第三話 入力中が三分続いています
おはようございます。門宮です。
本日より五連休のため、図書室での講座は休講となります。
つきましては、キングスリーグの予習資料をお送りします。ご確認ください。
土曜の朝、九時ちょうど。
門宮衛美から届いたメッセージは、どう読んでも業務連絡だった。
昨日、「イヤホンは、長いほうを持っていきません」と送ってきた人と、同じ人だろうか。
添付ファイルを開いた。
PDFだった。十二ページあった。
表紙に『MURASH FC 入門 第一回』と書いてある。目次がある。用語集がある。今年の夏のミラノ遠征は、四試合のスコアが表になっていた。九対二、七対〇、八対一、六対二。全勝。
高二の女子が連休初日の朝に送ってくるものじゃない。
返事を打とうとして、指が止まった。
ありがとう、でいい。それだけでいい。
打った。消した。
そっけなくないか。十二ページだぞ。
すごいな、と打った。消した。上からじゃないか。
気がつくと、「一発でいいわけ」と打っていた。消した。何の返事だ。
スマホが震えた。
衛藤くん。さきほどから三分ほど、入力中の表示が続いています。
大丈夫ですか。
見えていた。
打っては消しているのが、向こうに全部、見えていた。
僕、衛藤優一は、図書室では文庫本で止めてもらえる。文字の世界には、止めてくれる人がいない。
読んだ。すごい。ありがとう。
三分かけて、九文字だった。
返事は一秒で来た。
本当ですか!? どこがよかったですか!? 用語集はいらなかったでしょうか!? 二回目はイタリア戦の予定なんですがあれは一回では無理なので前後編にしようと思っていてでもその前に大会の仕組みを説明しないとだめで
画面が、下まで文字で埋まった。
五秒後、もう一通。
失礼しました。取り乱しました。
今のは読まなかったことにしてください。
送信を取り消そうとした跡が、一通ぶんだけ残っていた。間に合わなかったらしい。
スマホを持ったまま、声を出して笑ってしまった。
文字でも早口になる人を、初めて見た。
「彼女か」
リビングのソファから、親父が言った。
テレビには、今日も昔の配信のアーカイブが流れている。うちの土曜は、だいたいこうだ。
「友達だ」
「友達に返事するのに、正座するやつがいるか」
正座していた。いつからだ。
「クラスの、衛門」
「おお」
親父が、初めてテレビから目を離した。
「いたのか。クラスに」
「いた」
「男か」
「……衛門だ」
「衛門に性別はない、みたいな顔をするな。女子だな」
親父は笑って、また画面に目を戻した。
それから、画面を見たまま言った。
「ハイゲ、また落ちたよ。二次も」
「知ってる。先週、廊下で叫んでただろ」
「叫んだ。四十過ぎて、廊下で叫んだ」
親父は、配信が始まった年から見ている。
照れもせずに、好きなものを好きだと言う。落ちたら廊下で叫ぶ。当たった人を、ちゃんとうらやましがる。
この人の口から、語録が出るのを聞いたことがない。いつも、自分の言葉で喋っている。
僕だけが、人の言葉に逃げる。
「……その子が、二枚当ててて」
「おお!」
「一枚余ったから、一緒に行ってくれないかって」
「おお!?」
親父が立ち上がった。ソファのクッションが床に落ちた。
「お前、それ、行くのか! ドームに! FINALに!」
「行く」
「うらやましい! 心の底からうらやましい!」
叫んでから、親父は静かに座り直して、クッションを拾った。
それから、普通の声で言った。
「で、二人で行くのか」
「二人で」
「それはデートだな」
「違う。同行者だ。衛門として行く」
「女子と二人で東京ドームに行くことを、世間ではデートと言う」
言い返そうとした。
何も出てこなかった。語録すら、落ちてこなかった。
夜になっても、その言葉が頭から出ていかなかった。
デート。
違う。彼女は、一人で行く勇気がなくて、たまたま近くにいた衛門を誘っただけだ。
たまたま近くにいた衛門。それが僕だ。それ以上の意味は、どこにも書いていない。
スマホが震えた。
夜分にすみません。
通話をしても、いいでしょうか。
文字だと、私、うまく話せないみたいなので。
うまく話せない、というのは、朝のあれのことだろう。
僕は十秒だけ迷って、いいよ、と打った。今度は消さなかった。
かかってきた。
『……もしもし』
声が、近かった。
近いうえに、小さい。ささやくような声だ。
「声、小さくないか」
『布団の中なので。家族に聞こえると、困るので』
「なんで」
『男の子と電話していると思われます』
「してるだろ」
『……してます』
耳のすぐそばで、彼女が息を吸う音がした。
図書室で肩が当たったときより、近い気がした。
まずい。棚が揺れている。
「一発で——」
言いかけて、気づいた。
今日は、文庫本がない。止めてくれる人がいない。
『言っても、いいですよ』
小さな声が言った。
『通話なら、図書室じゃないので。続き、小声で言えます』
頭が真っ白になった。
真っ白なまま、口が勝手に動いた。
「……一発でいいわけ」
『俺達は』
ささやき声だった。
クラスで一番清楚な女子が、布団の中で、僕の耳元で、「俺達は」とささやいた。
僕はベッドに倒れた。倒れた音が、向こうに聞こえたと思う。
『衛藤くん? 今、すごい音が』
「何でもない。何でもない」
二回言った。彼女の癖が、うつっている。
それから一時間、資料の話をした。
彼女は三回、早口になりかけて、三回とも『声が』と自分で止めた。布団の中で口を押さえているのが、見えなくても分かった。
『あの』
切る前に、彼女が言った。
『明日も、かけていいですか。連休、あと四日あるので』
「……いいよ」
『ありがとうございます。おやすみなさい』
通話が切れた。
四日。
あと四日、毎晩、あの声が耳元に来る。
デートじゃない、と昼の僕は言った。
夜の僕は、もう一度それを言おうとして、やめた。
部屋を出たら、廊下に親父が立っていた。歯ブラシをくわえている。
「デートだな」
「聞いてたのか!」
「声がでかいんだよ、お前は。熱くなると」
親父は歯ブラシをくわえたまま、笑って洗面所に戻っていった。
誰に似たんだと思う。




