ!」
(そこに表示されていた名前は――
父さんだった)
第4話以降は10月15日から完結まで更新は19時予定です。
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